第7話


「じゃあ、次の日の17時に店に来れる?」ファミレスで木下さんに聞かれ、


「はい」と答えて店に行く約束をしたのもつい何時間前のことか



 再び地下へと続く階段を降りると、あの重そうな扉が目に入る。

 自分の心臓がいよいよかと高鳴る音が聞こえてくる気がした。


 扉に手をかけ開けると店は、まだ準備前という事もあってか音楽も聞こえず電気も暗いままで前とは、違う店に来たかのような雰囲気を感じた。

 

「あの、すみません。木下さん?」声を掛けてみると、だれも反応を見せる気配もなかった。

 あれ、時間って17時って言ってたはずだよな?間違えたかな?


 スマホの時計を確認してみると、17時をもうすぐ周ろうとしているところだった。



 とりあえず店で待つことにするか



 あらためて店の中を見てみると、あの時には気づかなかったけど、カウンターのむこう側はけっこう広いんだな…


 そっか、これでお客さんにお酒を提供する時もスムーズに出来るわけか…


 なるほど!


 お酒はどんなものがあるのかなと棚に手をかけようとするとお店の扉が開いた。

「そのお酒は、5万円くらいするから扱いに気をつけてね!」木下さんが現れた。


「すみません」とそんなに高価なものなのかと驚きを隠せないでいると、


「えらいね!ちゃんと時間通り!そういうのは、社会に出てからは大事だからね。」


 10分も遅刻した木下さんは、自信満々で言った。


「って遅刻したやつに言われたくないよね?」

 すこし恥ずかしそうな表情をしたまま言った。

 心を見透かされたのかと、思ったがそうではなかった。


「ごめんね、買い忘れたものがあってね。それで少し遅れました」

  

 すこしだけ畏まって言った。


「今日は、横で仕事を見てくれているだけでいいから。また、必要な時に言うね。」


 優しい笑顔を向けて言われてもな…


 横に居るだけかと少し凹んでいると

「横にいるだけでも勉強だから」

 またもや心を見透かされたのかとドキリっとした。




 店の掃除や開店の準備をしていると時間は、あっという間に過ぎていた。


 時刻はオープンの時間を迎えようとしていた。


「まだ、この時間はほとんどお客さん来ないからゆっくりしていてもいいよ」

 と木下さんに言われそうするかと思うと、扉が開いた。


 すこしだけ、焦ったような顔をするもすぐにお店の顔に変わった。

「いらっしゃいませ。お好きな席へお座りください」

 そのひとは、女性の一人のお客さんだった。


 あれ…たしか?どこかで…そうか!昨日ファミレスであった人だ!

