7 見知らぬ所で新たなる主人との出会いは、実に美味い事ばかりである

 吾輩は怒る気にもなれないから黙って見ている。

「肉の一㌕くらいじゃあ腹の足しにならねえんだが、魚を食っていい心持ちだから仕方ねえ。いいから取っときな。診療所に土産だ」

 如何にも自分の肉であるかの如く言う。(今夜は御馳走だ。結構結構)

 吾輩はなるべく早く帰ろうとする。

「出所が何処だなんてのは御めっちの知った事じゃねえ。人間には黙っていろや」と言いながら、突然後足で酒粕が見えなくなるまで砂をかけた。

 その砂が吾輩の頭にもばさりと掛った。

 吾輩が驚ろいて体の砂を払っている間に、クロはブルーハウスから出てどこかへ姿を隠した。

 大方七の店前へ、客がくれるデザートでも貰いに行ったのであろう。


 診療所に帰ると今日は患者でない客が来ていて、早じまいした待合室は何時になく綺麗に片付けられている。

 真ん中にはでっかい鍋が置かれている。

 吾輩が好むスキ焼の準備をしているようだ。

 開け放したウッドデッキから上がってヤブのそばへ寄ってみると、松林の住人達が来ていた。

 何時もながらに小汚い身成であるが、食材の手配はこやつ等がしている様子でネギや白菜を切っている。

 ぼやぼやしていたら、中の一人に首根っこをつかまれて吊るし上げられた。

「おいおい、猫が肉持ってきやがったぜ」

 うかつであった。吾輩の銜えている肉は元ゝこやつ等の肉をクロが盗み取って来た物である。

 肉に名前が書かれているではないが、彼等にはタイミングが良過ぎる。

 吾輩にとっては過剰なバットタイミングである。

 丸焼きにされても仕方ない状況に、つい先ほどまでのクロとの一部始終を超早口で説明してようやく解放された。  


 結果として貴重な四足の肉を取り返してきてやったのだから歓迎されるべき所だが、その前に魚泥棒をしでかしたクロの親友という事で間接的な迷惑猫になっている。

 いささか肩身の狭い思いをしながら、小分けされたスキ焼を食っていた。

「明日は面白い趣向があるから、診療所に居るようにしてね」あおいに言い含められた。

 趣向が何であれ、尋常ならぬ戯事であるのは予想がつく。

 ヤブと松林の者達の会話と言えば「一緒に行きましょうよ」「いっやー、いくら先生の定宿だっても、俺達は入れてくれないっしょ」といった具合で、宿だか温泉だかに行くつもりでいる。


 松林の住人が帰ってからヤブが書斎に入ってパソコンを開くと、宿屋からメールが届いていた。

 毎年一晩の貸切が、今年は二晩の貸切でよろしいかとの確認である。

 宿を借り切っての宴会とは随分豪勢なもので、こいつが幹事を務めているならば、宴会はおろかツアーの総てが規格外になると見当がつきそうなものだ。

 それでも任せているのだから、世の中を諦めた者達の旅行である。

 病院は相変わらず占拠されたままなので、犯罪に近い適当な性格だと思っていた芙欄でさえ、院長として院内に潜入したままでいる。

 それを放置して、皆で旅行とはしゃいでいるのだから無責任の極みである。


 翌日、見慣れない医者が診療所にやって来た。

 吾輩がこの家に来る前、子供の頃から診療所に住み込んで手伝いをしていた者である。

 今では医者になってヤブ親父の病院を手伝っている。

 久しぶりに連休がとれたからと遊びに来たのだが、ヤブは最近の異常事態でいささか疲れが出たのか、風邪をこじらせたと寝込んでいる。

 病院の事件そっちのけで、昨日は元気にバーベキュー宴会と盛り上がっていたのに、随分と急な発病の上に重症である。

 吾輩がこの家に住み着いてからヤブが病気だと言って寝込んだのを見た事がなかった。

 もっとも、酷い二日酔いで起きて来ないのはチョクゝだった。

 病気が人間の姿でうろついている様な男だから、危篤の一歩手前にでもならない限り病だからと寝込みはしない。 


 病を気遣った見知らぬ医者が、ヤブに何か食いたい物はないか聞くと、港屋の岩牡蠣が食いたいと言い出した。

 牡蠣は吾輩の好物である。

 病に臥せっていながらも名指しで求める程の牡蠣とはどれ程美味い物か、一度食してみたい。

 その様なわがままには付き合って居られないと一度は断った見知らぬ医者だが、宿の手配だの具合が悪い時くらいわがままを言わせろだのと、執拗なまでの攻撃でついに撃沈した。

