4 死体もビックリ、困った葬儀

 あおいにこそっと「ア奴等はヤクザの端くれか?」と聞いてみる。

「似たような者ね。ヤクザでも性質の悪い方かしら」やはりそうであったか。

 今日のような低級ヤクザを追払ってくれるのであれば、これもまた必要悪と認知すべきであろう。

 ヤブや診療所の皆が刑事を毛嫌いする様子はないから、吾等の生活を脅かさないのであれば居てくれてもいいぞ。

 今日もまた一つ、人間界の事を覚えた吾輩である。      


 二日続けての宴は流石にヤブもまいった様子で、何種類かの薬を同時に飲んで仮死状態になっていたその時、キリちゃんが大騒ぎしだした。

 吾輩もほとゝ疲れていたが、ただならぬ様子に診療所を覗いてみると、松林の住人が大勢来ている。

 診察台には、吾輩をこよなく可愛がってくれるおっちゃんが横になっている。

 海に行った時に御馳走してもらってからの仲で、クロもこの頃厄介になっている。人間にしておくには勿体無い御仁である。

 血色が悪く動く様子もない。遠目にも、どのような状態か吾輩には分かる。

 あおいがあれこれ試みておるが、この様子は猫でも時たま見受けられる症状である。


 ヤブが慌てて入って来たが、すぐに事態を飲み込んだようで「まだだよー、おっちゃん。帰って来てよー」と泣きじゃくるあおいを制止して、キリちゃんと二人で今日は休むようにと外室させた。


 暫くして、ヤブが葬儀屋に電話をしている。

 車屋も葬儀屋ではあるが、ア奴は車族専門の葬儀屋で、人間の葬儀はまったく行わんとクロが言っていた。

 救急の相南が運んで来る仏さんならば、遺族がやって来て葬儀屋が遺体ばかりを運んでいる霊柩車とやらに乗せて行く。

 ところが、松林の住人は吾輩同様に身寄りの無い者が殆どで、ヤブが診療所で葬儀を出すと言い出したのである。

 常日頃から面倒事を嫌う男が、何故か今回ばかりは積極的に音頭を取っている。


 落ち着くと、キリちゃんとあおいを交えて松林の住人達が密談を始めた。

 純然たる葬儀に密談の必要もなかろうところであるが、いかんせん人間のやる事である。

 何をどの様にしようとも当たり前とするのが人というものであって、今更驚く事もせんだろうと思う。

 何とかちゃんとクロとゲームに興じる一日とした。


 アタフタ難しいゲームで暇をつぶしていると、葬儀屋がドライアイスなる物を届けて来た。

 アイスなら吾輩の好物である。

 是非にと何とかちゃんにねだったが、このアイスは乾いたアイスで、決死の覚悟と超越した消化器系臓器を持った者以外は食せない物であった。何とも残念である。


 診療所は葬儀の準備で珍しく、本日休診となった。

 松林の住人達が色々と持ち寄っている。

 髪の毛・タバコの吸い殻・かじったリンゴにコップ、随分と変わった葬儀である。

 吾輩、此の世に誕生して以来多くの葬儀を見物して来たが、この様な物を揃えたのは初めてで、松林にはそれなりのしきたりなり風習があるのだろうが、とても死者に敬意をはらっているとは思えない。

 どれもこれも、総ての品がお古とはいかがなものか。

 何の為に親族でも無い者の髪の毛を供えるのか。

 タバコの吸い殻しかり、リンゴにいたってはかじってある。

 食いかけを霊前に供えるなど前代未聞である。

 それだけならまだしも、機関銃を供えるとは何とも変わっている。

 いかに祈祷師のヤブが取り仕切るとはいえ、如何わしいほどにウスラこ汚い霊前であり、これではいくら優しかったおっちゃんでも浮かばれまい。

 化けて出て来るか、祟られ憑りつかれるに違いない。  

 疫病に遭ってはたまったものでは無い。吾輩は暫くクロの家に厄介になると決め診療所を出た。


 あおいに告げ海まで行き、クロの住所辺りを散歩していると、松林の住人が忙しなく働いている。

 珍しい事もあるものだと、寄ったって居る所を覗いてみる。

 なんと吾輩のマヌケた事か、おっちゃんの葬儀は松林で行われていた。

 遺体を太めの松の木に寄りかからせている。

 診療所に居れば何も奇天烈な儀式に遭遇せなんだものを、わざわざ吾輩自らここまで来てしまった。

「しゃあねえさ、世話になったんだ、最期くらい盛大に送ってやろうじゃねえかよ」

 クロの言葉にそれもそうだと納得し、儀式の次第を見物しながら、おっちゃんの野辺送りに加わるとした。


 それにしても妙な儀式である。

 おっちゃんの周りに血を撒いて、その手に髪の毛を握らせ、少し離れてタバコの吸い殻を置いて。何処でこんなのを覚えたものやら。


 バーリバリバリバリーー!

