第17話 星無き夜を辿る道

 今日のところは、解恵かなえが付きっ切りで面倒を見るという条件で無事退院となった。


 本来はルームメイトかつ同学年の羽新羅はにらの役目なのだが、解恵が頑として譲らなかったことと、肉親であるということを考慮したことが重なった。


 結局、ふたりは大遅刻をかましながらも授業に出ることとなり、鍵玻璃きはりは姉妹そろって帰路に就く。


 だが正直なところ、医者から受けた忠告も、ルームメイトからの苦言も、恋人のようなくっつき方をする妹のことも鍵玻璃の中から離れつつあった。


 時刻は午前10時過ぎ。春の程よい陽気と風によって冴えてきた頭で考えるのは、あの死神とのデュエルのことだ。


 デュエルは実際にあった。リプレイを参照できない以上、具体的なことは自力で思い出すほかない。


 ―――“メモリーイーター・ノイマン”、“ソートシャッフラー・ドローン”。

 ―――“メモリアル・ギャザー”。

 ―――そして、あの卵。


 ドクッ、と心臓が警告を発する。


 悪夢の卵と、そこから生まれた謎の存在のことを思い出そうとすると、恐怖も一緒に顔を出す。


 あの時ほどではないが、それでも恐怖は生々しく蘇る。異形の花が心臓を内側から突き破って咲くような感覚は、胸元を擦ってもぬぐえない。


 しばらく上の空で考え事をしている間に、解恵かなえが体を強く揺さぶる。


「お姉ちゃん? お姉ちゃんってば! 着いたよ!」

「えっ? あ……ああ、うん」


 ふと見上げれば、そこには学生寮という名の二棟建てのタワーマンション。いつの間にか病院からここまでの距離を消化してしまっていたらしい。


 鍵玻璃の腕を抱きかかえたまま、解恵は額と額をこつんと当ててくる。


「ぼーっとしてどうしたの? やっぱり熱とか……」

「無い、無いから。ほら、行くよ。寮長に報告しないといけないんでしょ」


 首を振って解恵かなえを振り払い、鍵玻璃きはりは寮の扉を潜る。


 妹にエントランスを開けてもらうと、入ってすぐ真横の管理人室から妙齢の女性が出てきた。


「解恵ちゃん、お帰りなさい。……鍵玻璃ちゃんもね」


 明らかにトゲのある口調で呼ばれた鍵玻璃きはりは小さく会釈した。


 管理人を務める女性は腰に手を当て、厳しい口調で告げる。


「詳しいことは病院から届いてるわ。特別門限のことは、羽新羅はにらちゃんたちから聞いた?」

「ええ、まあ」

「そう。なら、しばらくは大人しくしていること。夜遊びなんて以ての外よ。大体、授業にも出てないのにこんなことになったりしたら、一体何人の人に心配かけると思ってるの。今朝の解恵かなえちゃんなんて、この世の終わりみたいな顔して出て行ったんだから」

「りょ、寮長さん!」


 流石に他人の口から言われるのは恥ずかしいと見えて、解恵が慌て始める。


 この世の終わりみたいな顔の解恵……想像に難くない。鍵玻璃はふたりにバレないよう、こっそりと鼻から溜め息を逃がした。


 寮長のお説教は続く。


「はぁ……なんともないみたいだし、とにかく無事でよかったわ。勘弁して頂戴ね、消灯時間にひとりだけ帰って来てないってことになったら、こっちの心臓が止まりそうになるんだから」

「ひとり……?」


 ひっかかりを覚えて復唱する。そして、鍵玻璃は肝心なことを思い出した。


 死神とデュエルしたこと、悪夢の卵のことにばかり思いを馳せていたが、もっと大事なことがある。デュエルの直前、死神に消されたあの青年のことだ。


 鍵玻璃は寮長に一歩詰め寄る。


「あの、私以外にも帰ってこなかった人っていないんですか?」

「え? ええ、消灯時間まで帰ってこなかったのは鍵玻璃ちゃんひとりだけのはずよ。……やだ、不安になって来たわ。ちょっと待ってね」


 寮長はその場で投影型ディスプレイを呼び出して、操作をし始めた。


 解恵かなえが怪訝そうに耳打ちしてくるが、鍵玻璃きはりの耳には届かない。


 あの青年、状況が状況だったせいで名前すら聞けなかったが、もし学校関係者だとすれば騒ぎになっててもおかしくはないはずだ。


 しばらく寮長を注視していると、不意に手の動きが止まる。


 寮長は首を傾げた。


「ん、あれ……おかしいわね」

「いたんですか?」

「うーん、居たというか。ふたり帰って来てないって業務日報に書いてあるのに、データには鍵玻璃ちゃん以外全員帰って来てるって……」

「……!」


 鍵玻璃は鋭く息を吸い込むと、解恵を振り払って寮長の呼び出したディスプレイを覗き込んだ。


 抗議の声もそっちのけにして画面をスクロール。昨日の業務日報に設置された、未帰宅者の欄。人数部分には2と打ち込まれているが、その下のリストには鍵玻璃の名前しかない。