 嫌々ながらも、明日から遠方の温泉宿へ岩牡蠣を食いに行く話がまとまった。

 牡蠣を食いに行くと話が決まれば、診療所の女共は明日の支度に忙しく、働きぶりが尋常ではない。

 通常勤務であればダラダラ日暮まで患者を診ているのが、つまらぬ与太話でのらりくらりと暇つぶしをしている爺婆を機敏な動きで次々追い出している。


 この状況に少しばかり疑問を感じたのは吾輩だけか?  

 既に昨夜の時点で旅行は決まっていたのに、いかにも突然の事のように慌ただしくしている。

 ヤブと客の医者は二人で酒を飲んでゴロゴロしているが、はて、風邪だと寝込んでいたヤブが幾分元気になって見えるのは気のせいか。

 少ししてヤブは先に床についた。

 何時もは軽い風邪なら酒飲めば治ると患者を指導している男が、自分の事となると対処法は異なって来るようである。


 少しばかりの疑問にあおいが教えてくれたのは、今回の旅は毎年行われている小旅行に加え、今日来た見知らぬ医者の転属祝いを兼ねている旅行で、一度に二つの行事を済ませてしまう企みであった。

 この見知らぬ医者。吾輩がこの家に世話になるより以前に診療所を手伝っていた者なら、子供の頃よりヤブとは馴染みの深い仲である。

 ヤブの指導を受け医者になり、彼方此方の病院で修行を積んだと聞いていたが、師匠がヤブではどうせロクな者ではない。


 ヤブは早くに寝たもので、吾輩が見知らぬ医者の相手をしてやった。

 医者というからには祈祷師の仲間であるが、こやつの毛並は他の者と些か異なっている。

 全身色付きの柄で覆われ、背中には龍だの虎だの動物の様な絵にも見える柄がある。

 その真ん中には毘沙門天の模様まである。

 猫にあっては、毛がなくなるとその下の皮膚も同様に色がついているのと同じ理屈であるが、人間の皮膚に出た柄というのは見事なものである。

 この様に柄の有る種類の人間に出会ったのは初めてで、こやつは何故ゆえにこの様になっているのかあおいに尋ねると「ヤ・ク・THEだから」と教えてくれた。

 ヤクザならば刑事のヤクザや隣のヤクザ。多くのヤクザに会って来ているが、こやつのような柄者は初めてで、特別な種類か不思議であった。

 これも、あおいが「彼は純血種だから特別なの」と教えてくれた。

 人間には血統書などという理不尽な別け隔てはないと思っていたが、ここに来て血統書付の人間を始めて見た。

 人間でありながら血統書をつけられているのだから、さぞかし希少な種であるだろう事は他の人間とは毛並みというか皮膚の柄が違うので分かる。

 猫族の血統書付きが、毛並みや模様・背丈体型などで雑種と分けられているのと同じなのである。

 深く付き合うのでもない奴ならば特に気に入ってもらう必要もなく、先ほどから酔ったに任せて吾輩をグリゝしているが知った事ではない。

 無駄なゴロゴロなどしてやるものか。

 適当にあしらい、最後に猫キックをかまして逃げてやった。


 翌朝、車に乗って診療所から海辺の道を通って宿へと向かう。

 途中の道のり、歩道には水着という布っきれを身にまとった殆ど裸の女子が屯している。

 降りて一緒に遊びたかったが、この浜で遊んで行く気のない様子に、吾輩は酒漬けのマタタビを食ってしばし寝た。


宿に着いたら籠に入れられた。

 入れられはしたが、部屋に入ってからすぐに解き放たれた。

 宿は多くの者が出入する所であるから、病院と同じで猫が館内をうろついてはいかんと言う規則があるようだ。

 ここでもまた肩身の狭い思いをしなければならないのかと思っていたが、宿の女将が好い奴で、今日明日と貸切だから野放しでもいいと許可を出してくれた。


 宴が催されている場に顔を出すと、ヤクザ医者が吾輩を見て何だか妙だなと首を捻る。

 診療所を出てから車の中でずっと一緒だった。

 宿に着いてからは男衆と女子衆の部屋が別であった。

 女子衆の部屋に通された吾輩とは別室だが、今更吾輩が登場した事態をもって疑念を抱くのは、ここまでの道中こやつの眼中に吾輩は入っていなかった現れである。

 何とも失敬な野郎で、兎角血統書など付いた優秀な者達は、他の者を己より下等で不要な者と見なす。

 時として、意識せずともその思考の範囲から、下等な者の存在を排除して世の中を見る傾向にある。

 所詮コイツもその程度の男で、吾輩の存在が見えていなかったのである。

 このクズ野郎について、人の世の中にあって血統書がつくほどに優秀な者とはどの様な族かと少々興味が湧いてこないでもない。


 この宿でヤクザ医者は有名人であり、宿入りしてからいく時間でもないのに「やっちゃん先生」とあちこちから噂する声が聞こえて来る。

 女将もロビーなる一階の広間で吾輩を引き留め「ほんまにやっちゃん先生は偉い人どす」などと話して聞かせる。 

 ほんまにとかどすは到底吾輩のうちで聞かれる言葉ではない。

 旅の宿だけの事はあるもので、えらく遠方にやってきたとみえる。


 女将は吾輩が人語を解しているとは気付いていないで、何でもかんでも話して聞かせる。

 他に話を聞かせる者がいないのか。仕事の合間にわざわざ吾輩を探し出し、自分の部屋に呼んで馳走しながら話し掛けて来る。

 やっちゃんの事以外はたいして興味のない話しだが、聞いたふりをしてニャァと一声鳴いてやれば馳走してもらえる。

 ならば何度でも鳴いてやるまでの事。

 女将はそれをもっておおいに満足げである。


 話の御蔭で随分と事情が飲み込めてきた。

 ロクデナシのやっちゃんは子供の頃からこの宿に入り浸っていた者で、宿近くの病院に医者として赴任してきたのである。 

 いくら血統書付とはいえヤクザと医師。

 二束のワラジを履く者であるのに違いは無い。

 吾輩に良くしてくれた宿の者達に迷惑を掛けなければいいのだが、少々の不安が脳裏をチョロゝしている。


 海の見えるロビーで招き猫の真似をしながら外を眺めていると、凄まじく化粧臭い女がやっちゃんを訪ねて来た。

 車で少しばかりしか寝ていないと思っていたが、女将が使う例の馬鹿丁寧な言葉での出迎えや、診療所近辺では見る事のない異国の者かと見まごうばかりの厚化粧をした女を見るに、とんでもなく遠くまで連れて来られているのであろう。


