第63話 彼女がアナスタシア
テオの言葉の意味がよく分からず聞き返そうとすると、ノックの音がして重厚な扉が開いた。
そちらに顔を向けると、とても華やかで可愛い女性が入ってきた。思わず目を奪われる。
彼女がアナスタシア。
アナスタシアの髪の色は濃い金色で肌が白い。淡い黄色のモスリンのドレスには小さい花が散りばめられ、足元はキラキラした靴を履いている。
アナスタシアはほっそりとしていて、こんな可憐な人、見たことがないと思った。
そして、アナスタシアの瞳は初めて見るヴァイオレットの色をしていた。
彼女のそばにはグレイスがいて、グレイスの顔も今まで見たことがないほど頬を緩ませていた。
「ミカエラ様、アナスタシア様です」
入るなり紹介すると、アナスタシアが目を潤ませてわたしに飛びついた。
「ミアッ。本当に生きてたっ」
ぎゅっと抱きしめられる。彼女からはすごくいい匂いがした。
自分があまりにも汚れているので、わたしは思わず体をすくめた。
「どうしたの?」
アナスタシアが不思議そうに言った。わたしは首を振り、
「あ、あの、わたしは汚れているから……」
と恥ずかしさに身を引いた。アナスタシアはそれを聞いて、さらに目を潤ませた。アナスタシアの目から涙がこぼれる。
「そんなの気にするわけないじゃない。あなたの行方をずっと探していたのよ。生きていてくれて本当に嬉しいの」
それを聞いたら、わたしも涙が出た。
こんなに喜んでくれる人がいるなんて、思いもよらなかった。
おずおずと手を伸ばし、アナスタシアの背中をそっと抱きしめた。彼女はとても温かかった。
「あなたのお兄様もきっと喜ぶわ」
なんて可愛い人なのだろう。
グレイスが夢中になるのも分かる気がした。
「テオドア殿下も初めましてですね。アナスタシアと申します」
アナスタシアが華麗にお辞儀をすると、テオも条件反射のように優雅にお辞儀をする。
「こちらこそ初めまして、テオドア・ローゼンです」
「テオドア殿下のこともグレイスから聞いております。大変でしたわね」
テオは小さく首を振っただけで何も言わなかった。
「記憶がないとお聞きしましたが、目を覚まされてからの記憶はもちろんあるのでしょう」
「ええ……」
テオが怪訝そうな顔をする。アナスタシアはにっこりと笑った。
「じゃあ、わたしと同じだわ。わたしも、ミアとテオドア殿下のことは何一つ知らないの。これから一緒にたくさん思い出を作りましょうね」
明るい笑顔のアナスタシアを見て、彼女はきっと愛されて育ったのだなと思った。テオは表情を和ませると、アナスタシアに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「フォード卿も……」
「え?」
突然、アナスタシアの声が小さくなった。
今までのアナスタシアの表情が一変して、もじもじとしてうつむいた。
「あ、あの、ミアのお兄様もそろそろ到着されると思うの……」
わたしとテオは思わず顔を見合わせた。
「お兄様がいらっしゃるの?」
「あっ、でもまだ、到着されていないのよ。ミアがこちらに向かっていると伝令を飛ばしたら、できるだけ早く迎えに行くとお返事があったの」
「アナスタシア様」
グレイスが、静かに言った。
「フォード卿がおいでになられたか、わたくしが確かめて参りましょうか?」
「う、うん……。お願い……」
アナスタシアとお兄様は顔見知りではないのだろうか。
どうも見たところ、アナスタシアは兄に対して強く意識しているように見えた。
「アナスタシア様はお兄様が怖いの?」
「えっ?」
アナスタシアがびっくりして顔を上げる。
「ま、まさかっ。あの、わたしの勝手な憧れで……」
「憧れ?」
どういうことだろうか。
状況が分からないが、嫌っているようには見えない。
「あ、二人とも一度部屋に戻ってゆっくり休んで。お風呂も用意しているし、着替えも用意してあるわ」
「本当? わあ、嬉しい。よかったね、テオ」
わたしは思わずこれまでと同じような態度で接してしまった。
あ、と口を押えると、テオは優しく笑ってくれた。
アナスタシアが部屋の隅で控えていたメイドに部屋の案内を頼んでいると、廊下を小走りでかけてくる音がして、ノックの音が響いた。グレイスが顔を出す。
「アナスタシア様、フォード卿がお見えになりましたっ」
「ひゃっ」
アナスタシアが文字通り小さく飛び上がった。わたしの肩に抱きつく。
「ど、どどどどどうしよう。来ちゃった」
「え、ええ。お兄様が来られたようですね」
「あ、あわわわわ」
アナスタシアは動揺しているのか、わたしと背格好は変わらないがとても華奢な肩が少し震えている。
「緊張しているの?」
「え? そ、そんなことないわよ」
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