第4話 ワガママはこれっきりにして
三月二十八日、
創立からまだ三十年も経っていない、新進気鋭の学校法人。キャンパスは既に全国各地に存在し、近年では外国にも校舎を開いているのだという。
WDDをメインに据えていると言いつつも、義務教育・高等教育にも力を入れていて、大学部にはひと通りの学部学科がそろっている。
恐らく、途中で夢破れた者に対するサポートという側面が強いのだろうが、それにしては設備もカリキュラムにも気合が入っており、おかげで名だたる難関大学と同レベルと見なされていた。
生徒数は毎年のように膨れ上がり、おかげで入学式は何かのフェスと見紛うばかり。気の早い部活勧誘や学部紹介が行われている広場を抜け、本格的なドーム型スタジアムの入口。新入生の名簿を確かめる受付で―――。
「これ……どういうこと?」
浮足立った空気を、底冷えするような声がスルリと抜ける。
無表情の中、姉の瞳孔が開いていくのを見た解恵は、臆病風に吹かれかかった自分を奮い立たせた。ここで退いたら、母の気遣いも無駄になる。
強いて笑顔を浮かべると、手のひらサイズのタブレットを突き出した。
「だから、これ! お姉ちゃんの学生証! これでお姉ちゃんも新入生! ね!?」
「……は? 意味がわからないんだけど」
鍵玻璃は拳と声を震わせ、解恵をじっと凝視する。
今日は解恵の入学式。以降、姉妹は別々の学校で、別々の寮に入って生活することになる。これからしばらく会えなくなるんだから、一緒に行ってあげたら? そんな母の勧めに渋々ながら従って、姉妹で同じ電車に乗った。父か母が行けばいいのに。
界雷の入学試験に合格したが、所詮はうるさい妹のワガママに耐えかねた記念受験。WDDには特に力を入れていない、普通の全寮制の高校に入るつもりだった。
それなのに、なぜ界雷に入ることになっている? 新入生リストに自分の名前があって、学生証まで用意されている?
鍵玻璃は唇を噛み、踵を返した。
「―――帰る!」
「えっ? ちょ、待って、待ってよお姉ちゃん!」
入学式にそぐわない雰囲気に、他の新入生やその保護者が気づいて振り返る。
足早にスタジアムから出ると、これから最後の手続きをするのであろう新入生がゾロゾロと入って来ていた。車が何台も並んで通れそうな道の左右には、学部や部活の紹介をする先輩たちの発表ブース。
誰もが期待に満ちた顔をする中、怒りに満ちた足取りで人の流れを逆行する
「待ってってば! これから入学式だよ!?」
「知らないよ! 私はこんなとこに入る気は無いんだから!」
鍵玻璃は腕をつかんでくる解恵を振り払った。
「なのになんで入学することになってるわけ!? 記念受験だって私言ったよね!? 勝手に手続きしたの? ばかなの? そんなことお母さんに知れたら―――」
そこまで口にしたところで、とある閃きが頭を射貫く。
寮に送られるという制服、未だに届いていない鍵玻璃の入学案内。自分ではなく、鍵玻璃に入学式の付き添いを勧めてきた母。
なんと間抜けなことだろう。記念受験をしたその日から、家族ぐるみでハメられたのだ。親は鍵玻璃を普通の高校に通わせる気などさらさらなく、
鍵玻璃の怒りが、一瞬にして頂点に達する。
「ふっ……ふざけないでよ!」
怒鳴り声が炸裂し、他の音を消し飛ばす。周囲の人々がしんと静まり返ったことも、自分に注目が集まったことも、もはや
ビクッと肩を竦める
「どうしてこんな……! もうデュエルはしないって何度も言ったじゃない! お父さんにも、お母さんにも、あんたにも! なのにみんなで黙って私を騙したの? こんな、汚いやり方で……っ!」
「だ、だって、約束……!」
「約束約束って、あんたはいっつもそればっかり! いつまで子供の頃の話を引きずるつもり!? 現実を見なさいよ!」
鍵玻璃は解恵を突き飛ばした。
今叫んだことは、これまで何度も口にしてきた。こうなってまで同じことを繰り返す不毛さが、神経をさらに逆撫でしてくる。
ここでこれ以上議論しても仕方ない。鍵玻璃は奥歯を強く噛み締める。
「私は帰る……! 通うならあんたひとりで通いなさい!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! それじゃあこれからどうする気なの!? もう入学手続きは終わってるし、今から他の学校になんて……」
「さあね! でもあんたと一緒にいるよりは百倍マシよ! こんな……」
「はーい、はいはい! そこまで、そこまで~」
拍手と間延びした声が姉妹喧嘩に割り込み、からん、ころんという下駄の足音がそれに続く。
トラブルを前に無言となっていた人々がざわついた。やってきたのは、和装に身を包んだ、大人びた雰囲気の少女。
解恵が目を丸くする。少女の顔には見覚えがあった。
「あっ、あなた……チーム・トラベロスのトラの方!