 客の目の周りは狸を模したかの如く陰影に彩られ、女将から差し出された生ビールを一気に飲み干している。

 なかなかいい飲みっぷりである。

 猫にあってはビールを一気にグイッと飲み干すのが困難で、ひたすらピチャゝなめていただくから喉越しという感覚を知らない。

 代わりにビールの炭酸が舌にピリㇼゝとやってくるのを楽しんでいる。


 狸女が大ジョッキで二杯目か三杯目、やっちゃんがその前を素通りして行った。

 元より失礼な奴だから、待たせている客をシカトして通り過ぎて行ったからとて不思議ではないが、待たされている者が面白くない気持ちはよく分かる。

 分厚い化粧をもって己の存在を強く主張している者ならば、無視された屈辱の念は先ほど宴の席で吾輩がやっちゃんに感じた感情の非ではない。

 これは暫し目が離せない展開になる。

 生き招き猫用と女将が設えてくれた座布団から飛び降り、二人の近くへと駈寄った。

 同時に狸女が駆け出し、やっちゃんは強烈な破壊力を誇っているであろう飛び蹴りを背中にしっかり受けて倒れた。

 優秀な者と言われているわりには警戒心・反射神経ともに怠慢で、わめいて襲い掛かる攻撃に全く気付かなかった。

 病院に赴任して初日に自分が病院送りにされるとは、実にマヌケで不憫な奴と笑ってやったが、そこは優秀と印されただけの事はある。

 勝ち誇る狸女の下敷きに成りながらも「あんた、誰?」落ち着いた素振りで聞いている。

 われら猫族の間では、やっちゃんが現在置かれている状態と行為を総称して負け犬の遠吠えと言う。

 こうして見るに、人間の血統書とは猫の血統書程の価値もない事がはっきりと分かったのである。


 宴会で適当に飲み食いしている間に眠くなり、寝て起きたら妙な男にゴロゴロと遊ばれていた。

 吾輩は宿に置き去りにされ、これからはこの部屋の主であるやっちゃんを主人としなければならない事を妙な男が教えてくれる。

 診療所はここの処色々騒ぎが有り落着けないので、丁度いいタイミングでの宿変わりである。

 生れついての捨て猫野良猫で、何処のどいつに飼われようが拾われようが好き放題やって生きるのに変わりはない。

 ただ、残してきた者達の事が気掛かりである。

 クロやあおい達と離れて暮らすのは少々寂しい気がしないでもない、しかし何も死に別れた者ではない。

 機会があればいつでも会える。

 辺りを見回せば、海が目の前で食い物に不自由はない様子。

 暫くやっかいになるのも悪くはない。



 宿に下宿するやっちゃんの居候名目でここに住み始めたが、奴の部屋より女将の部屋にいるのが多い。

 女将はよく部屋で菓子を食う。

 それは女主人も同じであったから、人間の女というものは男の目を盗んで菓子を食う者だと理解していた。

 しかしながら同じ菓子を食うにしても、女主人と女将とでは姿が違う。

 女主人は食ってすぐ後から大いびきをかきヨダレを垂らしながらの昼寝が待っているから、忙しなくガツガツといく。決して美しいとは言えない景色である。

 それに比べ女将が菓子を食う姿は優雅で、でっかい丼茶碗に緑の粉を入れ、そこに湯を注いぎシャカゝした水物と一緒に食う。

 やっちゃんがときたま部屋で食っているカップ麺と同じ要領でいただく物だから、さぞかし美味いだろうと一度女将にねだってもらったが、具のない苦い汁だけで決して美味くない。

 こんな物かとがっかりしていると、皿に有った菓子を一欠片差し出された。

 後々知ったが、これはカステーラという西洋の菓子で、ほのかに香る卵の匂いが鼻をくすぐってくれる。

 しっとり柔らかい食感と共に口中へと広がる甘みは、白砂糖ばかりの薄っぺらな甘みではなく、コクのある奥深い味わいである。

 女主人・ヤブ・やっちゃんと、何人かの主人らしき者と暮らして来たが、ただの一度も誰一人としてこの様に高級な菓子を食わせてくれた者はいなかった。


 この宿にあって吾輩はVIPである。

 その証拠に、やっちゃんの部屋から外へと吾輩専用の自動扉が設けられている。

 今直ぐにでも朽果て、崩れたがれきの下敷きになってしまう危険がマックスの診療所とは雲泥の差である。

 診療所の出入り口は、猫に限らず小動物であればどんな族でも中に入れていた。

 いつぞやは野生のキジが迷い込んできて、その夜には土鍋の中でグツグツとやられていた。

 キジ鍋という食い物に変身したのである。

 風邪の強い日などは、勝手にギーバタンギーバッタンと揺れていた。

 ウルセエのなんのって、おかげでそんな日は必ず寝不足。吾輩の目は充血していた。

 この宿に来てからというものそんな災難とは縁遠い。

 首輪に着けた発信機で扉が開く仕組みになっていて、扉が無駄にギーバタ開閉したりしない。

 訳も分からず首輪を付けられた当初は、くすぐったいやら動きにくいやらでほとほと閉口したが、今となってはすっかり慣れて電池の交換で外されると首根っこがスーっと薄ら寂しい。


