2 猫と炬燵とマタタビ酒

 海に通じる林道の入口に、並外れた販売不振の焼き芋屋が客待ちをしている。

 小腹が減ってきていたが、クロへの土産を食う訳にもいかんし食う気にもなれん。

 見れば焼き芋屋は戦後最悪の暇を絵に描いたようである。

 火を使って調理している食物は、長時間保温のまま放置すれば必ずや焦げて売り物に成らなくなるのが道理。

 そうならないまでも、時が過ぎればスモークを越えて炭寸前にまで粗悪な物になる。

 吾輩は遺伝子に受け継がれし猫の特技を生かし、居眠りに船こぐ露店の店主めがけこれ以上は無い猫なで声を浴びせた。

 ふっと睡魔から解き放たれた店主の目前に行儀よく座って見せる。

 商いをする者をターゲットとするならこの時に、陶器で出来たる置物の真似事をすればなおよろしい。たちどころに食い物の一つや二つ、望めば飛び出るジャーン。

 店主が熱々石の中に数日入ったままの芋を一つ差し出す。

 取り忘れて数年漬け続けた糠床胡瓜状態になっている。馬鹿野郎!


 天使ほど可愛い吾輩でも元は猫である。

 露店の店主には世間を斜め四十五度にしか見られない者も居ると聞いていたが、初めて出会ったよ。

 御前に吾輩は何として見えている。

 吾輩は猫である。確実に猫舌なのだよ。

 極安ライターの火で直ぐに引火するまで加熱されていた芋をそのまま出され、喜んでバクゝと食う猫がいると思っているのか。

 フーフーしろよ。冷ましてから出せよ。気のきかねえ野郎だ。

 ヤブは熱い物を勧める時、必ず人肌までフーフー冷ましてくれるぞ。

 不本意ではあるが、お互い沈黙のにらみ合いが数分続いた。

 ようやく気付いたか、店主が芋を千切りフーフーして吾輩の口元まで運ぶ。

 宜しい、そこまでされたら拒む理由はない。


 猫はすべからく肉食系男子である事を良しとされているが、芋も食えば刺身のつまである千切り大根も好物である。

 特にマグロの血がついた大根は美味い。

 鮎や山女魚に似た香のスイカやメロンといった瓜類も好きである。 

 ヤブの家では焼き芋を食う機会を失っておったが、女主人の家では毎日のように芋の皮を食っていた。

 皮だよ。たまには実を食わせろよ。

 腹も膨れた、滅多に食さぬ芋の実の部分であるがゆえ胃もたれ不快感は仕方ない。

 肉食系であって残念に思う部分である。


 いざ海へと通づる小路を行けば、通りから見ると松林であったのが、混じって落葉低木も少なからず山を賑やかしている。

 絵葉書の紅葉とまではいかないまでも、吾輩程の背丈なれば巨木でなくとも紅葉狩りを堪能できる。

 普段なら肉球の御蔭で歩くのに音などしないが、この小路に措かれた吾輩の歩みを感知するのはさぞ容易かろう。

 踏み出す度に舞い散った枯葉が、サクッゝと居所を辺り中に知らしめている。

 昼間だというのに早朝ほどに薄暗く、吾輩の瞳は今まさに真ん丸のクリゝである。

 思わず、キャ! 可愛いと言いたくなるに違いない。


 どうした物か、林に入ってから何とも不思議な感覚に戸惑っている。人の臭いがするのである。

 何処に目をやってもその様な姿は無く、息遣いさえ聞こえてこない。

 人といっても獣に似た者で、巧みに己の気配を消してこちらの様子を伺っている。

 普段嗅ぎ慣れた人の香には無い野生が感じられるのは気のせいか。

 狼男でも住み着いているのか。それにしては殺気を感じないのも妙である。

 臭いも気配の一であるが、自然の中に漂っているならば残り香と判断されるところである。

 人との暮らしが長く、屋外での状況把握能力が危険なほどに衰えているのは否めない。

 そんな吾輩の個体特性を考慮しても、猫族が周囲の生物分布を把握できんような状況に陥るなど有りえん。

 どうにも理解できん事態である。

