第77話 秘密大公開に頭を抱える








 明らかに驚きのある声をこぼし、「お母さんが、見てる…」と、私たちが置かれている現状を恥ずかしげに補足した。



「あらま〜」

「お母さん…」



 困ったように息を漏らし、晴夏は小声で優しく「どうしたの?」と私に尋ねた。

 少し待ってもただ抱きついたままで、返事しようとしない私に「部屋に戻ろう」を話しながら腕を剥がし、彼女の部屋に連れて帰った。





「お母さんに、なんか言われたの?」



 上着を脱ぎ、晴夏は心配そうな眼差しで私を見つめる。その声は、なぜか震えていた。

 さっき聞いたことを口にするのは彼女の傷口を抉ることになって、とても心苦しいが…自分の気持ちを隠したくない、彼女の思うことを知りたい、私のできることをしたいと思い、目を避けずに話し出す。




「小学校、あんな酷いことが…」



 この話を切り出した途端、晴夏の表情が一瞬で暗くなり、全身の筋肉が動くことを拒んでるように体が硬直した。目に映った光だけがゆらゆらと不安定に揺れていた。


 やっぱり…

 祥子さんはもう乗り越えたとは言ってるけど、その記憶と痛みは今も晴夏の心の奥深くに残っている。忘れたくても忘れられない。




 目を伏し、近くの椅子の背もたれに手を置きながら、晴夏は静かに冷静な口調で「そう…それを悠梨に言ったんだ、お母さんは」と呟いた。


 今更になって慰めは無意味。でも、辛い時は私がいる、私を頼っていいと、彼女の隣に歩み寄って、背もたれに置く手に自分の手を重ねた。伏した視線も一転、再び私に移した。





「子供の朧げな恋愛感情ではあったけど、あの時、私と日奈は確かに惹かれ合っていた。少なくとも、私はそう思っていた。だから渾身の恋文が読まれた後、日奈が取った行動、私は全く理解できなかった。なんで日奈はすべてを否定した上、一番の加害者になったのか…みんなから虐められたのはもちろん辛かった。でも一番辛くて、心に穴を開けたくらい痛かったのは日奈の裏切りだった。もしかしたら、保育園からずっと私を騙して、全然私のこと好きじゃないと思った。これは日奈本当の気持ちだ。だってそうじゃないと、彼女すべての行動に説明が付かないから…8歳の私はこう解釈することしかできなかった」



 穏やかな顔で淡々と自分の言葉であの過去を語っているけど、所々視線を逸らしてどこか遠いところを見る動きは矢のように私の心に刺す。



「あんなこと、あんな裏切り方されたら、私はきっともう二度と立ち直れない…晴夏は本当に強い」



 これを言ってる私はどんな顔しているのか、自分もわからない。けど、晴夏が私を見る視線に幾分の申し訳なさが増えた。

 きっと私の顔は悲しんでいるに違いない。彼女が私に一番させたくない顔を。




 頬に温かい綿のような感触がした。晴夏の両手は私のほっぺたに添え、親指だげが目の下で軽く撫でながら、「泣いてた?」と心配な眼差しを送った。



「泣かない方がおかしい…」

「悠梨はやっぱり優しいね」と笑みを帯びた口調で話したら、また何か遠い場所を眺める表情に戻った。




「私の代わりに怒ってくれた六花、泣いてくれたお母さん、静かに私を抱きしめてくれたお父さんがいなければ、私の心は8歳で死んだかもしれない。だから、私を愛してくれる家族のためにも私は立ち直れないといけない、ちょっと無理をしても普通のように人と接しないといけない。もう親に、妹に心配させたくないから…その後のことは、悠梨はもう知っているんだ」



 自分の感情も思うことも全部隠して、なんの隙も見せない晴夏はただ飾らない笑顔を見せ、周囲の人が欲しがる優しさを振る舞っている。付き合う前からずっとそうだった。これが私が知っている晴夏。なぜそうしているのを気になったけど、理由はわからなかった。晴夏の過去を知り、この言葉を聞いて、今ようやくわかった。

 自分を隠すのは弱さをみせたくない、優しくするのも断れないのも一番簡単に人といい関係を築くため、そして傷付けられないことを見返りとして受け取ったなだけ。ただの自衛だった…ちょっと無理をしても普通のように人と接しないといけないのはこういうことだった。

 人に裏切られ、酷いことを経験しても、優しい家族たちに救われ、晴夏自分の優しさを失っていなかった。彼女が取った自衛的な行動はある意味で臆病に見えるかもしれないけど、実際はとても強くて、私じゃ真似できないことだ。

 ふと彼女昨日さりげなく言った言葉が脳を過ぎる。この苦しみは経験として今の彼女を作りあげた一部になって、乗り越えたって消えることはない。彼女は身を持ってその考えを実践しているから、そう言えただろう。




「うん、知ってる。知ってるからこそ、晴夏は中身もとびっきり優しい人であることを、私が保証する。でもね、もしまだ痛むのなら、私を頼って欲しい。思うことがあれば、すぐ私に言って欲しい」

「…ありがとう、もう大丈夫だ。16年も過ぎたことだし…悠梨に出会って、ちょっと遠回りにしたけど好き合ってることが分かって、心の穴もとっくに塞がれた。みんなにも優しくして貰えてるし、今はもう笑ってそのことを話せるようになったんだ」




 口角を上げ、目に映る光も揺れなくなった晴夏の顔に浮かぶ優しい笑みはいつも私に見せるやつとさほど変わりはないけど、その笑顔の奥にはかすかな痛みと、苦しみを越えたからこその安堵が潜んでいた。それは私が今でもたまに感じる彼女の笑みから滲み出る寂しさの正体かもしれない。

