第16話 Dreams came true
その日、珍しく
ひとりぼっちで、どこだかわからない場所をひとりで歩く。さっきまでは人が大勢いたはずなのに、今はなぜか見つからない。人混みにもまれているうちに、一緒に居た父とも妹ともはぐれてしまった。
せっかく、父がチケットを取って来てくれたのに。妹の手を人混みの中でうっかり手放し、自分の方が迷子になってしまうなんて。
打ちっぱなしのコンクリートでできた灰色の通路を歩きながら、鍵玻璃はとにかく歩いていた。進めばいいのか戻ればいいのか、とっくにわからなくなっている。大声でふたりを呼びたいが、そんなことをしたら泣き出してしまいそうだった。
―――だめだめ、お姉ちゃんなんだから。
そう自分に言い聞かせるが、寂しさと心細さは限界だ。父と連絡こそついたものの、鍵玻璃の現在地がわからないせいで探しようがない。なんとか合流できそうな場所を探すうちに、さらに迷う悪循環。
首から下げた小型タブレット型の端末を握りしめ、父からの返信を待つ。その時間も恐ろしく長く感じた。
噛み潰した唇は震え、頬が目元のあたりで硬くなっているのを感じる。喉からは、ひぐ、と情けない声がした。
―――ふたりとも、どこに行っちゃったの?
―――もうライブも始まる時間だし、急いで戻らないと心配させちゃう。
―――でも、どうやって戻ったらいいの? ここ、どこなの……?
「う、うぅぅ……っ」
不安に押しつぶされそうになり、鍵玻璃はついにその場で立ち止まってしまった。
足元にぴたぴたと水滴が落ちる。泣いちゃだめ、と言い聞かせても、視界が霞んでいくのを止めることができない。
後から後から溢れてくる涙を手の甲で拭いながら、泣き声を抑えられなくなっていく。いよいよ恥も外聞もなく、大声で泣きだしてしまうというところで、誰かに頭を撫でられた。
「どうしたの?」
優しいお姉さんの声がした。
一瞬、泣くのも忘れて目を奪われる。涙で曇った視界が晴れ、快晴のような透き通った青い瞳がそれまでの不安を一気に吹き飛ばしてしまった。
「こんな誰もいないところに来ちゃって。迷子になっちゃったのかな? お父さんとか、お母さんは?」
「お、お父さん……わかんない……。どこかに行っちゃって……」
「そう、お父さんと一緒に来てくれたんだ。嬉しい」
銀髪のお姉さんは立ちあがると、
細くて白くて、けれど鍵玻璃よりも大きな手。こうしてもらうのは初めてだ。ずっと手を差し出す側だったから。
戸惑っていると、銀髪のお姉さんはにこりと笑ってみせた。
「一緒にお父さん探しに行こう? 大丈夫、必ず見つかるから」
鍵玻璃は恐る恐る手をつなぎ、一緒に歩き始める。
来た道を戻りながら、お姉さんは空間に投映されたディスプレイを複数操り始めた。何をしているのか、鍵玻璃からは見えない。ただ煌びやかな衣装と、端正な横顔だけが、瞳に焼き付く。
両側頭部に編みこみを施した髪型。レースの袖を持つシャツに白いキャミソール、目の覚めるような青のプリーツスカート。頭からつま先まで散りばめられた星のモチーフアクセサリ。夜明けの空を人型に凝縮したような美しさ。
―――きれい……。
つい数秒前まで泣いていたのも忘れて魅入っていると、お姉さんが視線に気づいてウィンクをくれた。
「見つけられてよかった。せっかく来てくれたのに、泣いている子を見落としてライブなんてできないから」
「ご、ごめんなさい……」
「大丈夫。人いっぱいだもんね、はぐれちゃうよね」
テレビの中でしか見たことのない笑顔が、今目の前で、自分だけに向けられている。独り占めしてしまっている。それだけで無限に連なるような灰色の回廊も、天国のように思えてしまった。
それから、何を話したらいいのかもわからないまま、ただただ歩いた。
夢心地だった。その姿は物心ついた時から何度も見ていて、憧れていて。クラスの子たちがそうするように、真似をして歌って踊った。
綺麗で、かっこよくて、誰よりも強い。歌も踊りも比類ない。一等星のような人。そんな人と一緒にいると、嬉しいような恥ずかしいような不思議な気分になってきて、つい目を伏せてしまいたくなった。
気づくと、ふたりは灰色の迷宮から脱出していた。大きなドームの外に出ると、銀髪のお姉さんはまた屈んで鍵玻璃と視線を合わせる。
