6 宇宙人・立てこもり・松林・クロ

 今日は吾輩もちょいと海を見たくなったので、ヤブについて行く事にした。

 松林に行く度何かと面白い物に出会う。

 地面から火柱が上がっていたり、黒くて臭い油の池が有ったり。

 この前は金色に光る石を見つけ、あおいにえらく褒めてもらえた。

 しかし、赤黒のマダラ蜘蛛に刺された時には、震えが止まらず死にそうになった。

 アリンコに隠しておいた食い物をごっそり盗まれたので、殴り込みをかけた時などは逆に吾輩がエサにされそうになった。

 松林で知らぬ者との接近遭遇は、それ相応以上に用心せねばならん。

 よう分からん者には近付かない方がいいのである


 松林では住人達がヤブの陣地を囲んでざわついている。

 何時か来て見たら散々になっていた青い家を、ヤブはせっせと直していたのだが、その家の近くから変な物が出土しているのだ。

 近くに寄って覗いてみると、道路のあちらこちらに張り付いている鉄のでかい丸いのがある。

 そこには『御用の方はチャイムを』と書いてある。

 近くにピンポンボタンがあるのだからそれを押せばよかろうものを、住人達はダイナマイトを持ち出して鉄の丸いのの周りに張り付けている。

 いくらもしないでダイナマイトが吹き飛んだが、鉄の丸いのはびくともしない。

 ヤブは己の陣地が吹き飛んだとえらく御立腹である。


 皆が集まってあれやこれやしていると、いきなり鉄の丸いのが持ち上がって、中から何時も遊んでくれる巫女が出てきた。

 頭に小さな丸太ん棒を幾つも乗せて、訝しげな表情であるが確かに巫女である。

 ヤブや住人とは面識がないようである。

 野次馬に来ていた二人のヤクザ刑事と消防士の相南は、昼間だというのに猫の鼻もひん曲がる程に酒臭い。

 吾輩なら臭いだけでも酔える。

 巫女とヤクザ刑事は、ヤブがいなかった時の宴に来ていたから知り合いで、巫女が三人に声をかけたが、三人とも知らん顔をして逃げ帰っていった。

 何かとお互いの関係を知られてはいかん事情でもあるのか、ちと怪しげな雰囲気である。

 巫女と地下に行った時は何とかちゃんと仲良く話していたし、車屋やらネギのオヤジと近所の付き合いが広い女子である。

 ヤブと共通の友人も多いのだが、今の今まで一度もヤブに会った事がないとは不思議だ。


 この日、ヤブが巫女を診療所に招待してまたもや宴である。

 診療所ではついこの間もここでドンチャン騒いでいた連中が集まったが、皆が皆巫女とは初めて会った様な素振りでなんとも妙な宴である。

 ここで始めて吾輩はこの巫女の名前を知った。

 なんとこの者、卑弥呼と言う。

 歴史上最強の女祈祷師と、代々猫界で語り継がれている人間と同じである。偉大なる祈祷師の末永に違いない。

 吾輩が一瞬でクラッときたのも納得である。



 パックと言うヤブの頭上でブンブンしている奴が、ここのところやたらと騒がしい。

 でかい蠅になったり可愛かったりエロエロになったり、ぶっとばしてやりたくなる。

 それが、ヤブが一声大きく怒ったら消えた。

 怒られた位で消えるなら、ザワザワ現れんでもよさそうなものだ。

 人間のみならず、妖怪変化の族にも訳の分からん者がいる。



 珍しくヤブが朝帰りでない朝。

 電気を使う物がこぞって機嫌悪くなって、テレビはザーザーと邪な奴に成り下がっている。

 ちょいとすると、何時もより格段と大きな飛行機が飛んで行った。

 また少しすると、地面が凄まじく揺れてテレビに人が映った。

 爆弾でも落ちたかの如き騒ぎに、臨時ニュースばかり。 

 ヤブが画面をあっちゃこっちゃ切り替えて見るものの、何も面白い話が見えて来ない。


 診療所の近辺は極め付けの過疎地域である。患者の送り迎え以外の車など滅多に通らん。

 それが、今日は大都会並に渋滞してきている。

 ヤブが慣れないビデオを使って、渋滞の様子をインターネットで流した。

 ついでに吾輩もインターネットデビューしてやった。

 正式には女主人の家にいた頃、一度だけ出演してやったが、その後鳴かず飛ばずで不本意ながらネット界から消えていた。


 いつもは「ドクター居たりしちゃいますかー」とやって来る隣りのヤクザが、慌てて診療所に飛び込んできた。

「ドクター、地面が裂けたよ。下からこいつ等が湧いて出て来たよ」