 爆竹の様な音と一緒に、おっちゃんの体が揺れた。

 何とコヤツラ、おっちゃんにマシンガンで銃弾を撃ち込みおった。

 今更トドメでもあるまいに。えらく乱暴な葬儀である。

 吾輩もクロもビックリするばかりで、ニャンとさえも声が出なかった。


 松林の住人が一通りの儀式を終え林に火を放つ。

 吾輩には放火にしか見えないが、クロがあれは火葬というものだと言ってきかない。

 唖然として居る間も無く、勢いよく走って来た車が急停止すると、降りて来た住人の一人がわめいている。

 かと思ったら、すぐさま後ろから車が追いかけてきて、キリちゃんの亭主が車から降りて来る。

 診療所に来た時よりも、遙かに凄まじい剣幕で吠えまくっているではないか。


 松林の住人は、仲間が乗って来た車の尻をめくって、先ほど打ちまくっていたスチェッキンマシンピストルを食わせている。

 車という奴は尻の方で喰らう者が多く、この仕草も吾等に嫌われている一因である。


 一方、亭主が乗って来た車は悲惨なもので、松林の住人が放ったバズーカ砲の餌食となって燃えている。

 同時に、亭主めがけて飛び出す重機関銃の弾が、嵐のように辺りを蹴散らし始めた。

 これには野獣の亭主もたまらず、住人が乗って来た車に飛び乗り急発進。脱兎のごとく走り去って行った。

 入れ違いに消防車や救急車がやって来て、松林は大騒ぎである。

 火が消えてほどなく、刑事二人がやって来た。

 現場を見るなり、あちらこちらへ連絡しいる。

 赤いの青いのキラキラボッチのついた車で、ウーウー言わせながら走り去って行った。


 後に知った恐ろしい話であるが、キリちゃんの亭主は世界中の警察が目を付けているヒットマンであった。

 ちょいと殺人の証拠が出れば逮捕できるのに、完璧主義者だからなかなか尻尾を出さない。

 普段はおとなしいが、酒を飲むと別人になってドメスティクバイオレンスの虜となる。

 キリちゃんはこの暴力亭主から逃げて診療所に来たのだが、何の因果か見つかってしまった。

 どうしたものかとやっている時に、おっちゃんの死体が手に入ったから、葬儀のついでに亭主が殺した風に見せかけたのだとか。

 その為には亭主の指紋とDNAが必要だから、滞在先の宿でゴミあさりをしていた。

 髪の毛・タバコの吸い殻・かじって捨てたリンゴ。コップからは指紋。

 あとは凶器が必要だが、松林の住人に頼めば大抵の物は手に入る。

 御丁寧に偽指紋キットを通販で買い、薬莢にベタベタと指紋を付けていた。

 タバコの吸い殻を現場の周りに捨てておけば完璧である。

 DNAは嘘をつかないが、DNAをばら撒く者は嘘をつく。

 リンゴから歯形を取って遺体の首に噛み跡をつけ、猟奇犯人犯が出来上がっていた。

 おっちゃん手に、ブラシから取った亭主の頭髪を握らせておけば、合理的疑いを差し挟む余地の無い決定的な証拠になるのだそうである。死刑!

 いかに死んだとは言え、ついでの葬儀で鉄砲玉の穴だらけにされたおっちゃんはたまったものではない。



 おっちゃんの葬儀も済んだので、吾輩は早くに診療所に帰る事とした。

 松林の住人に抱えられたりして、随分とらくちんに帰れたものの、帰ったら慌てたなんてものではない。

 ヤブがユンボを働かせ、埋めたばかりの御札を掘り返しているのである。罰当たりな奴だ。

 厄払いはしたものの、己では悪霊を抑えきれないから地中深く埋めたのに、何を血迷ったか掘り返したうえに木箱を開けている。

 手伝っているのは、以前尻に打ち込まれた鉄砲弾をヤブに取り除いてもらっていた奴で、田増と名乗っている。

 やたらフラキョロ落ち着きが無い。


 松林の住人も手伝って、診療所の中に御札の箱を仕舞い込んだ。

 吾輩は憑りつかれるのが嫌だから遠くで眺めていただけだったが、田増とヤブが今にも取っ組合わんばかりのいがみ合いで、松林の住人が仲裁に入るまで吾輩は診療所に近付く事も出来なかった。

