第82話 うちに住もうか
一歩前に動き、これ以上前に進めないくらい足先がぶつかる距離に立ち、真剣な視線で彼女を見つめる。
「なんでって?」
さすがに前振り足りなさすぎか、晴夏の頭上にはてなが並び、困惑の顔を私に返す。
「葵さんもそうだけど、元カノたちみんな本気で晴夏が好きだったでしょう?なんで私だけが…」
晴夏が私を好きになったきっかけは、腑に落ちなかった。彼女に掛けた言葉、その内容も特別を感じないと言うか、無責任で生意気、別の人なら聞いた途端でキレるかもしれない。晴夏を疑っているわけではないけど、どうしても考えてしまう―なんで私だ?考えても、答えが出ない。私は晴夏じゃないから。
「見学の時葵となんか話したのか?」
優しさが晴夏の顔から消え、代わりに少し緊張が込めた探るような視線で私の目を覗く。葵さんとの会話内容は、絶対晴夏に知られたくない二人だけの秘密。ここはちゃんと隠し通そう。
「それは、秘密」
「ふんふん~なら、私も秘密」
悪戯げに軽く笑う晴夏は、拒む意思を込めてない。そのノリに乗って、彼女の顔に当ててる手に力を込め、まず挟むように押しつぶす。
「ハア―!言わないと顔を腫れるまで揉むよ!!」
「―ギブ!手、あげん…」
まだ揉む動作始まってないのに、晴夏の諦めは相変わらず早かった。つまらなさを少々を覚え、彼女のほっぺたを挟む力を緩め、痛みを緩和できるように軽く撫でる。数回触れ、寒さと私の小さな暴力による赤みが少し引いた後、晴夏は視線を空に向かう。
「そうだね…彼女たちは紛れもなく私が好きだった。それはさすがに分かる。好きになって、私に見返りを求めていた。恋愛関係の中ではとても普通なことだと思う。けど私はこの普通を普通にできない」
「できない?でも…」
「悠梨は、違うから。私にああ言う過去があっても、まだ人を愛したい願望がある。でも私が愛したい人は、多分私に恋をするだけではダメなんだ。好かれるのはもちろん、でももっと大事なのはその一歩先の情緒的な支えが欲しいかった。おかしいよね、私は相手に恋すらしてないのに、一歩先の物を求めてしまうなんで…」
と、驚きはあるけど理にはかなっている発言を口にした晴夏は目を私に戻し、申し訳なさそうに続く。
「新しいできた友達からも、いいことしたら褒めてくれるし、悪いことがあったら慰めてくれる。昔の彼女たちからも、好きを言ってくれるし…普通なら嬉しいことだけど、私はひねくれた性格の持ち主だから、これだけじゃないと思わずにいられなかった。私が落ち込む時、慰められても、誰一人もパ!と私を前向きに考えるように目覚めさせることはなかった。好きを沢山言っても、誰一人も『疲れたら私に寄りかかってください。私はいつも晴夏の隣にいるよ』を言ってくれなかった。ただひたすらに、好きだから私にも同じ感情をください、私が日々作り上げていた外面の私を求めていた。本当に欲しい物を口にしなった自分も悪かったけど……だから、悠梨が寄りかかってくださいを言ってくれた時、今までなんでも自分で解決して、強くでいなければならない私は弱くなっていい、誰かを頼っていい、疲れたら寄りかかっていい、ずっと求められる側じゃなくていいと、思わせてくれてすごく楽になった。こんなのが欲しかった。言葉だけでも、欲しかった…」
顔を横に向き、視線も私の斜め後ろに向かった晴夏はさらに目を伏して、沈黙に身を籠った。
彼女が疲れた時困った時、誰にも頼らず一人で負の感情を自己消化していることを想像するだけで、心の奥がぎゅっと痛んだ。私が分からなかったこと、今もはっきりわかった。