 有朋の背後には、松林の住人が連なっている。そのまた後に巫女までいる。

 話を聞いてみれば、松林が津波に飲まれてしまった。

 先ほどから頻繁に救急車・消防車がサイレンを鳴らして走って行く。

 外はとんでもない事態になっているのが、其れ等の音の絶え間なしでよくわかる。


 ヤブが病院からロクちゃんを連れて来て、海岸で診療をすると言い出した。

 あおいにキリちゃんと何とかちゃんも総出で海に向かう。

 吾輩が付いて行ったからと何の役にもたてやせんが、海岸近くが被災地になっているとなるとクロが心配である。

 いかに強いクロでも津波には勝てん。


 海に着いて早速、ロクちゃん診療所を開く。

 近所の者が集まってきた。中には猫も主人に付いて来ている。

 近所の猫ならばクロと知らん仲では無かろう。

 聞いて回ったが、今日は見掛けていないときた。

 車屋の主人が、車の死骸に潰されて痛い目を見たとロクちゃん診療所にやって来たから、あおいに頼んでクロの行方を聞いてもらったが、夕べから帰ってきておらん。


 クロが家に帰らんのはしょっちゅうであるし、そんな時はおおむね診療所であおいと戯れている。

 ところが、昨夜は天気がよかったのに珍しく診療所に現れなかった。

 こんな事はこの一年で数回の事。

 地震や津波が無くとも、少々気になっていたところにこの災害である。

 はてさて何処に消えてしまったのか。


クロが見つからんままの夕暮れ時。

 ロクちゃん診療所の人影がまばらになって来ると、もはやクロは波にさらわれたか何処ぞの砂に埋もれたと思えてならない。

 いかに猫族が災害の予知に長けているとはいえ、地上に何の予感も無かった災害では、能力の有る無しに関わらず被災してしまう。

 クロに限らず、総ての者にとって突然だったのである。

 やっと歩けるようになったら親や主に捨てられ、目の前で兄弟がカラスにさらわれたり、どざえもんになって流れて行ったのを目の当たりにしても今日まで生きて来た。

 慣れたくは無いが近しい者の消滅に、他の猫より慣れっこになっているのが吾輩である。

 クロの事だから、ヒッコリ診療所に現れんとも限らない。

 相手も居ないのに季節外れの発情をし、メス猫を追い掛け回しているのかもしれない。

 廃棄弁当の食い過ぎで、腹を壊して動けずにいるのかもしれない。

 今日は今日である。又明日、明後日も海に来ればいい。



 ロクちゃん診療所を引き上げる段になって、人目を避けるように近所の者がやって来た。

 ヤブが生ビール欲しさに、夏だけ海の家でやっている診療所にやって来るおっちゃんとおばはんである。

 妙にそわそわしている。

 おっちゃんは顔色が青白いを通り越して緑いく見える。

 アニメに出て来る宇宙人のようで、えらく汚れている。

 津波にもまれ助かったのだが、それから具合が悪くなっているらしい。


 何時もヤブに診てもらっているので、是非ともヤブにと願っているのを聞かずに、あおいが診て騒ぎ出した。

 しかし、騒いでいるのに顔が笑っている。

 ヤブは帰り支度でロクちゃんを動かすのに手一杯。

 あおいのニンマリした顔など見ている余裕も無く、急ぎ診療所に向かった。


 診療所には最近ドエライ機械が二つやって来た。

 CTとMRIという奴で、一度遊んでもらったが、CTとは輪っかの中にチョイといるだけで、体の中の骨を3D画像にしてテレビに写し出す。

 MRIと言う奴はグズで五月蠅いが仕事はしっかりしていて、骨ばかりか肉や内臓を輪切りにして見せてくれる。

 どんな手品か皆目見当もつかんが、凄い奴等である。

 偽医者の元事務員からヤブが中古を買い受けのだが、御二方で一億と騒いでいた。

 我ら猫族でも優秀と言われる血統書を持った者でさえ、十万とか二十万という小売価格で売り買いされている。

 猫族のように高貴な生命体を売り買いするとは、我等の正当なる権利を迫害した許されん横暴であるが、これも銭が一番の世に生まれてしまった災難と諦めるしかない。

 もっとも、吾輩のように血統書の無い野良猫は値もつかない。

 値がつかないのもまた辛いものである。

 猫の命でさえ十万か二十万で買えるのに、いくら優れている者とはいえ二方抱き合わせの一億である。

 何処からそんな大金が出て来たのか。

 やはりヤブは危ない橋を渡っている。