 この自動扉から壁づたいに行き左に折れると、海岸に降りる木の階段がある。

 海に用事の無い時は、階段を横目に犬走を歩いて露天風呂に出る。

 客と同じ風呂に入ると嫌がる者もいるので、猫専用に作られた浅い浴槽の風呂に入る。

 男湯女湯両方にこの猫風呂はあるが、もっぱら女湯の方を利用している。

 時たま女湯に客がなく男湯から吾輩を呼ぶ声がすれば、そこはサービス第一の宿に住まう猫として愛想笑いで接客する事もある。

 如何せん男の裸は趣味でなく、出来る事ならば見たくない。


 女将の部屋からは宿の客用正面入り口と、調理場への勝手口がよく見える。

 たとえ休憩していても御用聞きや客が来れば直ぐに出て行けるよう、何時でも外を眺めているのが女将である。

 外を眺めていた女将が「足湯があるとええわねー」と囁いた。

 何日もしないのに、宿の真ん前でホッくり返しひっくり返しが始まった。

 なんと騒がしい事かと思いながらも、ユンボがギクシャクと動く姿は懐かしく暫く、様子を見ていると知った顔のオヤジ連中が休憩時間にタバコをふかし始めた。

 もしやと思い外に出て見ると、松林に住まう者達であった。

 ユンボは診療所にいた奴で、吾輩が可愛らしくニャーと声をかけてやったのに何の返事もない。相変わらず不細工である。

 鳴声に気づいた者が、宿から出された茶菓子で吾輩を釣ろうとする。

 馬鹿野郎。老人会の寄り合いでしか出てこない駄菓子に釣られるほど安っポイ猫ではないぞと思ったが、久しぶりで懐かしくてついつい食いついてしまった。

「オマエがなー、仲良くしてた神社の三毛なー………死んじまったなー」ナデナデ。

 聴いてないよ。何時死んだんだよ!