 とその人を見る。


 仕事帰りなのか少しだけつ疲れたような顔していた。


「何になさいますか?」注文を聞く。


「そうですね。どういうものがありますか?」

「具体的な飲み物がお決まりでなさらないようでしたら、今のご気分に合わせたものでも可能ですよ」


 女性は。少しだけ困ったような顔をしながらも

「今の気分ね。少しだけ疲れているのでリラックス出来るようなお酒とかはありますか?」


 あごに手を当てながらも

「では、ジンベースのお酒とかはどうですか?柑橘な香りでスッキリとした味わいのものになりますよ」優しい笑顔でお客さんに向けながら言う。



「じゃあ、それを」女性は答えた

「かしこまりました」

 と答えてからの動きは素早かった。


 棚にある少し長いグラスを取り出すと、ゴロゴロした大きさのもを入れる。

 冷蔵庫からタッパーに入れられていたライムを取り出して2、3切れの切り込みを加えてグラスに絞る。


 絞ったライムは、そのままグラスに入れると棚から”タンカレー”というジンを取り出すとグラスに注ぐ。


 グラスの4分1程を注ぎ、マドラーを使い少しだけ混ぜる。

 最後に炭酸水を注ぎ再びマドラーを使い、軽くステアする。


 そこまでの動きが一瞬の事のようであった。


「お待たせしました。こちらジンリッキーになります!」


 女性の眼の前に差し出されたお酒、一見なんでもないジンソーダに見えた。

「いただきます」


 女性の表情を一目見て分かった。


 そこに出されたお酒が普段飲んでいるようなものとは違うということが。


「たまにしかお酒飲まないんだけど、これすごく美味しいです!」女性は、店に訪れた当初よりも明るい顔で答える。



「それは、良かったです。お客様にそうやって言って頂けるのが私のやりがいでもありますから。」

 すごく嬉しそうな表情で木下さんは、答えた。


「お疲れのご様子でしたが、お仕事の帰りですか?」僕も何か言った方がいいかと尋ねてみる。


 チラッと木下さんをみると少し嫌そうな顔をしていた。


「全然、気にしないでいいですから。そうです!仕事の帰りで色々とあったりしたので…」

「そうなんですね。お仕事は、何のお仕事をされてるんですか?」


「保険の営業です。興味ありますか?」

「いや、僕は大丈夫です」

「そんな、遠慮なく」

「本当、大丈夫なんで」


 横を見ると、木下さんは楽しそうに笑っていた。


 すると、女性の方から話を振られる


「バーテンダーのお仕事も大変じゃないですか?」

「いえいえ、そんな事は。僕はお客さんと話したりするのが好きなので。よければお話聞きますよ」


 少しだけハニカムような笑顔で言う。


「お客さんを相手にしてもそうやって言えるのが羨ましいです。私、なんか嫌な事を投げられたりとか言いたくない事を相手に言わなきゃいけないとかで…」


 女性は、一口ジンリッキーを口にする。


「そうですね…私も嫌だなと感じるお客さんも居ますよ。あっ、ここだけの話にしておいて下さいね」


 僕は、横で子供みたいな笑顔を見せるんだなと思っていた。


「でも、そういうお客さんの時は、この人は、今日色々な仕事を乗り越えて今ここにきているんだなって思って、“ありがとう”って気持ちで迎えていますね」


 女性は、少し寂しげな目をしながら


「なんだか神様みたいですね。私もそんな気持ちが持てるなら。あんな事、言わなかったのに」


「あんな事?」

 僕は、思わず気になって聞いてしまった。


「あっ、お客さんじゃないですよ。そこは、一応仕事ですからね。子供にね」


「あっ昨日、連れていた子ですか?」


「えっ?」女性は、思わぬ答えに驚いていた。


「いや、昨日たまたま2人であそこのファミレスにいた時に見かけたのを思い出して」


「あっ、そうだったんですね」

 女性は、嫌なものを見られたような顔する


「ママ友の会って、なんだか楽しそうですね」


「そんな事はないです」

 あっけらかんと言う僕の言葉を抑えつけるような重い声だった。


 女性は、続けた。

「私だけシングルなので、なかなか仕事の都合で参加出来ない事が多くて、昨日はたまたま。

 でも、周りの空気に合わせようとするのもなんだかね」


 それ以上は、言わなくても無知な僕でも伝わってきた。


「子供と仕事を両立するのって、なかなか出来る事じゃないですよ」


「ありがとうございます。でも、出来る出来ないとかそんな事言ってられないので、そんな事もあってか昨日も」


「昨日も?」


「子供が私のカバンで悪ふざけをしようとしていたので思わず叱ってしまったんです」

「そうだったんですね」僕は答える


すると、その会話を聞いていた木下さんが話し出した。

「ある映画俳優が昔こんな事を言いました。

 完全な愛というものは、もっとも美しい欲求不満だ。なぜならそれは、言葉以上のものだから。」



「えっ?どういうことですか?」

 意味を理解するのが難しいと僕は感じた。


「これは、あくまで僕の解釈だけどね。いま悩んでいるのは、子供に対して傷つけてしまった事の後悔だろうけど、自分が孤独で苦しんでいるのかもしれない。それは結局のところ、子供の事が大事だから守らないと!という強い気持ちだと思うからこそなんだろうって」


 少し自慢げな顔をしていたが、結局僕に難しかった。


 女性の瞳には、、少しだけ涙が溜まっていた。


「あと、もう一つこのお酒の言葉を知っていますか?」


「お酒に言葉があるんですか?」


 女性よりも先に聞いてしまった。


「ジンリッキー “素直な心”です」


「素直な心?」


「子供は母親が大好きですから。ちゃんと頑張っている姿は、伝わっていますよ」


「ありがとうございます」

 女性は、チラッと時計に目をやると

 いそいそとし始める

「もうおかえりですか?」

 僕は、聞いた。


「すみません、お会計をお願いします。実家の母親に子供をお願いしているので」

「分かりました」


 女性は、カバンから財布を取り出そうとすると、一枚の紙が落ちた。


 四つ折りに折りたたまれ紙を拾い上げ、開いてみると


“お母さん、いつもありがとう”


 子供と母親が手を繋いで楽しそうにしている姿が描かれた絵とメッセージが出てきた。


「まさか、これを」

 女性は、思わず自分がとんでもない勘違いをしてしまった事を後悔した。


 そこで木下さんが

「素直な心ですよ。子供は、きっと分かってくれますから」


 女性は、思わずポツリと涙をこぼした。


「あの、また来てもいいですか?」

「はい、いつでもお待ちしております」


 女性は、来た時よりも明るい顔でお店を後にした。



 僕は、思わず木下に尋ねた。

「あれっなんで分かったんですか?」


「あっあの紙のこと?カウンターからチラッと見えちゃったから」


 木下さんは、はにかんだ笑顔を見せながら答えた。



 なんだか、子供っぽいところもあるなと思いながら次のお客が来るのを待っていた。

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