04 天使の羽化
二人の少年が出会ってから数年後の秋。
その年は、フォレスタは不作だったと、風の噂で聞いた。天候不順で、農作物が実らず、帝国への納税も難しい状況らしい。
ラルクは、郊外に広がる小麦畑を眺めながら、溜め息を吐く。
黄金色の麦穂は、見渡す限り海のように広がって、風にそよいでいる。この光景を見ていると、フォレスタが不作だったなんて、遠い異国の物語のようだ。
帝国は今年も豊作だ。
その背後には、天候を安定させる天使の力がある。大群の敵を滅ぼすような分かりやすい恩恵ではないが、天候を操る天使の恵みは地味に国力を押し上げている。帝国が豊かなのは、複数の天使に守られているからだ。
「お待たせ」
待ち合わせ場所の、麦畑の前に現れたエリオは、固い表情をしていた。
「母さんの具合が悪いから、すぐ帰ってくるように、フォレスタから伝令があって」
「そうか」
「
行き帰りに栗鼠を連れていくと、逃がしてしまうかもしれない。
ラルクに預かって欲しいと、エリオは言う。
腰の
「フォレスタは、不作だったと聞いた」
「うん……」
ラルクの言葉に、エリオの表情が曇る。
彼も、不安を感じているようだ。
「気を付けて帰れよ」
「ありがとう、ラルク」
なんとなく嫌な予感がしたが、かといってどうすることもできない。ラルクは栗鼠を預かって自分の家に帰った。
問題が起きてしまったのは、エリオと別れた翌日。
「くっ!!」
背中に激痛が走り、ラルクは寝台の上にうずくまる。
「ラルク様! どうされたのですか?!」
恐れていた時が来てしまった。
異変に気付いた侍女がやってきて、痛みに耐えるラルクを介抱しようとし、それに気付く。
「その、翼は……!!」
もし天使の翼を隠すことができるとしても、最初から自由には出来ないだろう。常に侍女や護衛に見張られている皇子という立場もあり、隠し通すのは不可能だと、ラルクは覚悟していた。
なんてタイミングの悪い……エリオから栗鼠を預かっているのに。
夜着の隙間からこぼれた白い天使の翼は、朝の光を受けてもなお眩しい光を放つ。はたから見れば天の祝福だが、痛みに脂汗をかいたラルクの内心は絶望に染まっていた。
帝国の皇族に天使が現れるのは、初めてではないらしい。
前例にのっとり、ラルクの皇位継承権は剥奪され、世間には元第七皇子の病死が発表される。天使の秘密を守るための処置だ。
天使の力が制御できるようになるまで、ラルクは大聖堂の奥庭に事実上、幽閉されることになる。
全てが予想通りではないが、やはり寸前まで隠していて良かったと、ラルクは思っていた。
天使だと明かしていたら、早々に聖堂に押し込められて、外に出られなくなっていただろう。
「困ったな。どうやって
帝国に戻ってきたエリオが、ラルクの病死を聞いて驚くのは目に見えている。天使であることを明かさず、栗鼠を主の元に返すにはどうしたら良いだろうと、ラルクは頭を悩ませた。
「その子と遊んで良い?」
「リエル……」
帝国の天使は、一人ではない。
聖堂には、以前に会った女性天使の子供だという、ラルクより年下の小さな天使がいた。十歳になるかならないかという可愛い金髪の少年で、背中にこぶりな白い翼を生やしている。
その天使リエルは、興味津々で、ラルクが連れてきた栗鼠を見つめている。
「構わないが、俺に返せよ」
「わ~い! ありがとう、シエロ兄たま!」
天使だと判明した時に、ファミリーネームも剥奪されたので、今のラルクはミドルネームとファーストネームを連結した天使としての名前を名乗らされている。
シエロという名前は、天使としての名前を省略した通称……を、リエルが舌足らずに呼んだせいで定着した名前である。もう、シエロで良いかと諦めている。
庭で栗鼠と戯れる弟を、ぼんやり眺める。
「……」
俗世から引き離され、人としての出自を奪われ、代わりに与えられたのは、天使としての責務。
「我が子から天使が出るとは、素晴らしい」
皇帝は、ラルクが天使だと知った時、大いに喜んだ。
「これで我が帝国も安泰だ」
見知らぬ天使より、血が繋がっている天使の方が、帝国の守護を担ってくれると期待できる。それは分からなくもない。ただ、皇帝や人間が期待する通りになるだろうかと、ラルクは疑問に思っていた。
大聖堂に来てから、天使の女性から教わった。
動物が縄張り意識を持つように、天使も自分の領域を大事にしている。一人立ちする時は、領域が被らないように調整するのだと。
今現在、帝国の中心地域を守護する主座天使の彼女が、後継ぎにラルクを選ぶか、自分の息子リエルを選ぶか……後者だろうな、とラルクは思う。
いや、後者であって欲しいと、思っている。
「帝国は永遠に不滅だ。お前は兄に仕え、兄の子とその血族を守り、未来永劫、この国を見守ってくれるだろう」
老いが始まった皇帝のしなびた手が、肩に触れる。
ラルクは、ぞっとした。
この時の彼は、自分が何に忌避感を抱いたのか、分かっていなかった。ただ漠然と、帝国に縛り付けられることに嫌悪した。
せっかく自由に飛べる翼があるのに、愛玩の籠の鳥にされるなど、我慢ならない。天使は人間の
自分の治める領地は、自分で見つける。
親や周囲に定められた生き方は真っ平御免だと、ラルクは拳を握りしめた。
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