5 ヤブ医者と一緒に家出旅

 病院の乗っ取りとやらが終わり、吾輩はちょっとだけリニューアルオープン前の施設見学に行けた。

 勿論、何とかちゃんのぶら下げた籠の中に入っての事で、御気の毒様でクロはこられなかった。

 診療所でさえ、患者の居る時のクロは出入り禁止である。

 日に何百人もが来る病院では、せいぜい外でウロウロするしかない。

 そんなんでは来ても面白く無いであろう。

 その点は吾輩も同様で、籠の中では身動きさえままならん。


 病院の玄関で、まっことにタマゲタのはその広さである。

 常から石の建物は診療所の近辺に小学校という施設があるだけで、あそこは幼稚園で基礎訓練を受けたジャリ餓鬼が更なる悪魔への修行の場としている上級悪魔養成施設である。

 猫族にあっては、この様な危険エリアには近付かないのが長寿の秘訣とされておる。

 あの勇敢なクロでさえ、遠目にジャリ餓鬼の修行風景を眺めるのみだ。

 まして一生に一度でも石の建物の中に入いり、何かをやらかすとは思っていなかった。


 診療所に比べここの天井はえらく高い。

 天上の光るガラス玉を交換するのに、診療所でさえ踏み台に乗らなければ届かないというのに、ここでは先が見えぬほどの踏み台を使わなければ手が届かない。

 実に不便である。

 寒くて火を焚いたにしても尋常らしからぬ広さである。どうやっても温まりそうに思えない。

 人間は何故ゆえこのような無駄に広い空間を喜ぶのであろうか。

 猫族にあっては『座って繁盛寝て一城』などと言い、どうせ座っておるならば座布団一枚も有れば事足りようし、座ったまま手でも挙げてやれば客足がなびく。

 商いを生業とする商家では心地良くもてなされる。

 また、座布団一枚の広さでもあるならば、そこに寝れば猫でも一国一城の主と成れるという諺である。

 人間界にはこのような謙虚な気持ちを持ったれば、居心地よく生きられるとの格言は存在しないのであろうか。

 広いだ豪華だと見掛けばかりに心を囚われ、己の気持を見失い、ただ他人の言うがままに翻弄されている。

 物の本質を知らんのは人の人たる所以であろうが、何時もながらに情けないばかりである。


 玄関を抜けて最初に向かったのは、大浴場という場所であった。

 ここで始めて、吾輩は籠から出され自由の身となれた。

 浴場とは風呂場であるくらいは心得ているが、何処を向いても風呂など無い。ただ広いばかりの談話室である。

 診療所にあって吾輩の楽しみの一つに入浴がある。

 人間は、猫ならば一山同じに風呂嫌いと決めつけている。

 それはクロのような極端に水を嫌う者もいるが、猫族の王である虎の血を引く我らトラ猫にあっては、入浴好きが数多くいる。

 湯船につかるのは好きでは無いが、女人との風呂遊びは飛切り好みである。

 なんともあのプルゝとしたヌユユが麗しく、たまらんのである。

 大欲情というからには大が付くほどあんなことやこんな事の風呂遊びが出来ると期待していたのに……。


 暫くすると談話室の先の戸が開けられ、吾輩を女子衆が皆して呼んでいる。

 何があるのか呼ばれるままに向かって覗いたら、大である。

 診療所の風呂が幾十も納まりそうな石だらけの池、この池総てが風呂だという。

 これはまさに無駄に広いの究極。

 今日はこの風呂に入れないが、ダダ広い風呂場で大勢の女子と戯れられるのであるなら、吾輩は無条件に人間の作る無駄な物大歓迎である。