 胸騒ぎがする。先の見通せない暗闇の中で、名状しがたい存在がざわめいているような、不気味な感じ。


 画面を変え、昨夜から今未明にかけての外出・帰宅の記録を呼び出す。フィルターをかけて外出したまま戻ってきていない寮生は記録されていない。


 単なる記録ミスに過ぎないのか? そう思いながら寮生名簿一覧を出して素早く確認していくと、とある場所で指先が止まる。


 男子寮の名簿に、一か所だけ、不自然な空欄があったのだ。


 名前の羅列のど真ん中に、ぽつんと置かれた空白。タップすると、新規入寮登録のポップアップが現れた。上下の適当な名前を叩くと、顔写真と学年、入寮日などのデータが出てくる。


 鍵玻璃きはりの額を、嫌な汗が濡らした。


 耳元で微かに、たくさんの虫が羽音を立てるような“誰それ”の連呼が始まる。


 間違いなく誰かいた。なのに、不自然なまでに綺麗さっぱり消えたことで作り出された空白。


 ―――私は……知ってる。だって、これって……!


 張り詰めていく緊張を、解恵かなえが断ち切る。


「お、お姉ちゃんってば! 駄目だよ、勝手に見たら!」


 腕に抱き着かれ、ぐいっと引っ張られる。転ばないように不自然なステップを踏んでディスプレイから離れた鍵玻璃が振り返ると、寮長が名簿を険しい顔で睨みつけていた。


「あの、その空白って……」

「もう行くよ! ごめんなさい、失礼しまーす!」

「あ、ちょっと……!」


 解恵かなえ鍵玻璃きはりを連れて、無理やりその場を後にした。


 寮長が呼び止めるより早く、双子は偶然一階に停まっていたエレベーターに乗り込んでしまう。


 取り残された寮長は、名簿の不自然な空欄に目を向ける。


 複数いる管理人のひとりとはいえ、彼女は寮生全員の名前と顔を一致させている。閉じこもりがちで授業にも出ない鍵玻璃の名前を一発で出せる程度には。


 だが、そんな彼女を以てしても名簿の空欄にあった名前を、思い出すことができなかった。


⁂   ⁂   ⁂


 十五分後。自室に戻った鍵玻璃は寝間着に着替え、リビングで物思いに耽る。


 目元を覆うゴーグル型のデバイスが映し出すのは、いくつものブラウザ。どれも404 not Found、指定したURLにあるはずのウェブサイトが存在しないというメッセージ。


 トップシェアを誇る動画サイト、SNS。どれもこれも、そこにあったものがない。何があったのか、覚えている者は誰もいない。ただひとり、鍵玻璃を除いて。


 ―――あの人も、そうなんじゃないの?


 鍵玻璃の目の前で死神に敗北し、闇に葬られた青年。あの寮の名簿の空欄には、彼の名前が記されていたのではないか?


 あの死神に敗北した者は、記録からも記憶からも消えてしまう。存在したという証は全て取り上げられる。


 ―――あり得ない。一体何をどうしたら、そんなことになるっていうの。


 鍵玻璃きはりは膝に頬杖を突く。


 WDDは確かに世界的に人気なゲームだ。メディアミックスの中では、そういう話が造られることもままある。


 しかし、それが現実になっているとなれば話は別だ。この目で見たというならなおさら。何より自分だって同じ目に遭いかけたのだ。もはや信じざるを得ない。


 さらに気になるのは、あの卵。悪夢の卵が、どうしてカードに。


 思索を積み重ねているうちに、ブラウザの隙間に何かが見えた。


 ゴーグルを上げると、目の前に湯気の立つカップが置かれている。ふたり分のカップスープと菓子パンを持ってきた解恵が、鍵玻璃の隣に腰を下ろす。


「お昼だよ。こんなのしかないけど。えへへ」

「あんたも料理、してみたら」

「うん。今度、先輩に教えてもらおうかな?」


 ひとつの袋に詰め込まれた小分けのパンを取り出し、ふたりで頬張る。


 鍵玻璃きはりはスクランブルエッグ入りの丸パンを二口で口に押し込んで、コーンクリームスープを口に含む。口の中で生地がまろやかなスープにとろけていく触感は、何物にも代えがたい。


 猫舌の解恵かなえは黄色い水面に息を吹きかけながら、姉の横顔を伺った。


「お姉ちゃん、今、何を考えてたの?」

「別に、大したことじゃない」

「さっき寮長さんに失礼なことしたのと関係ある?」

「無い」


 つっけんどんに虚偽を返しながら、鍵玻璃は次のパンを半分かじる。


 あの死神はなんだったのか、いくら考えても答えは出ない。青年が消されて、自分が今こうしていられる理由も謎だ。そもそも、消された青年はどこへ消えた?


