12話 レノンの覚悟は如何に


我の名は、レノン・アシュラウド。

魔力に愛され、魔力を愛した元人間だ。自分で言うのもなんだが、我は世界で誰よりも魔法について精通し、熟知していると自負している。

我が編み出し、研究し、この脳に蓄えた知識は、魔法研究の盛んな国、セブンズが長年蓄えてきた知識をも上回る事だろう。

ただ、正確に数えた事はない。が、この蓄えた知識は万を超え、編み出した魔法は千をも超える。

だからこそ、我は魔王序列第一位の席に君臨し、絶望の魔王と畏怖されし存在へと至れたのだから。

しかし、それもかつての話だ。今の我は、とある一人の存在に仕える一端の従者にしか過ぎない。

見下ろすばかりの人生、天にさえ手が届いた神座。半年前、そんな我の最強人生録は唐突に崩れ去ったのだ。

それは、我の元に唐突に現れた。


「君が魔王序列第一位、〝絶望の魔王〟、レノン・アシュラウドだね」


身なりのいい女だった。

気晴らしに出た数百年振りの外、深い森の中を散策していた我の背後に、白銀の髪を棚引かせる、金色の瞳を持った少女は唐突に現れた。


「……誰だ、貴様は」


振り返り、その幼い顔を複眼の〝混沌の魔眼〟で睨んでやる。

さすれば、直ぐに逃げ出すと考えたから。


「え、まじ? 私の事知らないの?」


だが、その女は逃げ出す所か驚嘆の顔を見せた。

複眼の魔眼にではない。自分の事を知らない、そんな我の事が信じられないという驚きから、その顔をした。


「知らん。死にたくなければ失せろ、小娘」


何処で我の素顔を知ったかは分からない。が、どうでもいい。たかが人間。どんな力を持っていようと、どれだけの魔力を有していようと、所詮は越えられない枠組みにいる雑種にしか過ぎない。

気にかける価値なんて、何処にもない。


——その慢心が、我の最強人生録を終わらせた。


少女は、圧倒的だった。

振り返り、我は散策を続ける為に歩みを再開させた。

地面から足が離れ、一歩、先の地面を踏み締める、極普通の歩み。

だが、次の瞬間、我の頭は鷲掴みにされ、抗えない力によってそのまま地面に叩きつけられた。

幾十もの魔力障壁。幾十もの障壁魔法。その全てがその瞬間、皿でも割る様に破られた。

圧倒的なスピードによる、圧倒的な膂力による、たった一撃によって。

約千年ぶりに我の肉体は現世に露出させられた。そして、この体は、この顔は、この瞬間生まれて初めて地面と接触した。

そこからの事は、あまり語りたくはない。

ただ言える事は、みっともなく怒りを爆発させ、ありとあらゆる魔法を繰り出し、全てを出し切っても尚、少女に傷一つ付けることすら必ずに——。


——魔王序列第一位、〝絶望の魔王〟レノン・アシュラウドが敗北したという事実だけ。


彼女は、ただの少女ではなかった。人間ですらなかった。もはや、その人間の枠すら超えた我、〝魔神〟の様な存在ですらもなかった。

理不尽の権化、〝怪物〟だった。


「相も変わらず泣き虫だな、貴様は……」

「ひっぐ……。れ、レノン……レノン……っ。よかっ、だ……いきで、いぎでてくれだぁ……っ」


駆け付けた時には、既に戦闘は終わっていた。

いや、こんなのは戦闘とは呼べないだろう。一方的な暴力、もしくは、調教が終わっていたと比喩するべきだ。

ウルカの魔力による破損、風通しの良くなった王の部屋、加えて王の御前にて、我はボロボロになったウルカをこの胸に抱き寄せる。


「なに? レノンの知り合い?」


背後からの声。いつの間にかそこにいた主の言葉に、我の肩が跳ね上がる。

条件反射だ。この身は、この心は、既に主を畏怖の対象として認識してしまっている。

それは、ウルカもまた等しく……。

だから、言葉は、慎重に選ばなければならない。


「あぁ、我の妹だ」


金色の視線が、ウルカと我を交差する。


「——。へぇ~。似てないね」


疑いの目。

だが、まるきり嘘という訳では無い。ウルカを、妹の様に可愛がっていたのは事実だ。


「腹違いだからな。しかし、我とウルカは母は違えど列記とした兄弟だ」

「……レノン。何が言いたいの?」


来た。此処で、答えを間違えてはならない。

我の答えによって、今後のウルカの処遇が決まる。今は最悪の結果、死刑にさえならなければそれでいい。

ならば、我が選ぶべき答えはたった一つだ。


「ウルカを、我の妹を……主の従者に加えて欲しい」

「…………」


これが、最善策。我を、魔王を従者として招き入れる程の物好き。ウルカを生かし、待遇も保証される。最も可能性が高く、最も高待遇が確約された策がこれだ。

だが、しかし、我は理解している。

主に付けられた二つ名、〝怪物王女〟という名が伊達ではない事を——。


「嘘が下手だね、レノン」


■■■■■■■■■■■


「「!?」」


刹那、我の体は宙を舞っていた。

殴り飛ばされたとか、吹き飛ばされたとか、そういった表現なんかじゃない。決して、比喩や誇張でも無い。

瞬きすら許されない一瞬、我とウルカは宙を——王都ゼシア、その遥か上空を舞っていた。

凄まじい風切り音が鼓膜を劈く。この身一身にのし掛かる風の猛威がこの身を振り回し、定期的に上下左右を入れ替えている。加えて、確実に落下している。

下を見れば、広大に広がる王都ゼシアの全貌が見えた。

何が起きたのか、直ぐに理解する。過去、一度だけ体験した事があるのだ。

空間の切断による——瞬間転移。

簡単に言えば、場所と場所、その間にある空間の切断による一切の齟齬をなくした物体の転送。が、言うは易し。通常なら、切り裂かれた空間はそれを埋めようとする強制力によって瞬時に修復されてしまう。