 この場合は概ね「ある日・森の中・熊さんに・出会った」時の対処方でよい。

 慌てず、焦らず、走らず、目を合わせず、ソロリゝと其の場を離れればよろしいのである。

 目を合わせようにも相手が見えんがの。


 周囲への警戒を怠らずゆっくり進めばよい筈であったが、突如チクリと痛みが尻を襲った。

 この痛みはいつか感じた痛みである。

 ヤブが食い物を盗まれた時、吾輩に対して行う使用済み注射針吹き矢攻撃の痛みに酷似している。

 とか何とか云ってるうちに、睡魔に襲われ其の場に眠りこけてしまった。麻酔注射を打たれたようだ。

 吾輩は如何にも外見が虎である。遠くから見れば凛々しい虎に見えなくもない。

 それよりなにより、まずは考えろ。この松林になんで虎がいるんだよと。

 本当に虎なのかと疑って、もう一度確認しろよ。虎ではあるがキジトラだろ、だろ!

 何の因果で猛獣用の麻酔打をたれなければならないのかな? しっかり監察しろよウスラボケ!

 どこからどんな奴がどの様な姿勢でどんなに偏った思想を持って見ても間違い様がない。吾輩は猫である。


 どれ程眠らされていたのであろうか。気付けば青い光が壁から透き通って見えるあばら家の中にいた。

 近代文明を真向から否定した身成の絶滅危惧種、野蛮人に囲まれている。

 こやつらこそがクロの言っていた猫食い人種であると吾輩は確信した。

 ここで食われるのは本望ではない。

 とっとと逃げる算段をするしても、先ほどの麻酔が抜けきらないで思うように体が動かない。


 この家に充満するのは、こやつ等の発する獣に似た人の香と、徹底的に煮出し更に砕いて骨の髄まで抽出したる鴨が出汁の香。

 見える鍋の横には、粉砕された鴨ガラが置かれてある。 

 異常なまでの執着をもってしなければ、ここまで骨はこなれる物ではない。

 普通の人間がここまでやるか。

 鴨や魚なら許せる。元々野蛮な生物であるから、人間同士の食い合いもまだ許せる。だが、猫を食う事ないだろ。

 世界中の猫を敵に回す行為だぞ。考え直せ。今ならまだやり直せる。


 ようやく手足が震えながらも動かせるようになってきた。

 気取られぬよう、ソローリ起き上がろうとして捕まり、虫かごの馬鹿でかい檻に入れられた。

「もおちいっーと待っとってな。美味いもん食わしたるけーのー」

 何が美味い物じゃ。料理された自分は食えないわい。


 少々汚れの目立つ器に盛られた一品を鼻っ面に突き付けられたが、檻の向こうでは食うも蹴飛ばすもできん。

 こやつ、吾輩をそこら辺の野良猫と同類だと勘違いしている。

 吾輩の様に高貴な目鼻立ちの猫と、ウスラこ汚い器で飯を食う野良猫の区別もつかんとは、やはりこやつ等は野蛮な原始人である。

 ん……今、何気なく言われたままに聞き取ったが、こやつら猫語を習得している。

 発音もイントネーションも実に美しい猫語を話す。

 しからば、こやつら並の人間よりも卓越しておろうに、見掛けが疑う余地なく低俗である。

「麻酔注射なんてわりい事しちまったんだがの、勘弁してやってくんな。おめえさんな、頭の天辺によ、妙な物付けられてたんでなあよう。外しといてやったんでのー」

 人間として逸脱した身成の理由が何となく見えた。

 こやつの人間語は自身が話す猫語に遠く及ばず、極めて不明瞭である。


 頭の天辺に変な物とは、いったい何時くっ付いたのか。

 見当もつかんが、親切に外してくれたのならば感謝すべきであろう。

 ここは素直にご苦労大義であったの謝意。

「早くここから出せよ。クソったれ!」


 ほどなくして、吾輩は檻の外でこやつ等が作ってくれた皿の物を食した。

 麻酔でどれだけ寝ていたかは定かでないが、芋を食ったばかりで皿に山盛りの飯は流石に食いきれんと思っていたが、イヤー! これは吾輩如きがとやかく言えるような代物では無い。芸術である。