晴夏はただの恋よりも、信頼関係と、もっと踏み込んだ感情的な支えを求めている。そんな感情は何かのきっかけがないと芽生えない、与えられない物。彼女は自衛のために最初から外面を取り繕って何事もないように振舞い、本心を見せたことがない故、この要求は過酷だったかもしれない。
それだとしても、今までの人たちはただひたすらに求めるだけで、彼女に与えることはなかったのか?あの優しさの塊から漂う寂しさ、家族以外誰も気付かなかったのか?晴夏は感情の隠しが上手いから、みんなの要求と期待に全部答えてしまうから、そうならざるを得なかったかもしれない…
そう考えると、私もやはり幸運だった。
自分の観察力に恵まれていた。初対面で晴夏の目に潜む寂しさに気づき、埋めてあげたいと思った。今まで分からなかったけど、一番最初から好きのときめきの本質が支えてあげたい思いその物だった。そして、たまたま晴夏にとっての不幸に居合わせて、何も考えずただ本音をぶつけていたら、彼女がずっと欲しかった物に合致して、一言二言で彼女の心を動かせた。動かせて、チャンスが巡ってきた。
人の心は、やはりわからない物だ。
ふと晴夏のプロポーズみたいな告白が脳を過った。こんな彼女に、私も思いをちゃんと言葉にして返さないと、もっともっと彼女の頼りにならないと。
「これからも、私はずっと晴夏の傍にいる」と、力づくで逸らしていた晴夏の視線を私の方へ向く。「そして、私も晴夏を守りたい。何かあったら、安心して私を頼ってください。何がなくても、いつでも私に寄りかかってください」
「…うん、ありがとう」
軽く頷いた晴夏の顔に、雪の花が落ちてそのまま綻んだ。
雪は止むことなく空から舞い降り、公園で立ち尽くす私と晴夏の頭上も肩の上も雪が積もった。さすがに早く家に帰らないと、体にふんわりと着いた雪を拭き、晴夏と一緒に公園から出て、また真島家の方向へ歩き出す。
「ねえ、悠梨」
「な~に?」
「あの…」
躊躇が満ち溢れた声に、ついパンパンと晴夏の背中を叩き、「グズグズしないで、早く言って!」と促す。「痛いよー」と笑みを含んだ愚痴をこぼし、晴夏は一瞬目を伏してから再び上げ、元々あった微かな躊躇な光が消え、真剣な眼差しに一転した。
「来年…実習の間、うちに住もうか」
眉を上げ、晴夏は粉雪が空から降り落ちるのようにサラッと言った。
「…?!」
こんな時で同棲話を持ち込んでくるのは、サプライズと言うべきなのか?そう思った私は、サプライズされたに相応しい反応―立ち止まって、こみ上げてきた嬉しさで開いた口に手で押さえる―をした。
「嫌だったら、今まで通りでいいのだが…」と、晴夏はまた告白の時と同じ悪い方に考えを寄せた発言をした。でも今回は全然慌てず、むしろすごい落ち着いて、まだ歓喜に浸ったまま答えをあげていない私の真正面に立った。
「この二か月離れた間、私たちの関係、生活、そして将来のことを色々と考えた。早すぎだろうと思われるかもしれないが、私はこれからの人生を悠梨と一緒に歩んで行きたい。それは気持ちの問題だけではなく、現実とも向き合わないといけない。楽しく過ごすことはあれば、苦しいこともきっとある。喧嘩だってあるかもしれない、一昨日みたいに私の勝手で悠梨を怒らせるかもしれない。でも、同じ時間を共有して、お互いのことをもっと知り、問題あった時一緒に解決することでもっといい関係を築けると思って。もちろん、一緒にいたい願望が大きいのもある…だから、やっぱり悠梨と一緒に住みたいと思う。まあ、お互いまだ経済的に自立していないから、バイト頑張ってもどうしても親に甘えてしまう金銭面の考慮が欠けたことだけど…」
私たち二人のことを深く考えた故、真っ直ぐと私を見つめる晴夏の視線に、同棲したい強い意志がありつつも、ほんの少しの不安も宿っている。