なら、もし、仮に、その強制力に物体を加える事が出来たのなら、どうなるか。

空間が入れ替わる瞬間、二秒もの時間が生じる転移。今、この世に存在する最高難易度の魔法の一つがそれで——それを遥かに上回る、最も〇秒に近い転移が完成する。

通常なら、不可能な話だ。ないものを切るのと、物体を切るのとでは訳が違う。切り裂かれた物体は、ただ二つに分かたれた物としか結果を残さない。

しかし、それを可能にする方法が一つだけ存在する。

それはあまりにも精巧な、一ビテントミリメートルの誤差も許さない、転移対象である物体に合わせた緻密な空間の型取り。加えて、転移地点までの空間の切断。

莫大な情報の処理と莫大な計算の処理。

人の身では到底出来ないそれを、主はさも平然とやって退けている。


「全く、出鱈目な……。ちっ、魔力も封じられたか……」

「れ、レノン……。ご、ごめん。私のせいで、レノンまで……」


ここからは、余計な思考は除外する。

今は、この胸に抱き抱えるウルカを、妹を生かす為にこの思考を費やすべきだ。


「こうなったら、一か八かの賭けに出る」

「か、賭け……?」

「そうだ。魔力が封じられている以上、頼れるのは我が身たった一つだ。なら、その使い方は着地時の衝撃の相殺に使う」

「でも、この高度だよ……? いくら、レオンでも……」


王都の全貌が拝める超標高。魔力は奪われ、幾重にも掛けた魔力障壁も障壁魔法も霧散した。

幾ら絶大な力を持っていたとしても、その大元である魔力が経たれれば我はそこらの武人と大差ない。

この標高からの大地との正面衝突は、逃れることの出来ない死をそのまま証明している。


「外に出せる魔力は封じられたが、この身の内にある魔力が消えた訳では無い。魔力を内の補強に使えば、最悪の結果からは免れられるだろう」

「で、も……そんなの……! げほっ! ごひゅ……っ」


声を荒らげるウルカ。その反動が傷口を広げ、内に溜まった血を外に吐露させる。


「無理はするな。我がどういった存在か、貴様が何より理解しているだろう。後は、我に任せておけ」


意識の混濁が伺え始めたウルカに、聞こえたかは分からない。

だけど、それで我の決意が揺らぐ事はない。

この手から滑り落ちてしまわない様にウルカを強く抱きしめ直して、我は前を見た。

既に、王都を一望出来る特等席は失われた。落下の速度はさっきよりも格段に早い。刻一刻と増しづける速度は、大地との距離を急速に縮めて行く。


「ぐ……っ」


風切り音が凄まじい。今にも、この肉体は落下の速度に飛散してしまいそうだ。


「だが、そんなもの……っ!」


この胸の中、満身創痍でその顔を青ざめさせる存在を失う事を思えば、何の事はない。


「ウルカ」


加速する。加速する。落下する。


「貴様だけは」


大地との距離が縮まる。


「我が」


もう、目前。


「絶対に生かしてみせる……っ!」


大地と、この身が、接触する。


「——それが、君の覚悟なんだね」


■■■■■■■■■■■


「!?」


大地との接触、鼻先が触れた刹那、この体から一切の負荷が消えた。

落下による、体が引きちぎれそうになる痛み。凄まじい風切り音。今の今まで味わっていた苦痛全てが掻き消えた。

そして、我の、目の前には——。


「レノン、君の覚悟は伝わったよ。だから、いいよ」


半壊した王の部屋で優しく微笑む、怪物王女がいた。


「……一体、何を……」

「えー、レノンが言ったんでしょ? ウルカを私の従者にして欲しいって」

「だが、それは……」


決裂した筈だ。王城を破壊し、王都をも滅亡させようとしたウルカを、それを庇った我さえも見限る形で。


「だから、今いいよって……。あぁ、そういう事?」


きょとんとその首を傾げて、掌を合わせて、納得を示す怪物王女。


「試しただけだよ。その結果、レノンは私から信頼を勝ち取った。でも、勘違いしちゃダメだよ? その子を信用した訳じゃない。あくまで、私が信じたのは君だ、レノン」

「つまり……」

「つまり! いいよ。その子を私の従者に加えて上げる。いいよね? 父上」

「……あぁ、構わん。好きにするがよい」


振り返り、ずっと空気として扱われていた存在、いつの間にか綺麗さっぱり回復していた国王に怪物王女が同意を求める。

そして、その同意はあっさりと得られた。

という事は——。


「なら、教育係はサリーネだね。うんうん、適任適任。て事で、さくっとここを直して屋敷に戻ろうか」

「…………」

「もう、お腹ペコペコなんだよねぇ~」


我は、誤解していたのもしれない。怪物王女は、主は冷酷なのだと。

腕の中、気を失っているウルカに視線を落とす。頬に掛かった紫の髪を耳に流し、その傷だらけの顔を見て。

——安堵した。

安堵に口元が綻ぶ程に。

そして同時に、我はウルカの顔に差し込む光の加減に気づいた。


「あ……。主、その事で伝えなければ行けない事がある」

「ん? なに?」

「今日の買い出し、我だ」

「……て、事は……」

「夕食はない」


主の顔から笑顔が消える。我は冷や汗を背筋に感じながら、王都に差し込む暁色の光、夕空を眺めた。

次の瞬間、我の体は強烈な一撃によって吹っ飛ばされた。

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