 海のおっちゃんが風呂に入ったら、具合の悪いのが治った。

 先ほど見た時よりもきれいになっている。

 波に飲まれて具合が悪くなったと言っていたが、おっちゃんは垢で死にそうになっていたのであろう。

 猫ならば風呂に入らずとも生きて行けるが、人間は風呂に入らなければ死んでしまう。

 あおいは、多いと日に三度も風呂に入っている。

 吾輩は気が向けばその度にニョヘゝと遊んでもらえるから嬉しいが、人間といえどもこう何度も風呂に入らねばならんとなると、生きて行くのが大変そうである。


 おっちゃんとおばはんが、一晩吾輩の部屋に泊まってゆく事になった。

 部屋で二人が吾輩に話かけてきた。この二人も猫語を解している。

 吾輩の知り合いで猫語を解さん人間はヤブだけで、こうなってくるとヤブの無知もある種の才能と思える。

 二人とも明日は海に帰る。

 吾輩はこの二人にくっついて、明日もクロを探しに海に行くと決めた。


朝になって、おっちゃんとおばはんが治療の御礼に診療所の者を住まいに招待してくれた。

 とるものもとらず慌ててロクちゃん診療所に来たもので、治療費の持ち合わせが無いと言うが、元々御足を持たん者から治療費は申し受けん診療所である。

 何を今更とは思ったが、皆が行くついでで連れて行ってもらう。

 吾輩は人間界において、何時でもついでの者扱いである。


 昨夜吾輩と部屋を共にした者達は、普段見慣れている人間とは内臓の形が妙に異なっていて、ヤブがCTやMRIを駆使して騒いでいた。

 その間、あおいとキリちゃんや娘の何とかちゃんは終始ニッコニコしていたが、ヤブはそれどころでは無く、やれ湯を沸かせだシャワーがあんだかんだ。

 兎に角落着けない様子であった。


 この者達を、人間は宇宙人と言う。

 人間の一種であるものの、とびきり希少な亜種である。

 他の者はずっと以前から彼等が宇宙人であるのは承知で、別段驚く風もなくニコヤカーに過ごしていた。

 吾等猫族から見れば、人も宇宙人もヤクザも刑事も見掛けは皆同じ人間に見える者。

 猫が白毛であったり黒毛であったり、またはブチであったり三毛であったり、吾輩のように美しいキジトラであったりチャトラといった多種多様の見掛では無い。

 よくよく臭いを覚えなければ人間個々の違いなど、ちいとばかり出会ったくらいでは見分けがつかん。


 昨夜の話では、ペロン製という干しから来たのだと言っていた。

 ペロンなる干しがいか様な干し物であるかは別として、かなりに遠い異国からやって来た話しぶりであった。 

 彼等の住まいはメイドインペロンで、人間は彼等の住まいを宇宙船とかYMОなどと言っている。

 以前、あおいと何とかちゃんに連れられて行った地下施設の上に乗っかっているが、宇宙船もまた地中に埋まっているとの事であった。


 ここいら辺に遭難して墜落した宇宙船は、何百年かの間は少ーしだけ地面に出ていた。

 随分と昔、車屋の親父にスクラップと間違われて穿り返されそうになったので、今は井戸より深くメタンガスが噴き出す辺りまで潜っている。

 つまりは、モグラのように地中を歩ける船である。


 宇宙船の中は以前行った地下施設ほど広くない。

 いくつもの小部屋に区切られている。

 ペロン星人達は、広くて色々な物が有ると自慢するものだから、さぞかしぶったまげる家であろうと思っていたので、いささか興ざめである。


 何とかちゃんがここで吾輩に、とっても良い物だと小さな箱をくれた。

 ペロン星人の物を勝手に吾輩にプレーゼントしてくれちゃっていいのか不安であったが、ここは何とかちゃんの二番目の家も同然で、こっそり何とかちゃんの部屋にも入れてもらえた。

 ペロン星人の家はつまらんばかりと感じていたが、何とかちゃんの部屋だけは別物である。

 今世紀中には開発されんであろう超科学技術のオンパレード。と言っても吾輩には何が何なのかまったくもって理解できん機械ばかりで、何とかちゃんの言った事をそのまま語っているに過ぎんがの。

 ここにチョイと置いて有った自動翻訳機という器械をもらったのである。

 猫語を解さないヤブ用に作ったが、どうせズボラなヤブの事、一つくれてやっても直ぐに何処かに置き忘れたまま埋まってしまうから、吾輩とペアで作ってくれたのだと………ここでもついでかよ。


