第75話 なんだよ、この体力モンスター
先に言おうか言うまいか、晴夏からの答えはいつも同じ。
腰が両手に掴まれ、体ごとが彼女の方に引き寄せられ、「私も悠梨が大好き」の甘い声が耳元で響く。
背中から腰、お腹、胸に彷徨う手、顎から首元に舐めるように這わせる唇によって、電流が走る自分の体をうまくコントロールできず、普段通りに話せなくなった。でも同じ思いを抱いていることをちゃんと伝えないといけないと、私は一所懸命に断続的な言葉を発した。
「昨日会った、んっ…時から、ずっと、……あ、っ……晴夏が、欲しかった…」
単語とよがり声で綴った言葉に、私を触りまくってる人をさらに刺激した。
「それは、聞き捨てならないな」と、晴夏は手の動きを止め、おでこをくっつけて私の目を覗き込む。
「―どうしてほしい?」
煽るような口調に扇情的な目で煽り返す。
「…抱いて」
「仰せのままに」
私の答えに満足げな笑みを見せた晴夏は再び手を服の中に忍び込み、キスしながら指の腹と手のひらで優しく擦るように撫で回り、情欲の炎に薪をくべる。暖房の効いた部屋で更なる熱を帯び、真冬なのにキャミソール一枚でも肌寒さは一切感じない。むしろ、熱い。
キャミソールの裾を捲って、私の上にいる晴夏がそれを脱がそうとした時、昼間ドアがパタッと開けられたことを突然思い出し、慌てて彼女の動きを止めた。
「ロック、掛けた?」
「ぷ…何事かと思ったよ」
「だって突然入って来るかもじゃん…」
まだ夜11時半もなってない、夜行型の六花ちゃんにとってはまだ全然活動時間内だし、祥子さんだって布団とかチェックしに来るかもしれないし…
「もうー心配事も本当可愛いだから…でもそれより、うちの壁はちょっと薄いよね。悠梨の可愛い声聞きたいけど、少し我慢しないと、それこそ隣の六花に聞かれるかもしれない」
「…噛んちゃうよ」
自分が傷つけられる宣言を耳にしても、晴夏は愛おしさと微笑みを湛えた目で私を一瞥し、顔を私の肩と首の間にうずめた。痛みもあんまり感じない程度に軽く肌を噛み、「どうせこうみたいな子犬の甘噛みだから」と、悪戯げに例を示した。
体力も力も晴夏に勝てない私はセックスする時余裕すぎる彼女に自分の悔しさをぶつけるため、噛み癖をついてしまった。いいアクセントにはなっているが、初めての時の跡が痛々しすぎたせいで、もう晴夏にそんな傷を付きたくないと、力加減も覚えた。だから、子犬の甘噛みと言われても仕方がない。
そして、前戯している時先に甘噛みするのは私が晴夏を喜ばせたい時の合図でもある。
「バカ…」
愛嬌たっぷりの一声で激情が一気に燃え上がり、二か月触れなかった分を取り戻そうと、晴夏と激しく求め合った。
愉悦と疲れが全身に襲って来て、裸で抱き合い、そのまま眠りに落ちた。
体も心も満たされ、朝遅めまで熟睡できると思いきや、瞼越しでチカチカと眩しい光のせいで目が覚めてしまった。
寝不足で脳がどんよりしていても、腕の中の暖かさともっちりとした感触が消えてないことに嬉しさを覚えた。目を光から隠しつつ、顔が触れてる肌にすりすりして、彼女の首を抱く腕を少し締める。
「眩しい」
「あっ、ごめん…起こしちゃった?」
「う…ん。今何時?」
「4時ちょっと」
早い、あと2、3時間くらい寝れるのに…まだ時差ボケしてるのか。
「何見てんの?」
「雪の状況見てるんだ。結構降ったな。そろそろ除雪しに行かないと」
頭に掛かった霧は晴夏の言葉で一瞬で消え、閉じていた瞼も開いた。
「え?今から…?」
「うん。積もり過ぎるとさらに大変だからね」
除雪と言う言葉は昨夜の食卓から度々聞こえて、大変な作業であることがわかったけど、こんな早くからやる必要ある?久しぶりにこうしてお互いの温もりを肌で感じてるのに、今日と言う今日はわがままを貫きたい。
「嫌…行かないで」
晴夏を抱きしめる腕をさらにきつくして、全身で拒絶を示す。
顔の近くに明らか困ったような吐息がした。スマホの眩しい光が消え、耳元に真剣な声が聞こえて来る。
「私も悠梨ともっとベッドでごろごろしたいけど、今からやらないと、親は仕事に間に合わないんだ。お父さん腰もやってしまったし、私が手伝えば楽になれるから。ね」
そんな真面目で反対する余地もない理由を言われ、固く決まったはずの私のわがままはあっという間に崩壊した。
「手伝うー」
「それはとても嬉しいけど…ふわふわと軽そうに見える雪でも、量があると結構な重労働になるよ。今日と明日は遊びたいでしょう?体力尽きで筋肉痛になって動けなくなるのは元も子もないから」
「…理由多すぎ」
時差ボケしててあんまよく休めなかったのに、何時間前私とちょっと激しい運動をした上で今から重労働、なんだよ、この体力モンスター…