「ここで待ってて。今、スタッフさんがお父さんを連れてきてくれるから。私はもう戻らないと」
「え……?」
周りにはやはり誰もいない。ここでひとりきりにならないといけないのだろうか。端末をぎゅっと握り、上目遣いで見つめると、お姉さんはちょっと困ったような表情をする。
彼女はしばし考えた末、鍵玻璃の端末を指で突いた。
「君、デュエリスト?」
唐突な質問だったが、鍵玻璃はなんとか頷く。お姉さんは破顔すると、手元に呼び出したウィンドウを操作した。
ぴろん、と鍵玻璃の端末が音を鳴らす。父からだろうか。そう思って画面を見ると、目玉と心臓が同時に跳び出そうな衝撃に襲われた。
「あのっ、これ……!」
「みんなには内緒だよ」
耳元で囁くと、お姉さんはまたウィンクをして立ちあがった。
「それ、あげる。困ったとき、寂しいとき、辛いとき……そのカードのこと思い出して。その子はきっと、君の心を照らしてくれるから」
楽しんでいってね、と手を振り去っていく後ろ姿が見えなくなると、
開かれていたのはWDDのアプリケーション。カードが贈られてきたという通知とともに、一枚のカードが映し出されていた。
“
顔を上げると、あの人はもういなかった。程なくして、慌てた父がスタッフに連れられて走ってくる。鍵玻璃はもう泣いていなかったが、代わりに
「お姉ちゃぁぁぁぁぁん!」
父を追い越し、泣きながら抱き着いてくる解恵。鍵玻璃は勢いに負けて、その場でぐるりと一回転した。
「どこに行ってたのお姉ちゃぁぁぁん! 急にいなくならないでよぉぉぉ!」
「ご、ごめんね解恵! 私も迷っちゃって……」
なんとかあやそうと笑うが、解恵の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。目も頬も真っ赤にして泣きじゃくっている。
寂しがりで引っ込み思案な妹は、額を鍵玻璃の胸元に擦り付ける。よしよしと頭を撫でてやっていると、解恵は鼻をすすりながら見上げてきた。
「お姉ちゃんは平気……? 怖くなかった?」
「怖かった……けど、もう大丈夫」
「ううう、うぇぇぇぇぇ……!」
大丈夫だと言ったのに、
あの人も、さっきはこんな気持ちだったのだろうか。
ふたりの体に挟まった、端末の硬さを腹で感じる。その中には、あの人からもらったカードがあるのだ。
―――だから、今度は私が解恵を慰めてあげなくちゃ。
―――私は、お姉ちゃんだから。
なんとはなしにそう思った。
耳元で解恵の声が反響する。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……!」
「はいはい、ここにいるよ」
「お姉ちゃあぁぁぁぁん……!」
「泣かないで、解恵。大丈夫だから」
解恵が鍵玻璃の胸元に顔をうずめ、額をぐりぐりと押し付けてくる。
少し痛いが、我慢する。本当は一緒になって泣きたいが、解恵が泣いているから。
お姉ちゃん、お姉ちゃん、と繰り返し呼んでくる声に、何度も返事をする。
呼び声がだんだんくぐもって、遠くなっていく。水の中の音を聞くように。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……」
周りの風景が溶け崩れ、黒く塗りつぶされていく中、
そうして、幼い頃の夢が、ほどけていく。
⁂ ⁂ ⁂
「……姉ちゃん……お姉ちゃん……起きてよ、お姉ちゃあああん!」
「う、う……んっ?」
瞼を開くと、白い天井が目に入って来た。
胸元にごつごつした感触がある。硬いものがゴリゴリと押し付けられ、痛い。
なんだろう、前にもこんなことがあったような。
どれぐらい前だったか。ずっと昔のような、ついさっきのような。少なくとも、最近はなかった痛みだ。泣きじゃくる妹が額を押し付けてくる感触。
状況が飲み込めずに瞬きをする
「お姉ちゃん、お姉ちゃんってばぁぁぁぁぁ!」
「
「へ?」
抱き着いていた解恵が顔を上げ、こちらを覗き込んでくる。
涙に濡れて真っ赤になった目は、上体を起こした鍵玻璃を捉えるとまたすぐに潤み始めた。
そして、くしゃっと口元を歪め、力いっぱい抱き着いた。