 家を観た後、皆で一緒に地下道を探検した。

 何時もは直ぐ地下の深い部屋に行ってしまうので、途中にこんなアトラクションが有ったとは意外である。

 骸骨が転がっていたり、弓矢が飛んできたり、槍の付いた天井が落ちてきたりで、なかなか面白いものだ。

 きっとここは人間達の言うテーマパークである。


 途中に休憩所があって、ジュースの自動販売機がおいてあった。

 ヤブは喉が渇いたからと自販機のドリンクを飲もうとして、おっちゃんに止められていた。

 ドリンクの中にはネコイラズちゅう物が混じっている。 

 猫である吾輩を目の前に、猫いらずとは失礼なと思ったが、人がその事を気遣ってくれるとは思ってもいなかった。

 言葉一つにも吾輩が猫であるのを気にかけて、ネコイラズ入りなどとフザケタ飲み物は飲まない方がいいと不買運動をしてくれるとは驚きで、おっちゃんは実に善い宇宙人である。


 探検を終えて広間でくつろいでいたら、刑事の北山が慌ててやって来て「病院が乗っ取られたー」と騒いでいる。

 間もなく、テレビに診療所の元事務員だった偽医者芙欄が映った。

 この家のテレビは病院の院長室にいる芙欄と相互通話が出来るテレビで、ああだこうだとヤブと芙欄がやりあっている。

 テレビが消えるとすぐ、ヤブは北山と一緒に病院に行ってしまった。

 折角この家の住人が皆で一緒にと宴の用意をしてくれたのに、もったいない。


 結局、ヤブ抜きで地下室の宴となり、暫くドンチャンしていると奥の方から猫の泣き声がする。

 何処かで聞き覚えのある下品な泣き声だが、酔っているせいかピンとこない。

 ノラ猫でも迷い込んできたかと訊ねたら、波に飲まれたクロ猫を治療機の中に入れている………治療機とは何ぞや。どうも解せん。

 波に飲まれて具合の悪かった猫を治療できる装置が有るならば、ヤブの所なんぞに来なくてもよかろう。

 一緒にその機械に入っていれば良かったのではなかろうか。

「ヤブにねー、おっちゃん達が宇宙人だって分かり易く教えてあげなきゃならなかったからなんだビョー」って、何とかちゃん酔ってるし。未成年だし。いいのか。いいのだな、吾輩もまだ二十才には成っていない。

 んー、クロ猫。

「クロではないのか? そのクロ猫はまだ機械の中に入っておるのか?」

「ん、クロちゃんだよ。もう外に出てるよ。あっち」

 どれ程心配した事か。猫の気も知らんで呑気なものである。


 何とかちゃんの指す部屋に行くと、包帯をグルンゝに巻かれたクロがゴロゴロしている。

 元気そうではないが、鼻水をたらしてはいるが、牙が一本欠けてはいるが確かにクロである。生きていた。

 上の庭で住人と一緒になってタマ干しをしていて波に飲まれ、かろうじて助かったものの全身打撲で動くに動けん状態だったのを、治療機の中で治して終えると外から良い匂いがしてきたので、たまらずに鳴いていた。

 そこいら中ボッコボコになっているが、それは災害でなくともショッチュウの事で、食い気が出て来たならば直ぐにでも良くなる。

 車屋の主人に言ってあるのか聞くと、こんな状態である上に、車屋はヤブと一緒で猫語を解さんゆえまだ連絡しないままになっていた。

 先程から隣の部屋で先頭切って馬鹿酔いしている男がいたが、あれは御前の主人の車屋であると教えてやった。


 車屋やネギのオヤジは、ヤブがいたらば来る予定ではなかったが、急にヤブが病院へ行ったので呼ばれて酔って騒いでいる。

 ア奴等はヤブと幼馴染である上に普段から親交している者だが、この家での宴にはヤブと一緒では参加できない理由があるのだと巫女が言っていた。

 詳しく聞くほどの事でもないから、吾輩は生ビールを飲んで酔っていた。

 説明されたようなされてないような。そんな事はどうでもよい。

 今はクロが生きていたのが何よりである。



病院が乗っ取られて何日か経った日。

 何時も診療所にたむろしている爺婆が、やけに威勢よく集まってきた。

 歳に似合わない特攻服や軍服などを着込んで、手には隣のヤクザから借りた鉄砲や刀を持っている。

 病院で患者と入れ替わり、立て籠もり犯を退治するのだと息巻いている。

 立て籠もり犯を退治するだけならそのスタイルでも問題ないが、患者と入れ替わっての作戦ならば、こいつらの頭の中は完全に腐敗している。

 焼の入り方にも年輪を感じる。


 案の定、手にした武器は取り上げられ、衣装は患者らしく寝間着に変えさせられた。

 そんな一騒動を近くで見て、面白そうなレクリエーションであるから吾輩もと参加を申し出た。

 しかーし、猫が病院をうろついていては如何にも不自然だと、簡単に却下されてしまった。

 普段から思っているが、本来病人という今にもぶっ倒れそうな者が集まるべき診療所に、この上なく元気な年寄りが集まっている方が余程不自然に見えるのは、猫のヒガミであろうか。

