07 巣立ちの時

(※ラルク視点)


 エリオの窮状を聞き、ラルクは良いチャンスだと思った。

 前から帝国を出て行きたかった。

 山奥だろうが、なんだろうが、かまわない。


「すぐに帝国を出て行くのか?」

「あ、ああ」

「少し時間をくれ。お前の故郷を助けるにあたり、天使の力が必要というなら、俺は他の天使に、何か良い方法があるか聞いてみる」


 ラルクは、建国時から生きているという、主座天使の女性に、話を聞いてみようと考えていた。

 千年近く生きている彼女なら、何か知識を持っているかもしれない。

 天使の寿命が人間と異なることについて、ラルクは深く考えることを避けていた。やがて来る別れを想像することすら、怖くて出来なかった。

 だから一つの目標を目指し、ただがむしゃらに突き進もうとしていたのだ。


「大丈夫なのか? 帝国に背くようなことをして」


 心配そうなエリオに、大丈夫だと頷いてみせた。

 ラルクは天使としてはまだ子供だが、普通の人間よりも自分たちの存在について理解しているつもりだ。


「天使のルールは、人間のルールと違う。帝国に背いたことは、天使の仲間を裏切った事にはならないんだ。待ち合わせ場所を決めて、明日に合流しよう」


 そう約束し、エリオの背中を押した。

 どちらにせよ大聖堂の侵入者騒ぎで追手がかからないように、ラルクの方で立ち回る必要がある。ラルクは翼があるから逃げるのはひとっ飛びだが、エリオが帝国を出る時間を稼いでやる必要があった。

 エリオが立ち去った後、ラルクは大聖堂に戻り、捕まったフォレスタの兵士を天使の名のもとに解放してやった。ラルクが慈悲を与えると言えば、それが通るのだ。天使様さまである。

 その後、大聖堂の奥庭で、主座天使ジブリールが降りてくるのを待った。

 彼女は毎日帝国の空と海を見回っており、決まった時間に息子のリエルの顔を見に帰ってくる。

 今はラルクも、彼女の息子ということになっている。


「お帰りなさい、母上!」

「ただいま、リエル」

 

 ジブリールは息子を抱擁した後、ラルクの方を何か期待するような目で見た。そんな目で見られても、もう母親に甘えるような年齢ではない。

 ラルクは落ち着きはらって「お話があります」と切り出す。


「この子には聞かせたくない話のようね。おいで」


 すぐさま意図を悟ったジブリールは、リエルに「良い子で待っていて」と告げ、ラルクを連れて別室に移った。




「この国を出て行きたいのです」


 そう説明しても、ジブリールは動じなかった。

 大聖堂で彼女から天使の生き方について指導を受けたが、基本的に天使は自由な生き物だ。大聖堂にこもりきりという訳ではなく、世界各地の好きな場所に飛んでいって、他の天使とも交流する。彼女の息子リエルも、そうやって生まれたらしい。

 

「そう。そなたはやはり、妹に似ているわね。帝国を作り、翼を天に還して好きな男の後を追った、あの妹と」


 性別は違うけれど、と彼女は愛おしげにラルクの頬を撫でた。

 

「よくお聞き、シエルの名を冠する愛し子よ。何事も、最初のいしずえを作ることが一番難しい。帝国が安定しているのは、妹がこの地を天使の支配する場所として整えたからだ。既に基盤の整っている場所から離れ、まったく新しい場所に支配域くにを作るのは、荒れた硬い大地にくわを入れるのと同様、大変な仕事なのだよ」

「俺は、誰かに生き方を決められたくない。そのくらいなら、自分で居場所を作る」


 大変なのは承知の上だと訴えると、ジブリールは苦笑した。

 彼女の仕草や瞳は、息子同然の幼い天使にたいする慈愛が満ちている。


「矜持の高い子だこと。でも確かに、人間の一方的な期待に応えるのは、骨が折れるものね。分からなくもない」


 彼女はラルクの感情に一定の理解を示したが、同時に「しかし」と心配そうにする。


「そなたは、自分がどんな苦難に直面するか知らない。あやまちを積み重ね、時にその翼を犠牲にし、しかしそれでも諦めず進んだ先に、そなたの求める未来はあるのだろう」

 

 ジブリールは未来を語っているようで、その実過去を語っているようにも見えた。おそらく、彼女の妹の歩んだ道をなぞらえているのだろう。

 帝国を作ったという彼女の妹は、もういない。

 目の前のジブリールと同じくらい生きていいはずの天使なのに、どうしていなくなってしまったのか。翼を天に還したと言ったが、一体それはどういう意味なのだろうか。

 

「そなたの行く道に、天の祝福があることを祈っている」

 

 冷たい唇が、ラルクの額に触れる。

 白い翼が愛おしむように、ラルクを包み込む。この安寧あんねいの中に、いつまでも浸っていられれば、どれだけ楽だろう。しかし、ラルクはもう選んでしまった。

 困難でも、自分の道を進むことを―――。

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