 大浴場から出ると、再び籠の中に入れられた。

 ここは診療所と違って、猫が室内をうろついてはいかんのである。

 吾輩の入った籠をのぞき込んで「アリャー! アイン来たんかい」と挨拶をする一団がいる。

 薄ら寝ぼけていたが大きな声に起こされ、そ奴等を良く見れば何度か診療所で出会った事のある医者達である。

 人手不足の病院に助っ人として派遣されていると、あおいが後で説明してくれた。


 彼等の格好は何時もながらに奇抜で、白衣の下はまだ涼しいというのにバミューダ。夏真っ盛りのバケーション気分である。

 祈祷師らしく、ドクロや死神などが描かれたシャツを着ている。

 病院ではBGMという音楽が流れており、診療所に手伝いに来る医者どもの趣味で、恐ろしくヘビーでメタルなデスのロックを流している。

 石の建物の中でも平気でいられるだけあって健康的な患者達は、鼓膜もつんざけんんばかりのロッキンロールにも平静である。中には足で拍子をとる者もいる。

 診療所でこの様な音楽を流したならば、半数はたちどころに仮死状態となるに違いない。



 隣の有朋組から届け物があった。

 隣であるからそそくさ持ってくればいいものを、足がつくからとか訳の解らん話をしている。荷に足がつくものか。

 配達の痕跡を絶ちたいのであれば、尚の事直配達がよかろうに。


 荷をほどくと、中から多くのパスポートという手帳が出てきた。

 海の向こうの世界に行く時に必要なの物で、貼られた写真は見慣れた松林の住人である。

 見た事無い者のパスポートも多々有るが、どれもこれも聞いた事の無い名で、それは松林の住人も同様に横文字名である。

「のう、あおい。こやつらは日本の者ではなかったから、松林のような定住に適さない場所に住まざるをえなかったのか?」

「これはね、偽造パスポートって言うの。偽物!」

 あいやー。とうとう吾輩が信頼を持って親交しておる松林の住人まで二つ名の者となって悪事に手を染めるのか。

 いやはやヤブという男、つくづく救えん悪党である。

 有朋が持ち込んだ金で病院を乗っ取るのはいいとして、税金を払いたくないばかりに、怪しい金の洗浄をする為に松林の住人を手伝わせる気である。

 善良であった者達まで巻き込んで、今度は何をやらかすものやら。きがきでならん。

 実の親が率先して共犯でいるというのだから始末に悪い。

 長々と世話に成って来たが、とうとうヤブも逮捕となるのか。

 今は何かとあおいが診療所を取り仕切っているから、直ぐにおっ潰れるでもなさそうである。

 ア奴等が親子そろって逮捕されたとて住まいに困らん様だからして、好き勝手にやればよかろう。


 昼も日が傾いた頃になって、松林の住人が偽造パスポートを受け取りにきた。

 何時も超が百個つく汚い野良着である者達が、今日に限って借金取のようなスーツに首紐をしている。

 ヤブの親父から大枚を受け取り、これから日本全国に散らばり住んでる仲間に、偽造パスポートを届ける旅に出るのである。

 吾輩も住人の一人に北海道へと誘われたが、北海道は海の向こうだと聞いてビビった。

 何も無理して地に足のつかん乗り物で遠くに行かずとも、土産の一つも持って来てくれればいいと丁重に御断りした。

 鉄の塊が空飛ぶんだぞ。あんな物に乘ってられっかよ!