「お姉ちゃああああああん! お姉ちゃんが起きたぁぁぁぁぁぁ!」
「うるさいって……」
頬と頬をくっつけながら、
見たところ、病院の個室に寝かされているようだった。ベッドの隣に冷蔵庫を収めたチェストが置かれ、病院食を配膳するようの可動式テーブル以外に調度品と呼べるものは何もない。
服も普段使いしている寝間着ではなく、入院着。いつものデバイスはチェストの上に置かれていた。
「お姉ちゃん、死んじゃうかと思った……! 起きて良かったぁぁぁ……!」
「起きたからもうくっつかないでよ! 苦しいって!」
泣きながらひっついてくる
まさか、泣き止むまでこうしてなくちゃいけないのか? 鼓膜が破れる。
仕方なく、泣くに任せて頭を撫で、背中をさすってやる。
抱き着く力は強いままだが、嗚咽はすぐに落ち着いてきた。
「変わらないね、あんたは。私より身長伸びて、私より強くなったのに」
「う~……」
そんなんで、私がいなくなった時どうするの? そう尋ねようと鍵玻璃が息を吸った矢先、スライド式の扉が開かれた。派手なツインテールの少女と、小柄なアルビノの少女が入室してくる。
「
素朴な疑問を口にすると、羽新羅は両手を握ってずかずかと踏み入って来た。ベッドサイドに拳を叩きつけ、解恵に負けない音量で叫ぶ。
「どうしてじゃないよ! 心配したんだからね!?」
凄まじい剣幕で怒鳴られた鍵玻璃は首を縮める。
羽新羅の奥から、眉間に深い皺を刻みつけたありすが顔を出す。
「昨日、消灯時間になっても帰ってこなかったでしょ。途中から連絡もつかなくなって……寮長に言ったら今朝、
「何って……。……!」
寝起きでぼんやりした脳裏に、微かな記憶が蘇る。
夜更けの帰り道。デュエルを仕掛けてくる死神。悪夢の卵がひび割れて孵化し、中から現れた何かに胸を貫かれたこと。手札から消されるメリー・シャイン。
鍵玻璃は反射的に解恵を押しのけ、チェストに安置されたデバイスを装着する。
WDDのアプリを開き、自分のデッキを確認。あのデュエルでは、自分のカードが奪われていた。まさか、本当に無くなっているんじゃ。
震える指先で羅列されたカードをなぞる。デッキは過不足なく、規定通り50枚。その中にはちゃんと、メリー・シャインも残っていた。
この世に唯一残された、あの銀髪のお姉さんが存在した証。消えてなくて、本当によかった。
安堵の息を吐いて、胸を撫で下ろす。何かを突き刺されたそこにも、当然穴が空いていたりはしない。心臓の鼓動もちゃんと聞こえてくる。死んで幻覚を見ているというわけでもないようだ。
―――じゃあ、まさかあっちの方が幻覚だったの?
デッキ編集画面を閉じ、デュエルの履歴を呼び出して、凍り付く。
一覧のトップ、最後に行われたデュエルの記録があるはずの場所は、灰色のノイズで覆われて情報を読み取れなくされていた。
プレイヤーネームはおろか、勝敗すらもわからない。文字化けしたリプレイボタンに触れても、エラーが返ってくるばかり。
異様なデータの出現に、心臓を鷲掴みにされた。ごうごうと血流が荒ぶる音がして、あの時感じた恐怖が僅かながら蘇る。
そのデータのすぐ下には、二週間ほど前に解恵とデュエルした記録。鍵玻璃は、あれ以来誰ともデュエルをしていない。例の死神を除いて。
―――夢じゃ……ない。
―――あれは、夢なんかじゃなかった……?
「お、お姉ちゃん……?」
いきなり妹を突き飛ばした
少しばつが悪くなり、咳払いをしながらデバイスを外す。
「ご、ごめん。何があったのか……私も、あんまり覚えてなくて。でも私はこの通り大丈夫だから」
「……ほんとに?」
「本当」
心配そうに問い返してくる解恵の目元を、入院着の袖でぬぐってやる。
高校生にもなって、子供のようにぐずぐずと鼻を鳴らす妹に呆れながら、胸に溜まった恐れを逃がすように息を吐いた。
あの死神とのデュエルは、一体なんだったのだろうか。それに、あの卵。確か、
胸の奥がざわめき、鳥肌が立つ。何度も夢に見たあの卵が、どうして現実にカードとして存在するのだろう。
それに卵が孵った後の決着は? その後のことは、全く記憶にない。あの死神はどこに消えた? 目的は? どうして自分を見逃した? あの時のデュエルで、一体何をされた……?