 二人が落ち着いくと、ユンボが松林の住人に連れていかれた。

 前々から好かん奴であったが、ああやって連れていかれるのを見ると少々可哀そうである。

 数日してからクロに聞いて知ったが、ユンボの奴は松林に行ってから毎日、住人と松林をほっくりかえしひっくり返し楽しそうに過ごしているらしい。

 気が遠くなるほどの所に引き取られたのではない。吾輩もたまには馳走になりに行く場所である。

 これからチョクゝ会うだろうし、それより毎日動いていられるのは健康によろしい。

 あのように血行が悪く冷え性で、日向でない所は死んだように冷たいのでは長生きはできない。

 きっと今は体もそこそこ暖かかろう、今度出会ったら膝の上でぬくゝさせてもらうとしよう。


 気になっていた御札であるが、早々に黒い猫の刺青を背負った車が運んで行った。

 あんな物でも欲しがる奴がいるのか、とことん人間とは解らぬものである。



 ユンボのように出て行く者があれば入って来る者もいる。

 おっちゃんの葬儀の日から見知らぬ男が居候をしている。

 ヤブとのひそゝ話を聴く限りこやつも二つ名で、元は田増で今は芙欄と称している。

 毎日ゝ隣の部屋に引きこもっては書類を書いていたが、何時の間にやらコヤツも医師の免許を取得していて、医師免許を持った偽医者事務員として診療所に雇用された。



 他所の猫の食生活について、近所の猫達と井戸端で盛り上がる事がある。

 遠出の旅から帰った茶虎の話などは、頗る興味をそそられるので真に聞き入る。

 他所の猫は、大抵の物は好き嫌いなく食うのだと言う。

 吾輩は好き嫌いの激しい程ではないと思っていたが、吾等が思ういわゆるゲテを食うのは当たり前で、子供の食い残した路傍のパンを拾って食ったり、餅菓子の餡をなめたり、香の物である沢庵まで食ってしまうらしい。

 茶虎も無理矢理沢庵を食わされたが、食ってみると妙なもので、贅沢ではないが口に馴染んで後引きの食い物であったから、今では主人が沢庵を食っているとねだっていただくのだそうである。

 残念ながら沢庵なる食い物に出くわした事が無かったので、あおいにせがんで一度食わせてもらった。

 しかしながら、茶虎が言うように美味とするには程遠い物で、ただ塩っ辛いだけで食感もかたいばかり。

 おまけに噛めば噛む程に半腐れの鯖のような酸味が口の中に広がりだして、どうにも飲み込めず其の場にデレゝと吐き出してしまった。


 女主人の家に居た頃は、飯の上から小汚い汁をぶっかけただけの物でも美味いと思って食えていたものだ。

 この汁かけ猫まんまなる物、あおいが留守の時はヤブが「今日は御馳走だぞー。ほれ、食え」と差し出す。

 この時ばかりは(こんな不味い飯が食えるかよ!)と奴に飛び蹴りを喰らわせてやろうと思うのだから、食は変われば変わるもので、一度美味い物で贅沢を覚えるとなかなか昔には戻れない。