 食の域を超越した崇高の味わい。幾らでも食える。

 いとも容易く一皿が胃袋に収まった。

「腹減ったならなばよ、何時どきなんでもこいやい」

 有難い言葉だが、何かしっくりこない。猫語で話した方がいいぞ。

 しかし、これならば腹が減って無くともまた食いたい。

 クロにも教えてやろう。


 松林を抜けると、見える限り砂の大地が広がって、叫びたくなるほどに歩き難い。

 吾輩の足は、ズクゝとだらしない地面を歩くには不適な構造をしている。

 これは吾輩を捨てた親の遺伝子がどうのでは無い。総ての猫に共通する劣性である。

 足の裏が広ければ砂に潜る不都合は起きないが、猫族は無防備で風当りが強く住みにくき海岸に長く住まう必要がなかった。

 大きく偏平した足は、進化の過程で何処かに置き忘れてしまったのである。

 この劣悪な環境に適さないフォルムを分析すると、猫族が幾百代も続いて過ごし易い環境下に身を置けた優秀な種であるのが証明できる。

 クロから聞いたのを信じれば、砂浜は極めて歩き難いので波打ち際を歩けば足が取られずに済む。

 水に濡れるのは好まないが、この際致し方ない。


 波を除けフラゝ進むものだから、ポツゝ足跡の合間に垂れた尻尾が障害物を巧にかわし走るバイクのタイヤ痕に似ている。

 ピンとしていたいが、意に反して逆境では尾が垂れるのを抑えられない。我儘な尻尾である。

 それでも初めて見る海は想像していた物などとは比較にならない大きさで、果てが無いのではと思える。

 現にここから見える海の向こうには空が有る。

 きっとこの海は果てまで行けば空に繋がっているに違いない。

 その空をたどってゆけば、また海に戻って来る。

 雲は空においては陸地と同じである。



 海岸とは実に清潔なもので、道程に転がっていたゴミの類は無く命の息遣いを感じない。薄気味悪いほど無機に感じる。

 波の音、風の音が無かったならば死者の世界である。

 限りなく広く関心する海ではあるが、それ以外に心ひかれるものを見つけられない。

 クロは頻りに海は良いぞとうなっていたが、具体的には何がいいのか聞いておらなんだ。

 近く会ったなったらば、海の魅力などをしっかりと講釈してもらおう。


 巫女が言っていた獣道に向かって海岸を歩き続けると、波に揺られて小箱が有る。

 この様な箱ならば女主人の家でも見た事がある。

 中には石のついた小さな首輪やら針の付いた鎖だの、小物を引き回す丈夫な長い鎖が入っていた。

 拷問の道具である。

 人間とは小物を虐めて喜ぶ族であるから別段驚きもしなかったが、この箱に入れる道具を貰った女は歓喜する。

 道具を身に着け周囲の者にひけらかし自慢する。

 私は拷問好きだとふれ回っているのだから、なんとも愚かな連中である。

 しかしながら、中に入れる物だけでもあの喜び様なのだ、箱ごと持って行ってやれば巫女がさぞ喜ぶであろう。

 少々海に浸かって塩辛いが、そこは我慢して銜えあげる。 

 中まで海水が侵入している様子はないが、なかなかに重い。随分と多くの道具が納まっているのであろう。

 女主人の箱より二回りは大きい。


 薄暗い獣道に入ってから、林で吾輩に御馳走してくれた者達の慌てた声が聞こえて来る。

「どざえもんだ!」

「生きちゃいねえだろう」

「救急じゃねえなー」

「警察呼べやー」

 そういえば、この箱の近くに人間らしき物体が横たわっていたが、どざえもんであったか。

 もしや箱の持ち主ではと思わんかったでもないが、気持ちよさそうに寝入っていたもので起こすのも気の毒だからソオーとしておいた。

 どざえもんならば盗ったも盗られたもなかろう。安心して成仏せい。


 この道はクロがよく使っているので、奴独特の下水臭がいたる所にこびり付いている。甚だ不快である。何食ったらこんなに臭くなるんだ!

