05 故郷の危機

(※エリオ視点)


 故郷に近付くにつれ、空が暗くなっていく。確かに雨が多い土地だが、こんなに湿っていただろうか。

 立ち止まって、雨に濡れたオリーブの枝をつかむ。

 手に載せたオリーブの葉は、黄色くなっていた。紅葉ではなく、元気が無くて枯れかけているのだ。


「……いったい、何が起こっているんだ」

 

 黒雲の中で、ゴロゴロと雷鳴がとどろく。

 その雷鳴は、獣が喉を鳴らしているようで、風は獣の吐息のように生暖かい。

 妙な気配がフォレスタの地に満ちている。

 エリオは坂道を駆け上がり、槍樹城の門をくぐった。中庭に巨大な糸杉の大木が立っているので、槍樹の名で呼ばれている城だ。フォレスタ侯爵の本拠地で、アペニア山脈の中腹に位置する。

 この地にはフォレスタ以外にも、いくつかの勢力があり、フォレスタ侯爵は帝国から、この地を平定することを期待されている。その見返りに自由自治を望んでいる訳だが、うまくいっているとは言いがたい。


「母上、お加減はいかがですか」

「……エリオ。帰ってきてくれたのですか」

 

 家に帰ってすぐ、エリオは病状の母を見舞う。

 寝台の家に横たわる母は、土気色の肌をしていた。まるで、枯れかけたオリーブの枝のように。


「私のことは気にせず、あなたは、あなたの為すべきことをして……」

 

 母の声は弱く、起き上がれない様子だった。

 エリオは、特に持病など無い母がどうしてこのような姿になってしまったのか、ショックを受ける。


「父上、いったいフォレスタはどうなっているのですか?!」

「ズタトロクを射ってしまったのだ」

 

 エリオが詰め寄ると、父親は苦しそうに言った。


「山の魔物ズタトロクを?! 手出ししなければ、何もしてこないものを、何故」

 

 ズタトロクとは、フォレスタの背後の山に棲む魔物の名前だ。

 山羊ゴートに似た姿をしているが、より立派な体格で、金色の巻き角を持っている。超常の力を持っている魔物で、けして人間には殺せない。下手に挑むと返り討ちにされるどころか、手を出した人間たちに災いをもたらすのだ。

 しかし、ズタトロクの方は人間を積極的に襲っては来ないため、触らぬ神に祟りなしと、近付かないように厳命していた。


「この不作で、餓えた狩人が山に踏み入り、あやまって射ってしまった。悪いことは重なるものだ」

「そんな……」

「エリオ。もはや、時間はない。お前を帝国にやっているのは、最新の知識や技術を学ぶためだけではない」

 

 父親は、強い力でエリオの肩をつかんだ。


「天使だ。帝国から、天使を奪ってこい」

「……帝国の重要機密です。そう簡単には」

「魔物に対抗するには、同じような超常の力が必要だ。ズタトロクは魔術師ではどうしようもない、強い魔物だ。しかし天使なら、あるいは」


 この世界には、人間以外の生き物や、魔物が存在する。

 対抗する力を持つ者は少なく、魔術を使う魔術師という職業も一般的ではない。そもそも魔術の知識は普及しておらず、まじないの域を出ていなかった。

 確実に、魔物に対抗できるのは、国を守護する天使や、神獣だけだ。


「父上……」

「ここままでは、フォレスタは滅んでしまう」

 

 病状の母を思いだし、エリオは強く拳を握りしめる。

 手段を選んでいる場合ではなかった。

 この世は、奪うか、奪われるか。

 エリオがやらなければ、大切な家族が、母が、故郷が滅んでしまう。




 親類への挨拶もそこそこに、エリオは帝国にとんぼ返りした。

 父親からは、何人か腕の立つ兵士を付けられた。「天使でなくても、何か打開策を見つけて来い」と言われている。

 しかし、エリオも天使以外の選択肢は考えられなかった。他に魔物を退けられるような力は、思い付かない。

 天使は、帝都の中央区にある、聖堂に住んでいると言われている。本当にそうかは、行って確かめるしかない。

 その前に、ラルクと会って栗鼠りすのピックを回収せねば。


「は? 今、なんと言ったのですか」

 

 彼の自宅に行くと、門が固く閉ざされて人気がない。

 胸騒ぎを覚えたエリオは、学院で教官を捕まえて、ラルクの行方を聞いてみた。


「殿下は身罷みまかられた」

 

 帝国貴族は、フォレスタに好意的ではない。

 教官は、苛立たしそうにエリオに告げる。


「後ろ楯が欲しかったのだろう。残念だったな」

 

 ラルクが、エリオに肩入れしているのは周知の事実で、他の帝国貴族たちは、それを苦々しく思っていた。

 だから、これを機会に、エリオに嫌みを言ったのだ。しかし、突然の訃報に衝撃を受けたエリオは、そんな嫌みなどどうでもよかった。


「ラルクが、死んだ……? 嘘だろう」

 

 里帰りする直前に会った時は、ぴんぴんしていたじゃないか。

 爺婆なら、まだ分かる。寿命だったり、あるいは老齢で体が動かないのに狩に行って踏み外して行方不明、はよくある話だ。しかし、健康な若者が突然死ぬのは変だ。


「他の皇子に暗殺された? いや、ラルクは王位継承権が低いし、だいたい帝国は内輪揉めしてない。まだ僕の方が危険な立場なのに」

 

 帝国は、天使が皇帝を決める伝統のため、帝位を巡って争う必要性が薄いのだった。

 エリオは不可解に思ったが、いくら考えても答えは出ない。


「エリオ様、天使をさらいに行きますか」

 

 故郷から付いてきた、フォレスタの兵士が決断をうながす。

 帝国に反旗をひるがえしてでも、エリオ達は打開策を見つける必要があった。ぼやぼやしていると、ズタトロクがフォレスタを滅ぼしてしまう。


「今夜にでも、聖堂に忍び込もう」

 

 エリオは、覚悟を決めた。

 成功しても、失敗しても、もう帝国にはいられない。

 帝国で唯一の友人であるラルクがいなくなったのは、ある意味、好都合かもしれなかった。

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