 第一団が出発した午後も遅くになって、第二団が診療所にやってきた。

 この一団は海外に住まう住人を招くのに、明日の飛行機で成田を発つ。

 わざわざ世界各国から生活苦の者を集めてどうするのか、単純な資金洗浄とは思えん。

 有朋組も絡んでいるとなると、あれだけの銃火器を準備していたのだ、いよいよ兵隊を集めてクーデターでも起こす気か。

 ヤブ親子が逮捕されようが死刑になろうがいっこうかまわんが、クーデターとなると話が違ってくる。

 当然一緒に住んでいた者まで共犯の疑いを掛けられ、あらぬ詮索をされ脅され嫌がらせと、良い事などありはせん。

 そうなっては、あおい・キリちゃん・何とかちゃんが不憫である。

 何とか思い留まる様願ったが、ヤブは親子して低能で猫語を微塵も解さん。

 あおいに通訳を頼んだら「困っている人達に日本に来てもらって、助けてあげる準備をしているのよ。アイン」とな。ふーーん。

 ヤブが親子して善行に励んでいると言うのか。

 普段が尋常でないヤンチャな者である。にわかに信じろと言われて、はいそうですかと安心できるものでは無い。

 用心に超した事は無い。これからの局地戦に供え、食糧の備蓄に励むとしよう。


 この夜は御多分にもれず、成田組と和気あいあい深夜までバーベキューでにぎわった。

 吾輩はクロにも情報を与え、バーベキューの残りなどをせっせとコタツ部屋に運んだが、夜明けまでにクロが全部喰らい切ってしまった。

 底抜けの食いしん坊と一緒では、サバイバルを生き残れないのである。



 一度ヤブに言ってやろうと思っているのだが、事有る度にバーベキューは何とかならないものであろうか。

 病院のリニューアルオープンで、駐車場にどでかい鉄板を敷き、その下から炭火の上に肉だ野菜をぶちまけている。

 豚の餌のようにかき混ぜ、皆して美味そうに喰らいついているのだ。

 思うに、百人からの招待客ではこの様にもてなすのがよろしいのであろうが、眺めが下品でならん。

 仮にも我らのように高貴な猫族との共存を許されたる人間が、豚にやるのと変わらんエサ状態の焼き肉を好んで食うとは思わなかった。

 猫でも余程腹が減っていなければ、クロ以外はそうそう容易く拾い食いなどしないものである。

 それがこの状況は、下から炭火であぶった鉄板で焼かれている肉とはいえ、置かれた高さはブロック分の地高二十㌢である。

 拾い食いと何ら変わらん。

 それに焼くものが大量であるから、使うにことかいてスコップでまぜこぜしている。

 焼き始める前に新品ですからとスコップを見せていたが、スコップはスコップである。紙コップでは無い。とても食い物をこねる道具とは言い難い。

 いかに前向きに考えようともこればかりは食えん。と、意地をはっていたが空腹には勝てなかった。

 それでも、紙の皿に取分けてもらった物を食えば十分である。

 ところが、猫族の恥部とも言うべき我友まで招待されていた。

 客の中に車屋の主人がいて、一緒にクロがついて来ていたのである。

 目の前で駐車場の黒い地べたに落された物を、片っ端から拾い食いしている。その様はまるで掃除機である。

 当然、松林の住人も招待されていると思っていたが、誰一人として来ていない。

 不思議に思っていると、見慣れた者が現れた。

 そのままヤブ親子を連れて中庭の方に行くので、吾輩も一緒になってついて行く。


 中庭では、松林の住人達がせっせと松の木を植えている。

 どこからかっぱらってきたかは明白である。

 松林に行く度に吾輩が爪をといでいた松で、樹皮の一か所が剥げている。

 寂し過ぎる中庭だったので植木を持ってきたのだが、実に安上がりな祝いの品である。


 驚き喜んで話し込むヤブ親子の向こうに、久しく会っていなかったユンボの奴を見つけた。

 今日も楽しそうにブイブイいわせている。

 寄って行ってキャタピラというひざっ小僧に乗ってやった。

 最初はムカデ足キャタピラは好かなかったが、こうして久しぶりに会うとなかなか嫌える者でもない。

 最近では随分と動いて血行もよくなったであろうに、相変わらずコヤツのひざっ小僧は冷たい。

 丁度医者も大勢いるし、病院には薬や祈祷の道具が揃っている。

 あおいにコヤツの冷え性を治してやってはくれぬかと頼んだら「ユンボ君はねー。車だから冷たくってもいいの」

