第75話 朝食の場

 


 翌朝、ノックの音で目が覚めた。

 わたしは目をこすりながら、ふうっと息を吐く。夕べは横になった時間は遅かったが、よく眠れたみたいだ。カーテンの向こうは明るい。


 ベッドから降りてドアを開けると、ジェニファーだった。


「おはようございます。ミカエラ様」

「おはよう。ジェニファー」


 ついつい小さくあくびをすると、ジェニファーが首を傾げた。


「眠れなかったのですか?」

「え? ううん。すごく気持ちのいいベッドだったから、寝すぎたかも」

「そうですよね。こんなベッドで眠ってしまったら、野宿するのが難しくなりそうです」


 ジェニファーは部屋に入ってきてカーテンを開き、てきぱきと動きながら、朝食はどうされますか? と尋ねた。


「みんなと一緒にいただいてもいいのかな」

「いいと思います。わたしもまだですし」


 アナスタシアはドレスを何着か用意してくれていた。

 ジェニファーも新しい服を着ていた。


「アナスタシア様は本当に寛大な方ですね。おそらく、グレイスさんが伝えてくださったみたいです。皆さん、新しいお洋服をいただいたようです」

「わたしたち、無一文みたいなものだものね」


 ずっと旅をしてきたため、持ち物はほとんどない。

 こんな風に必要な物がなんでもそろっていると、魔法を使う機会もなく、平穏ってこういうことなんだな、と思った。

 ジェニファーに着替えを手伝ってもらい食堂へ向かった。そこにはすでにみんな揃っていて、朝食を食べていた。


 兄とエディのそばにトマスとソフィーがいて談笑している。

 エリスとアティカスもいた。ファビオはテオの給仕をしている。

 テオの隣の席が空いており、テオの隣に行くとにこっと笑いかけてくれた。


「おはよう、ミア」

「お、おはよう。テオ」


 席についているみんなが口々におはよう、と声をかけてくれた。

 こんなに穏やかな朝は初めてでドキドキする。

 アナスタシアも兄の隣にいてニコニコ笑っていたが、何となく顔色が悪い気がした。


「ミアが揃ったところで皆に伝えたいことがある。できるだけ早いうちにカッサスへ出発したい」


 兄の言葉を聞いて、テオが顔を引き締めた。


「ええ。いつでも行けますよ」

「今日か、明日中には出発したい」

「え?」


 アナスタシアが驚いたように目を丸くした。


「そ、そんなに早くですか?」

「ああ。領地の仕事をそのまま放って来てしまった。一日でも早く戻りたいんだ」


 寝耳に水だったのか、アナスタシアは悲しそうに下を向いて小さく頷いた。


「分かりました……」


 気弱に言って、お皿に乗ったスコーンをかじり始める。

 あれからアナスタシアと兄がどうなったのかも気になったが、自分が口を出すことではないのでどうすることもできなかった。

 すると、テオが兄に話しかけた。


「ジュリアン、カッサスまでの行程を教えてもらえるだろうか」

「ああ。もちろんだ。カッサス領は、言ってはならない国の一部を拝領した土地だ。荷物を積んで馬車で行くなら十日ほどかかる。だが、馬なら二日ほどで到着する」

「そんなに違うのか……」


 テオが呟いた。すると、兄は深刻な顔で言った。


「できれば、俺は馬で駆けて戻りたいと考えている。しかし、馬で通るにはリスクが大きすぎて、初めての者たちにはあまりお勧めはしない」

「どういうことですか?」


 アナスタシアが心細そうに尋ねた。


「近道には、ゴーレの森があるからだ」


「ゴーレの森?」


 わたしが聞き返した。

 すると、兄の隣でアナスタシアが声を震わせた。


「ゴ、ゴーレの森って何ですか?」

「数えきれないほどのゴーレが眠っている森だ。俺の領土であるが、その土地には誰も入らないようにしている。大丈夫だ。彼らは何もしない。彼らがゴーレとなって数年たったが、今まで一度も目覚めたことはない。だが、万が一、目覚めたら大変な事になる。ゴーレの数は数千と言われているが、もっといるかもしれない」

「本当なのか……」


 テオが唖然として言った。


「俺とエディは、いつもその道を使うから慣れている。だから、俺たち二人は先にカッサスに戻るが、皆は安全な道を馬車でゆっくり来たらいい」


 兄の話を聞きながら、わたしは不安になった。

 兄とエディと別々でカッサスへ戻る?


 旅には慣れているが、兄と離れるのは何だか不安だった。 

 すると、隣にいたテオが静かに言った。


「俺もできればジュリアンと一緒にカッサスへ戻りたいんだが……」


 わたしはドキッとして、思わずテオを見た。


 ど、どうしよう。実はわたしは乗馬をしたことがないのだ。

 わたしは絶対にテオと一緒に行きたかった。何があっても離れたくない。

 不安が顔に出たのだろうか、テオがわたしの手をそっと握った。


「ミアも一緒に行こう。大丈夫だ。ミアが馬に乗れなくても俺が何とかする」

「うん……」


 恥ずかしくて顔が熱くなる。

 一緒にいてもいいのだ。

 

 すると、アナスタシアの目が潤んで口を震わせながら言った。


「わたし……、あの、大丈夫です。馬に乗れますから」

「馬の方が早いが遠回りするルートもある。君はドレスや調度品を持って行きたいだろう」


 ジュリアンが、アナスタシアを見た。すると、アナスタシアは首を振った。


「あ、あなたと一緒にいたいんです……」


 小声だったが、わたしはその様子を見て思わずため息が漏れた。

 アナスタシアは何てけなげなんだろう。

 兄は、一瞬押し黙った。


「……乗馬ができるのか?」

「苦手だけど、今から練習します」


 それを聞いて、ジュリアンは顔をこわばらせた。


「……その必要はない」

「え?」


 兄が、ふっと視線をそらしてしまった。わたしはひやひやしながらその様子を見る。誰も何も言わなかった。


「では、いつでも出発できるように荷物をまとめておいてくれ」


 ジュリアンがそう言って、熱い紅茶のカップに手を伸ばしてゆっくりと口をつけた。

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