晴夏
第6話 チョコはビター派だよ
別棟で辻井さんから頼まれてたシーケンス結果を取って研究室に戻ってきたら、自席の前で突っ立っているゆうりちゃんがいた。
この短い学期三年生の時間割はよく覚えてないけど、午前中彼女はずっと研究室に来てないから、今日は2限目まで講義があったみたい。
「はる先輩、こんにちは。さっき終わった」
手にお菓子の箱のようなものを持って、私に振り向く。声はそんなに元気じゃない、多分まだ昼食べていない。
「早く学食に行かないと、ゆうりちゃんが食べたいものがなくなるかもよ」
と彼女を催促しながら、ゆうりちゃん席の隣にある自席へ移動する。データが入っているUSBを辻井さんの席に置いて、自席にある筆箱を開けてシャーペンを取り出す。付箋にメモを書いたら、辻井さんの席に貼る。
私がこの一連の作業をやっている間、ゆうりちゃんはずっと自席の前で立ったまま、座ろうとしないし、学食に行くようなそぶりもない。
彼女が立ったままで何か話そうとしている関係か、なんとなく自分も立たないと感じて、お互い自席にいるのに、着席せず謎の立ち話態勢に入った。
「これ、はる先輩が買ってくれたのか?」
差し出されたのはゆうりちゃんがずっと持っていたお菓子の箱だ。ミルクチョコの文字が目に入って、確かに今朝私がコンビニで買った物。
昨日合コンあとのことがあって…面向かってちゃんと謝って、感謝をゆうりちゃんに伝えないといけないと思った。機嫌取りと話題を切り出すため、まず何か彼女が好きそうな物を用意した方がいいと思って、とりあえずコンビニでチョコを買った。
ゆうりちゃんは甘い物が好きなので。
今朝自宅のソファで目覚めた時、夢?って思ったけど、コートを布団代わりにしながら、床に座ってソファに寄りかかって熟睡しているゆうりちゃんを見た瞬間冷え汗すらかいた。私は馬鹿じゃない、いや、馬鹿だけど…
昨日は酒を飲んだ、酔った、合コン中盤?からの記憶が全くない、朝目覚めたら路上ではなくうちにいた。しかもソファの上で、布団も掛けられていて、机の上に飲み干したペットボトルまであった。そして、ゆうりちゃんもいた。
これらのことから、ゆうりちゃんがうちにいる理由なんで馬鹿でも分かる。
酒が弱いとわかっているから、普段は飲むだとしてもほろ酔い程度で止める。昨日みたいに記憶がぶっ飛んだことはさすがに初めてだ。ビール4杯でゆうりちゃんにとんでもない迷惑を掛けてしまった…土下座しても全然足りないくらい、すごく申し訳ないと思っている。
丁度たかよしと辻井さんは最近学校近くで開いた店に昼を食べに行って暫く戻って来ないので、この部屋にゆうりちゃんと私しかいない。
思い立ったが吉日だ。
「ゆうりちゃん…」
「なに?」
「昨日は本当に申し訳ございません!」
目を閉じながら、頭を下げ、体の前で手を合わせてゆうりちゃんに謝る。
ちょっと待ってても、ゆうりちゃんからの返事はない。無言の時間が続き、段々不安になって、彼女の顔を見るのが怖くなってきた。
怒るも、許すも、なんでもいいから、今彼女の声を聞きたい。
「はる先輩なんで謝るの?」
沈黙を打破したのは、ゆうりちゃんの質問だった。予想外のことが返ってきて、反応に困った。
私が謝る理由、ゆうりちゃんは知らないはずがない、なんで逆に私に質問したのか…片目をすこし開けて、彼女の様子を覗く。
至って普通の表情をしていて、疑問を持っているように見えない。私が片目で覗くことに気付いた途端、ゆうりちゃんの顔に笑みが浮かんだ。
「ぷっ」
あぁ、この笑い方、私を揶揄ったな。ゆうりちゃんが揶揄ってくれるってことは、そんなに気にしていないかも。
でも、ゆうりちゃんが気にしないのはゆうりちゃんのこと、私はやるべきことをやらないと。
開けた目を閉じ、さっきより深く頭を下げ、もう一回ゆうりちゃんに謝る。
「色々とご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした。もう二度とこんなことないようにします…」
