第70話 番外編① テオドア・ローゼン
アナスタシア王女とジュリアン・リンジーの結婚式が無事に終わった。
ひそかに行われた結婚式。
ケイン国の第3王女と元ダイアン国の王子の結婚式にしては質素なのではないだろうか。
記憶がなくなっていたとしても、それくらいのことは分かる。
グレイスやファビオから、今の俺の現状を細かく教えてもらっているが、この胸の中には何もない。
背筋が伸びていつでもきりっとしているグレイスは、旅の間、アナスタシアを守ることが喜びだと言っていた。今の彼女は、本当に幸せそうにアナスタシアのそばにいる。
ジニア国で、第一王子ウォルター殿下の従者だったファビオは俺の従者となり、誠実な態度で接してくれる。
ミアを何年も支えてくれたトマスとソフィーの人の良さは顔に現れて、いつでもニコニコと温かい。
実の兄がゴーレの首謀者だと知っていたジェニファーは、時々、苦しそうな顔を見せるが、ミアの前ではいつも笑顔だ。
アティカス。彼はミアの護衛を任され、彼女を常に守ってくれている。
ミア。
自分の婚約者だと言うが、覚えていない。
思い出せない。
ミアのことを考えようとすると、頭に霧がかかったような、息が苦しくなって考えるのが嫌になる。
なぜ、嫌になるのか。
魔法のせいだ、とファビオは言っていた。
そうだろうか。
そういえば、俺も魔法使いだと言っていた。
もし、今、魔法を使えるなら、ここじゃないどこかに行ってしまいたい。
「テオドア様」
ファビオの声に俺は顔を上げた。
「あ、はい」
「殿下、敬語はおやめください」
「その、殿下って言うのをやめてください。 やめてくれたら、俺は敬語をやめます」
俺の言葉にファビオは少し目を見開いて、苦笑した。
「分かりました。テオドア様」
「ありがとう」
様は、仕方ないかと思うことにする。
「先ほどから何か思い詰めているようですが」
「いや、アナスタシア王女はとても綺麗だったなと思ってさ」
「そうでございますね」
ファビオは余計なことは言わない。
従者とはそういうものなんだろう。
せっかくだから、誰もいない今、聞いてみたいことがあった。
「ファビオはなぜ、俺について来てくれたんだ?」
「なぜと申されますと」
「記憶もないけど、帰る家もない俺なんかのために。不思議でさ」
俺がふっと息を吐くと、ファビオは少し考えていたが、小さくうなずいた。
「過去の話をしてもよろしいでしょうか」
「うん」
「ウォルター殿下が幼い頃より、従者として、長い間、忠誠を誓っておりました。ですが、変わってしまわれたウォルター殿下をお止めすることはできず、その結果、あの方は幽閉されてしまったのです。ウォルター殿下のおそばにいながら何もできなかった。だから、あなただけはそんな目に合わせたくない。それだけの理由です」
「俺は、ファビオとは家族でもないし、何かしたわけでもないのに……」
ファビオの言葉を聞いても、心に響くわけでもなく、理解できず不思議に思った。
ファビオは小さく笑った。彼の目じりに小さなしわが寄る。
「おかしいのでしょうか。わたしの心がそう申しておるのです。あなたのそばに仕え支えたいと、ただそれだけなのです」
俺は困惑するばかりだ。
俺がおかしいのか。
心に響かない。
ファビオの言葉は理解できる。しかし、なぜ、全く見ず知らずだった俺についてきてくれるのか。
俺の顔を見て、ファビオが優しく笑った。
「考えなくていいのですよ、テオドア様」
「すまない。頭では理解しようと思うのだが、心がついていかないんだ。ファビオの言っている、心が言っているっていうのが、正直分からない」
「テオドア様の心とわたしの心を同じにとらえなくて大丈夫ですよ」
この男はいつも優しい言葉をかけてくれる。
その時、コンコンと扉をノックする音がした。ファビオが気づいてすぐにドアの方へ向かった。
扉を開けると、ああ、ミカエラ様、とファビオの少し弾んだ声がした。
ファビオが扉を開けて、ミアが入ってくる。
ミアは、結婚式の時に来ていたドレスのままだった。
ほっそりした体に薄い桃色のドレスは彼女によく似合っている。
というか、ミアは綺麗な少女だった。
まだ、15歳だと言う。俺とは、3つの時から結婚が決まっていたというのだから、王族というのは身勝手な生き物だと呆れる。
「テオ……。今、少しお話してもいい?」
「ああ、かまわないよ」
俺の隣に当たり前のように座る。まだ、小柄な彼女は息を切らしていた。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
話しかけると、彼女の青紫の瞳がまっすぐに自分を見てきた。
「テオに言いたいことがあったの」
なんだろう、と思う。
頷くと、ミアは胸を押さえて大きく息を吐いた。
「ああ、今もドキドキしている。わたし、すごく大切なことを思い出したの。今まで一度も思い出さなかったのに」
「そうか」
俺は相槌を打った。
ミアの頬が明るくなって、少しうつむく。
「あの、このことは誰にも言っていないの。あなたが記憶を失う前にも話したことのない内容」
そう言って顔を上げた。
「テオ、わたしが異世界でドレンテだった話は、グレイスから聞いている?」
「ああ。聞いているよ。ミアが3つの時に、転移したジニアで負傷した話だろ」
「うん。わたしがドレンテっていう少女、今のわたしより一つ年上なんだけど、ドレンテだった時、わたしには婚約者がいたの」
「え……?」
初めて、俺の胸がどきりとした。
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