 してみるに、車屋の家でそれこそ贅沢な食に馴染んでいるクロが、何でも良い食えさえすればという悪食であるのは、置かれた境遇らしからぬ性格である。

 この様な思いを巡らせていると、何か美味い物が食いたくなってきたのは贅沢の結果であろう。


 吾輩は、飼われている猫とはいえ主はヤブである。何時路頭に迷うとも限らない。

 何でも食える時に食っておこうとの考えから、何処ぞに食い残しのフォアグラかキャビアでも置かれていないかと探したが、当然この家にそんな高級食材は無かった。

 有りもしない食材を探したのは、まだ吾輩が泥棒猫をしていた頃、カラスミがこの家に有って食ったのを思い出したからである。

 台所を見まわしたら、今朝見た通りの他に見慣れない色の椀の底に白い餅が膠着している。

 人間が雑煮と言って美味そうに食っている物の残りである。


 白状するが、雑煮は汁だけならば頂いたが、中の餅は今までに一度も口にした事が無い。

 見ると既に汁気が引いて、少々危ない感が漂っているものの、食ったら美味いぞーと語り掛けている。

 前足でだらしなく餅にへばり付いている菜っ葉を除ける。

 爪を見ると餅が粘っこく引っ掛かって、餅と吾輩の間に白くニョッヘーっとした餅が垂れている。

 嗅いでみると殆ど汁かけ猫まんまの香で、およそ美味い物の持つ匂いではない。

 餅と言って有難く人は食っているが、飯が固まっているだけで臭いが同じ事からすれば、味は汁かけ飯とそれ程変わらないのは容易に想像がつく。


 食おうかな、やめようかなとあたりを見回す。

 皆出払っていて、爪から大切な肉球にまでくっ付いてベタゝしている餅を取ってくれる者が近くにいない。

 食い物の好むと好まざるにかかわらず、この場合餅を手から引き離す手立てはただ一つ、我慢して手に付いた餅を食ってしまうしかない。

 生まれてこのかた食った事の無い物を食うのだから、なにがしかの覚悟が必要だと思っていたが、餅とは噛めどもゝ粘っこいままである。

 口の中で上あごや牙にへばりついて始末が悪い。

 終いには口いっぱいに広がって、息をするのもおぼつかいな。

 餅の奴は何かと吾輩に食われるのを嫌がっている。


 椀の底に一緒にくっ付いていた具はとうに離れているのに、飲み込めないままジタバタしていると、ヤブが離れた所で吾輩を観察している。

 調子こいて見てんじゃねえよ! 死んじまうだろ、何とかしろよ。

 餅が口に広がって声が出せない。

 声が出せたとしても猫語を解さないヤブである。

 役にたたないのは判っているが困った。

 しかし、よくも人間はこんな物を美味いと言うものだ。デロゝと食い難く、手足に付いて乾くとガビガビになって気高き毛並を汚してくれる。

 まったく理解できない食い物である。


 人ほど色々と食ってきた経験が有る者では無い。

 美味い不味いと感じるのもそれぞれの事で、吾輩に限って不味いと感じるのかもしれない。

 しかしながら、この餅とは少なくとも猫が好むとはとうてい思えぬ厄介な食い物で、己が如何様な物であるのか、餅自信も理解できていないのではなかろうか。

 猫族にあっては、人間のように食い物に濃い味を付けて食す習慣がない。

 したがって余計な味付けをしていない分、素材の良さが明確に解るのである。

 強靭な顎筋を持って生まれた猫だが、食っていて疲れないのが好みで、美味くて健康的な食い物にこだわって生きれば、食後に胸焼けを起して草を食ったりせずに済む。

 などと悠長な事を考えている場合ではない。

 餅が口の中にへばり付いてウゴゝしている。

 手足を使って取り出そうとしているのが滑稽に見えるのか、ヤブは吾輩の踊るが如きもがき苦しみを笑っている。

 何時か殺してやる!


 すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知すべきである。二度と餅など食わんと決めてはみたが、予知できなかった吾輩はもはや野生の勘が働かなくなっている。

