第5話 一つの嘘は七つの嘘を生む




 一限目の講義の教室に着いた時、開始時間まであと20分くらい余裕がある。それでも、もう五六人くらい居た。静かに本を読んでいる人が居れば、机の上でうつ伏して寝ている人もいる。早朝の教室に相応しい静かさだ。

 教室の3列目右の机にカバンを置き、座席に座る。この角度から見る黒板は結構好きだから、ここら辺は私の定位置。



 最初は研究室に行こうと思ったけど、講義用の資料はカバンに入っていたし、今はる先輩と会うのもちょっと恥ずかしいと思ってやめた。



「ああー悠梨ちゃん、おはようーー」



 事前に講義内容を確認したら、教室前方のドアからあっきーが入って来た。満面の笑みをこぼす彼女は相変わらず無駄に元気。

 あっきーこと斉藤さいとうあきらは、私の同級生、同じく早川ゼミに入っている。四年制の人で、就職ではなくて修士課程に進学する予定。



「あっきー、おはよう。今日は早いね」

「結果が知りたくて早く来た。で、どうだった?」




 隣で着席したあっきーはカバンを置いた途端、すぐ顔を私に近づき、興味津々と私に尋ねる。

 あっきーが知りたいことは分かっている。昨日の合コンはどうだったか、いい男見つかった?とか。でも申し訳ないが、今の私は男性陣の顔すら思い出せれない…

 元々、合コンもはる先輩目当てで行った。知られたら、なにその動機?!と言われ兼ねない。



 昨日お昼研究室に戻った時、偶然にドアの外でよしの先輩がはる先輩に合コン参加をお願いする会話を聞いた。その時はる先輩は渋々と承諾した。

 午後2時くらい、はる先輩が別棟でシーケンスの結果を取りに行った時、よしの先輩は何回も長い溜息を付いた。席が真後ろだから、心配で聞いてみたら、なんと二人目も急に合コンへ行けなくなったのこと。それで、私が自薦した。



 合コンに全く興味はない。ただ佳乃先輩の状況解決と、はる先輩が合コンの場でどう振舞うか知りたいだけで行った。あわよくばはる先輩の目を引いたらと思って、個人的にの一石三鳥ってとこだ。




「えぇー黙ってないで、早く教えてーー」

 自分の思考に思い浸っている時、あっきーから返事の催促が来た。あと数分で一限目が始まるから、適当に誤魔化そう。




「別になんでもない。初めてだし、どんな感じかを知ったくらい」

「いい男ないの?」

「ないね」

「へぇ、この返事は随分早いね」

「ないってことだよ」



 あっきーは面白いと思うことはとことん食らいつく、つまらないことならすぐ引くタイプの人だから、これくらいはっきり言えば、あっきーだってつまらないと感じて引いてくれると思った。でもあっきーは一向距離を取ろうとしない、依然と近くて私の様子を観察する。彼女の視線に、ちょっとだけむずむずして落ち着かない。




「さて、私たちの悠梨ちゃん実は好きな人がいるじゃないの?」

 肩をぶつかりながら、あっきーが仕掛けた。




 ドキ。

 本音を引き出すための罠だとわかっていても、はる先輩の顔が目の前に浮かび上がって、ドキッとした。

 顔に出てないはず。




「いないわよー」

「耳めっちゃ赤いだけど?」



 そんなはずがないと思いながら、思わず耳を触ってしまった。熱くないし。

 そう感じた瞬間、あっきーの罠にまんまと引っ掛かったことにようやく気が付いた。



「誰誰?私が知っている人?」

「だからいないって。あっきーしつこい」



 あっきーの質問攻めがどんどん強くなって、乱暴に返すことしかできなかった。

 こう見えて、あっきーの口はかたい。その時になったら、あっきーには言うつもりだけど、今じゃない。絶対私とはる先輩の関係を面白がって笑うから。



「ちょっと待ったー!」

「えぇ、何?」



 やっと引いてくれると思ったら、あっきーの口からさらに恐ろしいことを言い出す。



「悠梨ちゃん、今日珍しくパーカー?しかもちょっと大きくない?」

 クンクンと私の近くに匂いを嗅いで、「それにいつもの悠梨ちゃんと違う匂いがする」と鋭く自分の発見を補足する。




 女の勘は怖い。まさかあっきーはここまで気が付いたとは、彼女の観察力は本当に侮れない。通りで世の中の女性たちは微かな手掛りから恋人の浮気を発見できることだ。



 パーカーのことなら、素直にはる先輩の物と言えば、あっきーも変なことを想像せず納得してくれる。けど、昨日家に帰ってないことと、はる先輩の家で一夜を過ごしたことを他の人に知られたくない。

 それで、パーカーについては事前に理由を用意した。でも私に付いている匂いまで突っ込んでくるなんでさすがに想定外だ。




「昨日はる先輩のスウェットを見ていいなと思って、家のパーカーを掘り出した。部屋着にする予定だったのでちょっと大きいだけ」

「へぇー悠梨ちゃん本当晴夏先輩好きだよね」




 本当は友達や先輩後輩的な好きじゃなくて、恋愛的な好きだけど、とこっそり心の中で呟いた。




「席が隣のゼミ彼2号だから」

「はいはい。そのゼミ彼2号発言はゼミの人に限定してね」

「なんで?」

「イタいからよ。悠梨ちゃんファンたちは幻滅するよ」

「別にファンはいないし…」

「それに晴夏先輩にもファン、と言うか…まぁ、分かるでしょう?」




 あっきーの言葉に、心当たりはある。


 うちの院生は大体学部からの内部進学なので、各ゼミにいる年齢近い先輩たちは概ね学部から知っている。留学生以外、はる先輩は珍しく別の大学から入ってきた院生なので、三、四年の学部生の間に軽く話題になっていた。

 でも、私は去年秋頃ゼミに入るまではる先輩と会ったことはなく、ただちょっといい感じの先輩としか知らなかった。三年生が一気に研究棟に入ってから、学部生ははる先輩と会うことが多くなり、彼女の人気がじわじわと上がった。

 別のゼミの子はたまにうちの研究室に来て、用もないのに「真島さんいますか?」とわざと探すぐらい。そういう時は、私はきっといい顔していないと思う。




「わかったよ」

「って、この柑橘系の匂いはなに?」




 あっきーは忘れていなかった。

 さっきパーカーを掘り出したと言ったので、お母さんが新しい柔軟剤に変えたとか、家が新しいシャンプーやボディソープを変えたとかを理由つけても、明日ですぐバレるから、明らかな嘘になる。『一つの嘘は七つの嘘を生む』を別の意味でこの身で体験するところ、キーンコーンカーンコーンと一限目の始まりを告げるチャイムが鳴った。

 あっきーは「後で教えてよ」と小声で話したあと、先生が教室に入って、講義を始めた。



 助かった。

 2限目の講義違うし、研究室での部屋も違うから、これで一旦あっきーからの質問攻めから逃れられる。




 ***




 昼2限目が終わって、荷物を置いてから学食に行くと思ってお腹を空かしながらとりあえず研究室に戻る。部屋に入った時、いつもならはる先輩、佳乃先輩と辻井さんどちらがいるはずだけど、今日は誰もいなかった。はる先輩のマグネットは在室になっているのに。



 自席に移動して、カバンを椅子に置いたら、机の奥に置いてるミルクチョコが目に入る。見るにはコンビニで買える物の中でも結構高いやつだ。甘い物に目はないけど、チョコはビター派なので、ミルクチョコはあんまり買わない。これは私が出して忘れたものではない。



 お土産なら、みんなの席にもあるはず。隣はる先輩の席を見ても、読みかけの論文、筆箱、ロックしているノートパソコンと水筒しかない。佳乃先輩と辻井さんの机の上にもない。

 じゃあ、誰かが私の席に置いたのかな?付箋くらい書いてほしいな。



「あっ」

 まさかと思って、チョコの箱を手に取ったら、箱の下に小さい付箋1枚があった。




『食べてね』




 簡単な4文字しか書いてないけど、あの達筆の字からすぐチョコ置いた犯人が分かった。

 ミルクチョコでも、嬉しい。いや、すごく嬉しい。




「あっ、ゆうりちゃんお疲れ。2限目終わったのか?」




 部屋の入口から優しい声が聞こえて来る。振り向かなくても誰だと分かる。

 その声を聞いたのは昨晩「悠梨」と呼ばれた時きりで、まだ一日も経ってないのに、なんかもう随分久しぶりと感じた。


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