1話 怪物王女爆誕


いつもと違う天井が見えた。

木漏れ日の様に枝葉の隙間から差し込む陽の光。いつか、学校の庭で眠りこけっていた日に見た景色とだぶる懐かしい情景だ。

暖かく、煩わしく、終わりなど知らず輝く太陽。そんな、触れることの出来ない天井に手を伸ばして、またあの日と同じように伸ばした手は宙を切る、筈だった。

むにゅ。


「あん!」

(え……?)


僕の手が、柔らかい感触に埋もれた。

埋もれた、そう表現せざる負えないくらいに奥までズッポリ、包み込まれるようにしてこの手は何かに埋もれた。

眼前、僕の前には壁がある。柔らかい壁だ。


(これって、もしかして……)


生憎と、経験はない。経験はないが、このお約束的な展開には見に覚えがあった。

その記憶から形作られるこの感触の正体は、そう、すなわち、あれだ。


——おっぱいだ。


男と女の決定的な違いを裏付けるモノであり、世の男全員が本能の命ずるままに揉みしだき、こねくり回し、しゃぶり倒してきた美しき放物線。それが、おっぱい。

そのおっぱいが何故、今この手に収まっているのか謎も謎甚だしくてけしからん胸だ。


「あん! 全く、この子ったら……」


そうやって揉みしだいていると、胸から声がした。

いや、胸というかこのたわわに実った爆弾の持ち主の声か。誠にありがとうございます!と、スライディング土下座を披露してやりたい所だが、何故か、体が動かない。

だけど、僕は今、そんな些細な疑問なんかよりもこの掌の中の感触を堪能したい。

むにゅ。むにゃ。むにゃむにゃ。


「んん……。あ……あん……!」


理性と本能、僕は迷わず本能を取った。

だけど、そんな本能とは別の部分の僕がそれを許してはくれ無かった。僕の冷静な部分が、僕にこう指摘して来るのだ。


——お前は、マンションの屋上から飛び降りた筈だ。


意識が途切れる直前、僕の最後の記憶。

十階建てのマンション、僕はそこから飛び降りた。

生き残る確率は、普通に考えて〇だ。加えて、僕は成功率を上げる為に体のどこから落ちるかも計算に入れ、無事に頭から地面に落ちている。

最後の最後まで、僕は意識を途絶えさせちゃいない。

僕は僕の命が途絶える瞬間を、地面と僕が接触した瞬間をこの目で目撃し、この耳でぐしゃっというトマトが潰れた様な音を聞いている。

間違いなく、自殺は成功した。それは間違いない。

なら、今僕が目にしているこの情景は——。


(……そうか)


見える景色に、ずっと違和感を感じていた。

その違和感に従うままに、僕は揉みしだいていた胸から手を離してそれを手繰り寄せてみる。さすれば、置き去りにしてきた理解は急速に答えへと結びついて行った。


(どうりで、大きく見えた訳だ。——僕が、小さかったんだな)


手繰り寄せた手、それはあまりにも小さい、赤子の物だった。

それは他の誰の物でもなく、そして他の誰でもなく、僕が赤ん坊だった。

理解して、僕の目の前から壁が取り払われる。抱き抱える位置でも調整したのか、一気に目は光を取り込み、その眩しさに僕は目を細めた。

そして、麗しの爆乳女のご尊顔が僕を覗き込んで来るのが見えた。

色素の薄い白銀色の髪に、それに相対する金色の瞳。

外国人なのかも、という楽観的な帰結をぶっちぎって否定してくる圧倒的要素。ただ、現時点でならまだ事例はある。

オッドアイであるだとか、アルビノであるだとか、その髪と目を裏付ける科学的根拠は存在する。

しかし、次の瞬間、そんな科学的根拠は一瞬にして海の藻屑となる。


「では、そろそろ皆の者に紹介しよう」


ずっと鼓膜を掠めていた慌ただしい音とは異なる、低く、威厳に満ち足りた声。

その声を合図にして、僕の視界が急上昇した。

優しく、割れ物を扱う様にそっと抱き抱えられて、僕はその高くなった視界で見ることになる。


「我が娘、第三王女ミューネ・ウェル・バレンシアだ。太陽を冠した名をこの子につけたのはこの国を、民を明るく照らす存在になって欲しいという我の願いからだ。おてんばな子になるか、物静かな子になるかは分からぬが、どうか皆もこの子の成長を見守っていて欲しい。今後も、王として、この国を愛する一人の人として、このバレンシアの繁栄を切に願っている」


大観衆と大歓声。バルコニーとでも呼ぶべき場所から見えたのは、本の中だけでしか見た事のない光景で、世界だった。

空一面を紙吹雪が舞い、地上では大観衆の声がノイズの如く入り乱れ、第三王女ミューネ・ウェル・バレンシア様!万歳!などの垂れ幕や様々な飾りがこの地平線まで広がるだだっ広い街に施されている。

これは、もう、あれだ。確定だ。


「見て、ミューネ。貴方が生まれた事をこれだけの人達が祝ってくれている。既に、貴方は皆を照らす立派な太陽になっているわ」


聞き間違いでも見間違いでもなく、僕は何処ぞの王族として転生したらしい。

ずっと望んでいた世界が、妄想の中だけの非現実だった世界が、遂に現実になったのだ。


(あぁ……。この瞬間を、僕がどれだけ望んでたか……)


そう、ずっと望んでいた。退屈な世界を覆す非現実を。その非現実が妄想の中の世界であればと、ずっと望んで来た。

だから——。


「これは、儂から我が子へのささやかながらの贈り物だ」


そう言いながら、僕の方へと振り返る金髪金眼の王様。その手には、何も握られていない。贈り物など、何処にも存在していない。

ただ、その何もない掌を王様は天に向かって翳し、こう唱えた。


「——ミューネ」


次の瞬間、王様の掌から天高く何かが射出される。

淡い色の、赤い一筋の光だ。それはまるで打ち上がる花火の様で、この瞬間だけは誰もが静寂を守り、その行く末を見届ける。

昇り、昇り、昇り、光はやがて頂上で爆発する。

赤い一筋の光は、端的に言えば花火ではなかった。だけど、花火よりもずっと壮大で、輝きに満ちていて、晴天の空にもう一つの太陽を作り出す魔法的な何かだった。


(魔法だ……)


眺めながら、心奪われながら、僕は思う。


(——これで、やっと僕は自由だ)


この時、赤子の顔に浮かんだ笑みを誰も知らない。

将来、太陽の名を与えられた王女が皮肉にも、怪物王女と世に知らぬ者なしの恐怖の象徴となり得る事など、この場の誰にも知る由はない。

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