 何にしても暇を持て余している身ゆえ、この様な絶好の暇つぶしの機会を逃したくはない。

 建物の中に居るのは不自然であろうとも、外であったり中と外のギリギリ辺りでの様子見ならば、人間が行けない所でも猫は平気であるとあおいを説得した。

 吾輩は、クロをさそって爺婆達と一緒に病院へと向かったのである。


 ペロン星人が行政に無許可で掘っていた地下道を通って行くと、病院の高天井など比較に成らんほど広い地下室に案内された。

 ここには駅があり、地上を走る電車が置かれてある。

 入れ替わった病人を他の病院まで運ぶのに使う物で、爺婆は丘蒸気と言って懐かしがっている。

 この丘蒸気と言う乗り物に乗せてもらえた。

 外観は蒸気機関車で、五十年以上前に地上で煙を吐きながら走っていた乗り物である。

 中には豪華な家具が置かれ、動いているのが分からない静かさなのに、実際は超激高速で走っているのだそうで、たまにトンネルの壁に灯りが見えるが、一瞬で通り過ぎてしまう。

 この乗り物を、リニアモーターカーと言っている。


 この何とかカーに乗って中の家具で軽く爪とぎなどをしていると、目的の場所に着いたと降ろされた。

 降ろされたが出発した所と同じ地下の大空間で、辺りの景色は何も変わっておらん。

 途中はずっとトンネルで、灯りがポツポツと過ぎて行くばかりのまったくつまらん乗り物である。

 あまりにもつまらないので、ただ広いばかりの部屋のど真ん中で小便をしてやった。

 すると、何処からともなく平べったい御掃除ロボットがしゃしゃり出て来て、さっさっと香しき小便痕をピッカピカにする。

 仕事を終えると、開いた戸から壁の中に消えて行った。

 いきなりこやつ等が横をすり抜けて行った時はビックリ飛び上がったが、なかなかよくならされている物である。

 誰に言われるでも無く、てきぱきと自分の仕事を熟して消えていく辺りは、怠け医者のヤブに見習ってもらいたい。


 トンネルを病院の真下まで進むと、第一陣の本物患者と元気な患者モドキの入れ替え作戦が始まった。

 これまた不思議な光景で、人間が愚かなのは確かとはいえ、今エレベーターに乗った爺婆と助け出された患者の容姿はまったく異なっているのに、入れ替わった事に立て籠もり犯は気付かないのである。