三毛子の悲報にめげて日々朦朧と過ごしていたが、足湯が完成して宿の前が賑やかである。

 野次馬根性と御友達の吾輩としては、覗きに行かないのはポリシーに反する。

 少々ウツ傾向にあるので外出が面倒であったが、足湯見学に外へ出て見た。

 人間は何ともつまらん事に喜ぶ者で、足だけ湯に浸してぬっくいゝとやっている。

 中途半端に浸かっていないで肩までドブッといった方が暖かろうに、猫でも入れる湯が怖くて全身浸かれないのもいると見える。

 御めでたいばかりの人間がキャッキャと無駄に明るくはしゃぐ生態を、見ても聞いても混じっても、加える事に足湯をチョコゝいじっても、吾輩の虚ろな心は晴れる筈もない。

 思い返してみるに、此処に来て随分久しいが、他の猫を見かけた事がない。

 この地域には猫が住んでいないのか。

 それとも猫狩りが盛んなのか。

 猫を食う族の居住区でもあるのか、ハンバーガーのミート君にされてしまったか。


 天涯孤独の猫ゆえ、何処に行っても生きて行けると虚勢を張ってはいるものの、気持ちの奥底では三毛子やクロに会いたいのである。 

 それが、会いたい猫一位の三毛子が死んだと聞いては、いかに強靭な精神を持った吾輩でも、ちょっとだけあっちの世界に逝ってみちゃおうかなという気になる。

 都合よくと言うべきか運悪くと言うべきか、温泉情緒を容赦なくぶち壊す赤いの白いのリボンが、足湯で柱と柱の間に輪っかを作って吾輩を呼んでいる。

 輪の中に首を突っ込んでひょいとぶら下がれば、きっと三毛子に会えると思い、リボンをチャイゝしていたら招き猫に間違われた。

 居合わせた客やら地方新聞の記者やミニコミ誌の連中に、肖像権を蔑ろにして写真を撮られまくった。

 そうなってくると根っからのサービス精神に火がついて、あれやこれや逆立ちだってできるもんねーとポーズをとってやる。

 これを見たギャル達が「キャー、キャワブユイ」ときたもんだ。

 可愛いのか不細工なのか、どっちなんだよと思いながらも、キャーとか言われるとスリスリゴロゴロしてしまう自分の性の何と卑しい事か。

 とりあえずぶら下がるのは後に回し、接客に勤しんでいたら輪っかがなくなっていた。

 片付けられたリボンを見れば、チッコイ死神が絡まって身動きとれずに息絶えている。

 吾輩は一瞬、あのチッコイ奴に憑りつかれたようである。くわばらくわばら。

 危うくその気になって迷わず逝くところであった。


 愛しい者との死別は酷く辛いもののいかんともしがたく、ただ時が解決してくれるのを待つばかりかと思っていたが、まんざら他の解決方法がないでもない。

 これ程キャワブユがってもらえるのであれば、裸風呂ばかりでなく足湯にもチョクゝと顔出していれば少しは気が紛れる。

 ニャンと鳴いてやったら菓子がもらえた。もう一度ニャンと鳴いたらナデナデもしてもらえた。

 こっちにも来いと呼んでくれるのは有難いが、たとえ人間でも汚い男は吾輩の潜在意識とDNAが嫌いだと表明している。

 できるだけ遠避けて若い女子衆の処で過ごすのが、心のキズを癒すには一番よろしい様である。


 この宿に置かれた時に部屋で一緒した妙な奴。