 車族には普段から冷たい者が多く、爬虫類の血筋かと思っていたが、よく見れば車族の一に見えなくもない風体である。

 それならそうと早くに言ってくれぬか、看板でも背負って自分は車族であると謳ってくれれば、妙な心配も行き違いも無かったものを、まこと無口な奴である。

 今はユンボも休憩である。

 久しぶりだから吾輩はユンボにスリスリしてやった。喜べユンボ。



 ヤブがベックラこくほどでかい救急車を買った。

 ここのところ金回りが良過ぎる。

 どこからそんな大金が湧き出たのかと考えるに、最近になって始めた悪さの見返りであろう。

 有朋が持って来た一億ドルでどれだけの物が買えるか知らんが、他所の国の金では日本で使えん。宝の持ち腐れである。  

 それにしても大きな救急車で、病院の駐車場に停めているのだが、他の車の五台分の場所をとっていて近所迷惑な奴になっているとあおいが教えてくれた。

 ヤブが海に行く時に便乗したら、松林の狭い道で何本か松をなぎ倒した。

 それを片付けるでもなく、帰りに倒れた松を踏み越えている。

「これも自然だなー」何処が自然じゃ! 己がなぎ倒した松であろう。


 てっきり診療所で降ろしてもらえると思っていたのに、ヤブの畜生! 吾輩を乗せたままキャンピングカー仕様救急車のロクちゃんで家出をかましやがった。

 新しく始めた病院に手伝いでやってきた医者仲間から、患者の父親で性悪なのが居るから、殺しちゃっていいかと相談されて昨日からそわそわしていた。

 答えに困っての家出であるなら猫を巻き込む事なかろうに、加減を知らないフザケタ奴だ。

 精神衛生上よろしくない深傷でもなかろう、とにもかくにも吾輩に関係の無い事である。勝手に困っていてもらいたい。


 産れてこのかた診療所と海界隈しか知らん者である。

 そんな純真無垢な猫を放浪の家出旅に連れ出すとは、何の考えも無しの生き様が露呈しまくっているではないか。

 とは言ってみたものの、一度旅に出てみたかったのは否めん。

 狭い所にいたきり外界を知らんままでは、猫としての格が上がらん。

 井ノ中の蛙であったれば、きっと何時かは何も知らん自分に嫌気が差そう事はおおよそ予測がつく。

 猫格形成に旅は少しばかり役にたつだろうと諦め、ジタバタせず家出旅に同伴すると決めた。


 家出はしたものの、ヤブは根っからの医者である。

 吾輩とヤブの住まいであるロクちゃんが休める広々とした場所が、病院ならば容易く確保できるからとの理由から、行く所行く所総て病院の駐車場では見栄えがせん。

 それにしても、診療所ではボンクラで有るばかりのヤブが、他の病院に着くなり何処でも大歓迎される。

 一度などは【ヤブ先生来る・大歓迎】なる垂れ幕が病院の屋上から下がっていた。

 これには度肝を抜かれた。吾輩はどの病院でも面食らうばかりである。

 きっと先がないか経営陣が諦めて放り投げたままに成っている病院に違いない。

 ヤブ先生様の御猫様と、吾輩にも様をつける者までいた。

 吾輩に様をつけるのは解らんでも無いが、ヤブ如きデレスケに様はなかろう。


 病院でヤブが公演と言う野垂れ話をしている間、吾輩は何時もロクちゃんで留守番をしている。

 この旅に出て本当に良かったと思うのがこの一時で、ナースという白服の女子が寄って来てナデナデをしてくる。

 ナースというのは、キリちゃんのような看護師と同じ仕事をする者である。

 こやつ等にかまわれると、ついついスリスリの御返しをしてやりたくなる。

 さらにはダッコされたり、優しい者にはチューなどもされて、それはもう幸せになれるのである。

 あおい達との風呂遊びも楽しいものであるが、この様に毎日ゝ違う者達とヘロヘロ出来るとは思ってもいなかった。

 旅とは実にいいものである。

 世間とは実に広いものである。


 ある晩、病院の駐車場で何時もの様に寝支度をしていたら、ずーと遠くにチラチラと光る物が浮んでいる。

 猫族の中には一際霊感の強い者がいるが、吾輩はその手の猫ではないのでこれまで一度も霊という者に御目にかかっていなかった。

 それが、ヤブと旅に出て深夜の病院で独特の雰囲気を毎夜感じているうち、しばしばこのチラチラと妙な光が見えるようになってきていた。

 今時の病院は何処の敷地内も総て禁煙になっているので、愛煙家の患者や隠れて職員がタバコの火をちらつかせるのは毎度見て来たが、青白い炎の揺らぎはどんな解釈をもってしてもタバコの火とは言えん。