 ここまで強烈な臭いなら、鈍感な人間でもこれがあやつの専用路であると分かる。

 雑貨屋の裏手を通っている道で、車の音が建屋の向こうをしきりに走り過ぎて行く。


 道なり歩き続けて行くと、ポッと明るくなり巫女が住まう神社に出た。

 祭なのか、境内は海岸とは打って変わり活気に満ち溢れているとでも言うべきか。やたら人が多く村の全住民がここに集うているのではないかと疑える。

 屋台が並び、吾輩の好むイカ焼きの匂いが鼻をくすぐる。

 この匂いに混じって、今まで嗅いだ事の無い酒の匂いも漂っているが、どこでふるまっているやら。

 呑み過ぎた者が不信心にも御神木下の枯芝で寝入っている。芝生内立ち入り禁止の看板が見えないか。

 鎖で囲ってあるだろう。だから警戒心も羞恥心も道徳心も信仰心も酒に流された酔っ払いは嫌いだ。

 この様に神をも恐れぬ不作法者からは、チョイと財布をいただいてイカ焼きを買おうか、それともダイレクトに屋台からイカ焼きをかっぱらうか。


 結論の出ぬまま屋台と酔っ払いの間を行き来していた。

 そうしていると吾輩の魂胆をたしなめるか、不意に頭上から声がした。

「猫ちゃん。来てくれたのね」

 風鈴に似て爽やかでありながら、コタツの温もりを含んだ巫女の声が、吾輩の聴覚神経をメロゝにする。あうーん。 


 先ほど海で稼いだ貢物を自慢し、足元に置くと猫座りをして巫女を見上げた。

「お土産? 嬉しいわね。なにー。キャッ! 密輸ダイヤじゃないの。御手柄よ。偉いわねー」

 かくして巫女は吾輩の計画どおり、その場で歓喜の舞を披露してくれたのである。


 密輸ダイヤなる物の礼に社に招き入れてもらえた。

 箱の中には鎖も針も無く、ゴツゴツした沢山の硝子玉が詰まっているだけである。

「猫ちゃん、発信機取っちゃったのね」

 巫女が何度も吾輩の頭を撫でてくれる。

 巫女とはいえ女子である。拷問道具で喜ぶものと思うておったが、女主人とは品格が違う。

 この硝子玉の上品な輝きは巫女によく似合っている。


 変わった臭いの白い酒を振る舞ってもらえた。

 まったりと舌にまとわりついて程よく甘酸っぱく、洗練されたものではないが懐かしく味わえ優れた酒である。この酒を人間は濁酒と呼ぶ。

 腰が抜ける程にイカ焼きも馳走になった。

 極楽とはこの地を言うのであろう。


 帰り際、ヤブに届けてくれと小包みを預かった。

 巫女はクロのみならずヤブとも知り合いであったか。吾輩は今回のハート型椅子取りレースにおいて、きゃつらに十歩も二十歩も出遅れている。

 小包みと一緒に手紙も預かった。診療所に近いネギ畑にいる不細工な男に宛てた文である。

「恋文じゃないから大丈夫よ。しっかり届けてね」

 いかん、すっかり心の奥底まで読み取られている。

 流石に巫女、猫の心までも見透かせるとは優れた能力者である。


 祭に賑やかな境内であるが、ちと気になる者どもがいた。

 海岸で出くわしたどざえもんと同様に、酔って寝た者の心音と息遣いが感じられない。

 酔って死んだのならばそれでもいっこうにかまわんが、夜店の店主や走り回る子供等にも同じような者がいる。

 人間には亜種がいるのか巫女に尋ねたが、あの者たちはあれでよいのだと笑うのみで詳しくは教えてもらえん。

 酒を呑み、イカ焼きも食えたのだから気にする必要もないが、どうにも気に掛かってならない。

 ヤブに息をせんような種が人にいるのか聞きたい所であるが、如何せんあの者は猫語を解しておらん。

 聞き様のないメンドクサイ男が、巫女の答えられぬ事を知っているとも思えん。

 今回の旅で出くわした解決せぬ疑問である。


 巫女の言いつけ通り、ネギ畑のオヤジに手紙を渡す。こやつは猫語を話さぬ者である。

「偉いな猫。後で良い物やるから家で待ってろ」

 御使いはやってみる物だ。良い物と言うからにはさぞや期待してよいのだろう、しょうも無い物持ってきたらタダではおかん。


 ポトゝと診療所の前に着くと、F1並の加速で走り去る黒い生物とすれ違った。

 体形毛色といい独特のションベン臭い体臭といいクロに酷似していたが、何か違うような。

 急カーブのドリフトが軽やかで、体重の重いクロではあのGに絶えられん。

 それに後姿がスレンダーである。

 ほんの数日前にあったばかりで、いくら優れたダイエットをしたとしてもこの短期間であそこまで体を絞るのは不可能である。


