第81話 元カノにお願いされた









 私のシンプルな質問に複雑な表情を見せ、葵さんは手を柵に置き、悔しさを全部外へ吐き出すような感じでため息を付いた。



「あんたプチトマト嫌いよね?」

「そうですが…なんでわかったのですか?」



 ちょっと驚いた上に、これはさっきの話になんの関係があるかと、疑問しかない。



「見たんだよ、晴夏がさりげなくあんたの皿のプチトマトを自分のに移したとこ。サラダ取り分けする時薫姉はみんなに均等に入れてたからね」

「それは、確かに…外食する時晴夏は私のプチトマト担当です」



 二人で外食する時サラダを頼むのなら、トマト抜きでお願いしている。みんなと食べる時だったら、大体晴夏がサラダを取り分けすることで回避する。できなかった時は、私があげるか、私の皿に置いた物は彼女が取るかで済む。日常になっているので、あんまり気にしていなかった。

 こんなことにもすぐ気づくのは、やっぱり葵さんは相当晴夏を観察している、無意識に。



 それで少々得意と呆れが入り混じった視線を葵さんから浴びた。



「その様子じゃ、晴夏はプチトマト苦手なの、知らないよね」

「え?」



 私の晴夏常識を軽く覆す発言はさすがに衝撃度満点で、脳に霧が掛かったような感じがした。

 晴夏がプチトマト苦手?初めて家に行った時冷蔵庫に置いてたし、普通に食べている…いや、違う…食べていないかも…



「プチトマトだけじゃない、トマト類なら生のやつは全部苦手。加熱したら大丈夫みたいだけど」



 あの時私になんでプチトマトダメなのにトマトは大丈夫なのを聞いたのは、彼女みたいにトマト系全部苦手の方が普通だから…?

 今考えてみれば、私だけがプチトマト嫌いなら、食卓に出さないや、店にトマト抜きを頼むほど徹底的にする必要が全くない。味移ししないし、晴夏自分で食べればいいのに。それに自然と私の分を食べてくれるから、彼女も実は嫌いという方向に考えたこと自体がありえない。



「言われてみれば、そうかもしれません…気付かなかったです」

「私が知ったのも偶然だった。晴夏、六花と一緒にご飯食べた時、六花がサラダを取り分けながら晴夏に相変わらず生トマト食べないよねって愚痴ったことで初めて知った。何せ晴夏は苦手のこと表に出さないからな、甘い物以外」

「…なんで私に言わない…」



 自分のことはもうちょっとずつ話してくれたのに、あの一番重い過去さえ教えてくれたのに…なんでこんな小さいこと逆に教えてくれないんだ?



「知らない。でも…」



 私が困惑している時、葵さんはまた目の向き先を1階に戻して、晴夏の方向に視線を注ぎながら悔しそうに続く。



「あんたが嫌いだから、晴夏は黙って全部食べてあげる、たとえそれは彼女自分も苦手な物であっても。それ見た時、驚いて、心底羨ましかった。こんなちっぽけなことからでも、晴夏どんだけあんたが好きなのを分かってしまう…それに、あんたといる時の晴夏は作りではなく、本当に嬉しそうにしていた。照れたりもしていた、あんな顔見たことがない。あれは本物の晴夏だなと思った…」


 たかがプチトマトを起因に続々と吐き出した言葉から、彼女が私を羨んでいる気持ちがはっきり伝わってくる。そして、大きく息を吐き、眉根を寄せながら唇を噛み締め、葵さんは何か決心をしたような感じで再度口を開ける。



「…だから、あんたにお願いするのは死ぬほど嫌だけど、お願いしたい」



 宣戦布告がくるかと構えた私は、彼女の悔しさを込めた真摯な口調に驚いた。恋敵にお願いする事は何なのか、見当もつかない。



「なんですか?」

「晴夏があんた、悠梨さんを愛するように、晴夏を愛してあげてください。いや、2倍、3倍で愛してあげてください…失ってからやっぱり大好きだと気づいても、私は彼女を裏切ったし、愛してあげたくても彼女は受け取らないから、悠梨さんにお願いするしかなかった…私は、晴夏に幸せになって欲しんだ」



「あんた」じゃなくて、「悠梨さん」。

 葵さんが懇願の視線で私を見つめながら話した言葉に、心臓が何回も不規則に拍動した。



 さっき私は彼女を誤解していた。その誤解がすぐ解いても、二股事件の関係で彼女のことをいい目で見れていなかった。けど、今の言葉からは彼女が私への嫉妬と羨望、晴夏への未練、そして悲しみが耳から体に染み込んだくる…これらの感情は全部同じ事実を指している―葵さんが晴夏に対する好きは本物だってこと。

 浮気したことの罪悪感もありそうだけど、彼女は晴夏が好きが故に、晴夏の愛が自分に向けられず、後で現れた私に向いてることに対して大きな苦痛を感じつつも、晴夏の幸せを思っている。そんな愛と悲しみが織り成す葛藤は私へのお願いで如実に表している。