 吾輩が炎に気付きその方向を向いていると、ヤブにもこの炎はしかと見えていて、何時も同じ方をボーと眺めている。

「今、何か変なのフワフワしてなかった?」

 猫語も解らんくせに、問うのは一人前になりおって。旅に出てから事ある度に話し掛けて来る。

 一声意味も無く鳴いてやれば気が済むので、炎が現れると何時も「ニャー」と鳴き返してやっている。


 炎だけならばそれで良かったが、最近はヤブの頭上をブンブン不可思議な生物が飛び回るようになった。

 そいつは気味の悪い奴で、羽を生やした女子であったり尻尾の生えた道化であったりする。

 ヤブもこやつに気付いて、パックと名付けた。

 由来までは知らんが、大方スーパーの肉パックか紙パックといったところであろう。


 このパック、ヤブには常に見えていないが吾輩には何時でも見えるようになってきた。

 ヤブの髪の毛を毟ったりひっぱたいたりして遊んでいる。

 ヤブは猫語が話せない故に、移動中のロクちゃんの中は暇で仕方がない。

 少々気味の悪いのを我慢して、吾輩はパックとチョクチョク話をするようになった。


 パックとヤブに呼ばれているこやつの正しき姓名は、ヨハネス・ブルックリンドン・アッチャノ・コッチャノ・へノコキ・ブピプと言う。メンドクサイ奴である。

 吾輩もヤブ同様、パックと呼ぶ事にした。

 こやつも名前には拘っておらんで「いいんじゃね」とすんなり納得したものである。


 何故にこの頃になってヤブの頭に憑りついたのか気になって、何度か無理に頼んでようやく聞き出せたのが、パックはいわゆる御告げの為に現れた生物である。

 何の御告げかは自分も知らんと言う。

 実は、御告げで現れるずっと以前、ヤブが子供であった頃から取り付いていたが、緊急に用事が有って現れなければならなくなったと言う。

 しかしながら、この緊急の用事が何であるのか知らんで出て来ているのだから、無責任なボケナスである。

 こやつ、何者かの力によって呼び出されたものの、何時に成ったら己の仕事を始めればいいのかさえ知らん。

 今はただ悪戯し、暇を持て余しているだけである。

 毎日ゝヤブの毛を毟っているが、ヤブの頭髪は無限ではない。一部が丸く剥げ始めている。

 吾輩にはどうでもいい事だが、気になって仕方がない。

 一度、パックに頭の毛毟りを止めるように注意した。

「だったら御前の毟っていいか」と言われ、かまわんからヤブのを毟っとけと許してやった。

 パックの趣味は生き物の毛毟りである。


 桜の咲く頃になって、パックが「御告げゝ」と頻りに騒ぎ出した。

 直ぐにでも帰らねばいかんと御告げが上ーの方から降りて来たのだそうである。

 ヤブはそんなもの知った事では無いと旅を続けた。

 吾輩は便乗している身で、何処へ行くにしろロクちゃんと一緒にいるしかない。

 帰るだの旅を続けるなど総てはヤブまかせである。


 そして数日、桜の綺麗な所を巡っていたら診療所の隣のヤクザから電話があった。

 そこまでは分かったが、話の内容まではよう知らん。

 この電話があった途端、ヤブは診療所に向かって光速道路に入った。

 流石に驚愕の速さで、数カ月もかかって辿り付いた桜の山から、僅か一日で診療所に帰って来られた。


 ヤブは診療所に着くなり慌てた様子で、ロクちゃんを伴い病院へ行ってしまった。

 パックに毟られた髪もそのままだから、あおいが身成をきちんとと言うのも聞かず鏡をチラリ覗いただけ、旅姿のまま飛び出して行ったのである。


 久しぶりの帰宅で変わった様子を見れば、留守中にクロが部屋を当然の如く使い倒していた。

 ア奴の臭いがあちこちに移って、敏感な臭覚とデリケートな体毛の吾輩はとてもではないが住めん状態である。

 あおいに部屋の消毒と消臭をしてもらい、ようやく自分の寝床に入れた。


 落ち着いてウトウト昼間の寝ぼけをかましていたら、クロが訪ねて来た。

 随分と長い旅であったなと労ってくれる。

 何とかちゃんが気を使ってくれて、ヤブが隠してあった酒とカラスミを持ってきてくれたから、久しぶりに酒をなめながらゲームである。

 クロは一度カラスミを食ってからその味が忘れられず、夢にまで出て来ていたと大そう喜んでいる。

 吾輩は旅の途中で色々と馳走になり、さほどカラスミには引かれなかったが、隠してあった酒の味にうっとりした。


