第2話 わたしを呼んだ幼い女の子
「ミアッ。目を覚ませっ。お願いだ!」
誰? 目を開けようとしたが、体が思うように動かなかった。でも、息をしないとこのままでは死んでしまう。
空気、空気が欲しい…。
わたしは必死で息を吸い込んだ。
肺の中に空気が入ってくる。
だが、その空気ですらも、体を突き刺すように痛かった。
何が起きたの?
キスできるかもってドキドキしていた胸が、まるで氷のように冷たくてチクチク痛い。
「ミアッ」
誰かがわたしを抱き締めていた。まだ若い男の子だった。
顔はぼんやりとしか見えないけれど、黒髪に柔らかい空のようなブルーの瞳ははっきり見えた。
「だれ?」
声を出したが、相手には届かなかったようだ。彼は目から涙をポロポロこぼしながら、必死でわたしを抱き締めている。
「誰か! 助けてっ。妹が死にそうなんだ!」
妹? わたしはこの男の子の妹なの?
わかるのは、お腹のあたりがものすごく熱を帯びていて、逆に手足は冷たい感覚だった。
身体中の血液が流れ出てしまったように。
何が起きたのか。
朦朧としている頭で辺りを見渡した。
あの祭りの景色から一変して、焼け野原が見えた。地面は焼かれ、もくもくと灰色の煙が立ち込めている。その中で倒れている人の姿も見えた。
ここはどこ?
その時、頭上で大きな羽音がした。
ギャアッギャアッと獣の声がしている。
目を上げると真っ黒いつるつるした羽に、鋭い爪をもった化け物が頭上を飛んでいた。
それは石像で作られたガーゴイルのような見た目で、人間のような手足に鋭い爪とコウモリのような羽、とがった耳と大きな牙の生えた口をしていた。その数は数えきれなかった。
恐怖のあまり声が出ない。
「あなたたちっ、どこから現れたのっ!」
突然、若い少女の切羽つまった声がした。
男の子が涙目でそちらを見る。
わたしの意識は遠のきはじめていた。無意識に手を伸ばすと、声の主がわたしの手を取ってくれた。
少女は赤い炎のような髪色をしていた。
「助けてっ!」
男の子の言葉に少女が頷いた。
「大丈夫よ」
少女の手がわたしのお腹に触れた。
じんわりと温かいエネルギーが注ぎ込まれる。急に呼吸するのが楽になった。
痛みがなくなり、意識がはっきりしてきた。
「傷を治したわ。もう、大丈夫よ」
「あなたは…」
男の子が呆然として、少女を見た。
「早くここから逃げなさい。この先に私たちの仲間が集まっているはず。そこまで、逃げるのよ」
「でも……」
「私は大丈夫だから」
少女はそう言うと足元に置いてあった剣をとった。
「急いでっ!」
少女が走り出す。
その先には、襲いかかってくる化け物の集団がいる。少女はそちらに向かって手を広げた。すると、少女の手から閃光が発せられた。光を浴びた化け物が一瞬で消滅した。
「救世主…」
男の子が呟いて、わたしの体を抱き上げると走り出した。わたしは男の子にしがみつくので精一杯だった。
生きている。
わたし生きてる。
それだけわかって、涙が出た。
※※※※※
「俺たちを助けてくれて、ありがとうございました」
男の子の声にわたしは目を覚ました。
両手で目をこすると、男の子の腕の中にいた。背中がとてもあたたかい。
見渡すと、使い古したテントが張ってあり、そこに大勢の人たちがいた。
あれから、わたしを抱いたまま逃げてくれたんだ。
「目が覚めたのね」
あの赤い髪の少女の声がした。
少女もまた無事だった。
あれからどうしたんだろう。
わたしは眠っていたのか。
「ミア、無事で良かった」
男の子が強く抱き締めた。
マエストーソじゃない男の人に抱き締められている。恥ずかしくて手で押し返そうとしたが自分の無力さに驚いた。
なんて、小さな手のひら。
「あ、あにょね…」
……言葉もはっきり言えない。
愛らしい小さな女の子の声だった。
そして、助けて、と呼んだあの声と同じだった。
この女の子がわたしを呼んだの?
「ミアって言うの? いくつ?」
少女の問いに男の子が答える。
「ミアは3つで、俺はミアの兄でテオ」
テオと言う名の男の子は年齢を答えなかった。そして、膝の上にわたしを乗せたまま、下ろそうとせず離すまいと強く抱き締めていた。
「あなたたち、どこから来たの?」
テオはそれには答えず、少女を見た。
「あなたは何者なんですか?」
「私はアメリア」
「アメリア…。やっぱり…」
わたしを抱き締めるテオの手に力が入った。
「俺はあなたを探していたんです。俺たちの母親はゴーレに殺されました。どこにも行くところがないんです。お願いです。助けてください」
ゴーレ。聞いたこともない単語。
そして、テオとミアの母親が殺されたことを知って体が震えた。
アメリアは、わたしとテオを見つめてにっこり微笑んだ。
「もちろんよ。これからは、私たちと共に行きましょう」
「あ、ありがとうっ」
テオの顔がパッと明るくなり、差し出されたアメリアの手を握り返した。アメリアは笑っていたが、その顔は疲れきっていた。
「アメリア姫、ご無事で何よりです」
「姫さまっ」
どこからか、人々が駆け寄ってきて口々に言った。
この子、お姫様なんだ。
お姫様が戦場におもむいて戦うのだろうか。
困惑して、テオを見た。テオの顔はまだこわばってはいたが、さっきより安堵した顔でいた。そして、もう一度、わたしをぎゅっと抱きしめた。
「ミア、生きていてくれて良かった」
テオの温かいまなざしに思わず、鼻がツンと痛くなった。ぽろぽろと涙があふれ出し止まらない。テオも一緒に泣きだした。
「二人とも疲れたでしょう。あなたたちのテントを用意してあるから、もう、休んで。ここは危険だから早朝には出発するわよ」
出発って……。
どこに行くの?