 アタフタしていると次第に餅が解けてきた。

 手足や毛並にくっ付いてガビンガチンコに成った餅はその内に自然と取れるだろう、解けた餅を吐き出すのははしたなく、美味いも不味いも分からないままに飲み込んだ。

 よく見ると、尻尾にも小さくなった餅がこびり付いている。

 悔しいからチョイと食ってやったら、今度は少しだけ美味く感じた。

 それでも酷い目にあったものだから、これからは好んで餅を食おうなどとは思わない。


 ほっとして床にゴロっとしたところに、ヤブが小皿に入った牛乳を鼻っ面に置いた。

 珍しい事もあるもので、ひょっとしたら腐った牛乳ではあるまいかと確かめたが、食中毒の危険性は極めて低いと判断できたので快く頂いた。


 こんな失敗をした時は内にいるに限る。

 下手に出歩いて、クロに彼方此方マダラに抜けた毛を見られでもしたら、他の猫達にどの様に伝わるか知れたものではない。

 しかしながら、貴重な経験を誰にも話さずにいられる程の世捨てでもない。

 何処ぞに吾輩の気高き気品を損なう事無く、先ほどの出来事を話せる相手がいないか思案した。

 暫く考え、巫女の神社に行く事とした。

 海に近く七の雑貨屋などもあり、容易く食い物にありつけるからと、普段から野良猫が大勢徘徊している。

 知り合いの猫に会わんとも限らんが、ちょいとすれ違い挨拶する間であればマダラの抜毛には気付かれまい。


 部屋の小さな扉から裏へ出た。

 出た所で草原の中をゴロゝ転がって毛並みを乱した。

 これならば目立つほどの抜毛でもないだろうと自分に言い聞かせたのである。



 社の杜にかかると、社務所の濡れ縁にここらでは見掛けない三毛猫がいる。

 最近になって巫女が猫を拾ってきたとクロが噂していたが、話は本当であった。


 主人の影響というのは実に莫大なものだ。

 遠目にも三毛は首輪の新しいのをして、行儀よく縁側に座っている。

 その猫背の丸さ加減が、言葉を失うほどに美しい曲線美を尽している。

 尻尾の曲がり加減はふっくらと毛糸玉のように優しげで、足の折り具合などは三色の毬。ついうっかりとじゃれつきたくなる。

 ゆったり耳をちょいゝと振る景色などは、妖精が小さな羽をしきりに動かし飛び回るかの如くである。

 よく日の当る所で暖かそうにのたーりと品よく控えているものだから、満身の毛はビロードが春の光を反射し風と共にふわりゝと舞い踊っているように思われる。


 吾輩はしばらくヨダレを垂らして眺めていたが、やがて我に帰ると同時に聴きなれた声が「いらっしゃいまっせー」巫女に捕まり抱え上げられた。

 三毛はその声が聞こえるとこちらを見るや、さっさと縁を下りて何処かに走り去って行ってしまった。

 赤い首輪につけた鈴が、チャラゝと遠ざかってゆく。

 吾輩を抱えた巫女が「あら、随分とみすぼらしくハゲてるわね」かろうじて体にしがみついていた抜毛を毟ってくれる。


 我等猫族間で互いの優劣を見極めるとき、毛並みはもとよりその色艶なども参考にする。

 酷く汚れていたり皮膚病などによって毛が抜け落ちている者は評価の対象外である。

 正面に出来た喧嘩傷の痕に毛の無きは大威張りのハゲだが、背中の傷は逃げて付けられたと見なされるので情けない奴と思われる。

 幸にも餅のベタゝは口から始まり正面に有ったもので、負け猫の様相ではないが、もとからの美形は台無しである。


 縁側でここに来るまでの詳細を巫女に語り聞かせる間中、丁寧に毛づくろいをしてもらったおかげで目立つハゲは消え失せた。

 小奇麗になって縁側で巫女と話し込んでいると、先ほどの三毛が巫女の膝にのって来た。

 互いに慣れるまでの一時はぎこちなかったが、同じ猫族である。

 人と話すより通じるのは早く、医者の主人を持っているからと医学の知識などを披露しているうち、三毛は吾輩を尊敬して先生ゝと呼ぶようになった。

 町内で吾輩を先生と呼ぶのは、この三毛ばかりである。

 


 久しぶりに女主人と下男の亭主に会った。

 もっとも、大勢集まった中に混じっていただけで、とりわけ親しくしたのではない。

 今更吾輩を犬畜生と引き換えにした奴等に愛想でもないから、おや来ているな程度の対面である。

 クリスマスの宴とかで、何処かの誰かの誕生日祝いである。

 あおいにそ奴は知り合いなのか訊ねたが、まったくの他人だった。

 またゝ人間の不思議が増えてしまった。

 吾輩のような親に捨てられ産れた日の分からん者は、赤の他人にまで出生の日を祝ってもらえるなど羨ましいかぎりである。

 それなのに、祝われている当の本人が出席していないとは。

 この不可思議な宴には、人間の事ならことごとく知り尽くしているクロも首をかしげるばかりである。

 我等にしてみれば御馳走の嵐だから、誰の何がどうだらああだらなどはどうでもいいが、祝っている者達はどんな気持ちなのか。


 そうこうしていると突然に、大きな八つ又の角が生えた化け物と赤い服を着た風神が宴に乱入してきた。

 居候の芙欄はニコニコしているが、ヤブは固まったまま動けずにいる。

 吾輩とクロも、一瞬化け物に取り食われるかとフリーズした。

 そんな事はお構いなしのニコヤカ風神が、風袋から皆にキャわゆいリボンの巻きついた箱を配りはじめた。

 吾輩とクロにもその箱はあって、これを人間達はプレゼントと呼ぶのだとあおいが言った。

「ユー達は開けられないねー」八つ又角の化け物が箱を開けてくれた。

 何とまあこいつ等は良い奴だ。喜べクロ!  