「お、なんや、ウチのこと知っとるん? ありがた、ありがた~。せやけど、ファンサはまた後で。今はトラブルの解決の方が重要やさかい」
和装の少女、虎風ふぁんぐは咳払いをして、鍵玻璃を見つめる。
しばらくWDDから離れていたせいか、鍵玻璃には和装の少女が何者なのかわからなかった。だが、解恵の反応とこの場所からなんとなく想像はつく。
彼女は界雷の学生であり、若くして名を馳せるアイドルデュエリストのひとり。それもおそらく、個人とユニットの両方でそれなりのネームバリューを持っている。
それがどうした。鍵玻璃は割り込んできた少女に背を向けた。
「うるさくして悪かったわね。私はもう行くから気にしないで」
「ちょいちょいちょい、まだウチ何も言うてないやろがい。判断が早い!」
「ここで騒ぐな、でしょ? 言われなくてもわかってる」
「せやから待て言うとるやんかぁ!」
焦り散らかしたふぁんぐは、ばたばたと鍵玻璃の前に立ちふさがった。
両のこめかみにつけた犬の髪飾り―――の、ような形のデバイスが口を開き、空間投影型のバイザーでふぁんぐの両目を覆い隠す。
スキャナーが起動され、鍵玻璃の顔を照会。不快そうに後ずさる。
「うん、やっぱジブン、ここの新入生やね。何をモメとるか知らんねんけど、せっかくや、ここにはここの流儀ってもんがある。ちょうどいいし、デモンストレーションしとこか!」
「いや、私は……」
鍵玻璃が何か言うより早く、ふぁんぐはその場でクルリと回った。空中にいくつものビジョンが浮かび上がり、彼女のバストアップを映し出す。ふぁんぐは画面に向かって手を振った。
「GROWL! 噛み砕いて説明すると~……ウチの名前は虎風ふぁんぐ~! 界雷限定突発生放送~! いぇ~い~!」
学校中の壁、空中、液晶画面にふぁんぐの姿が映し出される。
AR、VRが空気のように普遍化した現代のなせる業。突発的に始まったライブ配信が、広大な敷地内の人全てに届けられる。
「新入生の皆さ~ん、式まだやけど入学おめでと~! 気は早いけど、今日はウチが
「っ!」
この状況でプライベートな喧嘩を続けられるほど、理性を失ってはいない。たちまち硬直してしまう姉とは逆に、解恵は目を輝かせて画面に向かって手を振っていた。
「界雷デュエル学院は~、その名の通りデュエリストのための学校やんね。せやからこんな校則があるんよ。“生徒はあらゆるトラブルを話し合いで解決すべし。それが不可能であると判断された場合、第三者の立会いの下、デュエルで決着をつけるべし”ってなぁ~。
そしてちょぉ~どっ、ここにトラブッちゃったおふたりさん!」
ぴょんぴょんと、ふぁんぐが歩き辛そうに鍵玻璃の下へ近づいてくる。
鍵玻璃は硬い声で訴えた。
「まさか……デュエルしろっての? 今、ここで?」
「せやで~。なんでトラブッたかは訊かんけどもね、桜も咲いてていいお天気のおめでたムードの日やで、今日は。そんなら問題はすっきり解決させといた方がええやないの? なあ?」
「い、いきなり言われても……私、デュエルは……」
画面に映った自分を意識しながら口ごもる。