「そういえばあんたたち、学校は? 今日平日でしょ?」
「友達が病院に運ばれたって聞いて、授業なんて受けてられるわけないよぉ」
「だから、今日は休み。病院から連絡もしてもらったから、公欠だよ」
「そう。それならもう大丈夫だから、あんたたちは学校行って。私は…………何? その顔」
ありすは猫が威嚇する時のような低い声で釘を刺した。
「言っておくけど、何かあったら学年関係なく、ルームメイト同士でケアしないといけないんだからね。ぼくたちは
「いや、大丈夫だって……」
「大丈夫な人は、夜中に原因不明で病院に担ぎ込まれたりしないんだよ」
ぐうの音も出ない正論をぶつけられ、つい視線をそらしてしまう。
ふたりから見れば、今の鍵玻璃は学校も行かずに行方をくらました上に夜遊びし、挙句ぶっ倒れる人。つまり、病弱な不良というわけだ。ルームメイト同士で連帯責任と来れば、放ってはおけまい。
別にやましいことはしていない。むしろ鍵玻璃は被害者だ。だが死神とのデュエルなんて話しても、きっと一笑に付されてしまう。
―――そう、笑えない怪談だ。
―――昔からずっと夢に出てきたカードを使う死神と戦った、なんて。
鍵玻璃は首を振って染み出してくる恐怖を払い、ベッドから足を下ろした。
「まあとにかく、私は退院するから。
「あるけど……お姉ちゃん、本当にいいの?」
「あんたは私より、自分の成績でも心配してなさい。ほら、そこのふたりも、着替えるから行った行った。看護師か誰かに退院のこと、伝えておいて」
羽新羅とありすは顔を見合わせる。ふたりはそれぞれ喉に何か詰まったような表情で解恵の持ってきたバッグを漁る鍵玻璃を眺めていたが、やがて深い深い溜め息を吐いた。
代わりとばかりに、羽新羅が強めに念を押す。
「言っとくけどさ、きはりんはしばらく絶対安静だし、外出禁止だからね? どこか行くなら、最低でもかなえん同伴。特別門限で18時には寮にいること、だって」
「……それ、誰が言ってるの?」
「寮長さん。心配してるのは、わたしたちだけじゃないんだよ。だから……あんまり危ないこと、しないで? ね……?」
妥当と言えば妥当。だが、鍵玻璃は顔をしかめるのを止められなかった。
―――デュエル、仕掛けてくるのかなぁ……。
―――勘弁してほしいんだけど。
うんざりした心持ち。それでも、拒否権などあるまい。
羽新羅が後ろ手に扉を閉じる。それから数秒と立たず、中から喧嘩する声が聞こえてきた。
「ちょっと、なんであんたとおんなじ服なわけ!? 私の服は!?」
「これもお姉ちゃんの服だよ! お母さんが送ってくれたの!」
「私が選んだ服がクローゼットに……チッ、ああもういいわよ、ピアス取って」
ふたりの声を聞きながら、羽新羅はありすを連れてナースステーションへと歩いた。界雷デュエル学院付属の大学病院は、患者の数もそれなりだ。
医学部や看護学部の学生が場慣れしてない様子で研修を受けているさまを横目に進んでいると、姉妹の喧嘩の声をすぐに聞こえなくなる。
背後をちらりと振り返りながら、羽新羅は言った。
「ねえ、きはりんのこと、大丈夫だと思う?」
「思わない」
ありすは早足で歩きながら、きっぱりと即答した。
鍵玻璃が病室で一瞬見せた慌てようと、安堵の表情が思い出される。
「覚えてないって言ってたけど、嘘だと思う」
「だよねえ……。わたしも同感。きはりんのあの顔、絶対何かあったって」
ただ、聞いたところで答えてはくれまい。あれだけベタベタに懐く妹を頑なに拒絶し、色々込み入った事情を隠し続けているというのだ、出会って間もない羽新羅たちに腹を割ってくれるとは考え難い。
羽新羅は大きく肩を落とした。
「はぁ~……かなえんじゃなくても心配するよ~……。きはりん、危うすぎ……」
「変なことに巻き込まれてないといいけど」
「怖いこと言うのやめてよ。友達が危ない目に遭ってるかもしれないとか、嫌だよ」
ルームメイトが何か事件の渦中にいるなど、あまり想像したくない。
げんなりする羽新羅の隣で、ありすは無表情ながらどこか深刻な面持ちだった。
「とりあえず、様子を見た方がいいかも。ぼくたちでどうにもできないってなったら、先生か寮長に相談しよう」
「だねぇ。あーやだやだ、わたしはみんなで一緒に、平和に楽しくスクールライフ満喫したいのにぃ~……」
やがてふたりは、ナースステーションに辿り着く。
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