 だいぶ昔に食ったカラスミという魚卵が入っている。

 クロは見るのも聞くのも初めてである。

 何時もは七の店の廃棄弁当でうんちくを語られている吾輩は、この時とばかりボラの卵である事や人間がえらく手間暇かけて作る事を語ってやった。 

 普段、医学に関しては吾輩の言う事をよく聞くクロだが、食い物についてしっかりと話を聞いたのは始めてである。

 少々優越感に浸れ好い気分に酔えた。


 風神率いるこやつ等、除霊に使った御札の木箱を送り返したとかで、暫くこの診療所に居候をすると言い切っている。

 手土産も持って来た事だし、なかなかに良い奴である。

 吾輩は強く、あおいと何とかちゃんにこやつ等の居候を許可するように嘆願した。

 もっとも、木箱の御札はこやつ等がどうにかいじくって、人間にとって有難い金なる物に変わっていた。

 しかし、クロが腹減らしで食った時の金とは模様も臭いも違う。

 あおいに騙されんよう警告してやった。

「あれはね、海のずっとむこうの遠くで使われている、御・か・ね!」

 そのように遥かな場所では使い様が無かろう。

 何が悲しくて人間はこんなに金が好きなのかのー。



 正月早々、診療所で宴が開かれた。

 毎日が宴の庭だが、改まって招待状まで出した宴は吾輩がここに来てから初めてである。

 隣の空き地にみすぼらしい祠があって、その祠とコラボしたかのごときクラシカルなブリキ小屋が併設された祝いである。

 祝い事が好きなのは人間の特徴で、特に診療所の者達は赤の他人の誕生日を祝ったり、今にも朽果てんばかりのブリキ小屋建設を祝ったりと、とんでもない理由で宴を開く。

 隣家の祝いであれば隣に広い空地があるのだからそこで催せばいいものを、わざわざ吾輩の額ほどの診療所の庭で祝っている。 

 隣の小屋は、何時も海に行く途中で見かける農家の小屋に酷似している。

 見習って作ったかのようで、写実派のお手本とも言うべき建築様式である。


 錆の塊に車輪を付けたトラクターとか言う奴と、軽トラックという車が軒先で昼寝をこいている。

 小屋の中は頗る豪華で、銃火器の充実ぶりには驚かされた。

 いつ戦争がおっ始まっても、武器の量ならば何処の軍隊にも引けをとらんほど有るが、兵隊が二人しかいないのが残念な部隊である。


 クロが奥に飾ってある極道と書かれた額画を指して、ヤクザの家で見た事があると話してくれた。

 おそらくこやつ等もヤクザの一種で、ヤブはマフィアと称していたが、マフィアというのも刑事と同じでヤクザ組織の一と思ってよろしいようだ。 

 刑事といいマフィアといい、ヤブはえらくヤクザ組織に好かれた者で、太古からそうであったように、祈祷師の周囲には兎角厄介な連中が寄り合うものである。

 たいして繁盛した地域でもないのに、診療所の一角だけが毎日毎夜宴に狂乱していられるからには、善からぬ事業が生業である。


 クロは呑気なもので「食って呑んで昼寝が出来りゃ主人が何者だっていいんじゃねえのかい」といった具合である。

 まったくもってその通りだが、厄介事に巻き込まれるのは嫌だとウルゝ考え込んでいたら、たちまちマフィアの親分と芙欄がヤブとヒソヒソ話しを始めた。

 誰から見てもイヤらしい絵面である。

 ひょっとしたらヤブ達は、始末屋などと世間で言われている裏稼業でもしているのではなかろうか。

 常々思っているが、人は路傍に死体が転がっていれば慌てるのに、診療所から死体が出たとて誰も不思議には思わない。

 仮にそれがヤブやヤクザ組織によって殺された死体であっても、他殺とは努々疑わないのである。

 勘ぐると底無しに怪しい連中が寄り合う今日この頃。くわばらくわばら。


 いかなる密談で盛り上がっているのか、気になるものだからちょいと仲間に入れてもらった。

 猫語を解さぬデレ助ばかりである。猫がウロチョロしているからと見向きするでも無く、ペラペラとしゃべくり続けている。

 芙欄曰く、ヤブと隣りのヤクザは遠い親戚である。

 しかし、何処まで遠い親戚なのか。ジュラ紀まで遡れば猿でも親戚だ。

 何を企んでおる。


 ヤブの曽祖父と隣りのヤクザの曽祖父が再従兄弟。

 代々医者の家系だったヤブの祖父が、大恐慌で世界中がキナ臭かった時期、太平洋戦争勃発前に父親の再従兄弟の子である隣りのヤクザの祖父に財産の半分を預けた。

 ここまで解ったかの。

 吾輩は既に理解の範囲を超えた話になっているので、あきらめておる。

 戦争のドサクサで財産が総て無くならないよう。戦果がどうであれ、半分は残る勘定をした。

 既にこの時点で天草四郎の秘宝なみに怪しいくなっている。

 戦後、隣りのヤクザの祖父は、預かった財産の一部で子供達を医師にした。

 当然、ヤブの祖父に相談した上での事。親戚に医者が増えるのを大層歓迎したそうだが、誰に聞いたか誰が言ったか。

 戦後の混乱期、連絡も取れずにいたが、暫くして日本との行き来が自由になると、隣りのヤクザの祖父が医療事業への投資を持ちかけたから、ヤブの祖父はアメリカにある病院の株主になった。

 ヤブの祖父が子であるヤブの親父殿に、病院の経営権を移行した時、アメリカの病院株を譲渡現金化。

 親父殿の病院に運転資金として割り当てる予定だったが、金は届かないまま祖父は他界。

 金の事は親父殿を含め誰も知らなかった。

 そんな大事な事を誰にも言わないか、普通。

 その運転資金を日本に送った事にして横領したのが、ここにいる隣りのヤクザ有朋である。

 運転資金は日本に届いていると信じたまま、有朋の祖父も他界。

 病院の運転資金は徳川埋蔵金のごとく、アメリカの地に留まったからややこしい事になっている。

 有朋にとって実に都合の良過ぎるタイミングで両祖父が他界。本当はコイツが殺したんじゃないのか?