 クロやあおいにキリちゃんと何とかちゃんを前に、旅の土産話をしながら、長い月日に変わった病院の様子などを聞き知った。

 診療所で事務員をしていた偽医者の芙欄は、あっという間に病院の院長様に出世していた。

 偽りの医者でも、頑張れば院長に成れるのだと酷く感心したものである。

 前の院長は手伝いに来ていた医者どもにチクチクと甚振られ、耐えきれずに病院から去ったとも聞いた。

 前院長を追い出すどうのこうのとの悪巧みは、密談のバーべキューに参加していて聞いたが、これこそ人間の性悪さが極みと思うばかりの計画であった。

 あれを実行したのならば、文句なしに悪魔の化身である。

 無条件に院長さん可哀そうと言ってあげたい気持で一杯と同時に、病院から去った院長が行方不明になっているのも気掛かりである。


 家出した時はまだ海水浴が出来る暑さだったが、旅の途中で秋となり、年を越して桜の頃になってしまった。随分と長い家出である。

 夏に海岸を出てから暫くは涼しい所に行ったので、あまり暑いとは思わなかった。

 紅葉が始まったら、ヤブはむきに成って紅葉を追いかけ「自然だなー」が口癖であった。

 海の無い山ばかりの景色が続いていたが、吾輩も平地と海しか見た事の無い者で、ヤブに限らず「自然だなー」と言いたい気持がよく分かった。

 そして空から白い物がチラく頃になると、暖かい南方へと向かった。

 去年の冬は診療所で過ごし、個室にも暖房があったとはいえそりゃあ寒い冬であった。

 対して、家出の間はまったく暖房要らずの生活で、どの様に辿り付いたのかは今もって不明であるが、暫く巨大な船に乗っていた記憶がある。


 猫であるが吾輩は船酔いをする。

 それも、呼吸が苦しくなり死にそうな程の酔い方で、何時だったか相南が酔うて診療所でオエゝでしか会話が出来なかった時と同じであった。

 えらく応えて意識がぶっ飛んでいたので、どれだけ船に乗っていたか覚えておらん。


 船から下りたらそこは天国であった。死んじまったのではない。

 暖かく綺麗な珊瑚の海岸で、ビューティフル&ナイスバディーの御姉様達が大勢で出迎えてくれたのである。

「ここは沖縄でーす」とか言っていた。

 海岸に近い病院の駐車場で一月あまりも過ごしたが、真冬とは思えぬ過ごし易さ。

 しかし、地元の者はこれでも十分寒いと言っていた。


 この天国からまた極寒の現実社会に帰る時、嫌がる吾輩の意見は聞いてもらえず、ロクちゃんと別にされ飛行機に乗せられてしまった。

 始めての経験である。

 何であんな物が飛べるんだよ! 船でしこたま酔っ払っていた方がまだ好かった。生きた心地がしない。


 飛行場でロクちゃんと再会し、あちこち廻ったのは九州で、そこそこ暖かく冬の寒さはかなり緩やかだったのを覚えている。

 そこから今度は四国に行った。

 ここではヤブが祈祷師らしく御寺や神社を尋ね歩いて回り、殆ど吾輩とロクちゃんは広場においてけぼりにされていた。

 ロクちゃんの横で居眠りなどしていると、観光客のお姉さんに構ってもらえたので退屈はしなかったがの。

 四国から本州に渡り桜を追いかけていたら急に帰ってきたのである。



 帰ってから数日のんびりしていた朝の事である。

 臨時ニュースで、何時も見ているアニメが放映されていない。

 それよりも、二人のヤクザ刑事が診療所でテレビを見ている。

 ヤクザと言う者の多くは夜行性で、早朝から活動する種は珍しいのだが、この二人はたまにここにやって来てはテレビでアニメを見ている。

 ニュースという知恵を必要とする放送には、まったく興味の無い者達かと思っていたが、吾輩の早合点だったらしく食い入るように見ている。

 少しすると、ヤブが起きて来てアニメが見られないとえらく怒ったが、刑事達が近くの事件だと言うと一緒になって見始めた。


 テレビに映っている絵は吾輩に馴染みのある場所で、以前行った事のある病院近くの公園である。

 そんな絵を見ていると刑事達の携帯に連絡が入り、ヤブまで一緒に出かけて行ってしまった。

 今日はあおいだけの診療所かと思っていたが、そのうちにあおいとキリちゃんまで、警察の赤いの青いのボッチが付いた車で何処かに連れ去られてしまった。

 ヤブが刑事ヤクザ達と悪さをしたのがばれて、逃亡したに違いない。

 あおいとキリちゃんは、警察の事情聴取という拷問を受けているのである。

