第76話 8歳の子供には重すぎ
色んなことを予想していたけれど、耳に入ったまさかのことに絶句し、開いた口が塞がない。
誰しもいい人と思うあの晴夏が、いじめを受けていて、しかも小学校の時だなんで…心底から信じられない。私の小学生時代は、受験の年以外みんなワイワイで遊んだとしか思い出せれないくらい平和で楽しかった。
「それはうちが引っ越しした理由の一つでもある。うちはね、昔はこんな都市の離れではなく、ここから車3時間くらいのもっと田舎なところで住んでいた。晴ちゃんは保育園の時、女の子の可愛らしさもちろんあるけど、男の子みたいかっこいい物にも目を行って、陽気でしょっちゅう泥まみれで家に帰ってくるんだ」
そう語る祥子さんは目を玉子焼きから離し、玄関方向に優しい眼差しを投げた。薄寂しい笑みを口角に這わせ、視線を私に移した。
「それだけ聞くと、ただボーイッシュな子と思うよね?」
「うん、そうですね」
「あの子、小さい時からよく同じ保育園のある女の子―日奈ちゃんが好きって口にするのよ。子供ってよく仲のいい友達が好きって言うじゃん、最初はそれだと思ってあんまり気にしなかった。むしろいい友達できて良かったねって言ったくらい。でも…」
言葉を言い掛けて、祥子さんは出来上がった玉子焼きをお皿に移し、次の分を焼くため新しく油を器に拭いた。手際がよく、表情も結構似ているから、朝私に玉子焼きを作る晴夏の姿を祥子さんに重ねた。
ここまで聞いた内容は全然普通だったけど、これからが重くなるのを知って、手伝う初め嬉嬉たる気持ちも若干暗くなっている。
「大人になったら日奈ちゃんを嫁にするまで言い出して、さすがにえ?って不安になった。うちの晴ちゃんはなんか普通じゃないと思ってね。そして向こうも多分当時の晴ちゃんが相当好きじゃないかな、そうだと思いたい…田舎だから、同じ小学校に入って、ずっとラブラブだったのよ。ところが、小2の2学期、晴ちゃんが真面目なラブレターを日奈ちゃんにあげたことから、すべてが変わった…」
「ラブレター…?」
そんな物、私は晴夏から貰ったことないし、そもそも文字で好きを書いてくれたことすらない。
こんな空気の中でも、過去形になった遠い昔の恋敵に意味のないやきもちを焼いてしまった自分に、腹立たしく思った。
「本当隅に置けない子だわ。内容はもうはっきり覚えてないが、子供が書ける愛を綴った最高に可愛い文書ではないか。そんな物だった。二人だけの秘密物だけだったらまだいいけど、それが同じクラスの子に見つけられ、全クラスの前に朗読された…このことを起点に、晴夏ちゃんが変だ、いやらしいだ、女の子なのに女の子が好きな変態だとか、酷いことを言われてたみたい…もちろん日奈ちゃんもね」
ボウルの中最後の卵液を玉子焼き器に注ぎ、祥子さんは「でも晴ちゃんは家に帰っても、一言も言わなかった」と続いた。最後の玉子焼きを焼き上げ、祥子さんがまな板で切ったあと、一皿に3切れずつ盛りつけた。
そんな私なら暴言も吐きたくなる酷いことを思い出しながらも、普通に朝食を準備し続ける祥子さんは強いと思った。
「あとで『その日何を考えたの』って聞いて、どうやってみんなから日奈ちゃんを守るかって…偉すぎて、聞いた時涙が止まらなかった。でも、そんな晴ちゃんの思いは思い切り踏みにじられた。なんと日奈ちゃんは好きじゃない、自分はただ晴ちゃんに一方的に好かれているだとか、すべてを否定した上で、逆にみんなと一緒に晴ちゃんをいじめるようになった。言葉の暴力が数日も続ければ、本当の暴力に手を出してしまうのは、子供だって同じ。先生の目を盗んで晴ちゃんのノートに酷い言葉書いたり、由来もなく推したり、机の中にゴミを入れたり…問題発覚した日は、真冬なのに汚水を晴ちゃんに掛けてた」
「……」
こんな話を聞かされて、心の中に嵐が吹き荒れている私は返す言葉もなく、ただそこで突っ立ていて、後続の話を待つことしかできなかった。
その時まだ小2の晴夏は一体どういう心情で毎日学校に行ってたんだ?どういう気持ちで毎日を過ごしていたんだ?考えるだけで涙がぽろぽろと目がこぼれて、今すぐでも外で雪かきしている彼女を抱きしめたい。
「先生も事態の厳重さに気づき、急いで私に連絡した。保育園からりっちゃんを迎え、学校に着いた時、白い服が汚れ水で灰色な跡だらけになった晴ちゃんと水を掛けた張本人の日奈ちゃんがいた。先生から話を聞いて、真ん中から破れた部分をガムテープで繋ぎ直した晴ちゃんのラブレターを見せられた。そしたらね、りっちゃんがすごい勢いで日奈ちゃんの前に走って、6歳になったばっかりな子が鬼の形相になって、自分より一回り大きい8歳の子を一生懸命に殴った。今思い出しても、ちょっと笑いたくなるくらい。ふふ」
「六花ちゃんが?」
