第79話 あんたはやっぱ特別だな









 愚痴を垂らしていた女性の顔は晴夏を見た瞬間強張って、目の光も暗くなった。

 薫さんを薫姉と呼んだ時点、この女性は誰なのかは一目瞭然。しかし、顔だけを見れば薫さんと全然似ていない。晴夏と六花ちゃんが横に並んで姉妹と言われなくともすぐ姉妹だと分かるが、このお二人なら言われないと絶対気が付かない。


 ふと怜さん―六花ちゃんから聞いた晴夏高校時の美人だと言ってた彼女を思い出す。晴夏は同性の美人を引きつきすぎだろうと、思わず嘆いてしまった。


 それぞれの思いを抱き、気まずさで凍り付いた空気を破ったのは薫さんの声だった。




「ごめんごめん。亮介さんに絡まれたところ、晴夏と悠梨ちゃんに助けて貰ったから。あっ…」



 なんかすごいまずいことでも言ったかのように、薫さんは手で自分の口を塞いだ。そうすると、葵さんの視線は晴夏からスッと私に移し、鋭い目つきで私の中身を全部透視でもしたいかと思うくらい、頭から足まで眺めていた。

 元カノの見定めるような視線に少し身構えたが、その緊張はすぐに晴夏のそっと私の手を握りしめる動きによって打ち消された。葵さんの目もこの動きを逃していない。彼女の視線は最後、晴夏と私の繋ぎ合う手のところに止まって、ゆっくりと口を開く。



「そうか、ありがとう。晴夏、手を握ってる人、紹介してくれない?」

「紹介、あっ、はい―」

「初めまして、森崎悠梨です」



 こんなところで弱くなったら女が廃ると、グズグズしている晴夏を置いて、葵さんに一歩近づき、視線を私の方に引き付けるように自己紹介をした。葵さんの顔から同じ負けられない闘争心らしきものしか見えず、見つめ合う視線から火花が散らばった。



「水沢葵、初めまして。その様子じゃ道外から来たよね。せっかくなので、一緒にご飯でもどう?」

「えぇっ?」



 私が反応する前に、薫さんが先に驚きの声を漏らした。

 普段ならそんな挑発的な誘いに絶対乗らない私だが、晴夏の恋人は私だから、引くわけにはいかない。



「いいんじゃないですか?久しぶりに薫さんとも話したいですし。ね、晴夏?」



 晴夏に意見を聞いているようだが、私からはNOを一切受け付けないオーラを放っているから、彼女は目を瞑って渋々と首を縦に振った。

 観光客の間をくぐり抜け、5分くらい歩いた結構近いところにビール醸造所を併設しているビアパブに入った。大体予約しないとこんなスムーズに入れないと薫さんは言ったが、今日は運がよいみたい。

 店中央にビールの仕込み釜があって、お飾りだと思ったら普通に稼働しているだそう。すごい。





 席につき、ビールのメニューをさらりと見て、すぐ飲みたい物を決めた。



「とりあえずドンケルの小で、4番ね」



 オーダーシート担当の晴夏に伝えたら、「行くねー」と薫さんから称賛な目を送られてきた。



「コクのあるラガー系は割と好きですので。アンバー色も一緒に楽しめますし」

「悠梨ちゃんはビール通?見えないわー晴夏はもう飲まないし、つまんないだろう」



 空気がシーンとならないように、さっきから薫さんはずっと場を盛り上げようと色んな話を持ち掛けて来る。彼女のお陰様で、こんな四人でも一応女子会っぽい普通な雰囲気になっている。



「それは大丈夫です。家ではいつもノンアルの似非ビールで雰囲気を作ってくれています」



 隣でノンアルコールビールの番号を書いている晴夏の手が止まって、ちょっと恥ずかし気に「バラすなよ」と頬を赤く染めた。目を細めて笑みを浮かぶ薫さんと対照的に、葵さんは無表情でずっとフードのメニューを見ていたが、晴夏の言葉を聞いた途端眉だけが動いた。

 感情の分からない事務的な声で晴夏にフードの番号を次々と伝い、葵さんは目を私の方に向いた。



「家…」と小さく複雑な声を流し、「私晴夏と飲んだことないね、未成年だったから。なんでもう飲まないの?」と顔は私に向けたままで晴夏に尋ねる。



「え?色々あって…元々弱いし」

「もしかして酒の勢いで過ちを犯したとか?」



 半笑いの葵さんは冗談を言ってるつもりに見えたけど、そんな冗談に一瞬で目を丸くした後すぐ睫毛を伏し、視線が定めない晴夏がいた。この反応は葵さんの顔からその半笑いですら没収して、口を噤ませた。



「それは…ちがう」



 穏やかな顔で片手頬杖を付いてる薫さんも晴夏の気まずそうな声で驚きの様子にシフトした。

 昨日であの日のことを話していなかったら、今晴夏はきっとこんなにも身が縮んでないだろう…過ちではないが、酒のせいで私に介抱されたのも、酒の力で私を抱いたのも事実、寝落ちしたけど。さすがにこれは二人だけの秘密、他の人、ましては元カノの前に言うわけない、変な誤解を招きそうだし。