 吾輩、ドラマで警察に連れ去られた者がどのような拷問を受けるか見た事がある。

 正座した膝の上に重そうな石を何個も乗せられ、それはもう痛そうで見ているだけで炎症を起こしそうであった。

 二人は生きて帰って来られるだろうか、心配である。


 そんなこんなが有って、今日の診療所は臨時休業となった。

 暇だから眺めていたテレビには、ロクちゃんまで映っている。

 病院の近くで立て籠もり事件が発生して、怪我人が出るかもしれないから待機しているのだと何とかちゃんが教えてくれた。


 何とかちゃんとゲームに興じながら留守番をしていると、以前海に行った時に遊んでくれた巫女が訪ねてきた。

 ヤブと親交があるとは知らなかったと思っていたら、何とかちゃんを訪ねてきたのであった。

「あら、猫ちゃん。いたのねー」

 吾輩は久しぶりにグリグリされた。やはりいいものである。


 巫女は何とかちゃんと小一時間も話し込んでいたろうか、迎えの者が来ると何処かに二人とも出かける様子である。

 留守番が誰も居なくなってしまうではないか。

 無責任だぞ! ボケ。と言う間も無く、吾輩も同行せんかと誘われた。 

 なーに、泥棒が恵んでくれるほどの貧乏所帯である。誰も居なくとも何の問題も起こりはせん。

 診療所の待合室で、何時もの患者年寄りが集まってテレビを見ている。

 爺婆では心もとないが、いないよりはよかろう。爺婆の留守番である。


 診療所を出て何処へ行くのか辺りをキョロゝしていたが、車は巫女の神社に向かっている様子。

 鎮守の杜へ入る細道をゆっくり進むと小さな物置小屋があり、車が近くに寄ると戸が勝手に開いた。

 とっても無駄な自動ドアに思ったのは、吾輩だけか。

 物置に入ると、車はいきなり眠った。

 地面が動き出し、病院でエレベーターに乗った時のように体が軽くなる。

 はてさて、何処に行こうというのか。様子からして巫女が住まう神社の近く、鎮守の杜から地下に降りたまでは分かるが、潜ってしまっては景色が見えん。

 南も北も無くどちらを向いているのやら、皆目見当がつかん。


 エレベーターが止まり車から外に出ると、巫女と何とかちゃんの後に付いて歩き始めた。

 先が見えずに薄暗く長い通路である。

 そしてまた、途中に幾つもの警備チェックが有る。

 なかなか面倒な施設で、アリの子一匹どころかウィルスの一個も入れん厳重さである。

 たとえ日銀の大金庫でも、極秘に日本国が核ミサイルを保有していたとしても、ここまでの警備ではなかろう。

 来年の祭が予算不足で開けるかどうかも分からん神社の地下に、何が有るという。


 通路は、途中から迷路になっている。

 何度も来ていると言いながら、巫女も何とかちゃんもどん詰まりに突き当たってやり直している。方向音痴もいい所である。

 迷路を抜けるには多少遠回りでも、右左どちらかの壁に手をつけたまま走ってゆけばよい。

 迷路破りの常識であると教えてやったら、リアルタイムで迷路の形が変わっている通路で、たとえ設計者でも停止出来ない機能である。

 それでは誰も目的地に行けないではないか。

「たわけ者であるな」と罵ってやったら、その設計者は何とかちゃんであった。

 なんちゅう無茶な設計しやがったんだよ! 何時になっても着けないではないか! 形変わる前に走れー!


 ゼーゼーと、ようやく目的の地に辿り付いたらすっかり腹がへってしまった。

 部屋の前にくつろげるソファーと、飲料や食い物の自販機が並んでいる。

 何とかちゃんが自販機で色々買ってくれた。買ってくれたと思う。

 何とかちゃん専用の自販機で、手を当てれば物が出て来るようになっている。

 吾輩には缶麦酒と烏賊の缶詰があてがわれた。猫にイカ食わせんなよ。好きだからいいけど。


「これから暫く誰も入れなくなっちゃうから、見学ダビョッ!」

 何とかちゃん、何時もと雰囲気違う。壊れかけてる。


 小さな鉄の扉を開けると、その先には東京ドームがすっぽりと入るほどでかい空間が広がっていた。

 正直な話、吾輩は東京ドームに行った事が無いので本当の広さが分からんのだが、凄まじい広さである。

 中に人はおらんで、人間の形を模倣したロボットだかサイボーグだかがウロチョロ忙しそうに作業をしている。

 現代の人間に、SF映画に出て来るが如き精巧なロボットが造れるのか?