 診療所に着くと、黒い泥棒猫が食卓に出して置いたカラスミを食って、酒まで呑み逃げしたと凄まじい剣幕である。

 このタイミングで吾輩が出て行ったのでは、同じ猫族とばかりの八つ当たりが無いとも限らん。ほとぼりが冷めた頃に顔を出すとするか。

 それにしても、泥棒猫の騒ぎばかりではなさそうである。

 何時もと様子が違うので診療所の奥を覗けば、そんな事していいのかよと言いたくなる事態となっている。

 この診療所と付属する医師には、技術も設備もやる気も気力も体力も金も仁徳も無いというのに、入院患者がいる。衝撃的かつ歴史的展開である。

 死にそうな患者を診ているだけなら、たとえ死んでも誰が殺したのかウヤムヤにできるが、入院していた者が死んだとなると、いかにもヤブが殺したように見える。

 あやつが逮捕され死刑になって、吾輩が食いっ逸れるのは火を見るよりも明らかである。

 更にまだ驚愕すべき事がある。入院患者がヤブと一緒に酒盛りを始めた。

 自殺行為と見るべきだが、随分と明るい無理心中である。

 ここまで常軌を逸した生態を見てしまうと、女主人の家がまともに思える。

 吾輩はここに来て、人のアホ度は際限なくその度数を上げて行くものだと知った。


 呆れ返って外のテントで昼寝をしていると、ネギ畑にいたオヤジが吾輩を探して呼んでいる。

「ねーこ、猫、ネコー」

 間違いなく猫である。だが、何となくムッとくるのは何故だろう。


 ヤブの客として来たのだから袖にするのも気が引ける。

 呼ばれるまま眠い目で出て行くと、オヤジが包みの中から上等な牛肉を吾輩にくれた。

 生! 完全レア牛である。噂には聞いていたが実物を見たのは初めてー、ルンルン。

 海も見られた。今日は良い事ばかりで、オヤジは脂身の塊も置いて行ってくれた。何と良い人なんだ。神様のようだ。

 脂身を舐めながら、暫くはここに居てやってもいいかなと思った次第である。んー、何か忘れているような。

 食い残しは後でまたの楽しみにとっておくとして、もう一眠りしようとしてふと枕に気付いた。この枕、巫女からヤブへ届けるよう頼まれた包みであった。

 ほとぼりも冷めたであろう。酒も呑んでいるから機嫌もいい。そろそろ届けてやるか。


 ねぎオヤジと患者とヤブの、少人数ながらも派手に騒がしい宴の席にチャイと混ぜてもらい、掌に巫女から預かった包みを乗せてやった。

 ヤブは酔っているくせに前後の見境が少し残っている。 

 不思議そうな顔で包みを開けたと思ったら、吾輩はヤブに抱え込まれ過剰な猫可愛がりをされた。

 ずっと昔に同じ事が有った様な。デジャブーか?


 包みの中には朱色の硝子片がわんさと入っていた。

 どれもこれも角が取れ、表面がザラザラと擦りガラスになっている。

 こんな物の何処が嬉しいのか。ことごとく人の好みとは猫に理解出来ないものである。

 あー、これは別である。スキ焼という食い物。今日は最高の一日である。



 十日ばかり診療所に厄介になった。

 ヤブは吾輩をえらく気に入って、迎えが来た時養子にくれと嘆願したが、主人は子供の遊び相手が居なくなるからと断りやがった。

 何だよ。あんなジャリ餓鬼に甚振られるより、ここでスキ焼食ってた方がいいもんね。である。


 切実な願いは叶わず、主人の畑でふて寝をしていると、クロが松葉杖をつき二足歩行でやって来た。

 擬人化もここまで来ると呆れ返るばかり、鳥獣戯画も真っ青の描写である。

 彼の光沢ある黒毛には白髪が混じり、高齢化に向けてまっしぐら。

 たっぷりだった毛も所々抜け銭ハゲになっている。

 腐ったサンマの目と称した目は本当に腐れだし、目ヤニが乾いて目じりがカペゝになっている。

 この分だと、頭に虫が湧きだすのは時間の問題である。

 ことに著るしく吾輩の注意をひいたのは、気力の消沈と体格の悪くなった事で、人間ならばスリムになったとダイエットに掛かった莫大な費用など忘れて喜ぶが、猫族としては命に関わる一大事。

 食い意地の張ったクロの胃腸は下水道並に汚染されている。それでも元気に走り回っていた。

 どれだけ古い物を拾い食いしたらば、ここまで具合が悪くなれるのか。

 ネズミなどという不潔で気持ちの悪いゲテばかり食っていたからに違いない。だから、ねずみ食うなって言っただろう!


