第60話 ゴーレの叫び声



 トマスだけが見張りに出て戻っていなかった。

 わたしはこの場にいたくなくて、トマスを探しに行った。

 焼けた魚を持って探しに行くと、彼は少し離れた岩場に座り、森の奥を眺めていた。


「トマスっ」


 声をかけて近づくと、振り向いたトマスがにこっと笑顔になった。


「ミア、こっちへおいで」

「お腹空いたでしょ」


 魚を渡すと、美味しそうに食べ始めた。


「大丈夫? 疲れていない?」

「ミアに感謝してるんだ」

「え?」

「俺は旅がしたかった。この世界は広い。まだまだ知らないことがたくさんあって、いろんな所へ行ってみたい。その夢が叶ったんだ」


 まだここはジニアの土地だ。

 でも、トマスにとってこの小さな一歩が嬉しかったのだろう。

 わたしはトマスに寄りかかった。


「わたしを助けてくれて、ありがとう。トマス」

「俺はミアを信じてるんだ。きっと、この世界を解放してくれる。みんなが自由に歩き回れる世界になる」


 わたしはトマスの言葉がとても嬉しかった。

でも、心から喜べなかった。

 心は暗い気持ちに傾いている。

 わたしは今の心情を吐露した。


「不安なの」

「テオドア殿下のことだろ? わかっているよ。でも、ミアのことを思い出さなかったとしても、きっと、彼はミアが好きになる」

「うん……」


 ありがとう。

 トマスから励ましてもらい、少し元気が出る。

 魚を食べ終えると、トマスは骨を川に捨てた。


「うまかった。さあ、みんなのところへ行こう」


 戻ると、みんながカップを持って何か飲みながら談笑していた。

 だが、グレイスとテオがいない。

 尋ねようとしたらすぐに2人が現れた。


「助かったよ、グレイス」


 テオがお礼を言った。グレイスは微笑みながら首を振った。


「とんでもありません」

「どうかしたのですか?」


 トマスが不思議そうに聞くと、テオが笑って答えた。

「俺が体を洗っている間、見張っていてくれたんだ。おかげでゆっくりと汗を流せたよ」

「それはよかったですね……」


 トマスがチラリとわたしを見た。

 わたしは何も感じていないふりをした。


「じゃあ、出発しましょう」


 不機嫌な声じゃなきゃいいけど、と思いながら二人に背を向けた。



 それから数日は何も起きなかった。

 狩りをしたり、食べられる野草を採ったりしてゆっくりと進んだが、ゴーレにも人間にも出会わなかった。それがかえって不気味に思えたが、トマスが言うには、人々は滅多に外を歩いたりはしないとのことだった。



 その夜、森の中で休むため、野宿する準備をしていると、暗闇の方からゴーレの叫び声がした。

 ギャーッギャーッという独特の声にみんなの顏が凍りついた。


「みんな、静かにして」


 グレイスが剣を構えたその時、


 ――痛い……。


 と声が聞こえた。

 わたしが身震いすると、アティカスが気づいた。


「どうした? ミカエラ様」

「誰かが痛いって言ってる」


 男か女かも分からない不思議な声だった。


 ――痛いよ。助けて……。


 声は闇の方から聞こえた。

 他のみんなも同じように耳を澄ましたが、全員首を横に振った。


「ゴーレの呻き声しか聞こえない」

「みんな、ここにいて」


 わたしはそう言うと、音を立てずに闇の方へ歩き出した。


「ミカエラ様っ」


 アティカスがすぐに追いかけて来て手をつかんだ。


「どこへ行くんだっ」

「声が聞こえるの」

「一人で行くなんて何を考えているんだ」

「でも……」


 声はしっかり聞こえる。

 わたしには分かっていた。

 これはゴーレの声なのだ。ゴーレが苦しんでいる。


「大丈夫よ」

「大丈夫じゃない」


 アティカスは目を吊り上げて、わたしの手首をぎゅっとつかんだ。


「痛いわ。アティカス」

「俺は君の護衛をしているんだぞ。一人で行かせるはずがないだろう」

「だったら一緒に来て」


 わたしは手を切り落とされても行くつもりだった。

 アティカスは怖い顔をしていたが、観念したらしく自分が前に進み出た。


「俺が前を行く」

「ありがとう」


 心配そうに見ているみんなにすぐに戻るからと伝えて、わたしたちはゴーレの声がする方へ行った。

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