09 もう引き返せない

 天使の翼は、出し入れ自由であるらしく、ラルクが翼を見せたのは最初の合流の時だけだった。

 それ以外は翼を隠し、エリオの友人として振る舞っている。

 フォレスタの兵士たちは、そんなラルクとの距離を測りかねているようで、どこか遠慮がちに接していた。

 故郷のフォレスタ地方に近付くにつれ、空気が湿り気を帯びて、重苦しくなる。


「邪気が渦巻いてるな」

「分かるのか?!」

 

 ラルクは山の上の方を見て、眉をしかめている。

 彼にはエリオが見えていないものが、見えているようだ。

 槍樹城が近付いてきた頃合いで、ラルクは言った。


「この地域を一時的に晴れにする。俺に力があるのか、皆、不安になっているだろうから、良い証明になるだろう」

「そんなことが出来るのか」

「一時的に、だ。ズタトロクを何とかしない限り、天候を操り続けることは難しい」


 彼は立ち止まり、隠していた翼を広げる。

 白い翼が優雅に開かれると同時に旋風が起こり、空気が変わった。清浄な風がラルクを中心に広がっていく。

 目に見えない重苦しい影のような気配が吹き払われ、厚い雲が割れて、日が射し込んだ。その陽光はちょうど槍樹城の尖塔に当たり、水色の屋根瓦の表面をトルマリンのように輝かせる。

 兵士たちの間から「おお」と感嘆の吐息が漏れた。

 中にはラルクを拝む者までいる。

 エリオも驚愕していたが、友人の顔を間近で見つめ、その額に油汗が浮いていることに気付く。ラルクは今の奇跡を起こすことで、消耗している。


「大丈夫か」


 他の者に聞かれないよう、声を潜める。

 ラルクは頷いたが、その表情は険しい。


「確かに、硬い大地にくわを入れるみたいだな……」

「?」

「何でもない」

 

 意味が分からないが、奇跡を起こすのも楽な仕事ではない事だけは察することができる。

 エリオは父にどう説明するか考えながら、ラルクを連れて槍樹城の門をくぐった。




 槍樹城に到着後、ラルクを客室に案内するよう指示し、エリオはフォレスタ侯爵である父親と二人きりで事情を説明することにした。

 天使をさらったのではなく、合意の元で連れてきたこと。

 その天使は自分の友人であること。

 これらのエリオの説明を聞いた侯爵は、思いがけないことを言った。


「さらって来た方が、話が簡単だったな」

 

 てっきり良くやったと褒められると思っていたラルクは、父親の冷ややかな表情に動揺した。


「お前は、帝国の天使に情を移し過ぎている。フォレスタの民と、天使の友人、どちらかを選べと言われたら選べるのか」

「それは……」


 そう指摘され、父親の懸念を理解する。

 

「天使殿が、帝国に帰りたいと言ったら、お前は帰すのか」

「……」

 

 ラルクと結んだ友情は、足かせとなりかねない。

 領主として沢山の民を守るために、エリオは友人を犠牲にしなければならないのだ。

 しかし、エリオは自分が不幸だと嘆きに浸るつもりはなかった。

 彼も自分たちも幸福になる方法が、一つだけ残されている。


「……彼には、フォレスタの守護天使になってもらいます」

「何?」

「帝国から独立しましょう、父上。帝国では、天使が選定した者が王位につく。すなわち、彼が選べば、私達は帝国と同等の王を持つことになる」

 

 留学してから、密かに考えていたことだ。

 そしてフォレスタの民が望んでいることでもある。

 自分たちの国が欲しい。帝国と対等に交渉したい。

 今まで言えなかったことを口に出すと、もう後戻りできない事を痛感する。

 友人は自分からエリオに手を差し伸べてくれたが、第三者から見れば聖堂に押し入ってさらってきたのも同然。フォレスタは既に、帝国に反旗をひるがえしたようなもの。

 息子に「天使をさらってこい」と言ったフォレスタ侯爵も、そのことは心得ている。

 帝国が攻めてくる前に、ズタトロクの問題を解決し、フォレスタ周囲の部族と手を結び、領土を安定させる。そうして、帝国の侵攻を食い止め、独立を宣言するのだ。

 

「……もはや、一路を突き進むしかないか」

 

 侯爵は呟き、エリオの肩を強く掴んだ。


「エリオよ、確かに天使が自ら協力するなら、それに越したことはない。お前が天使を説得するというなら、すれば良い。だが忘れるな。天使が帝国に帰ると言い出したら、お前が責任を取り、天使を力付くでも引き留めるのだ。誓えるか?」

「はい、父上」

 

 エリオの立場では、答えはYesしかない。たとえラルクを逃がしてやりたいと思っても、それを父親に正直に話すのは得策ではなかった。

 ことの始まりは、偶然の積み重なり。

 只の友人でいられると思っていた。エリオにとっても、ラルクにとっても、きっかけは些細なことで、こんな大事になるとは、思ってもみなかったのだ。

 しかし、二人の少年の友情から始まった物語の結末は、多くの民を巻き込んだ建国、あるいは無惨な敗戦のどちらか片方しか選べない。そして後者は絶対に選べない。

 幸せになれると信じて、前に進むしかなかった。

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