 それ程までにお馬鹿な者共なら、猫が病院をうろついていても気にしないのではなかろうか。

 ヒョイとエレベーターに乗っかって、病院の中に潜入してみたらば思ったとうりである。

 猫が病院をうろついているからと気にする者も無い。

 銃を担いだ立て籠もり犯と、患者達が話す場面こそ無いものの、異常な緊張感は感じられない。


 病院の中には知った者も多くいるから、結構な遊び場である。

 見学に来た時に心残りであった大浴場で、風呂遊びができないものかと向かう途中、窓から外を見るとクロが拾い食いをしている。

 うっかり院内へ誘うのを忘れて置き去りにしてしまったが、今更どうなるものでもない。

 奴は拾って食う物が転がってさえいれば、何処に行っても幸せでいられる者である。

 呑気でなかなかよろしいと見ていると、クロの横をぎこちなく一人の男が両手を高くあげて歩いてゆく。

 クロからチョイと離れたと思ったら、いきなり吹き飛んでバラバラと破片が飛び散った。

 肉に変わりはないが、こればかりはクロも食う気にはなれないらしい。

 それより吹き飛ぶ大きな音に驚いて、奴は腰を抜かして動けないでいる。

 いくらもしないで警官や消防に医者が寄り集って、バラバラになった男を袋に入れて運んで行った。

 立て籠もり犯の仕業なのは吾輩でも分かるが、院内の雰囲気と外の景色が極端に異なっているのに驚ける。

 吹き飛んでしまった者には気の毒だが、クロも無事保護された。

 ここは予定のまま、風呂遊びでニャンゝすべく大浴場に向かうとしよう。


 病院の外は相変わらず騒がしいく、身代金が嗚呼でも無い乞うでも無いとやらかしているが、そんな事はお構いなしで、大浴場には五人ばかりの女子共が屯していた。

 人質になった看護師達だが、外界との連絡や出入は制限されているものの、中での行動は自由である。

 風呂まで来る途中、小児病棟をうろつく着ぐるみにも出くわした。

 何処かで知った臭いで妙な気がしたので、その足首に噛みついてやったら頭の被り物を取った。

 中に入っていたのは、今やこの病院の院長様になった元診療所の偽医者事務員・芙蘭であった。

 腹が減って、入院している患者の食い残しをアサリにきていた。

 院長などと長のつく者だから威張り倒しているとばかり思っていたが、これでは路傍の残飯を拾い食いするクロとたいして変わらん。

 何とも下品でみすぼらしい。

 人間という生き物はなにかにつけ長の付く者を祭り上げ同じになりたがるが、何でもいいから長がつけばいいのではないと吾輩は悟った。

 院長というのは病院の長であるとばかり思っていたが、残飯あさりに長けた者の長である。


 犯人達が院内の動きに警戒している様子が無いのは薄々分かっていたが、ここまで自由にしている人質を見ると事件に遭遇した緊張感をまったく感じられない。

 もとより緊張感の無い吾輩でさえ、呆れかえる平和ぶりである。

 人がこれ程平和でいられるのであれば、猫である吾輩に危害が及ぶ事はまず有り得ない。

 安心して看護師達と風呂遊びをするのだよ。


 看護師達は脱衣所に入った吾輩に驚く様子も無く、素直に受け入れてもらえたのに少々驚いた。

 人間の男子であったれば、たちどころに半殺しにされる場面だが、猫の雄として生まれた事に心より感謝するばかりである。

 日頃より看護師は薄化粧の者であるから、風呂に入ったからと驚く程に人相が変わったりはしない。

 しかしながら、普段はマスクに隠れて見えない口元や、白衣に妨げられ拝めぬ物までマジマジと目の前に鎮座ましましたる光景は、何時如何なる時でも歓迎すべき事態である。

 風呂の水如きを恐れぬ吾輩の勇士に惚れたか、看護師どもが吾輩を代わるゝ呼んでは石鹸の泡を頭に乗せたりして喜んでくれる。

 この者達は吾輩が猫である事にすっかり安心しきって、椅子に座った者のどの辺りと吾輩の目線が一致するかなど気にも留めていない。

 人が人間以外の生物に羞恥心を持たないのは承知しての風呂遊びであるが、こうもあからさまにズラリと御並びましまっしゃったりすると、いやー、赤面するばかりである。

 もっとも、赤面したとてキジトラの毛に覆われた皮膚であるから、赤が緑でも気付かれはしないが、タラリと垂れた鼻血は隠せないもので、すぐさま抱え上げられ脱衣籠の中に敷いたバスタオルに寝かされてしまった。

 風呂に長く入ってのぼせたのか疲れたか、不覚にもそのまま寝入ってしまった。


 脱衣籠ごと風呂前の通路に置かれ、起きると吾輩の為に夕食の支度がされていた。

 丁度いい具合に腹も減っていた。

 有難く頂き、再び病院内の偵察に向かった。

 鼻血を出し過ぎて貧血にでもなったか、足元が危なっかしくふらついている。

 輸血してもらうか。


 外が薄暗くなって気付いた。

 ここまで来たのはいいがどうやって帰るか。

 来る時は人質入れ替えのエレベーターに便乗したからすんなり入れたが、何時になったら次の入れ替えが行われるのか、一切聞かずにこの場まで来てしまった。

 慌てて帰る必要はないが、どうも心細くていかん。

 この病院で知ったのは医者どもである。

 診療所と違い大勢の人間が出入する病院にあって、嗅ぎ覚えの有る匂いを辿ってゆくのは至難だが、何とか野生を呼び起こすしかない。

 先程から吾輩の足取りをチドリにしているのは、診療所ではあまり強くない消毒用アルコール臭であるようだ。

 あまり嗅ぎ過ぎるとよろしくない気がしないでもないが、医者達の匂いが同じ方からなので避けようもない。


 ようやくの事で、手術室と書かれた部屋の前に辿り付いた。

 もはや吾輩は疲労と異臭に、何が現実であるのか分からん。

 そこを、知った顔が覗き込み抱え上げてくれた。

 医者は自分の耳奥を指でチョンゝ叩くと、独り言で吾輩がここに居るぞとしゃべりだした。

 こやつもヤブと一緒で、妙な奴に憑りつかれているのかと一瞬あせったが、耳の中に通信機を仕込んでいた。

 吾輩を次の便で外に出す算段をしてくれたのである。


 暫く医者に抱えられたままでいたらベッドに寝た病人が運ばれて来た。

 なんとも辛そうで気の毒であるが、吾輩にはどうしてやる事も出来んと可哀想がっていたら、ベットの中に押し込まれケツにチクリと注射された。

 ここまでは覚えているが、起きた時には地下のテーマパークに帰っていた。

 何時ぞや海に向かう途中で、松林の住人に打たれた麻酔と同じである。

 声を大にして言いたい。

 吾輩は猛獣では無い。

 大人しくベッドに潜っていてくれの一言が何故言えない。

 もう少しだけ猫に対する優しさが欲しかった。

 痛いんだよ!