彼女がアメリカに行った間、私も同じことを考えていた。寂しさ故のことは当然あるけど、人生のパートナーとしての現実的な思慮もほぼ一致している。そして彼女の実家に来て、この短い数日で色々と聞いてから自分のもっと晴夏と一緒にいたい、支え合いたい思いもさらに大きくなった。また先手を取られて悔しいけど、こんな真摯で正直に言われて、やはり嬉しい。
「うん、私も晴夏と一緒に住みたい。家に相談しないといけないけど、多分大丈夫だと思う」
「よかった…」と、胸を撫で下ろした晴夏はほっと息をつき、また真剣に続く。「その相談、私も同席したい。ただのルームシェアで誤魔化すだろうか、私たちの関係を明かすだろうか、どっちも悠梨の親にちゃんと話す必要があるから、一緒に臨みたい。私は悠梨一人に背負わせたくないので」
揺るぎのない視線で私を凝視しながら発した「一緒に」の響きがとても聞き心地がよく、心の底まで響き渡った。晴夏と一緒なら、きっと何があっても乗り越えられる確信は今、この時で私の頭に植え付けられた。
それに、確かに彼女の言う通りちゃんと家に話さないといけない。6月から頻繁に外泊していたのに、晴夏がアメリカにいる間外泊がなくなったことですでにお母さんから疑わしい目を向けられている。私と晴夏の本当の関係、十中八九お母さんはもう察していたと思う。遅かれ早かれ向き合わないといけない問題だし、同棲を機に家にカミングアウトすることも悪くない。一人だと心細いが、晴夏と一緒ならきっと大丈夫。どっちにせよ、これから晴夏と話して決める。
「うん、わかった。でも、なんで実習期間だけ?その後はどうすんの?私を家から追い出すの?」
「えぇ…そういうつもり全くないよ!お試し期間の意味で…もちろんずっと一緒にいたいけど、いきなりずっとって言ったら、なんか重そうだから」
顔を指で掻きながら、晴夏は恥ずかしげに言った。この人、やっぱり変に抜けている。
「そうか、重く思われたくないからお試し期間か…『これからの人生を一緒に歩んで行きたい』を言った時点でその作戦はもう破綻してない?」
「あっ、えっ…えっと…そう…だね」
「ふふ、じゃあ、方向転換して私との永住プランを立ててね。いや、一緒に立てよ!」
「……もう…」
雪明りの中で、赤一色染まった晴夏の顔は、トマトみたいだ。そうだー
「あとはね、生活面は隠し事、なしよ」
「どういう意味?」
「生トマト苦手なのに、なんでずっと言わなかった?というか、なんで駄目なの?好き嫌いないと思ったのに」
「あっ…葵から教えられたんだ…私鼻が割といいじゃん?だから、生トマトの匂いがどうしても苦手なんだ…」
「それ、結構な人もダメだから、言わない理由にはならないぞ」
これ以上赤くなる余地もないのに、彼女の顔がさらに赤くなった錯覚がした。
「だって…知られたら変な弱みが掴まれた感じがするから…」
「そんなの、私の前ならどうでもいいじゃん?葵さんが知って私が知らないのは、嫌だ」
「えっと、めっちゃダサいというか…悠梨の中のかっこいい私を保ちたいというか…私の最後の強がり…」
一歩後退し、晴夏は180度体を回転し、背を私に向けた。後ろから見える耳も、やっぱり赤かった。
「ぷっ!ダサいってなんなのよ!強がりって、さっき自分言ったことと矛盾してんじゃん〜晴夏たまに本当バカで可愛い~!これから私の前、強がりもなしよ!」
助走にもならない一歩の距離をジャンプで無くし、後ろから手を彼女の肩上から回り込んで、そのまま抱き着いた。
「早く帰ろう!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます