第18話 再対、敵対
夕暮れ。
購買部と同じフロアに作られたそこは広々としていて、街の景色を眺めながらランチを楽しむ生徒たちの憩いの場である。
しかし、今はそうした生徒の影はない。放課後になって購買部も店じまい。今日のところはもう誰も使わない。流鯉と、彼女を待っていた
流鯉は後ろ手にドアを閉じ、フェンス越しに街並みを眺める鍵玻璃を睨む。
「気が変わった……ということでよろしいのかしら?」
「そんなことは全くないけど」
「ふん」
早速機嫌を損ねて鼻を鳴らす。
鍵玻璃が急に登校し始めてから、早三日。流鯉は再度、彼女に対しデュエルを要求したのだが、すげなく断られてしまっていた。
取り巻きや、鍵玻璃の妹の手前、しつこく勝負を挑むのは自分の品性を貶める。そう自戒して煮えたぎる怒りと闘争心を押し殺してきた。
そして今朝、突然鍵玻璃から連絡があった。話があるからここに来い、と。
「デュエルでなければ、一体なんですの? わたくしも忙しいのですけれど」
「安心して。あんたに直接用があるわけじゃない」
ピクッ、と
わざわざ呼び出しておいて、この礼節を欠いた物言い。振り返った
流離は胸のしたで緩く組んだ腕に爪を立てる。こんな奴に後れを取ったのかと思うと、不甲斐ない己を引き裂きたくなってしまう。
「単刀直入にお願いしますわ。わたくしも、今のあなたに用はありませんわ」
「あんたのお父さんと話をさせて。WDDの死神のことで」
「……は?」
口を開け、目を丸くして首を傾げる。
今の自分は、さぞ間抜けな顔をしているのだろう。目の前の相手が何と言ったのか、理解が追い付いてくるにつれ、口角が痙攣しながら吊り上がった。
「失礼、今なんと? わたくしの聞き間違いかしら。WDDの死神……と聞こえたのだけど?」
「単刀直入に、って言ったのはあんただけど」
「チィ……ッ!」
漏れ出した舌打ちを最小限に抑え、
澄ました鍵玻璃の頬を流鯉の手が掠め、テラスを囲むフェンスを打つ。
息のかかる距離まで近づいた流鯉は、ドスの利いた声で告げた。
「悪ふざけも大概にしてくださる……? わたくしの父がどのような立場かご存知なのですわよねぇ?」
「知ってる」
「なら、そんなくだらないゴシップのために割く時間はないこともお分かりいただけるかと思いますわ。父は多忙ですの。それを死神なんて世迷い言で乱すおつもり!? あまつさえ、わたくしを伝書鳩代わりにしようだなんて……!」
「そうね」
鍵玻璃は無言でゴーグルを下ろすと、虚空に指を走らせる。ふたりの間に、空間投影型のディスプレイがいくつも展開した。
流鯉は素早く退き、距離を取る。
「ただの噂話なら、私もわざわざあんたにこんなことお願いしないわ。けど三日前……いや、もう四日前ね。私はこの目で、死神を見た」
流鯉は、それらのひとつひとつを観察する。あるディスプレイには学生名簿、またあるディスプレイにはゴシップ記事の写真。他にはインタビュー記録らしき箇条書きのテキストや、リアルタイムで文字起こしされた録音記録がある。
それら全てが精査されるのを待たず、鍵玻璃は言った。
「登校したのはあくまで調査のためだけど、収穫は思った以上にあった。笑っちゃうわよね、先生から生徒まで、妙な出来事を経験してる人がそれなりにいるんだもの。けど、誰も気にしない。気にしたって仕方がないから」
「仕方がない、とはどういう意味ですの?」
流鯉の警戒心強めの眼差しが半透明のディスプレイとレンズを透かして鍵玻璃を見つめた。
「四日前の22時過ぎ、死神と会ったのは私だけじゃない。けど、その人は消えていなくなったわ。誰もその人のことを覚えてない。見ての通り、あらゆる記録からその人の存在は消えて、その人の情報があった場所は不自然な空欄になっている」
顔写真、名前、学籍番号が記された名簿に不自然な空白が何か所か。
インタビュー記録には、他愛もない怪談話。バレンタインデーにチョコを用意したが、誰に渡すか忘れてしまった上にメッセージカードからも名前だけが削られていた。誰も使っていない靴箱からラブレターが見つかったが、宛名は無く、送り主は書いた覚えが無いという。
文字起こしされた録音記録には、教師の声。誰かと進路相談の約束をメモしていたのに、相手の名前が消えてしまっていたという話。
WDDの死神。デュエリストに勝負を挑み、敗者の魂を狩る謎の存在。
流鯉は乾いた笑みを作って首を振る。
「……ハハ。よくもまあ、ここまで捏造できたものですわね。
それで? これをネタに、お父様を
「ついでに言うと、私もデュエルを申し込まれた。履歴はこの通り、原因不明のバグのせいで見ることは出来ない。運営にはもう問い合わせたけど、音沙汰無し」