 放蕩息子の行方など気にも留めていなかった有朋の父親は、そんな事情を知る術も無く年月は流れる。

 悪運に恵まれた有朋は、この資金を元手に大博打を繰り返し、現在の莫大な資産を手にしたのである。

 有朋の父親が息子の暴挙と諸事情を知り、親父殿に詫びを入れ金を日本に送ろうとしたが、その父親も必ず親父殿に金を届けるよう言い残し他界していた。

 有朋は遺言に従い、悪事塗れで増え続けた超汚い金の半分を、洗浄もしないで送りたいと親父殿に申し出た。

 それを聞いた親父殿は、どうせ大した金額ではなかろう、つまらない事件に巻き込まれたくはないと、ヤブに届けてくれるように手配していた。

 のだが、これまたヤブにその事を知らせていなかった。

 厄介事は問答無用でヤブに押し付けるのが、山武家の家風である。

 そんな裏話を聞きつけたのが、山武家を徹底的に調査していた詐欺師の田増、改め芙欄がこの詐欺師である。

 ヤブが語った病院船計画なる夢話を基に有ること無い事語って聞かせ、有朋から病院船の資金を引き出していた。

 詰まる所、有朋が届けた額面一億ドルのおカネ! はヤブの物で、有朋は当然の配当金をヤブに届けたに過ぎないのである。

 しかし、他所の国の金では使いものにならん、何処がそんなに有難いのか。



 正月も終わりの頃になって、ヤブの親父さんが近くのおっ潰れそうな病院を乗っ取る巧みで診療所にやって来た。

 この診療所がすぐさま潰れそうだと言うのに、他の病院をいじくっている場合ではなかろう。まったくもって流石に親子、いい加減な風潮がそっくりである。


 親父さんも暫く診療所に居候する事になって、診療所の病室は満杯となった。病人が居ない病室は妙なものである。

 愛らしさに人気があるのは嬉しいが、吾輩の所に皆して遊びに来るものだから、何時しか吾輩専用の部屋が皆の憩の場と化してしまった。

 今時夜などは寒くて外には居られんが、昼間の暖かい時はビニールハウスのテントで、クロとのたりゝ過ごす事が増えた。



 診療所をうろついていると、可愛がってくれる患者ばかりでも無く、猫の嫌いな患者にはそこそこ意地の悪い事をされたりもする。

 そこは誰もが猫を好きになれとも言えんので我慢していた。

 とかく人間のする事は面倒で付き合いきれんから、最近では殆ど診療所にはいかなくなっている。

 隣の有朋組というブリキハウスに行けばそこそこ歓迎されるので、クロ共々遊びに行く機会が増えて入り浸りの日々である。 

 そんなこんなで診療所に顔を出さないでいたら、いつからかテントの中のコタツに電気が繋がれていた。

 づうーっと御願いし続けていたのが、やっと叶えてもらえた。

 寒さをしのげるほどにヌクゝできるようになったのは歓迎すべき事である。


 ヤッホーなどと喜んでいたら、ビニールハウスにアルベルト・アインシュタインの部屋と看板がぶら下げられた。

 体のいい追い出しではないか。いやー何とも情けない。

 しかしながら小さな扉はそのままだし、何時でも出入りが自由だから吾輩専用の部屋が一つ増えたと思えばいい。 

 これに一番喜んだのは、ここに住んでいないクロである。

 クロは親切にしてくれるあおいのファンであるから毎日でも診療所に来たいが、天気の具合でなかなかそうはいかない。

 それが、コタツがぬくくなってからというもの、テントはクロにとって恰好の住み家となった。

 義理立てて主は車屋としているものの、一日二日留守にしても気にするような主人ではない。

 ビニールハウスの中、それもテントのそのまたコタツとあっては、いかに猫嫌いの患者でも虐めようが無く、天気の都合で来られないという事も無くなった。