 晴夏はもう大丈夫と言ってるから、これ以上話す必要はない。頷いて、この話に終止符を打った。


 でも遠回りね。もうほぼ一年前になったあの夜のことを思い出す。その時からもう遠回りし始めた。今日この過去大公開を機に、私の胸に秘めた秘密ももう明かしていいわ。




「遠回りと言えばね…実は、晴夏が私に思いを寄せてること、一月でもう知った」

「え…?一月?一年前??どうやって???……あっ…」



 口調と共に目まぐるしく変わる晴夏の表情は本当に面白い。特に最後このなんか察して、やっぱりかと思いながらもちょっと不確定感が出て、気まずくておどおどとなるのが一番楽しい。



「…もしかして、酔っ払った私が…言った?」

「言ったよ。大好きだ、悠梨って」



 晴夏の顔からは無理矢理作り出す笑顔が浮かべ、苦笑いの形に定型された。



「やっぱり…本当薫の言う通り、私酔うとやばいことを言い出すな…はぁ…」

「うーん〜言うだけじゃないよ。私にキスしまくって、手出したね…晴夏家のソファで」

「は?」




 衝撃のあまり、顔が強張った晴夏の視線も虚無に近い感じになり、驚くことすら忘れた。

 10秒、20秒経っても立ち尽くしたままなので、凍り付いた晴夏の目の前に何回手を振ってたら、彼女はようやく我に返った。見慣れた髪を掻く仕草も見る見るうちに激しくなった。




「…酒怖い…本当、ごめん……あああ、もう…!私のカス!」



 緊張、そして恥ずかしさで晴夏はもうまともに話せなくなり、顔が昨日食べた蟹みたい耳まで赤一色に染まった。



「ストップ!ストップ!!」を言いながら、晴夏の動きを止め、視線も強引に自分の方に向けさせた。



「誘ったのは私、晴夏は途中で寝落ちたし、そんな自分を責めるようなことじゃないから、ね?私も全然大丈夫、」

「寝落ち?!……もう、最悪……」




 甲高い声で私の話を遮った後、彼女はぶつぶつと悔いを呟き、ふと何か大事なことを思い出して「あっ、だから悠梨の顔も三度か…」と、昔私の言葉を口にした。

 そうだ。あの時も途中だったから、つい言ってしまったな。



「そうだよ〜」



 軽い返事に晴夏はまた頭を抱えた。可愛い。



 今彼女の反応はとても愉快だけど、付き合う前にこのことを言わなくて本当によかったと思う。言ったら、きっと今のような関係にはなれない。晴夏は真面目だから、きっと責任取るため私と付き合って、責任だけの彼女になる。そのまま続くと、下手したら晴夏の元カノたちの一人になってしまうかもしれない。

 元カノ…度々登場して私の心を攪乱してた葵さん、昨日知った怜さんと今日知った日奈さん、この三人以外まだいるか、興味湧いてきた。



「そう言えば、元カノって何人いた?」

「えっ…それ知りたいの…?」



 こんな質問、晴夏にとっては一難去ってまた一難。さらに戸惑いが加えた顔に向けられ、私の連続攻撃も頻度高すぎではないかと、ちょっと反省を入れた。



「祥子さん教えてくれたよ。お母さんを喜ばせるなら晴夏はめっちゃ頑張るだって。好きでもない人と付き合う理由はそれでしょう?」



 祥子さんが彼女植え付けた期待はただの触媒。あれだけ傷つけられて、もう人を愛せないと思う晴夏は、実際心底から人を好きになりたい、愛したいと思っているはず。



「……そんなことまで言ったんかいよ、お母さん…」


 ぼそっと祥子さんへの愚痴をこぼし、晴夏はすごい気まずい表情で私を見ながら「まあ…小中高大合わせて全部…んんぅ?!」




「もういい!教えなくていい!焼いちゃう!」



 自分で聞いたのに、小中高大を聞いた瞬間、まだ出ていない数字の生々しさに嫌な気持ちを覚え、慌てて手で晴夏の言葉を遮った。プレイガールじゃないけど、この経験の豊富さ…

 それにしても、人生各段階で晴夏を好きなる女の子は必ずいるなんで…やっぱ彼女は同性を引き付ける特別なオーラがあるよな、優しさと一緒に漂う何かが。そんなオーラはもう体の中にしまって欲しいけど。



 思考に浸っているうちに、私の手はもう晴夏に剥がされて、逆に彼女に拘束された。そのままキスされると思ったけど、柔らかい感触は一向に唇に落ちてこない。ただ私の目を真っ直ぐと見つめる視線は、瞳を通して私の心の一番奥まで覗けたような気がした。




「私が好きなのは悠梨だけ。不安になる必要はない」



 真摯な口調の中、揺るぎない確信と少しばかりの慰めが込められた。何が人の気持ちがわからないのよ、思い切り私を見透かしたじゃないか…



「分かったから早くシャワーに行って!」



 照れ隠しのために、汗がもうほぼ引いた晴夏をドアの方に押し遣る。

 待って待ってと拒んでも、無情に部屋から押し出された彼女は廊下に入った途端、あくびをしている六花ちゃんとバッタリ遭遇した。



「ふぁーーお姉ちゃん、また悠梨ちゃんに怒られたの?」

「誤解だ!シャワーを催促されてるだけだ!」



 半目になった妹の軽蔑するような視線を浴び、晴夏の音量は急にでっかくなった。



「あ、そう。じゃあ早く行けー悠梨ちゃん、一緒に朝ごはんに行こう」

「うん、行こう~」



 困惑気味で固まった晴夏を残して、心の中で「ごめんね」と謝りながら、六花ちゃんと腕を組んで一緒に一階へ降りて行った。



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