「………………」
流鯉は力任せに振り払いながら、怒鳴り散らす。
「いい加減にしなさいッ! こんなことに費やす時間など、わたくしにもお父様にもありませんの! 創作怪談はご自身のチャンネルでやってちょうだい!」
「へえ。お父様に聞いて差し上げましょうか、なんて言ってたのはどこの誰だったっけ。いいとこのお嬢様は、自分で言ったことを平然と破るんだ? 流石、お金持ちのお嬢様は、不義理を働いても許される立場でいいわね。お里が知れるわ」
脳の奥、クリティカルなところで、糸の切れるような音がした。
歯ぎしりをした流鯉は足を肩幅に開いて、真正面から向かい合う。
鍵玻璃は平然としたすまし顔。その頬を張ってやりたい気持ちを、握り拳の中に封じる。
度重なる無礼に、侮辱。何より鍵玻璃の態度が気に入らない。輝かしい首席入学という栄光を手にしておきながら、それをドブに捨てるような不登校、不勉強。やっと学校に来たかと思えば、今度は根も葉もないオカルトに傾倒するとは。
三日前、ようやく学校に来た鍵玻璃を訪ねた際、妹に付き添われた彼女は、どこか心ここにあらずといった状態だった。
誰であろうと眼中にない。心配する妹をも適当にあしらい、デュエルは全て断って。部活はおろか、研鑽に励む様子もなく、妹にリベンジしようとする気概も見せない。
本当は、彼女が学校に来たと聞いた時、少しだけ期待した。何があったか知らないが、心を入れ替えたのではないかと。正々堂々彼女を打ち負かす機会が巡って来たのだと。
なのに、何かと思えばWDDの死神? そんなもののためにここまで執着するのか? 他にやるべきことがあるだろうに。
絶対に認められない。こんな女に後れを取っているなど、断じて!
―――格の違いを思い知らせる。今、ここで!
内なる怒りを深呼吸で腹に押し込み、流鯉は至って平淡な口調で言う。
「……でしたら、ひとつ条件がありますわ」
「デュエルしろって?」
「ええ。あなたが勝てば、お望み通り、父との連絡を仲介致します。ですがわたくしが勝てば……あなた、わたくしに仕えなさいな」
「仕える?」
「何、一生あんたの奴隷になれってこと?」
「あなた、わたくしをなんだと思って……! あくまで側仕えですわよ。メイドでも、執事でも、秘書でも構いませんが、わたくしの三歩後ろで公私ともに補佐なさい。それともそういう趣味をお持ちですの? 否定は致しませんが、わたくしの品位を下げるのでやめてくださいまし」
「お嬢様も大変ね」
それ以上取り合わず、流鯉は再び背を向ける。今度は立ち去るためではなく、戦の間合いを作るため。
一定以上離れてから振り返る。春が徐々に去りはじめ、熱を帯び始める夕焼けが、向かい合うふたりの影を長く伸ばした。
フェンスの影がそれぞれの横顔に格子模様を刻み込む。鍵玻璃の表情からは感情が抜け落ちていて、まるで囚人のようだ。
流鯉は胸ポケットに差していた羽根ペン型のデバイスを抜いて指の中で回し、空を薙ぐ。
「あなたには自覚が足りていないようですので、きっちり躾けて差し上げますわ。人の前に立つべき者、実力を備えた者の義務とその果たし方、立ち振る舞いというものを!」
「はあ……」
結局こうなるのか、と溜息を吐きながら、鍵玻璃はしぶしぶ頷いた。
正直気は進まないが、挑発したのは自分の方だ。それに、なんだかんだこれが最短の道でもある。負けたら負けたで目的達成の目がありそうだし、そもそも勝てばいい話。
なにより、これ以上逃がしてくれそうもない。
「いいわ、その条件で。……始めましょう、こっちもそろそろ門限だから」
「ええ。手っ取り早く、どちらが上に相応しいのか、はっきりさせて差し上げます」
夕日が照らす決闘の光景。沈みゆく眩い橙色の中、鍵玻璃はゴーグルを下ろして目元を隠し、マジックアワーの空に手を突きあげた。
同時に、流鯉が羽根ペン型デバイスの先端を握り込み、己に突き刺すようにして胸にあてがう。
辛うじて残っていた桜の花が風に巻かれて、ふたりの間をすり抜けた。
紡がれるのは、決闘の詩。
「夢のカタチ、星のカタチ、光のカタチ。一番星はこの手の中に」
「民よ、我が旗を仰ぎ見よ!
暗闇とグリッド線が、ふたりの世界を塗り替えた。
ふたりの衣服が光に包まれ、変化する。
鍵玻璃はメカニカルなアイドル衣装に。流鯉はティアラとマントを羽織った女王然としたものに。
空には星が。眼下に都市が。それぞれ虚空に浮かぶステージと空中浮遊する庭園に立ったふたりは、張り詰めた声を揃えて宣言した。
「「―――デュエル!」」
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