 今では車屋のクロか診療所のクロかわからんようになっている。

 おまけに吾輩はクロに弱い。

 診療所は奴に乗っ取られたも同然である。

 天涯孤独とはいえ立派とは言えないにしても一匹の雄猫としてかような行為は好まんのであるが、吾輩の寝床まで占領されては困るとあおいに言ってやった。

 ほどなく、吾輩の新品寝床を用意してくれた。

 どうだまいったかクロ。悔しがれクロ。やーい。



 昼間の暖かさにコタツの上でゴロゴロしていると、この辺りでは見掛けないカッチンキッチン身成の男共が診療所にやって来た。

 ちょっと集金にと言って出かけるヤクザと同じに、首に太い紐をぶら下げている。

 この様な身成の男達は概ね優しそうなふりをして、いざとなったら強烈な暴力行為に走るものである。

 女主人の家にいた時も、頻繁に亭主の下男を訪ねて来ていた。

 あれはどう見ても極道の借金取という族である。

 ここへは博打ノミ屋のつけを取りに来たに違いない。とうとうヤブも首が回らんようになったか。


 そろそろ次の住所を探さねばと思いながら眺めていた。 

 借金取は押し並べて怒鳴りながら家の戸を蹴飛ばすのだが、こやつらは気味が悪いほどに穏やかで異常にこしが低く、ヤブ親子を先生と呼びへつらっている。

 米つきバッタが普段にも増した勢いで、前屈運動を繰り返しているようである。

 吾輩の経験からすれば医者と言われる族も、先生と呼ばれる時がある。

 特に患者にあっては、その殆どがヤブ先生だのあおい先生だのと呼ぶ。

 しかしながら、患者でも無い者から先生と言われるからには、どうせロクデナシである。

 どこの誰ベえまでは知らないが、弁護士先生とか政治家先生とかにはタワケ者が多いと聞く。

 ヤブは親子して、まーた何かを企んでいるに違いない。

 吾輩の好奇心アンテナはビンビンである。


 人間は猫が人語を解さないと思い込み、猫の前ではどんな用心深い話しでも平気でベラーベラとしゃべる。

 かくいう吾輩は、常時あおいの密偵である。

 この様な場面では、何が何でも密会の内容おば知らねば、普段からの借りが返せない。

 何時もの様にバーベキューと称した密談の場に行き、食い物をねだる様子を見せゝ会話を盗んでやった。

「そこを何とか、もう少し色をつけていただけないでしょうか」

 カッチンキッチンがペコペコと、ヤブの親父殿に諂っている。

「だめだっぺよー。こんでたんねえってんなら勝手に潰れちまいなよ」

 借金の催促をされているにしては、親父殿の態度が大きく予想外の展開である。

 とんとこの会話の意味は理解できない。よって、そのままあおいに伝えた。

 そうしたら嬉しそうに「もう少し我慢すれば君の部屋が元の部屋になるのよー。私はここの所長。一番偉くなるのよー」となでなでしてくれる。

 んー何の事やらまったくもって意味不明だが、風でふわふわしない個室に戻れるのであれば歓迎すべき事である。


 その夜は密談バーベキューのまま宴となり、何時もの事であるが、それぞれそれなりにへべれけとなった。

 ヤブ親子は余程機嫌が良かったのか、夕べを過ぎて寒くなって来ると、吾輩のみならずクロまで診療所の中に招き入れ、猫ッ可愛がりのグーリグリをした。

 あおいやキリちゃんや何とかちゃんにグリングリンされるのは好みだが、どうにも不細工な子汚い親父共にグルリグルリされるのは気持ち悪くていかん。

 とっとと酔っ払って寝ちまえである。

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