「まあ、真冬の夜、酔っぱらった晴夏がトレーナー一枚で変な歌を歌いながら電柱に抱き着いたりしてました。介抱するの大変でした」



 とりあえず晴夏にも言ったことのある真っ赤な嘘を冷静についてこの場を凌ぐ。



「ぷっ!見てみたい」

「…とんでもないな」



 笑いを堪えてる薫さんと呆れた葵さん、そして耳まで赤くなった晴夏。さっきまでピリピリした空気は大分和らげたな気がする。



 改めてこの集まりを見てみれば、相当修羅場な人員構成になっている。

 晴夏を中心に、晴夏の親友、彼女、元カノ、さらにその元カノは親友の妹…特に私と葵さん、正直一緒に座って飲める関係ではない。それでも、晴夏に申し訳ないけど、会ったからには私は自分の目で葵さんはどんな人なのか、今晴夏に対してどんな思いをしているか見てみたいから、彼女の誘いに応じた。目から漏れ出す平穏そうな表情と不相応な強い対抗心から見れば、向こうも多分似たような思いを抱いている。



 新しい話題が開始する前ビールは運ばれて、薫さんの一声で乾杯をして、コクのある液体を喉に流し込んだ。料理も続々と出され、アルコールが沢山入って、薫さんのケアで晴夏と関係ない話をしているうちに私はちょっとふわふわな気分になった。



「せっかくきたので、醸造所を見てみたいー!」

「ちょっと悠梨、酔ってない?」



 ほろ酔いはまだ制御可能の状態だから、晴夏の心配そうな声も無視。

 向かいの葵さんはスッと席から立ち、「私も行く!」と同行を希望する。晴夏を避けられて二人で話せるいいチャンス、ここは乗って行く。私も席から立ち、「行きましょうー!」と、いい感じに返し、見学コースの方に向かう。



「えっ?!二人だけで大丈夫???」



 葵さんとは会話するだけ、そんな心配しなくていいと思い、どんどん遠くなる晴夏の声に「大丈夫大丈夫」と手を振った。そして薫さんが晴夏に話した「あの二人に話させ…」みたいな言葉も微かに聞こえ、さらに安心した。さすが薫さん、分かってる。





 見学コースの入口に到着すると、手前に看板が立てられていた。定められた時間ではなく、今日は自由に見学ができる。二人で話すには都合がいいと思いつつ中に入る。一番最初のビールと専用グラスがぎっしり並んでいる販売所に二人でゆっくりと回っていると、葵さんから先に話を掛けてきた。



「まさか年末こんなところであんたと会うなんで、なんかの悪戯かと思った」

「こっちも同じ感想ですね。でも晴夏の口からしか聞いたことのない葵さん、実際会ってみたらすごい綺麗な方ですね」

「それはどうも。晴夏が好きって言った女、噛み跡残すとんだ肉食系の化粧濃いお姉さんかと思ったのに、人畜無害そうな可愛い系…まあ、可愛いのは認める」

「ありがとうございます」



 どんな先入観を持った状態でも、初めて会う人も必ず外見から入り、見た目と数分の立ち居振る舞いで大体な印象が決まる。私が晴夏から聞く葵さん、二股の件を除けば至って普通な女の子なので、正直今日会って第一印象は悪くはない。話から聞けば、それは葵さんも同じ。

 元カノと二人の対面、テーブルでの状況を続き、パチパチと火花がさらに飛び散るかと思ったら、意外と穏やかだ。しかし彼女今まで私に対しどんな想像をしていたんだ…化粧濃い肉食系お姉さんって、何一つも合っていない。まあ、嚙み跡もわざと彼女に見せるため残した物だし、誤解されるのも仕方がない。でも、やっぱないわ…




 適当に商品のビールグラスを手に取り、葵さんは少し躊躇のある口調で続く。



「どれくらい付き合ってた?」

「半年?半年もない?まあ、それくらいです」

「え?そんな適当?付き合う日から計算すればわかるじゃん?」



 初めて驚きの色が葵さんの顔に這いあがった。

 付き合う日…私の思うやつなら6月、晴夏の言い分なら7月下旬頭、どっちも日付パッと出て来ないな。私が目を斜め上に向けて記憶を探っているせいか、葵さんはすごく大きいため息を付いたあと、呆れたように質問する。



「記念日とかお祝いしないの?」

「言われてみれば、しないですね。あんまり気にしたことがないです。今のところお祝いしたことあるのは晴夏の誕生日くらいですかね…」

「嘘だろう…」



 彼女が驚く理由はなんとなく分かるけど、その丸まった目にどう反応すればよいか、若干悩んだ。でも一般的の女の考え方と少々ズレてる私だから、ここは正直言うべきと、探りを入れた。



「そんなに変なことですか?私は別にそういうのに興味ないですし、晴夏だって気にしていないみたいです。まあ、頭がお花畑のような言い方にすれば、晴夏がいれば毎日記念日のような物です。時々なんかしてくれますし、心臓に悪いドッキリも…いや、本当心臓に悪かったです」



 普段冷静沈着で優しい雰囲気しか漂わない晴夏、実は案外お茶目でサプライズ好き。そんな晴夏は私しか知らない優越感は、ないと言えば嘘になる。今まで晴夏がしてくれた数々の小さなサプライズを思い出してるそば、記憶に焼き付くドッキリも勝手に出しゃばって、思わず甘さ混じりの苦笑いしてしまった。

 いつの間にか向かい側に移動した葵さんは、顔に張り付いた驚きがみるみるうちに複雑な表情に変わった。



「あんたはやっぱ特別だな…」




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