 いかほどの深さに納まっている施設かは知らんが、先ほどここまで降りて来た時間と感覚から察するに、百米以上は潜っている。

 このように深い地下にあっても、上の土から受ける重圧に耐えられる強度を保っているこの空間には、柱が一本も無い。

 吾輩の知りうる限り、この構造物を作れるだけの建築技術を人間は持っておらん。

 勿論、猫も持っておらん。なんとも奇怪な地下施設である。


 帰りの車中。何とかちゃんに色々と教えてもらったのは、あの施設は将来の大災害に備えた避難所との事である。

 幾万人入れるであろうか、ここら辺りの人を総て入れても、端っこの方にこそっとの場所が有れば煮炊きまで出来るで広さであった。

 ああいうのを無駄に広い金食い虫の箱物というのである。

 何処の政治家が言い出したのか、きっと献金で一財産作っている。


 診療所に戻ってもまだヤブは帰って来ていなかった。

 あおいもキリちゃんもおらんで、屯っていた爺婆が「今日は帰ってこねえとよ」って……人の家の電話に勝手に出ているんじゃない! 

 困った。

 誰もいないで何とかちゃんと二人きりでは寂しい。

 吾輩は固い飯でもいいが、何とかちゃんが可哀想である。

 施設にいた時はシャキッっとしていた何とかちゃんが、診療所に帰ってきたら何時ものデレちゃんに戻っている。 

 グデーデレッとうろついて、適当に冷蔵庫から引っ張り出して食っている。

 んー心配して損をした気分である。


 巫女が、今日は診療所に泊まり込んでくれる事になった。

「一度ここでやりたかったのよ」と唱えながら、バーベキューの支度を始めている。

 今日は御馳走に有りつけそうだ。

 何とかちゃんがカリカリ飯を用意してくれたのに悪いが、今それを食ってしまう訳にはいかん。

 こんな時にクロも来れば余計に楽しかろうと思っていたら、夕刻になって車屋の主人と一緒にやって来た。

 朝から診療所に籠っていた爺婆も居座ったままである。

 車屋と巫女は知り合いで、そのうちにネギのおっさんやら、半妖の臭いのするオヤジに隣のヤクザ等まで集まってきた。


 宴の際中、立て籠もり犯が狙撃されて病院に担ぎ込まれたとかで、偽医者の事務員だった芙欄がテレビで記者会見をしている。

 しかしながら、誰も気にも留めないで宴会をしているのだから、どれ程人望の薄い奴だったのか。少しばかり芙蘭が可哀想である。 

 それでも全く関心の無き風でもなく、音だけは聞いているから「良く言った」「本当にあいつは嘘つかせたら世界一だねー」などと、会話の中にチョクゝ芙欄の名が出て来る。今日の宴の主役は芙欄か? 


 以前も不思議に思ったが、人間は主役が居ない宴をこよなく好んでいる。

 クリスマスの誕生祝いは世界中で執り行われている。

 主役について後にあおいから学んだが、とうに他界している。

 クリスマスとは実にフザケタ祝いの宴ではないか。死んでしまった者の葬儀は疎かにしおって、誕生の祝いに世界中がトチ狂うとはいったいいかがな心理状態なのか。

 まったくもって遺憾としか言い様の無い行事に他ないのに、当たり前に祝っている。

 今日の宴もまた、主役はテレビに入ったままで出て来る気は無いようである。

 


 事件が解決してから、発情期でもあるのかヤブは毎日朝帰りで、帰って来てからも診療所の仕事はそっちのけである。

 昼前に診療所周りをうろついて、松林に行っては遊び呆けている。

 だいぶ後になって知った事だが、この時期ヤブは一世一代の大手術をして、患者の容態を毎日徹夜で診ていたのだそうである。

 何時でもいい加減な男だとばかり思っていたが、やる時はやるもんだー。

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