通うつもりのない学校とはいえ、いきなり顔出しでライブ配信までされたとあっては、下手なことは言えない。解恵に対してあれだけ怒鳴り散らせたのも、ひとえに彼女が家族だからというところが大きい。見知らぬ人が大勢見ている前で、同じことをするだけの勇気はなかった。
首を軋ませがら解恵の方を振り返る。この状況で妹がどういう行動に出るのか、誰よりも知っていながら―――あるはずもない可能性に賭けてしまった。
賭けに負けるのは、必然だった。
「いいよ、やろう!」
足を肩幅まで開き、ポーズでやる気を表現している。騙し討ちで入学手続きを済ませていた件といい、何が何でも鍵玻璃を引きずり込みたいらしい。
「あたしが勝ったら、あたしの言うこと聞いてもらうよ! そういうことでいいんだよね!」
「そういうことでえ~んやで~。話早くて助かるわぁ」
のほほんと返すふぁんぐをひと睨みしたのち、
「私に勝つって? 本気で言ってるの? ここの試験官相手に苦労してたくせに? 私に一回も勝てたことないくせに?」
「もちろん!」
力強く返事をした解恵の瞳。半透明なゴーグル越しに見える眼差しは、いつになく真っ直ぐで真剣だった。
「あたしは勝つよ、お姉ちゃん。約束は……守ってもらう。絶対に」
鍵玻璃の奥歯がギリッ、と鳴った。
何が約束だ。あんなの、何も知らない子供の冗談だ。アニメのヒーローになりたいと願うのと、何も変わらない。
―――ああ、そうか。
―――あんたは、覚えてないし、自覚してないんだもんね。
視界にセピア色の光景がフラッシュバックする。
舞台の上で星のように輝くアイドル。その顔を間近で見たこと。太陽よりも眩しい笑顔。そして、がらんどうになったあらゆるサイトを。
―――その夢の末路がどんなものなのか、あんたは知らないんだもんね!
予期せぬ配信によって押さえつけられていた怒りが、再び勢いを増した。
衆目の中、断るという選択肢が失われていたこともある。だがそれ以上に、この妹の心をへし折ってやりたいというどす黒い願望が胸に渦巻いていた。
「いいよ、やってあげる。ワガママは……いい加減、これっきりだからね、解恵」
「それはこっちの台詞だよ、お姉ちゃん!」
ふぁんぐが姉妹のちょうど中間地点に立って、片手を挙げた。
「それでは新入生諸君!
手刀が振り下ろされると、一定距離を取った姉妹のちょうど中間地点から闇が広がった。ふぁんぐも、周囲の人々も、青空さえも飲み込まれていく。
そうして虚無となった空間の中で、それぞれの世界が作り出された。
鍵玻璃の足元にサンドボックスゲームよろしく色とりどりのブロックが浮き上がり、解恵の周囲には二色の光が渦を巻く。
それぞれの中央に立った姉妹は、ゴーグルの右下に浮かんだ口上を叫ぶ。
「夢のカタチ、星のカタチ、光のカタチ! 一番星はこの手の中に!」
「双角、双刃、番いの光芒! 描き出せ、あたしたちの未来のサイン!」
闇の中に作り出される、ふたつの煌びやかなライブステージが向かい合う。
それは一瞬にして生み出された幻境。デュエリストが持つ己の世界。それらが互いに衝突するとき、決闘の幕は開かれる。
「「―――デュエル!」」
そう叫ぶ声を聴くのは、久方ぶりのことだった。
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