 ハリネズあだ名されている男が、吾輩の姿写真をカレンダーにして売るからとカメラマンを連れてきた。

 この間などは吾輩の招き猫サービスに感激した者が、遠く北海道から自分で作った夕張キングなるメロンを送ってくれた。

 だんだん人気が上がってくるに従って、己が猫である事はようやく忘却してくる。

 猫スタンスであった者が、いつの間にか人間寄りの思考に走る傾向を示しているのである。

 このまま人間になって、主人と同じに先生と呼ばれる日も遠くない気分になる時がある。

 それのみか、既にやっちやんを主人ではなく、同類同等の立場にある者として見ている自分の何と進化したものかと自画自賛。

 猫族が劣っていると卑下するのではない。

 ただ、毎日多くの人間に囲まれ同類であるべき猫に遇えずにいる。

 これを気まぐれとか軽い奴だ逆族だと言われても、自分の意にそぐわぬ事実をもって評価されるのであるから迷惑な話で、表の目立った事ばかりを取り上げて罵倒する者は融通の利かない木偶である。

 こうまで人化が進んだ猫を化け猫などと毛嫌いする者もいるが、多少の悪い噂は有名税と諦めるとする。


 三毛子やクロの事を思ってばかりはいられない。

 宿の収益アップに貢献している者として、当然に同等もしくはそれ以上の待遇にあってしかるべき猫である。

 猫族の生活向上の為にも、吾輩の如く社会に影響する力を持った者は、積極的に発言してゆくのが責務と思う。

 このような見識を有する吾輩を、そんじょそこらの野良猫程度にしか思っていないのがやっちゃんで、食べごろまで待っていた夕張メロンを何のことわりもなく食っちまった。

 そこまででも許せないのに次やった事は、食って終わった皮さえ吾輩の物とせず、さっさとゴミとして片付けてしまった。

 猫がメロンを好物としているのを知らない大タワケ者を、主人と言うも思うも悍ましい。

 世間様は吾輩の主人をやっちゃんであるとしているが、猫の事など気にもとめない傍若無人の者である。

 そんな奴を主人とは思わないと決めているから、今は女将を主人と決めている。

 しかし、吾輩も他の者と同じにこの男をやっちゃんと呼んでいる。

 これは親しみを持って言っているのではない。

 良い奴と感じていない者にちゃん付けもないが【やっ】だけでは語り難いので仕方なしのちゃん付けである。



 宿前の海岸は診療所近くの浜と景色がまったく異なっていて、松林もなければそこに住まう住人もいない。

 真ん前の海岸を勝手に住所にすると営業妨害になるから住まう者がいないのかと思ったが、満潮の時には海岸から一間高くなっている石垣まで潮がかかる。

 テントの一張も作れん状態になってしまうからであった。

 海岸は砂浜と岩場が混在しており、潮が引けば岩場にはいくつもの潮だまりできる。

 吾輩はこの小さな生けすに取り残された魚や貝と遊ぶのがことのほか気に入って、天気のいい日は必ず浜に出る。

 僅かな海水に広がったイソギンチャクをツンツンし、シュンとしぼむのを見るのも好きである。

 岩にへばりついた魚の死骸を食いに来る蟹と戯れるのもまたよろしいもので、ときには間違ってガリッとやってしまう事もあるが、そうなったらもったいないので有難くいただいている。