 注射は嫌いである。

          


 病院騒動は治まる気配が無い。

 診療所の誰もが出払ってしまい遊び相手もいない。

 津波があってから行ってなかった神社に巫女を訪ねてみると、三毛子が久しぶりと挨拶してくる。

 新しく巫女に揃えてもらった鈴の首輪を鳴らして喜んでいる。

「昨晩巫女さんに買って頂いたの、宜いでしょう」ちゃらちゃら鳴らして見せる。

「言われて聞けば良い音かな、そんな物付けた事がないから何とも言えないのだが」

「あらまあ、みなさんぶらさげてますわよ」またチリンチㇼンと鳴らして見せる。

 皆と言うが、吾輩の知り合いでそんな物を下げているのは三毛子だけである。

「いい音でしょう、あたし嬉しいわ」

 チリチリチリンチリンと立て続けに鳴らす。鬱陶しい奴だ。

「巫女さんは随分と御前を可愛がっているんだね」取り敢えず褒めてやった。

「ほんとよ。まるで自分の小供のようよ」三毛子があどけなく笑う。

 人間は人類より他に笑う生物は存在しないかの様に思っているが、間違いである。

 猫だって面白可笑しい事変が有れば笑うものだ。

 鴨川に行けばアシカでも金の為に愛想笑いをして見せる。

 笑う犬の画像は巷に溢れかえっている。

 カエルのアップも笑っているように見えなく無い。

 笑い顔を見た事が無いのは雀くらいのものだが、あいつらは生き様そのものが笑えるからそれでいいのである。

 猫が笑ってはいけない法など何処の世界へ行っても有ろう筈が無い。

「ところで、巫女さんは毎日何してるのですか」

「あら巫女さんだって、妙なのね。先生は猫の私より人間の巫女様の方が気に掛かるようですのね。前世はさぞかし立派な人間だったのでしょうね」

「前世はと聞かれても、知らんわなー」

 猫でも神社や寺で飼われていると、神だ仏だと宗教じみた言葉を覚えるらしく、三毛子は話の中でよく神様がナンダラどうだらと言う。

 特別嫌いではないが、神だ仏だは吾輩の脳では理解できない部分であるから、この手の話になるとどうしても噛み合わない。


 巫女は社務所での仕事が無い時は、舞々台で神楽の舞を稽古している。

 その舞いが日の光に鮮やかで、何時もうっとり眺めているのだと三毛子は吾輩に自慢する。

 自分が踊れる者ではなかろうに、話しながら神楽の舞を真似ている。

 その姿は同族の猫である吾輩が見ても滑稽である。

 餅に囚われてアタフタして居た時の自分もこの様であったのかと思い返して笑っていたのに、ケラケラと転げているのに気分を害した様で、三毛子が吾輩の尻尾をチャイチャイと手ではじいた。

 笑うのは失礼だと思っていたのだがと、しかたなく餅を食った時の一部始終を教え聞かせた。

 もう餅などと言う物は食わんと言うと、三毛子は好い物が有ると社務所に入ってから暫くして戻ってきた。

 見れば固そうな食い物をくわえている。

 巫女から餅菓子を貰って来てくれたのである。

 神社では正月に限らず、何かと餅を貰う機会が有って巫女ばかりでは食いきれない。

 放っておけば湿気などでカビが生えて困るから、餅菓子にして保存するのだそうだ。


 餅だが、診療所で見た物とは外見がだいぶ異なっている。

 固いのはもとより、所々に白い餅の面影を残すのみで、あとは茶黒がかっている。

 煮た餅の柔らかさは猫に食い難い物であるが、この様な菓子にして幾分固くなっていれば上手く食えるだろうと、勧められるままに食してみた。

 どうしたものか、同じ餅とは思えぬ固さで、女主人の家で何時も食わされていた猫まんまと診療所で出て来るカリカリ程の違いがある。

 魚や肉の臭いや味が付いている物ではないから、とびきり美味いといった味ではない。

 醤油に漬けて焼いた菓子で、香りと色合いからはそんな風であるが、ただ醤油だけの味ではなく少しばかり砂糖を混ぜているとみえて甘さが残る。

 成る程、餅もこのようにすればそこそこ食えるものである。  


 帰りに海岸を周って松林を通り抜けようと思い、ヤブの陣地にある朽ちかけたブルーハウスの中を覗くと、車屋のクロが古モーフの上で猫背になって大あくびをしている。

 三毛子と遊ぶ時間が増えて近頃はとんと御無沙汰のクロで、何かと探りを入れられては面倒だから見なかった事にして帰ろうとした。

 クロの性格は先刻承知だが、うっかり背を向けてしまったのである。

 見掛けたにも関わらず声もかけずに知らん顔をしてたりしようものなら、自分が嫌われたか馬鹿にされたかと勘ぐるのがクロで、何れにしろ僻み根性丸出しの結論しか出さない者である。

