第76話 アーサー国王への挨拶



 兄の話はそれで終わり、とばかりにみんな朝食を食べ始めた。

 明日には出発すると聞いて、みんな少し興奮しているように思えた。

 わたしは荷物などほとんどない。

 もし、時間があるのなら、アナスタシアと少し話ができたらと思った。

 しかし、アナスタシアと話をする間もなく、部屋へ戻ったわたしたちはすぐに荷物をまとめることになった。



 荷物を乗せ終わり、部屋でジェニファーと少し休んでいると、兄がやって来た。


「ミア、アーサー国王にご挨拶に行くぞ」



 アーサー・シャルル・ルーゼ国王陛下。アナスタシアの結婚式で拝顔しただけで話したことはない。

 わたしたちは兄について行き、客間へと通された。

 高い天井からは水晶のシャンデリアが吊られ、埋もれそうなほどふかふかの絨毯に、豪華な一人掛けソファに国王が座っていた。

 わたしはドキリとして思わずお辞儀しそうになり、ぎくしゃくしながら部屋へ入った。呼ばれたのは、わたしと兄とエドワード、テオも呼ばれていて、四人であいさつをした。

 アーサー国王は穏やかな表情でほほ笑んで立ち上がった。国王はやや細身で身長も小柄だった。

 わたしたちを見るなり、気楽にしてほしい、と声をかけてくれた。

 国王からはまず、アナスタシア王女の持参金の話があり、王女を国中で一番幸せにしてやってくれ、と兄に頼んだ。


 わたしは、アーサー国王陛下の優しい声を聞いて、胸を打たれた。

 アナスタシアがどれほど愛されているのか、国王を見て分かった。

 兄は頭を下げると、胸に手を当ててアナスタシア様を何があろうと守ります、と誓った。


「アナスタシアはおとなしい子だ。カッサス公が守ってくれると信じている。無理を言ってすまないが、できるだけ早くアナスタシアをカッサスへ連れて行って欲しい」


 わたしはそれを聞いて、アーサー国王自らがアナスタシアをカッサスへ送りたいのだと知った。


「アナスタシアは苦しんでおる。わしと妻を憎んでいるだろう」


 その時、兄が顔を上げて首を傾げた。


「……おっしゃられる意味がよく分からないのですが」

「アナスタシアは救世主ではない」


 わたしはドキッとして思わず国王を見つめた。

 え? と心の中で声を上げる。どういうこと?

 テオも隣で動揺しているようだった。

 兄を見ると、彼は言うか言うまいかと考えているようだった。少ししてから口を開いた。


「……恐れながら、存じ上げております」


 そう言うと、国王の額にしわが刻まれた。


「そうか……。アナスタシアは神官の予言により、救世主として育ててきた。アナスタシアの瞳は救世主の証であると信じ込み、予言の通りに育ててきた。しかし、アナスタシアは救世主としての力を発現することはなかった。結局、わたしは可愛い娘を追いこんでしまい、救世主であると信じて生きてきた娘を苦しめた。せめて、これからはフォード卿の元でアナスタシアを守って欲しい」


 国王が頭を下げると、兄が狼狽した。


「……陛下。失礼を承知でお聞きいたします。なぜ、わたしなのでしょうか。陛下にはもっと忠実なたくさんの部下がたくさんおられますのに」


 兄の言葉に、アーサー国王は首を振った。


「そなたの父王ルイスとわたしは友人だった。ルイスの息子であるフォード卿なら信頼できる。そなたこそ、アナスタシアにとってよき理解者となる男だ」


 国王はそれだけしか言わなかった。


「金が足りなければもっと十分な額を用意しよう」

「めっそうもございません」


 兄は首を振った。


「では、できるだけ早急にアナスタシアを祖国へ連れて行ってくれ」


 国王の目に小さく涙が光った。

 兄とわたしたちは深く頭を下げた。


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