わたしの不安な気持ちが顔に現れたのだろうか、テオが尋ねた。
「この一行はどこへ向かっているのですか?」
「私の
それを聞いてテオが目を見開いた。
「ジニア? そんな遠くまで」
「ええ」
アメリアが深刻な顔で頷いた。
「この世界で安全な場所なんてないのかもしれない。けれど、私は……、生きている限り、できることをするつもりよ」
アメリアの言葉には、強い信念のようなものを感じられた。
二人は休んで、とアメリアに言われ、テオに抱っこされて歩き始めると、疲れ果てた人々が地面に横たわり、労わりあっているのが見えた
ここはどこなんだろう。
金髪や赤毛、黒髪、茶色、銀髪といった様々な人たちがいる。
用意してもらったテントの場所を教えてもらい中に入った。殺風景なテントの中に毛布が二枚。わたしとテオのためにだろうか。スプーンと木で彫ったお椀が毛布の横に置いてあった。
「ミア、良かったな」
テオの言葉数は少なく、彼はへとへとに見えた。毛布を敷いて二人で横になる。
外はまだ明るいが、夕方に近いのかも知れない。
寒くはなかった。
わたしが着ている洋服はケガのせいで、血が赤黒くこびりついていた。
テオは、背負っていた
肌着になるのに抵抗があったが、こんな小さな体では押し返すこともできない。でも、テオは一生懸命にわたしの服を取り替えてくれた。
その白いシャツは上等な布で高価なものに見えた。しかし、そのシャツはブカブカで足首までの長さがあった。間違いなくミアの洋服ではなかった。
テオは、汚れたミアの洋服を大事そうにたたみ、
「洗って使おうな」
と優しい笑顔で言った。
わたしが着ていた洋服も上等な布を使ったワンピースだった。
「アメリア姫が言ってただろ、明日は早いって。だから、できるだけ休もう」
毛布を敷いて、二人で横になった。
その時もテオはミアから離れず、胸の中に抱き寄せた。
「大丈夫だ。もうゴーレは来ない。奴らはアメリア姫が消してくれた」
ゴーレという単語は、化け物の事をさしているのだと分かった。
「俺が守ってやるから。絶対に離れないから」
テオは自分にも言い聞かせるように言った。
この世界で何が起きているのかわからない。けれど、テオの言葉で安心できた。
次第に、わたしは腕の温もりでウトウトし始めた。
「おやすみ、ミア」
テオがそっと額にキスをしてくれたまでは覚えている。
朝、目が覚めるとテオはまだそばにいてくれた。
「おはよう。よく寝てたな」
わたしは目をこすって起き上がった。
テオはすぐに敷いていた毛布を素早く片付け、背負い
「行こう」
手をつないでテントを出ると、人々が集まって鍋の中の物をお椀によそって食べていた。わたしたちもそれを頂いた。
ポリッジだった。
麦のお粥で、ミルクはないのだろう、お水でといて作られていた。
「ポリッジはたくさんあるから、食べた方がいいわ」
アメリア姫がそう言って、ポリッジを受け取るとわたしの隣に座った。
味わって食べなさいと言われる。
大人たちはスプーンなしで食べていたが、わたしは用意してもらったスプーンで食べた。水っぽいが、お腹はすいていたのでゆっくり食べた。
アメリアがニコッと笑い、わたしの頭を撫でた。
「いい子ね。上手に一人で食べられるのね」
ポリッジ一杯だけ食べると、皆、荷造りをしているようだった。ケガをした人たちがたくさんいて、担架に寝かされた人もいた。
森の向こう側ではまだ灰色の煙がくすぶっていた。
「ミア、おいで」
テオに呼ばれて、急いで駆け寄る。
「出発しよう!」
そのかけ声に人々が動き出した。
火を消してテントを片付けると、担架を担ぐ人やそれに続いて、女、子供たちがゆっくりと歩き始める。
アメリア姫はいつの間にかいなくなっていた。彼女はすでに先頭に立っていた。
ここに来て、わずか1日。
何もわからない。
何が起きているのか。
なぜ、わたしはここにいるの?
大きな不安がわたしを取り巻く。
「ミア」
テオの温かい手がわたしを引き寄せた。
「俺から絶対に離れるな」
彼はそれだけ言って、前を歩き始めた。
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