第66話 兄のジュリアン



 兄は入ってくると、目が合って思わず目を逸らしたわたしを怪訝な顔で見たが、何も言わず、二人とも座ってくれ、と言った。


「ミア」


 一人掛けソファに座った兄がわたしを見て言った。


「先にお前から話すんだ」

「え? 何を?」


 唐突に言われてびっくりする。


「お前が3歳の頃に魔法で飛ばされて、俺と出会うまでのことを、今、ここで全部話せ」


 入って来ていきなり、なんて不躾な人なんだろう。でも、夢でお母さまと会った時となんとなく状況が似ているような気がした。


 わたしはテオを見た。テオは何も覚えていない。テオの記憶があればもっとうまく説明してくれるのに。


 兄の瞳は鋭く、丹精な顔付きで見つめられるとドキリとする。我が兄ながら、母上によく似ていると思った。


「お兄様は、お母様に似ているのね」

「は?」


 ジュリアンがさらに怖い顔になった。


「俺の話を聞いていたか? ミア」


 わたしはビクッとしたが、兄は怖い顔をしているだけで、殺気は感じられない。


「分かりました。全部お話します。テオも良かったら聞いてね」


 好都合だ。テオも少しは話を聞いているだろうが、この際にもっと詳しく伝えたいと思った。


 わたしはこの異世界に来た経緯からすべてを兄とテオに話した。

 もちろん、向こうの世界で婚約者にキスされかけた話はできなかったけど……。


 二人は口を挟まず、じっと話を聞いてくれた。

 テオは、わたしの長い話を聞いた後、ふうっと大きく息をついた。


「大変な思いをしてきたんだな、君は……」

「テオもだよ。テオは、わたしよりずっと大変な目にあってきた」

「その記憶を全部、俺は忘れているのか……」


 8歳だったテオは、母のドレンテ王妃をその時に失い、わたしと遠くの国へ転送されて、それからゴーレにされたり、ルカの使役に殺されかけたりと二人で苦難を乗り越えてきた。それを全部忘れてしまったテオの心は複雑だろう。


 兄は真剣な顔でその話を聞いてから、ふうっと息を吐くと体を起こした。


「二人とも想像以上に大変な目にあっていたんだな。二人が生きていたのは奇跡としか言いようがない。しかも、ミアが救世主と呼ばれる存在になっているとは、信じがたいがその額がその証しなんだな」


 ジュリアンの言葉には、なんとなく重い感情が交じっていた。


「わたしたちを探してくれていたって、グレイスから聞きました」

「グレイス? ああ、アナスタシアの警護の者だな」


 少し引っ掛かる言い方をする。


「お兄様、ありがとうございます。諦めないでわたしたちを探してくれて」

「感動しているところ悪いのだが、本当の試練はこれからだ、ミア」

「え?」

「今度は俺が話そう。その前に、今から話す内容をアナスタシアに話してはならない」


 兄が怖い顔で言ったが、なぜ? とわたしは反論した。


「お兄様は、アナスタシア様が嫌いなの?」

「は? 何でそうなるんだ」

「だって、なんだか冷たいわ」

「俺が? 冷たい?」


 ジュリアンがムッとする。すると、テオがわたしと兄の間に言葉を挟んだ。


「ミア、俺たちはまだ、フォード卿のことを何も知らない。そんなことを言うのは失礼だよ」

「テオの記憶は魔法で消されているんだったな。テオ、俺のことはジュリアンと呼んで構わない。ずっとそう呼んでいた」

「あ、はい」


 テオが敬語で答えると、兄は苦笑した。


「テオと俺はひとつしか違わないんだ。気楽に話してくれ」

「わかった。ジュリアン」


 テオと兄がなんとなく仲良くしているのを見て、取り残された気分になる。


「……ごめんなさい」


 兄に謝っておく。

 ジュリアンは、あまり気にした様子もなくただ頷いた。


「ミアとテオが魔法で転送された後の話をしてやる。テオには伝えるのが苦しいが、ドレンテ王妃は亡くなられた。あの日、俺の国、元ダイアン国はゴーレの襲撃にあった。国のほとんどの者たちがゴーレとなり、母上は行方知れず、俺は、言ってはならない国に捕らえられて、ずっとあの国の捕虜となっていた」

「ほ、捕虜?」


 わたしは声が震えた。


「そんな……」


 兄の口から語られた真実にわたしは茫然となった。

 何も知らなかった。

 

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