 ここに来るまで蟹という物は塩っ辛いばかりで美味くなかったが、岩場を徘徊する小型で未調理の蟹は塩辛くない。

 殻が固くて味気ないのが少々難であるが、汁気だけをいただくならば人間が食している大振りの蟹よりこの方が嗜好にあっている。


 海岸を歩いていると、宿に泊まった客が吾輩を見つけ一緒に遊びたがる。

 診療所と違い誰もが自由に行き来できる浜を歩いているのだから咎める者もなく、吾輩に寄ってくる者は皆猫好きであるから毎回愉快にこの者達と遊んでやる。

 風呂で裸を見るのもよろしいが、こうして傍目に健全な御付き合いもなかなか捨てたものではない。 


 宿前の海岸が夏の海水浴に適しているとの宣伝を宿ではしていない。

 したがって海水浴客の姿をこの海岸で見掛けるのは希である。

 常連の中にはこの事を知った者もいる。

 水着に着かえて宿から出てくる者もあるが、温泉宿としているものだから若いギャルは少なく、何時でも海岸は貸切の状態になっている。


 数少ない水着ギャルと波打ち際で戯れていると、海岸から見える駐車場の一角でやっちゃんがバーベキューを始めた。

 診療所にいた頃は事あればバーベキューで飽きゝしていたが、ここに来て暫く食っていないから懐かしくなって寄ってみた。

 この男はヤブにも増してケチくさい奴で、ピッチピチの水着ギャルを伴って来てやったというのに、吾輩には挨拶もなくギャルにばかり焼けた肉や野菜・大きな海老まで分け与えている。

 吾輩が優先に食すべき権利を有した夕張メロンを独り占めしておきながら、礼の一言もいわん男だから根性曲りは今に始まったのではない。

 一度かみ殺してやりたい人間の一人である。早く大きくなりたい。


 ギャルの足をチャイゝと優しく撫でれば、キャッと言って肉の脂身を地面に置いてくれる………気持ちは有難いが、拾い食いはしないから。

 言って分かるなら苦労はしないもので、この街に住む者に猫語の話せるのが一人もいないとは困り果てた地域である。

 見かねた女将が吾輩用に、十四代目柿右衛門の器を持ってきてくれた。

 宿に迷い込んだ子猫にこの器で飯を食わせていると、決まって泊り客が子猫を高値で買い取ってくれる不思議な器だと自慢しているが、器の価値を知っていてやっているとしか思えない。

 どこかで聞いた事のある話である。

 高価な器に盛られた残飯は美味い。

 よく焼けた海老の頭に尻尾の抜け殻や取り損ねたハマグリの貝柱に、デブの元と女子が毛嫌いし遺棄された脂身。

 どれもこれも吾輩の好物である。


 宿では客が残した刺身で海鮮丼を作ってくれる。

 こんなに美味い物が世の中に有ったのかと感激したのもつかの間、毎日となると別次元の話となってきていた。

 贅沢病と言ってしまえば簡単だが、同じ物ばかりを食い続けると体調が崩れて来るもので、魚ばかり食っていて抜毛が増えて来たと気にしていると、尻の辺りが薄っすら涼しい。

 吾輩をナデナデしていた女将が尻ハゲをいち早く見つけてくれて、動物専用の病院に連れ出してくれた。 

 病院とは人間だけが行くとばかり思っていた。

 吾輩は診療所に住まう猫であったから、特別に治療してもらえるのだと信じていたが何の事はない、猫の専門医に支払う御足をケチっていただけだとここに来て判明した。

 この動物病院なる施設、犬猫病院と入口の看板に書いて有る。

 犬も猫も同じ扱いの上に、あの下等で卑しい犬如き生物を看板表記の猫より上に書くとは何事か。

 ハゲを治してもらって感謝はするが、呼び名がまことに失礼な病院である。



 太陽ギラギラで暑かった頃は駐車場でのバーベキューが流行った。

 吾輩はおこぼれにあずかりっぱなしで目覚ましい夏太り。

 この宿の守護神として風格は出たものの、贅肉がだぶついて機敏な動きと優雅さを失ってしまった。

 吾輩としては非常に残念な結果であるのに、宿に来る者はおろか女将や板前・仲居にいたるまで、異論なく吾輩の風体を見て和んだ顔となる。

 デブった猫がそんなに面白いか。ならばクロはもっと太いア奴がここに来たならば、一躍スターの仲間入りである。


 涼しくなってからは外で一緒に遊ぶ者も減って、余計に飯を食わなくなったから元のスレンダー美猫に戻った。

 暑い時期に暇してロクに仕事もしない医者だったやっちゃんも、病院の改修工事とやらが落ち着き本格的な医者仕事に励んでいる。

 食欲の秋などと言うが、吾輩はその分を夏に食ってしまっていたので今は特別食いたい物もない。

 出されるのをそのままいただいているだけである。


 診療所ではたまにパンが食えた。

 それはクロが近所のガキ共から朝のパンを盗んだ事件をきっかけに、あおいが気遣って吾等の為に出していてくれた物だから、和食ばかりが残るこの宿の猫となっては望めぬと諦めていた。