 吾輩が最近はどの様な暮らしぶりか尋ねる。

「いたちの最後っ屁と魚屋のスタンガンには懲り懲りだ」 

 なんとも無謀なチャレンジをしたものだ。

 猫仲間では近所でも群を抜く悪徳魚屋だと聞き及んでいるあの魚屋に、単身乗り込むとは命知らずにもほどがある。

 車屋の主人に毎日美味い物を食わせてもらっているのだ、命かけて行くほどに高級な魚など並んだ事の無い魚屋に、どんな事情があったら行く気に成れるものやら。


 聞けば、車屋の主人がレースに出て大怪我をした。

 始めは大きな病院に入っていたが素行が悪くて追い出され、近所の診療所に転院してしまった。

 それでも暫くは近くの雑貨屋でネコナデ声をあげれば食うに困らずいられたが、雑貨屋の改装工事でここ数日は食い物に有り付いていない。

 主人が入院している診療所に行ってみたが、どこぞの泥棒猫が医者のツマミに酒までも盗んだ後で頗る猫には辛くあたられ、とんだ濡れ衣を着せられたままクロは二度と診療所に行けなくなっていた。

 松葉杖は診療所から逃げる時に急カーブでドリフトしたら、Gに耐えられなくてシャフトが折れたもので、よくある事故である。 

 八地蔵の丘で妙な臭いのする鴨の頭を食ったきり、ここ数日は水だけで飢えをしのいでいたのだと嘆いている。


 自慢のネズミ取りはどうしたかと尋ねた。

 彼も観念したのか申し訳なさそうに「ありゃ大嘘だよ。ネズミなんて不潔で気持ち悪いゲテモノ、俺は食わねえよ」始めて吾輩とクロの食に対する意見が合った。

 しかし、彼の口から不潔と発せられるとは予想だにしていなかった。

 後姿がフラフラと栄養失調の歩みで、コテコテ転びながら去って行く。

 あっ! 松林の御馳走を教え忘れた。



 下男は毎日どこかに出かけていく。

 出かける時間はまちまちで、夜中になってから出かける事もある。

 帰るとすぐに風呂に入り、借金取が来ると女主人に居ないと言わせ居留守をつかう。

 この時ばかりは下男らしからぬ態度で威張っているから不思議だ。

 日々追われる身だからか、下男は胃腸が弱っていて胃薬を大量にかじって食す。あれでは薬も毒になる。


 ジャリ餓鬼は関心にも悪魔の教育機関に休まず通っている。

 幼稚園という養成所には、ジャリ餓鬼がウジャウジャ居ると聞いた。

 今は鬼だが切磋琢磨して立派な悪魔に成る為の努力をしているのだが、帰ると唱歌を歌って吾輩を袋に入れ毬の代わりとけり上げる。痛いんだよ!

 それに飽きると尻尾を持って振り回す。痛てエっつってんだよ腐れチンピーー!

 幼稚園ではこんな事を教えているのか。

 帰って来てからの復習に余念のない二人。猫の恨みは十三代続くと教わっていないのか、忘れたか。


 無茶が過ぎる早朝、主人の所へ一枚のディスクが届けられた。

 説明書を上から眺めたり斜めにしたり。

 写し出される動画に合わせ、横縦体を捻じ曲げ手を伸ばしてブラブラしたり。

 または姿鏡に向かって足を上げたり下げたり。

 早くやめてくれないと埃っぽくてたまらない。

 ようやくの事で動揺が治まったら、小さな声で「うー疲れた」無駄に疲れる事するなよ。腹が減るだろう。

 余計に飯を食う気なら、じっとしていて吾輩にその分をくれてもよさそうなものだ。

 出来る事なら、今夜の食い扶持が少しだけ増えていてほしい。

 吾輩の食い分でないにしても、せめて猫仲間であるクロの食い分にしてやりたい。


 この夜、願いが叶ったか確かに御馳走であった。

 だがその御馳走、吾輩の為ではなかった。

 こともあろうかこの様な理不尽が有っていいのか。

 主人は吾輩を外に追いやり、犬を家内にて飼うと言い出した。

 まだ子犬で血統書付の由緒正しき御犬様だとか、主人はどえらく御注進である。

 ジャリ餓鬼が子犬に夢中で、静かに過ごしたい吾輩に平穏な時間が出来たのは喜ばしい事だが、家から放り出され並に不味かった飯は磨きの掛かった残飯になった。

 もはやここに居る理由もあるまい。



 いいさ、家出してやると思っていたら、ヤブの診療所に連れて来られた。この家の養子として受け入れられたのである。 

 居候していた時は外の犬小屋が住まいであったが、これからは病室の一を自由に使っていいと名札まで下げられている。名札?

