02 栗鼠を追いかけて

 ラルクと出会ったのは、帝都近郊の森の中だった。

 故郷から連れてきた栗鼠りすのピックが逃げ出して、それを追いかけて森に迷い込み、彼と出会った。


「うぅ、こうなったら戻ってこないかもな……」

 

 小栗鼠の頃に保護し育てたピックは、エリオによく懐いている。名前を呼んだら寄ってきて、手の間に潜って遊ぶ。ふさふさの尻尾をつまんでも怒らず、胡桃くるみをカリカリかじる姿は愛らしい。エリオの密かな癒しだった。

 しかし、いかに人間に懐いていても、野生に戻ってしまったら主を忘れてしまうのではないか。

 帝国に連れてきてしまったことを悔やんでいると、ぱきりと枝を踏む音がした。

 地面を注視していたエリオが顔を上げると、いつの間にか木立の間に、金髪の少年が佇んでいた。同年代の背格好で、簡素だが妙に仕立ての良い服を着ている。


「これは、お前の栗鼠か?」

「あ……ピック」

 

 少年の手のひらから、栗鼠が飛び出してくる。

 ピックはエリオに飛び付いて、歓喜したように肩の上を跳ね回った。


「お前っ、どこに行ってたんだよ」

 

 エリオは栗鼠を撫でて笑顔になる。

 正面の少年も、わずかに笑顔を浮かべ言った。


「そいつ、お前とはぐれたと鳴いていたぞ。大切なら、気を付けて部屋から出すな」

「うん……動物の言葉が分かるのか?!」

「そんな気がしただけだ」

 

 少年はしれっとのたまう。

 彼を見返して、エリオは既視感を覚えた。

 どこかで会ったことがあるような……

 

「それよりもお前、植物が好きらしいな」

「?!」

「この枝が何の植物か、分かるか」


 こちらの気を逸らすように、少年が問いかけてくる。

 植物が好きだと、どうして知っているのだろう。

 エリオが種を集めたり、植物図鑑を愛蔵しているのは、今や栗鼠のピックしか知らない秘密なのに。

 

「枝というか……野生のアスパラガスだろ、それ。柔らかいうちに摘んで、バターでいためて食うと美味いよ」

 

 エリオが答えると、今度こそ彼は笑顔になった。


「お前とは話が合いそうだ」




 出会いから少し経って、エリオは少年の正体が、帝国の第七皇子ラルク・シエル・ガリエラだと気付いた。学校で会っているが、話したことが無かったのだ。

 森の中の出会いから、二人の少年はちょくちょく話すようになった。

 話題は主に、植物の話だ。


「オセアーノは海辺の国だ。潮風に吹かれると植物は枯れてしまう。農業は内陸部の一部で行うだけで、他は属州から徴収している。本当は自前ですべてまかなうのが理想的なんだがな」


 剣術が得意で活動的、尊大な性格で通っているラルクだが、意外にも植物に興味があるようだった。

 人混みを歩くより、山歩きの方が好きだと言う。

 エリオは山育ちなので、二人の会話は自然とそちらが中心になった。


「確かにフォレスタは山の上で、農業が盛んだ。でも、雨が降りすぎて作物が枯れてしまうことも多いよ」

「どこも自然には振り回される訳か」

 

 とは言っても、オセアーノには天使がいる。

 気候が穏やかなのは、天使の恵みだと聞いていた。生憎フォレスタには、その恵みは届かないらしい。オセアーノ帝国による弾圧で、飢えて痩せ細った領民を思い出すと、エリオの気持ちは沈む。

 ただ、オセアーノ人全てが弾圧に加担している訳ではないのは、分かっていた。少なくとも栗鼠ピックを助けてくれたラルクは、別枠で考えても良いだろう。

 ラルクは、不思議な少年だった。

 ピックがエリオ以外の人間の手から種を食べる事はなかったのに、ラルクは例外のようだ。栗鼠は尻尾をふりふりして喜んでいるのに、餌をあげるラルクは無表情なので、栗鼠との触れ合いを楽しんでいるのか傍目はためには分かりづらい。

 ただ、ラルクはいつもさりげなくエリオを助けてくれる。


「今日は、気を付けて帰れ。雨が降る」

「雨? 空は晴れているのに」

 

 澄み渡る空には、雲ひとつない。

 しかし夕方になると薄雲が空を覆い、水滴が大地を濡らしはじめた。

 ラルクの天気予報は当たる。


「ラルク、お前、天使様みたいだな」

 

 冗談混じりに、エリオは言った。

 天使とは、帝国で広く信仰されている存在で、翼の生えた人の姿をしているとされる。天候を操り豊作をもたらし、人々に恵みを与える、神の使者。

 帝国では、天使のしもべを名乗る天翼教会が大きな権威を持っており、皇帝は天使が選ぶものとされる。帝都には天使が住むという大聖堂がある他、地域ごとに天翼教会の建物があって、司祭たちが民衆に天使の恵みや人が守るべき道徳をいている。

 もちろんエリオは天使を見たことがないが、帝国に来てから奇跡を起こす天使の話をさんざん聞かされたので、その存在を知っている。帝国の人々は挨拶の代わりに「あなたに天使の祝福がありますように!」と言うのだ。

 だから、たいして深い意味もなく「ラルクは天使のようだ」と言った。

 しかし、少し気になっていることもある。

 ラルクにはどこか神秘的な雰囲気があって、実際、不思議な力があるようだと、エリオは勘づいていた。


「俺は天使じゃない」

 

 思いがけず、強い否定が返ってきて、エリオは驚く。

 ラルクは険しい表情をしていた。

 どうしたのかと聞く前に、彼はふいっと顔を背ける。その様子に、自分はタブーを口にしてしまったのだと、エリオは気付いた。

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