「そうなのよーりっちゃんを止めるのも大変だった。引き離した後もすごい声で『お姉ちゃんをいじめた悪い人!許せない!』を叫んだ。怒り満点な子供の力も侮れないね。最後は日奈ちゃんから謝れ、先生もクラスの子たちに注意をしたことで終わったけど…まあ…」
言い淀む祥子さんの顔に複雑な表情が浮かんだ。
それで解決になったら、引っ越しすることもないだろう。何となく続きのことを察したが、私は黙ることを選んだ。
「あれ以来、晴ちゃんは学校で完全孤立された。子供たちの口によって親の間にも広がって、うちも色んな陰口を叩かれていた。純真無垢なはずの子供たちが、世間の普通がどれくらい恐ろしいなのか、我々一家は思い知らされた。悪いこと何もしていないのに、あんなことされて、人間と社会はそういう物だなって、つくづく思うわ。それに…悠梨ちゃんになら、もう言えるか」
「なんでしょうか?」
「実は、晴ちゃんは多分本気で女の子が好きと感じた時、ちょっと遠出で別町の精神科先生に相談をしていた。今見ればどんだけ無知極まりないことだけど、なんか病気でもあったのかなって思った…そしたら、先生は晴ちゃんは普通だと言ってくれた。人間は同性を好きなることもある。少数派だけど、病気ではない、変態なんかは全くもって馬鹿げた話だ。それを聞いてすごく安心した。だからね、晴ちゃんをそんな無知を自慢に思い、人を攻撃する愚昧な環境から連れ出そうと、お父さんと意見一致した。丁度お父さんはもっと稼げる仕事に転職しようとする時期だし、晴ちゃんが小2の冬休みの時、こっちに引っ越してきた」
すごいほっとした口調で自分の心に秘めた事を語った祥子さんの顔はさっきより大分晴れた。調理台に置いてた鮭の水気を拭き取って、5切れ全部予熱したグリルで焼き始めた後、涙目の私に「そんな泣いて、目が腫れてしまうよ」と、晴夏のような温かい笑みを送った。目元に浮かぶ涙粒を拭き、鼻をすすった私は頑張って笑顔を作る。
「昔晴夏に何かあったことは察していました。一緒に立ち向かいたいって言ったのに、何回聞いても話してくれませんでした。今聞いたら、こんなこと本人は話せるわけがないです…」
「話せないじゃなくて、もう話す必要がないと思っただけじゃないかな、晴ちゃんは」
「そう、なんですか?」
「その事が晴ちゃんに残した傷はどれだけ深いか、あの子だけが知る。時間に任せばいずれは浅くなると思うけど、純粋な好意が一番酷い方式で踏み潰されたせいで、晴ちゃんはもう人を愛せなくなって、恋の美しさと幸せを二度と感じられずに一生を終えてしまうことだけが怖かった。だから、あの子が少し大きくなった時、『これから晴ちゃんを心底から愛する人がきっと現れる。もし晴ちゃんもその人が好きになったら、家に連れて帰ってね。お母さんは絶対大喜びになるよ』を話した。晴ちゃんが人を好きになった時は、昔のことを乗り越えた時だと思ったから。それに、あの子は私を喜ばせることなら絶対頑張ってやるからね、ふふ」
温かみのある笑みは喜びと自慢げが入り混じった物に変わって、祥子さんの目も三日月になった。こんな家族がいるからこそ、晴夏は深い傷を負いながらも、誰かを愛する可能性を捨ててなかった。捨ててないから、私を愛してくれた。
思うこと、話したいことが山々なのに、うまく言葉にできない。
「そして、悠梨ちゃんがうちに来た。一昨日夜聞いた時本当に嬉しくて…」
目を細め、祥子さんは私をジーと見つめながら近づき、両手で私の手を握って、「晴ちゃん…晴夏を好きになってくれて、本当にありがとう」と言葉を綴った。
重みのある感謝の言葉、普通なら会って二日目で娘の恋人に話す物じゃないが、晴夏を過去から引っ張り出せたと思う私に話せずにはいられなかっただろう。
正直私は何もできなかった…その言葉に含まれた意味を受け止めるには後ろめたい気分になるが、それでも頷いた。
「これから晴ちゃんは悠梨ちゃんを悲しませたら教えて、ビシッと説教してあげる!私は悠梨ちゃんの味方だからね!」
「ぷっ」
涙目ながらも吹き出し笑いをした。さすが親子、昨日六花ちゃんとほぼ同じことを言ってた。
うちの雰囲気と違うけど、本当にいい家族だ。「はい」を口から出そうとした時、玄関が開けられた音がして、頭から白い蒸気が漂う晴夏が戻ってきた。メガネが曇ったままでキッチンの前に立つ彼女は、顔に赤みが帯び、髪が濡れている。汗なのか、雪が解けてからの水なのかはもう分からない。
「何楽しそうなこと話してるの?」
「晴ちゃんが悠梨ちゃんを悲しませたら、ただじゃすまないことかな」
「それは…」
目を丸くし、髪を掻く晴夏は苦笑いした。
今になって、慰めの言葉も無力だ。彼女を目にした時からとりあえず抱きしめようと、私は息がまだ荒い彼女の胸の中に飛び込んだ。
「え!?」
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