「何シカトこいてんだボゲ! どんだけお利口さんかは知らねえが、てめえ何時からそんなに偉くなったんだよ」

 病院での事件を忘れたか。恐ろしく威勢がいい。

 何時もどうりの反応を示すクロは、吾輩が三毛子と親しくなったのをまだ知らんと見える。

 教えてやりたいが、説明したからと到底それで納得するような奴ではない。

 まず適当いい加減いい塩梅にはぐらかし、出来うる限り安全且つ速やかに診療所に帰ると決めた。


「いやあークロ君久しぶり。相変わらず不細工だね。変な病気でもうつされたのかい」尻尾をたててプイッと一発かます。

 イタチの一発を喰らっても生き残った猫だけあって、吾輩の一発などはへでもないといった風に顔色一つ変えない。

 鼻っ面を二三度擦って怒る様子が無い。

「不細工だ? 俺が不細工ならテメエは………うー、その、なんだ、ダメだ。眠くてイケねえ」

 吾輩を罵倒せんがための語句を探っていたのであろうが、さっきの威勢はどこへ行った。

 大あくびといい頭の回転が何時にも増して鈍いのといい、クロは頗る眠たいようである。

「ちょいと何時ものような悪体が出て来ないくらいに眠いようだが、何か訳があるのかい」

「へん、わざわざ馬鹿にされたくて覗いたんでもあるめえに、俺の心配するなんざテメエも平和な性格だな」

 年季が入った馬鹿と御人好しは御互い様で、今更とやかく言われずとも分かっている。

 後々の参考の為、自分が馬鹿猫だと気付いて居るのいないのか、ちょいと聞いておきたいところだが、聞いてもどうせ無責任な斜め四十五度発言しか出て来ないだろう。

 とりあえず黙っておくか。


 日も傾いてくる頃である。さっさと帰ってぬくぬくしたい。

 すると、突然林の奥からブルーハウスの住人が大きな声を張り上げた。

「うおー? ここに隠しておいた鮭の粕漬がねえぞ。やられたよ、クロ猫が盗ったに違いねえ。今度みかけたら簀巻きにして沈めてやる!」えらい剣幕である。

 日暮前のまったりした空気を、漆黒の地獄へ引き摺り込まんばかりの怒号は、好まずとも遠慮なく吾輩の耳奥まで侵害してくる。

 騒ぎの渦中にあるべき当のクロは、騒ぎたけりゃ勝手に騒いでいりゃいいさとばかり、尚更眠たそうな目で吾輩を見ると、あれを聞いたかと尻尾で合図をする。

 クロばかり見ていたもので気付かなかったが、彼の足元には骨まで食い尽くされた鮭の粕漬の粕だけが、それはもうの無残に砂と混じって子汚く散らばっている。

「君、相変わらずやってるな」

 今までの行き掛りは忘れて、つい正直な感情が先だってヨダレを垂らしてしまった。

 鮭粕でいささか酔ったから眠かったのだと、その事に気付いた程度でクロははなかなか機嫌を直さない。

「何がやってるでえ、猫野郎。粕漬の一切や十切、おやつ代わりよ。しみったれた事言ってくれるんじゃねえよ。憚りながら車屋のクロだあ」と三度顔を撫でまわした。

 まだイタチの屁が臭いのか………。

「君がクロ君だと言う事は一㌖先からでもその比類なき体臭の脂っこさから分かるさ。たまに腐ったイワシと間違えるがね」

「知ってるのに相変らずやってるたあ、何をやっているってんだよ」

 熱心なのはいいが、超合金でも溶かしかねない濃硫酸並に危険な唾をこちらに飛ばすんじゃない。


 困った事になったなと思っていると、再び例の住人の大声が聞える。

「よう、親分よう。診療所に持ってく土産の肉までやられてるぜ」

 吾輩の住所に届けるべくして用意された肉の紛失と思える発言である。

「滅多に食えねえ牛肉がなくなったら騒ぐなとは言わねえが、随分とでかい声を出しやがる。どれだけ肉食ってねえんだか」

 クロがあざけりながら四つ足をふんばる。

 今の話をそのまま疑いなく信じるならば、本来吾輩の口にもいくらかは入ったであろう牛肉を奪って独り占めした犯人が、目の前で眠たそうにしているコイツという事になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る