第64話 なんだ、その額の石は



 アナスタシアは明らかにさっきと様子が違う。

 そうするうちに、廊下を複数の人の歩く音がして、ノックの音とともに扉が開いた。大柄で堂々とした男性が入ってくる。着ている服はあまり上等じゃなかった。

 テオよりも10センチほど高く腕も太い。わたしよりも赤毛に近い髪色で、瞳の色は同じ青紫色だった。鼻筋が通ったはっきりした顔立ちで目立つ容貌をしている。


「フォード卿っ」


 アナスタシアが顔をバラ色にさせてほほ笑んだが、兄はあろうことかわたしを凝視していた。


「ミア、本当に、本物のミアなのかっ?」


 低く太い声だった。

 ずかずかと大きなストライドで入って来て、わたしの両肩をつかんだ。あまりの勢いに隣にいたアナスタシアがビクッと体を引いた。


「は、はじめましてお兄様……」

「なんだ? その額の石は。それより、おい、俺の名前を言えないのか」

「い、言えます。えっと、ジュリアン・リンジー様」

「様はよけいだ。ミカエラ……」


 兄は、はあっと大きく息を吐いた。


「無事だった……」


 それきり何も言わない。


「あの、お兄様、テオも一緒にいます」

「テオっ。久しぶりだな、お前もずいぶん大きくなった」


 テオは当然、記憶を失っているので何も答えられない。すると、グレイスが機転を利かせてくれた。


「フォード卿、積もる話もございましょうけれど、お二人とも先ほどケインに到着したばかりです。お部屋で少し休んでいただいてもよろしいでしょうか」

「あ、ああ。もちろんだ。俺は国王陛下に会ってくる」

「あ、あの、フォード卿……」


 アナスタシアが兄の洋服の裾をつかんだ。


「ん?」

「あ、あのわたし……」

「アナスタシア様、俺はまだ国王陛下にご挨拶がまだなんだ。あとで改めて、あなたの元へ挨拶に伺うよ」

「え、はい……」


 しゅんとなったアナスタシアを見て、お兄様はなんて冷たい方なの、と思った。


「お兄様っ」


 わたしが声を出すと、テオがわたしの手をつかんだ。


「ミア、やめるんだ」

「でも……」


 兄は、わたしたちが何も言わないのを確認して、入って来た時と同じように出て行ってしまった。

 嵐が去った後のような静けさが広がる。


「今のは一体……」

「ミア、疲れたでしょう。部屋までご案内するわ」


 アナスタシアは笑ってはいたが、顔が青ざめて見えた。


「大丈夫? 顔色が悪いわ」

「……えっと、大丈夫よ」


 ニコッと笑ったアナスタシアの目から涙がぽろっとこぼれる。


「泣かないで、アナスタシア」


 わたしは思わず抱きしめると、グレイスが隣で険しい顔をしていた。


「グ、グレイス?」


 グレイスがハッとした顔をする。


「失礼いたしました。ミカエラ様、テオドア殿下も少し休みましょう」


 グレイスはそう言って、まるで奪うかのようにアナスタシアを抱き寄せた。


「アナスタシア様、参りましょうね」

「ありがとう、グレイス」


 呆気に取られてわたしとテオはまた顔を見合わせた。

 テオがくすっと笑った。


「いろいろ事情があるらしい」





 用意された部屋に案内されると、浴室に湯を張ってあるから使っていいと言われた。アナスタシアと兄のことが気になったが、体をきれいにさせてもらえると聞いてわたしは喜んだ。


 浴室にはバスタブがあり、着ていた服を脱いで体をよく洗った。それから、熱いお湯の中へ体を沈めた。

 ああ、久しぶりのお風呂。お湯に浸かると体中の血が巡り始めた気がする。

 

 いろんなことが起きたので、胸がドキドキする。

 アナスタシアがあんなに可愛い人だったなんて想像もしていなかったし、兄があんなに無骨な人だとは思いもよらなかった。


 テオはとっても紳士なのに、お兄様は……と思ったが、どうやらあの兄をアナスタシアは好きなようだった。これ以上何も言うまい。


 お湯の中に浸かりながら目を閉じる。

 ちょっとでいい、今はもう何も考えたくない。

 ぶくぶくとバスタブに頭まで浸かった。


 すっかり温もるとバスタブから出て、用意してあったドレスに着替えた。

 この後、夕食に招待されていた。

 アナスタシアの用意してくれたドレスは淡い薔薇色の花模様のドレスだ。こんな上等な生地触ったこともない。

 お城のメイドが着付けを手伝ってくれた。


 テオが見て、可愛いと言ってくれたら嬉しいのに、と鏡に映った別人のような自分を見て思った。

 少しでもテオとの距離が縮まればいいな。

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