 でも、こんな願いは叶えてあげられない―



「葵さんにお願いされなくだって、私は5倍、10倍で晴夏を愛します。ずっと隣で支えてあげます」


 きっぱりとした口調で彼女を断った。

 なぜなら、彼女にお願いされる前、私はとっくに自分の意志でそう決めていたから。



「人が頭を下げたのに…本当可愛くないな、あんた。まあ、それでいいわ、信じてあげる。これで私も晴夏を諦められる」



 またあんたという乱暴で失礼呼び方に戻った。でも彼女の顔に這ったすっきりとした笑顔は、私が嫌いじゃないと語っていた。

 彼女のお願いもそうだけど、思考回路や事の進め方が過激で癖もあり過ぎて、平行線にいる私は正直理解できないが…根はいい方ではないかと、少し思った。



「ありがとうございます。葵さんと違って、今私は葵さんちょっと可愛いと思っていますよ」

「嫌味?」

「違います。本気です」

「あ、そう…どうもー」



 嫌々な感謝をした後、葵さんは吹き抜けから中へ戻り、私も彼女の後ろについて二人で残りの見学コースを回る。開始の時のぎごちなさは無くなり、遠慮なく「ベッドでの晴夏はどんな感じ?」みたいなちょっと引いた質問も飛んできたが、同じビール好きな葵さんと割と楽しく見学していた。






 ***






 駅から出て、晴夏と手を繋いでゆっくりと彼女の実家へ向かう。

 淡い光に包まれた灰色の夜空から静かに舞い降りる粉雪が、街灯の光に照らされて、まるで星のようにきらめいている。新しく地面に積もった分がキラキラと輝き、天から落ちた無数な星が編み出すふんわりとした雪絨毯の上に歩き、星が降るという言葉をこの雪夜で再び実感した。実家では絶対見られないこの景色に、思わず息を飲んだ。

 いろんなところにも旅行しに行ったけど、真冬でこんな街中で幻想的な雪明りが灯す風景を見たの、記憶の中では初めてだ。まして、隣に大好きな人が目を細め、愉快な様子で私を眺めている。白い絹を被せたのように彼女の頭上に落ちた雪は、その優しい顔に可愛さを増してあげた。美しい自然と人工的な光で作り出した景色に、愛おしいという人間な感情が宿し、今この時の色彩はさらにくっきりと鮮明に記憶に刻む。


 歩道と車道の間には除雪によって残した人高さの雪山が連綿と続き、晴夏と手を繋いでなければ何回もそれに凭れたし、道中小さな公園にまだ誰も踏み入れていないエリアの異様に真っ平な積雪平面に足を踏み、その上で大の字になりたい衝動もある。雪国はそういう人を幼児に戻す魔性が秘めている。

 雪が降っているから早く家に戻るのは上策だけど、滅多にこんなこと体験できない私は、晴夏を連れてその小さな公園に入った。除雪されていないため、ベンチ下も座面の上も雪が積もって、数十センチ高い積雪によって公園の平均海抜がほんの僅か上がっている。


 静かに、けれど人の遊び心を掻き立てるこの風景に、私はやっぱり勝てない。もこもこな手袋を外し、素手でふわふわな雪を掬い上げ、空に向かってぽわーと雪の花をまき散らす。



「冷たくない?」



 ブランコのフレームに寄りかかって私の遊びをただみている晴夏は温かい笑みを浮かびながらも心配そうに話しを掛ける。



「ううん、大丈夫!あぁ、楽しい~!晴夏も遊ぼうよ!」

「いや、さすがにもうそんな歳過ぎたわ」



 その言い方、まるで私はまだ子供みたいにはしゃいでいると言ってるじゃないか。実際はそうだとしても、禁句は口走ってはいけない。

 晴夏の方へ小走りに近づき、「どの口で言った?」と不満をこぼし、雪を触ったばっかりの冷たい両手をパっと彼女の頬に当てる。



「冷たっ!」



 人の手と思えない冷たさで晴夏は思わず眉根を上げ、鼻で大きく息を吸い、肩を竦める。でも彼女の驚きの顔もすぐ穏やかに戻り、逆に自分の手袋を外し、温かい両手を私の手に重ねる。



「こうすればすぐ温めるよ」と、いつものように私に優しさを注ぐ。

 見慣れた視線と表情も、今はもう一層特別感があった。ふと今夜葵さんの悲愴な表情を思い出す。私に分からせる必要がないと言ったが、不本意ながらも、分からせられた。


 かつて晴夏から愛を得られなかった人達にとって、私の前の晴夏は手の届かぬ贅沢な望みだろう。晴夏の家族以外、私も多分初めて彼女の過去を知る人である。彼女の心にはもうくっつけるほどの距離まで近づいたのに、こんな私でも知らないことはまだある。そして、今日葵さんに会ってから、ある疑問が益々と膨らむ―



「晴夏、なんで私?」



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