「私が一緒の時なら、いいよ」
「え?」
ゆうりちゃんの言葉に、思わず顔を上げる。彼女はさっきと同じ、ずっと微笑みながら私を見ている。
「変な歌を歌ったり、謎のネタを言ったり、電柱に抱き着いたりして、とても愉快だったのでもう一回みたい~」
「ちょっと待って…私そんなやばいことしたの???」
「暴れてないのは唯一の救いだった」
「ごめん、本当ごめん…酒辞めるわ…」
手をおでこに当て、髪をわしゃわしゃと弄る。
泥酔状態になると、自分はまさか性格が豹変するタイプの人だなんで、あああ、怖い…
昨日ゆうりちゃんは飲み屋からうちまでこんなやばい私を介抱したことを考えると、恥ずかしくて目を合わせられない。
「クスッ。嘘、嘘だよ!はる先輩表情面白すぎ、ははは」
「本当?歌ってない?電柱に抱き着いてない?」
「ふふふ、してないしてないー」
「よかった…」
ゆうりちゃんの揶揄いに相当焦ってたけど、事実でなければ…と思って、ちょっとほっとした。自分が本当にそうになった時、彼女にだけ見せたくないから。
「魘されただけ。でも、本当に重いからね!ソファに寝かせるまで大変だったわ」
「その節は、大変ありがとうございました」
「わかればよろしい。話戻るけど、これは?」
ゆうりちゃんはチョコレートの箱を顔に近づき、軽く振る。
そうだった、彼女一番最初の質問にまだ答えていなかった。
「お詫びにとりあえずゆうりちゃんが好きそうな物を買ってみた…」
「チョコはビター派だよ」
「そうなの?ごめん、買い直しするわ…」
「プチトマトは?」
ゆうりちゃんの質問にチンプンカンプンになっちゃた。今チョコの話をしているのに、なんで急にプチトマトが登場するの?
そもそも、彼女はプチトマトが嫌いなはず。研究室の飲み会でも、出されたサラダのプチトマトは取らない。他の人がサラダとりわけする時にお皿に盛ったやつも、必ず残す。でも、わざわざ聞いてきたから、自分の認識が正しくないと疑い始める。
「嫌い…だよね?」
「ビンゴ。サラダに出してないよね。朝ごはん、ごちそうさまでした。美味しかった」
「あぁ、おそまつさま。そういうことね」
「そういうこと。はる先輩は、ちゃんと私のこと見ているね。チョコは間違ったけど」
目を細め、ゆうりちゃんはさっきと違う雰囲気の笑顔を見せる。揶揄うとか、面白がるとかではなく、純粋に嬉しいのような笑顔。
そんな可愛く微笑んでくれるゆうりちゃんに、思わずドキッとした。自分の動揺を隠すように、視線を彼女から自席に置いてた論文に移し、椅子に座って、紙に印刷した論文をめくる。
「一応、ゆうりちゃんのゼミ彼だから。2号だけど」
「そんな情けない2号の家に泊まったことは、みんなには言わないでほしい。あと…」
言葉を言い掛けたまま、ゆうりちゃんは私を彼女に振り向くように、ポンポンと軽く肩を叩く。再び視線をゆうりちゃんに戻したら、彼女は目を逸らして、着ているパーカーを引っ張りながらちょっと恥ずかし気な表情で私に釘を刺す。
「これのことも」
自分が呼吸しているかどうかはもうわからない。
別に知られたらまずいってことじゃないし、なぜゆうりちゃんはうちで泊まったことを、私のパーカーを着ていることを他の人に知られたくないのもわからない。わかろうとしない。わかったところで、何かを望んでしまいそうだから…
ただ、頭が真っ白な状態で彼女が望むままに約束をした。
「…うん、わかった」
私の承諾を得たゆうりちゃんは、ほっと息を付き、ようやく席に座った。
チョコの箱をぱかっと開け、中に入ってる個包装のチョコを一個取り出す。包装紙を開け、中身のチョコを包装紙で挟みながら口に入れる。「うーーん」と鼻から声を出しながら、幸せそうな表情を浮かぶ。見ているこっちも、幸せになった気分。
ふっと何かを思い出したか、ゆうりちゃんはすーっと顔を私に向ける。
「あっ、はる先輩。チョコだけで私を片付けようとしてない?」
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