 それが、美味いパンにありつける幸運がやってきた。

 病院の中にある雑貨屋からパンを譲り受け、海鳥にくれてやると持ってくる者が現れたのである。

 吾輩がこの宿に来た初日、勇ましくもやっちゃんに飛び蹴りを喰らわし、あの者を従者とした狸女である。

 最初に見掛けたその日には、目の周りが狸の如き様相であったから狸女と呼んでいるが、常に狸の化け損ないでいるのではない。

 あの時はビールを吞んで酔っていたので本性を表し、狸やパンダに共通の特徴である目の周り黒塗り模様が出てしまっただけのようである。 

 海鳥にパンをくれる時などは特に朝早くであったりするので、妖力も充実しているから見事人間そっくりに化けておる。


 狸なのだから猫語を解しているとばかりに話し掛けるが、ほんの少しも理解してくれない。

 狸は一度妖力を身に付けると、野生の優れた能力が妖力と引き換えになくなってしまう者とみえて気の毒である。

 それでも元は猫語を解していた者だけあって、吾輩の望をいとも容易く読み取り、海鳥に授けるパンを差し出してくれる。

 後に知ったがこのパンを、人間は廃棄処分と称している。 廃棄弁当といい廃棄処分といい、人間の言う廃棄とは猫にまっこと美味なる物が多い。

 しかしながら、この廃棄処分なるパンの中には味違いの種類が多くあって、中には吾輩の高貴な口に合わない哀れな物もある。

 カレーパンというのは中の餡が辛くて食えんし、口の中でネチッと粘っこく甘いだけなら許せるのに酸味を含むジャムパンと言う奴も苦手だ。

 これに比べ油のタップリ塗られた類のパンは、猫にとって大御馳走である。


 狸女は好き嫌いしないで何でも食べなきゃだめよなどと言うが、好き嫌いせずになんでも食って死んだ猫を何匹も知っている。

 好き嫌いは猫にとって命のかかった我がままであるから、こればかりは譲れぬところである。

 もっとも、毒キノコを生で食っても平気な奴を一匹だけ知っているが、例外中の例外。

 廃棄弁当の美味さを教えてくれたのは松林の住人である。

 パンを常食とできたのはクロのお陰であった。

 今頃どいつもこいつもどうしているか、この宿で世話に成ると決まった日から誰とも連絡がとれないままになっている。

 海岸伝いに歩いて行けば、何時かあの懐かしい松林に辿り付けるのは分かっているが、女将の言葉使いから察するにここは恐ろしく遠い地に違いない。



 ここに来て初めて、不思議な誕生日会に招かれた。

 病院で催されるクリスマスの宴に、ゲストしとして迎えられたのである。

 通常ならば猫はもとより犬猿キジなど、太古より下僕として人に命まで任せた畜生でさえ立ち入れぬ聖域であるのが病院である。

 仮に入れたとしても、籠に入れられその身の自由は奪われるのが万国共通のしきたりとなっている。

 テロリストにより乗っ取られた施設内部を偵察するなどの緊急事態を除いて、吾輩とてそう容易く立ち入れるものではない。

 今回は特別中の特別で、籠も綱もなしで自由に中を歩いてよいとの御許しが院長から出ている。


 案内されるまま催し物会場に入ると、中にいたのはジャリ餓鬼ばかり。

 日頃から病に憑りつかれ、ここに入り浸っている者だと教えてもらった。

 予備軍とはいえ仮にも鬼である。ジャリ餓鬼に憑りつく病とはどの様な者か、何れ物好きな奴に違いない。

 入院の長い者はペットに触れる事もままならず、日々寂しい思いをしているから遊んでやってくれと、狸女に頼まれたから来てやった。

 ペットなどとプライドの欠片も持ち合わせぬ者達と同類にされるのは心外だが、パンの恩に応えねばとの礼儀である。

 てっきり酒が吞めると勇んで出向いてやったのに、子供を楽しませる宴であるから酒はないときた。

 会場に着くなり、ジャリ餓鬼どもにイングリモングリされてへとへとーー。

 こんな事なら来るんじゃなかった。

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