 改めてゴーグルを装着し、今度はWDDのアプリを開く。デッキ編成画面に移行し、もう一度確かめる。


 “救世女傑メリー・シャイン”は、変わらずそこにいてくれた。


 鍵玻璃は指先でイラストを撫で、心の中で問いかける。


 ―――もしかして、あなたが私を守ってくれたの?

 ―――……そんなわけないか。

 ―――結局ただのカードだし、あのデュエルの時はハンデスされてたし。

 ―――消えなくてよかった。


 小さく、悲しそうに顔をほころばせる。


 そんな姉を見ているうちに、解恵は胸をきゅっと締め付けられるのを感じた。


 見たことのない表情。共有されない視界。それが解恵を不安にさせる。


 解恵はスープカップを置くと、鍵玻璃の体を揺すった。


「ねえ、お姉ちゃん!」

「デュエルはしないからね」

「……うぅ」


 先回りされた挙句バッサリと切り捨てられ、肩を落とす。


 相変わらず、理由も言ってくれない。昔はなんでも共有してくれたのに。


 落ち込む解恵かなえはさておき、鍵玻璃きはりはデッキを見渡す。


 死神はこちらのカードを自分のデッキに取り込んで戦っていた。


 ―――カードを奪い、さらに負かした相手の存在を奪う。

 ―――それで何をしたいのかが、どうしても見えてこない。

 ―――けどこれが、これがもし、あの時のあれと同じなら……。


 鍵玻璃の腕が、自然と解恵の背中に回される。小刻みに震える手で妹の服を握りしめながら、鍵玻璃は自問自答した。


 ―――私は、勝ったわけじゃないけど、生き残った。

 ―――それが例えば、なんらかの要因でデュエルが中断したからだとして。

 ―――仮にあの死神に勝てたら……どうなってたんだろう?


 あの青年は、果たした戻ってきたのだろうか。もしかしたら、あの青年以外にも何人か被害者がいて、その人たちもまとめて戻ってきた、なんてことにもなり得た?


 ―――その中にはあの人が、いたかもしれない……?


 腰まで伸びた銀の髪を幻視する。今はもうない、日の出のような後ろ姿。あれを取り戻すチャンスが、あのデュエルにあったのだろうか。


 情報が足りない。死神についても、あの青年についても。彼が本当に消滅したという確信がほしい。


 だが、どうやって情報収集すればいい? しばらく安静と謹慎を言い渡された以上、自由には動けない。おまけにルームメイトか解恵がお目付け役になるときた。


 三人は関係ない。これは鍵玻璃の問題だ。どうにかして監視を掻い潜り、情報を集める方法が要る。その次は、誰から情報を仕入れるか。


 ―――死神。死神か。

 ―――……あっ。


 ぱちっ、と大きく瞬きをする。目から鱗が落ちたような気分になった。


 WDDの死神、そんなチープな都市伝説に聞き覚えがある。それもつい昨日、図書館にいる間に。斜め読みしていたオカルト雑誌に、そんな見出しがあった。


 それをゴシップと笑った女がいたではないか。


“意外ですわね。首席入学を果たした才女が、こんなものを好むなんて”

“WDDの死神? ばからしい。その手のことが気になるなら、お父様に直接問い質してみては? お取次ぎしますわよ”


 ―――お父様。父親。


 WDD、404のブラウザをすべて閉じて検索エンジンを起動する。


 ある名前がヒットするまで、一分とかからなかった。


 才原さいはら辰薙たつなぎ。WDDの開発会社にして最先端のテクノロジー企業、そして界雷デュエル学院の運営元であるヴェルテックス・インダストリーズのCEO。


 才原流鯉の、父。


 ―――なるほど、一番いい情報源かも。


 鍵玻璃はソファに足を上げてもたれてくる妹に視線を投げる。


「……解恵かなえ

「なに、お姉ちゃん?」

「あんた、才原さいはら流鯉りゅうりって知ってる?」

「え? うん、知ってるよ。何回かデュエルしたけど、強いんだぁ。同じクラスじゃないから、頻繁には会えないけどね。色んな人に囲まれてるし」


 僥倖。取り巻きは無視できる。こっちにはあの女を釣る手があるからだ。


 ―――もしかしたら、もしかすると……。


 期待に胸が高鳴り始める。死神とあの卵への恐れは、すべて消えたとは言えない。それでも、希望があるなら動きたい。


 あの人にもう一度会えるなら。あの輝きを、もう一度目に出来るなら。


 全身が熱を上げ始めたのを自覚して、大きく息を吸う。先に青年の方を調べ、流鯉は最後。期待しすぎると空振りに終わった時、がっかりする。


 鍵玻璃は己を努めて律しようとしつつも、衝動のままに決意を口にした。


「学校行く」

「へっ!?」

「明日、学校行くから。授業がどこまで行ってるのか教えて」


 解恵はポカンとしていたが、やがて瞳を歓喜に輝かせ、勢いよく頷いた。


「うんっ! じゃあお姉ちゃん、部活も……!」

「言っておくけど、授業を受けるだけだからね。部活にはいかない」

「う~……」

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