03 彼の秘密

(※ラルク視点)


 帝国の皇族は、一定の年齢になると、大聖堂に礼拝して天使に拝謁する。伝説の天使に直接会えるのは、天翼教会の最高位の司祭と、一部の皇族だけだ。

 幼少時は身体が弱かったラルクが天使に会ったのは、十歳を超えてからだった。

 天使は、美しい女性の姿をしていた。

 母親と同じくらいの年齢に見えるが、輝くような金髪と真珠のような肌は加齢を感じさせない若々しさがある。

 彼女はラルクを見ると、驚いた表情になった。


「そなた、近くにおいで。私に顔を見せて」

 

 すべらかな指先が、ラルクの頬に触れる。

 それは、懐かしいものを確かめるような手つきだった。彼女の純白の翼が、ラルクを包み込むように広がる。

 やがて彼女は、ゆっくりと口を開く。


「この帝国は、私の妹……天使と結婚した男が作った国。皇族に先祖返りが現れる可能性は、無ではない」

「?!」

「そなた、空の意思を聞いたことがあるか。大地の意思……獣と意を通じ合わせたことは?」

 

 ラルクは青ざめた。

 心当たりがあった。

 彼には何故か、天気が分かる。動物が何を考えているか、分かる。

 だが、認めたくなくて、首を横に振る。


「……ありません」

 

 天使は、虚勢を見抜いているようで、悩ましげに眉を潜めた。


「背中が痛んだら、私のもとにおいで。そなたは、人の間では生きられない」

 

 うっすら予感していた事が現実になって、するどい刃のようにラルクの心を傷付けた。

 自分は普通の人間ではない。

 それは幸福でも何でもなくて、呪いのようなものだった。

 天使は、天の意思の器。帝国の守護者。生まれながらに、その責を背負うもの。ラルクは、それまで当然のように描いていた人生設計がもろく崩れ落ちるのを感じた。

 七位の皇位継承権を持っているが皇帝になる可能性は限りなく低く、将来は高位の武官か文官になって皇帝になった兄を支えるものと思っていた。幼い頃は体調不良で寝込みがちだったから、体を動かすのが楽しくて、できれば強い騎士になりたい。そして親類や周囲の大人がそうしているように、貴族の令嬢と結婚し、穏やかな人生を送る……そんな、普通の未来を思い描いていた。

 だが、天使になれば、当然それらの未来は選べない。皇族の生まれのラルクは一般人より天使に詳しいので、そのことが推測できた。だから、素直に名誉だと喜ぶことは、出来なかったのだ。




 天使はラルクを自分の子供として迎え入れると言ったが、ラルクは待って欲しいと願い、期限を先延ばしにした。

 家族や皇帝にも黙ったまま、延期を重ねている。


「まだまだっ……!」

 

 エリオが汗を飛ばしながら剣を打ち込んでくるのを、自分の剣で弾く。

 今は、帝都の皇立学院で、剣術の授業中だ。

 もし天使になって聖堂に入ったら、剣を振り回してチャンバラなど、許される訳がないと、ラルクは察しが付いている。学院に通って同世代の若者と話す機会も、この先あるか分からない。だからこそ、決断を先延ばしにして、できるだけ普通の……皇子の身分は普通ではないかもしれないが……人間の生活を楽しみたかった。


「はあ……ラルクは強いな。卒業したら、騎士にでもなるのか?」

 

 ひとしきり剣を交えた後、エリオは感心したように言う。

 ラルクは努めて表情を変えず、曖昧な返事をかえした。

 

「さあな。お前は……聞くまでもないか」

「うん。僕は家を継ぐよ」

 

 フォレスタ侯の息子であるエリオは苛められていたが、ラルクが隣にいる時は表立って文句を付けるものはいない。

 エリオ自身も、下手に卑屈にならず、堂々としている方が苛められないと知っている。周囲の状況が良くなくても、常に最善を選べるエリオを、ラルクは高く評価していた。


「あと、立派な葡萄畑を作る!」

「ふっ。お前は本当に植物が好きだな」


 そして、趣味も合う。

 農業に興味を持っている貴族は少ないが、領地の収穫を増やす上で、植物学や地質学の知識は役立つ。ラルクの場合は、動物や植物の意思が分かるので、興味を持ちやすかったという事もある。

 天使の素養のせいで、ラルクは周囲の気配に敏感だった。

 容姿が良いのも考えものだ。注目されると、気が休まらない。人目の無い山を散策して気晴らしすると、自然と興味がそちら側に移る。植物や動物の方も、ラルクの訪れを歓迎してくれる。

 しかし、オセアーノ帝国は海側なので、あまり近くに山がない。

 遠くに見える山、フォレスタの地域にも足を伸ばしたいと、ラルクは密かに考えている。

 エリオの故郷フォレスタは、葡萄やオリーブの栽培が盛んだ。しかし、その収穫物は帝国に徴収されてしまうので、フォレスタの民の生活は苦しい。エリオは収穫を上げて、民の手元に作物が残るようにしたいらしい。


「僕が侯爵になっても、ラルク様には末長く仲良くして欲しいな」

「なんだ、もう下心込みの人脈作りか」

「弱小田舎貴族だからね」

 

 軽口を叩き合う、この時間は悪くない。

 他にも友人はいるが、利害関係や打算抜きで、話していて一番楽なのは、エリオだった。


「卒業したら、か……」

 

 授業が終わり、帰途につくエリオの後ろ姿を見送って、ひとりごちる。

 気のせいか、背中が痛んだ。

 これからもずっと、立場の弱い友人の後ろ楯になってやりたいが、いつまで彼と共にいられるだろうか。

 

「まだ、翼は生えていない」

 

 タイムリミットが近いことを予感しながら、ラルクは自分にそう言い聞かせた。

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