唇を尖らせ、悶々とした声で「じゃあ、あと5分」という最後の足掻きをする。腰とお尻の境目あたりに手のひらの熱さが加えられ、体の距離がゼロになるにつれ、素肌がまた重ねた。
息がする時の音だげが部屋の中で響き、ただでさえ早朝の静けさに包まれているのに、今は紙が落ちても聞こえくらい異様に静かな気がする。カーテンの隙間からチラチラ見える明るさも冬の4時に全く相応しくない。
晴夏に自分の発見を言おうとしたその時、廊下からパタッとドアが開けられ、フローリングがスリッパに軽く叩かれた足音がした。
「お父さん起きた。じゃあ、私も行く。朝ごはん出来たら呼んでくるから、もう少し寝てね」
優しい声と共に、唇への軽い「チュウ」の音は静けさを破れる。身を起こし、晴夏は重ね着して、防水できそうな上着を着て部屋から出た。
ベッドに残された私は目を閉じ、数分後外から薄っすらと聞こえてくるスコップが雪に差し込む音、ダンプを地面に滑らせる時の音を睡眠導入音楽にして、また眠りに落ちた。
再び目覚めた時は丁度アラームが鳴った。自分の体内時計の精確さに感心しながらアラームを消し、部屋を見回す。晴夏はまだ戻ってない。朝食準備に手伝おうと、服を着て朝支度をする。
キッチンに入って、祥子さんはすでにそこでみんなの朝食を作っていた。鮭の塩気を帯びた匂い、炊き立てご飯の甘い香り、そして味噌汁の芳醇な香り、料理を見なくてもこの食欲をそそる美味しさが詰まった匂いだけで、早朝一番の幸せが身に染みる。
「おはようございます」
「おはよう、悠梨ちゃん。よく眠れた?」
「はい、よく眠れました」
娘さんと素っぽんぽんになって情を交わし、濃密な夜を過ごしたことは、さすがに一文字も言えない。昨夜数々のシーンが脳の裏をよぎり、声も視線も触れ方も、気持ちも…すべてが甘くて、砂糖漬けされた愛を大量摂取した私は今でもシュガーラッシュで酔っている。
冷蔵庫から卵を取り出す祥子さんの動きを見て、さっきからニヤリとこぼす笑みを自制し、「あっ、お手伝いします!」と卵のパックを奪う。
一個一個割ってボウルに卵液を集めさせてる時、晴夏のお父さん―
「すごい雪だ…仕事に行く前でもうへとへと」
「年末もうひと踏ん張りだ。晴ちゃんは?」
「美春さんのお手伝いをしている。旦那さんは風邪で寝込んでしまって、美春さんが一人で雪かきしてるわ」
「まあ、それは大変…」
卵を溶きながら、相当疲れた様子で祥子さんと会話する勲さんを見ていると、除雪は如何に大変な作業だと分かる。ちょっと体験してみたいくらいだ。
キッチンから通る勲さんを目送したら、隣の祥子さんは顔を私に向かずに説明をする。
「美春さんとお隣さんのおばあちゃん、もう80近くになったかな。こっちに引っ越ししてきたばっかりの時、晴ちゃんとりっちゃんの面倒も見てくれた元気で親切な方」
「そうなんですね」
80歳近くで真島家親子二人係でやっても大変な雪かきを一人で…凄すぎる。そうと感心したら、祥子さん次の言葉を綴り出す時の口調は一変し、すこし重くなった。
「…晴ちゃんはね、昔からいい子で、根から優しいんだ。家族思いで、家事もこなすし、昔うちの状況もちゃんとわかってて、塾通わずとも成績は常に学年上位を保っていた。いい娘だな、よく羨まれていた」
いい恋人と、口を挟みたくなるが、そうできる雰囲気ではないので、言葉を腹の中に飲み戻して続きを待つ。
「でも、あの子はずっと無理をしているじゃないかと、思わずにいられなかった…小学校のことが起きる前はりっちゃん並みに陽気で天真爛漫だった晴ちゃんは、あれ以降すごい真面目になった。昔のように笑うけど、みんなから可愛いとか、素敵とか思う笑顔の大半は見せかけの笑みだと、母の私には分かる…だからお盆で帰ってきて、本当に嬉しそうに笑ってるのを見て、すごいほっとした。悠梨ちゃんがいたからだね」
「小学校のことって、どんなことですか…?」
晴夏を変えてしまって、「外面」を作り出すきっかけの事件が祥子さんの口から出て、食いついた私はつい深く追おうと、質問で割り込んだ。
付き合ってから何度も遠回しに晴夏に探りを入れたけど、彼女は言い渋るか、別の話題を変えるか、躱すばっかりで話そうとしなかった。
驚きの顔を一瞬見せ、寂しそうなため息を付いた祥子さんは私手元溶き上がった卵液が入ったボウルを貰い、調味料とだしを加えて着々と焼く準備をする。玉子焼き器にキッチンペーパーで少量の油を拭き、卵液を注ぎながら彼女はゆっくりと口を開ける。
「あの子、晴ちゃんが小学校二年生の時、酷いいじめを受けてた」
「え…?」
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