 吾輩に名前など無い。あいや、そうではない、名前が有りすぎてどれが本当の名前か分からんのである。

 ヤブは吾輩にどんな名前をつけてくれたのであろうか。

 大きな引き戸には、アルベルト・アインシュタインの部屋と可愛い子ブリッコした名札がぶら下っている。長ったらしい名前である。

 これからはアルベルト・アインシュタインノヘヤと呼ばれるのか。

 言葉を縮めて発するのは好ましくないと思っているが、この場合はせめてアインとかシュタインとかアルとかベルトとかノヘヤにしてはもらえないものかと願っていたら、そのうちアインで落ち着いた。


 吾輩には診療所を通らず部屋に入る専用出入り口が有る。

 身の丈一尺の猫だから、戸は一尺二寸もあれば十分に出入り出来る。

 ところがこの屋の主であるヤブには大工の心得が無く、吾輩の為の出入り口であるのに一尺五寸丈の戸を建て付けやがった。

 今ではクロが遠出をして来た時、昼夜を問わずにこの戸から部屋に侵入して来る。

 吾輩だけの時はいいが、時たまヤブの友人が同室で寝泊まりしている時は気軽に入ってこられない。

 うっかり見つかってしまおうものなら、部屋に常備されている布団叩きでしこたま打ちのめされる。

 そんな時、クロは吾輩の別荘に引籠る。

 別荘は診療所の前に造られたビニールハウスの中にあるキャンプ用のテントで、だいぶ草臥れているが中には大好きなコタツが置かれている。

 ヤブがいない時は暖かくないが、それでもコタツに潜ってうずくまっていれば何とか寒さはしのげる。


 以前住まっていた家では随分と甚振られ辛い思いをしたが、ここに来る者は医者か病人という種の人間で、吾輩をこよなく慕っている。

 だが、同じ猫族であるのに、何故かクロは毛嫌いされている。

 この前などは、今にも路傍に臥せって息絶えそうな病人にまで蹴飛ばされていた。

 クロのいかつい面体がいけないのかと思ったが、病人の話しを聞くに、名の由来である黒色は縁起の悪い色だから診療所では敬遠され、建物から衣服にいたるまで総ては白色が基調とされておる。

 いかに脳ミソが半分腐っていても何度かぶちのめされると己がエンガチョに気付いて、最近は人目を避け診療所前の空き地でくつろいでいる。


 空き地には小さく薄汚い掘立小屋がある。

 これを病人達は御稲荷さんと呼んでいる。

 朽果てた建屋に名前を付けるとは妙な風習だが、ここいらの連中に真面な奴はいないとヤブがぼやいていた。

 納得いく光景である。


 病人の事をヤブは患者と呼んでいる。

 二つ名の者にろくな奴はいない。種族こぞっての二つ名である。代々由緒正しき悪党に違いない。

 病人は時折御稲荷さんに油揚げを置いていく。

 我ら猫族の好物と知っていて置いてゆくのだろうと、クロがえらく喜んで食っている。

 嫌っている病人がわざわざ食い物を置いてゆくものか、毒でも入っているぞと食うのを止めるよう説得したものの、クロは根性曲りのタワケ者である。吾輩の言う事など聞く耳もなく、ガツゝ食い切った。

