救世主というより、ただのミアのほうがしっくりくるんです。

春野 セイ

第1話 青く光る魔方陣





「ドレンテ、もっと僕に寄り添って」

「え、ええ」


 耳元で囁く声にハッとして、わたしはためらいながらも、婚約者であるマエストーソの背中に腕をまわした。

 ぐいっと腰を引き寄せられ、ハンサムな顔が近づく。


「近すぎない?」

「これくらい当然だ」


 金髪で青い目をしたわたしの婚約者。

 彼は優しく、そして、わたしを心から愛してくれている。それが態度で分かるのだから。

 周りの人たちがわたしたちをはやしたてた。


「彼女は僕の婚約者だからね。交代はなしだ」


 自分にもパートナーがいながらも、わたしを見ている男性にマエストーソが言った。



 今宵は、わたしが暮らす村の祭りの日。

 かがり火を囲んで、老若男女がパートナーを交換しながら、民族舞踊、すなわちフォークダンスを踊っている。

 軽やかにクルクルまわる男女。

 女性たちの淡色のスカートが回るたび、ヒラヒラはためいている。

 木陰では、幸せなカップルが手を繋いで寄り添ったり、軽くキスしている。


 音楽に合わせてダンスを踊っていたわたしは、目の端にキスしている若者たちを見て、思わず目を反らした。


 軽やかなワルツが聞こえているが、わたしは、マエストーソの熱い体を感じてドキドキが止まらなかった。息が上がるのは、マエストーソのせいなのかダンスのせいか、わからない。


 わたしははにかみながら、最後のフレーズを聞いて優雅にお辞儀をした。

 マエストーソが、わたしの腰を抱いたまま輪から外れて椅子のある場所へ誘導した。


「何か飲み物を持ってこようか」

「ありがとう」


 マエストーソは、わたしの頬に軽くキスをすると、ジュースを取りに行った。


 今も胸がドキドキしている。踊りのせいじゃない。

 わたしは頬に手を当てた。

 ああ、どうしよう。

 彼ほど素敵な人が、なぜわたしなんかに求婚したのか、今でも信じられない。


「ドレンテ、婚約者はどこへ行った?」


 一人でいると、少し小柄で赤ら顔の男性が近づいて来た。どうやら酔っているらしい。

 くだもの屋のバリーだ。彼は女性であれば、誰にでも声をかける。なので、女性たちからはあまり好かれていない。今夜は祭りなのでいつも以上に浮かれているのか。


「飲み物を取りに行ってくれたの」

「隣に座ってもいい?」

「いいけど、怒られるわよ」

「君とおしゃべりができるなら怒られてもいいよ」


 わたしは苦笑した。人をおだてて楽しんでいる。

 バリーがわたしをジッと見た。


「君のグリーンアイは本当に素晴らしい。まるで宝石のようだ。よく言われない?」

「初めて言われたわ」


 わたしが肩をすくめると、バリーは手に持っていたお酒を一口飲んだ。


「この酒のように君の唇はさぞかし甘いんだろうな」


 とろんとした顔で言われ、背筋がぞっとした。


「酔っているのね」

「まあね」


 バリーは認めてから手を伸ばしてきた。その時、


「バリー、それ以上の事をするとどうなるか分かっているだろうね」


 不意に、頭上からマエストーソの低い声がして、バリーはひゃっと飛び上がった。


「冗談だよ。あんたが彼女を一人占めするから、少し話をしようと思っただけだ」

「冗談には思えない」


 マエストーソがじろりと睨むと、バリーはあたふたと退散して行った。


「何もされなかった?」

「大丈夫」


 冷えたリンゴジュースを手渡され、一口飲んだ。


「おいしいわ」

「少し歩こう」


 マエストーソの差し出された手につかまると、たやすく体が引き寄せられた。

 人ごみから離れ、暗い方へ誘導される。背後からはダンス曲とかがり火のぱちぱちと爆ぜる音がしていた。


「こっちへ」


 マエストーソの言われるままに足が動く。

 キスされるのだろうか。

 わたしはまだキスしたことがない。

 いいのかな。わたしも16歳になった。それなら、婚約者とはいえ、暗闇で男性と二人きりになってもいいのかな。


 不安と期待でいっぱいになりながらも、足は彼の後を追いかけていく。


「ドレンテ」


 名前を呼ばれるのが嬉しい。

 マエストーソはずっと大人だ。だから、キスは初めてじゃないよね。

 腰を引き寄せられ、彼の顔が近づいてくる。

 もう、心臓は爆発寸前だ。

 キスされる! そう覚悟したその時、


 ―たすけてっ…。


 マエストーソの唇が触れる直前、こどもの声がした。

 あまりに驚いて、息が止まった。

 キスしようとしていたマエストーソが、不思議そうに首を傾げた。


「ドレンテ? どうした?」


 キス、どころじゃない。

 頭の中で声がしている。

 わたしは頭を押さえた。


「ドレンテ、大丈夫か?」


 ――たすけてぇ…!


 今度ははっきりと聞こえた。

 鳥肌が立って、背筋がぞくりとする。

 唾を呑みこんで、マエストーソに抱きついた。


「声が、誰かの声が聞こえるのっ」

「え? 何を言っているんだ」


 マエストーソが困惑した様子で、わたしの体を離した。


 ――はやくきて、ころされる!


 切羽詰まったこどもの声と同時に、突如、足元に青く光る魔方陣が現れた。


「ああっ!」


 わたしの悲鳴を聞いて、マエストーソが眉をひそめる。彼には見えていないのだろうか。

 光の魔方陣はわたしだけを包み込み、その大きなエネルギーを感じたかと思うと体がどこかに引き寄せられた。

 そして、抵抗することもできずわたしの体は、マエストーソのいる世界から切り離され、消えた。

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