 何度か様子を見ていたが死ぬ風でもないから、今では吾輩もご相伴にあずかっている。

 クロを嫌うのであれば食い物など置いてゆかない。本音はイングリモングリしたいのを我慢しているのであろうか。


 何と言っても人間には、自分だけでは何も決められない者が多い。

 何時でも周りの顔色を伺ってばかりで、ここまで媚びた者は猫にもそうそうおらん。

 診療所にやって来る病人に至っては、影でヤブ医者と呼ぶこの家の主を先生ゝとおだて上げる。

 それどころか、自分はこれからどうしたらよいものか御伺いまでたてている。

 普段ガヤゝと五月蠅い病人が、ヤブと相対の時ばかりは神妙になるのだから、医者の仕事は祈祷師か口寄せと同じであろう。

 病人に限らず人間とは理解しがたき生き物である。


 猫族においては同じ性格、同じ性質の者などいない。

 これはどの生物にも共通している事で、人間も一個体が唯一無二とみえて色々と変わり者が居る。

 借金で首が回らずに今日明日夜逃げをしてもよかろう程流行らぬ診療所でも、少なからず人の出入りが有る。

 ここに居て日がな一日、人間を観察するのが昨今の楽しみである。



 部屋でまったりしていたら、夜中なのにガンゝと戸を叩く音が喧しくて目が覚めた。

 この家にはピンポンが無い。

 ヤブが寝てしまうと、訪問者は必ず引き戸をぶち破らんが勢いでどつきまくる。可哀そうな引き戸である。

 人は猫が夜行性だと思い込んでいるが、猫だって眠ければ夜昼構わずに寝る。

 猫族の平均睡眠時間は十六時間。いつ見ても寝ている子から猫と呼ばれたとの学説まである。

 猫といえども夜は眠い。それなのに、この上ない迷惑行為である。

 千葉県の迷惑行為禁止条例に違反した行為であるから、猫語を解する警察官がいたならば直ちに通報するところだが、人間にあって猫語を解する者は希少である。

 ここはじっと我慢するしかない。


 事前に電話の一本も入れてから来ればいいものを、特に酔っ払いは礼儀用の脳細胞に麹黴が生えている。

 吾輩はいくら酔っていてもこのような事はしない。

 ただし、酒に酔った場合の話しであり、マタタビに酔った時はこの限りでは無い。

 マタタビに出会うと無性にゴログニョしたくなって、体がうずくというかクネクネと思うように動かなくなってしまう。 

 猫族にとって酒はフラフラするだけであるが、マタタビは思考回路まで麻痺させる悪魔の実で、大切な警戒心まで吹っ飛んだ状態になってしまう。

 吾輩が呑み助だと知った人間が、面白がってマタタビ酒を作ってきてくれる。

 いやー、これには流石に行っちゃったね。行ったっきり暫く帰って来られなかったもの。


 夜中に戸を叩いていたのは見掛けない顔の男であった。

 この男がまた騒がしい奴で「痛いよ、いたい。痛いんだって。イタイんだから、早く取っちゃってくれないかな」と大騒ぎする。

 ヤブが「あのね、タダじゃないよ。保険きかないんだから。払えるの? 現金見るまで取らないよ。鉛中毒の恐怖と戦っていなさい」

 この病人は御足を持っていないのかと思っていたら、懐から札の束をヤブに投げつけた。

「いらっしゃーい」

 ヤブがそそくさ祈祷台に患者をうつ伏せに寝かせると、注射を持ち出した。

 普段がいい加減であるから何をやってもまるでダメなマダ男かと思っていたが、祈祷をさせるとすんばらしい妖力を発揮する。

 吾輩も怪我した折、一度この祈祷台で注射を打たれたが、痛みがたちどころに消え失せた。あの時は傷口に赤い聖水を擦り付けて儀式を終えた。


 今回の祈祷は吾輩に行った術とは様子が違う。

 台を使った本格的な祈祷は月に一度あるかないかで、吾輩の好奇心を大いに掻き立てる。

 高みから見物したくなり、エアコンと呼ばれるボックス席に陣取った。


 今回は生贄の儀式か、ヤブが鋭利な刃物を汚い患者の尻に突き立てスーっと切り開いた。一本線入れたろの義が行われたのである。

 庭先の花についた虫をつまむピンセットなる道具を持ってして、患者の尻から金属の塊を取り出し、ひん曲がった皿にコロンと落とした。

「鉄砲玉、取れたぞ」

 赤い聖水を手に取ったが、この場合の手順とは違ったと見える。

 しばし考えた後、ソローリ台所に行き塩を持ってきた。

 おもむろに患者の傷口へ刷り込んで喜んでいる。

 吾輩の経験からして、傷口に付いた塩ほど情け容赦無い奴はいない。

 それでも祈祷料を支払うのである。よほど上級の悪霊に憑りつかれていたに違いない。


 尻から取り出した鉄砲玉なる金属の塊を患者に見せ「お守りに持って行きなさいよ」先どの束から抜いた一枚の札に包んで渡す。

 厄払いの他に守護の能力も有るのか、ただのウスラボケだとばかり思っていたが、コヤツなかなかの切れ者か切り者か。

 驚くほど多くではないが、毎日人が診療所に来る理由が解らんでもない一夜の経験であった。


 祈祷を受けた今夜の患者、後にヤブの崇拝者となるのだが、そのくだりはまたの機会にである。

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