第2話 世界、決闘、大災害

 夢を見ていた。暗闇の中にネオンのように光るブロックが集まる夢を。


 無数の立方体が集まってステージを作り上げる。自分はそこに立っている。周囲の闇には色とりどりの星が輝き、歓声と共に瞬く。小さな世界の全てが自分を称賛している。そんな気がして、気分が良くなった。


 しかし、そのステージに影が差す。

 見上げると、そこには黒い卵があった。


 皆既日食じみた、薄い光の輪郭を持つ巨大な卵。ステージ全体が、不可視の巨大な手の平で押さえつけられているかのようなプレッシャーで軋む。

 息が苦しい。膝からくずおれ、そのままぺしゃんこになってしまいそうだ。なのに、卵から目が離せない。


 そして気が付く。歓声が、卵の中から聞こえてきている。否、よくよく聞けば歓声ではない。それは、大勢の悲鳴であった。


 浮かれていた気持ちが締め付けられる。背筋に凍り付いて、それでもなお卵から目が離せない。


 やがて、卵の一部に亀裂が入り、穴が空いた。底から覗く、血を固めたかのような色彩の、赤い眼球。


 歓声じみた悲鳴が、大きく、大きく、響き渡って―――。


 夢が、終わった。


「―――!」


 ハッと両目を開いた肌理咲きめざき鍵玻璃きはりが最初に見たのは、灰色の天井であった。


 ゴーグル型のウェアラブルデバイスを身に着けたまま、眠ってしまっていたらしい。天井にはデジタル時計や様々なアプリケーションが漂っているように見える。


 ゴーグルを外すと、自室の扉を誰かが勢いよく殴りつける音がした。


「お姉ちゃんお姉ちゃんお―――ね―――え―――ちゃ―――ん! すごいよ、勝ったよ! 十連覇だよ!」


 聞きなれた妹の声に顔をしかめた。ドンドンとドアを叩く音とやかましい声が、寝起きの耳を痛めつけてくる。


 無視して毛布にくるまり、枕で耳をふさぐと、エキサイトした妹はあろうことか扉の鍵を開いて中に突入してきた。


「お姉ちゃ―――――――ん! いつまで寝てるの! もうラグナロク終わっちゃったよ!? 優勝者インタビューも見逃しちゃうよ!?」

「あーもう、うるさい!」


 耐えかねた鍵玻璃は全身を投石機のようにしならせて、耳を塞いでいた枕を思い切り投げつけた。


 ふかふかの枕は妹の顔面に命中し、一時的に黙らせることに成功する。

 枕を投げた勢いで上体を起こした鍵玻璃は、ぼさぼさの髪を掻きながら怒鳴り散らした。


「人が寝てるんだからうるさくしないでよ! リビングにいればいいでしょ!? なんで私の部屋まで来るの!」

「だ、だぁってぇ……」


 顔から剥がれ落ちた枕を両手で受け止めた妹は、勢いを失くして首を縮める。

 少しはしおらしい態度を取るかと思いきや、部屋を目にした途端また元の態度に戻ってしまった。


「って、あれ? お姉ちゃん、まだ荷解きもしてないの? もう入学して二週間も経つのに!?」

「私の荷物をどうしようが私の勝手でしょ。ほら、出て行って。寝るから」

「だーめっ!」


 再びベッドに倒れ込もうとした鍵玻璃の手をつかみ、無理矢理引き起こしてくる。


 反射的に振りほどこうとするが、それより早く引きずり降ろされてしまった。


「ちょっと、引っ張らないで……! 解恵かなえ!」

「い・い・か・ら! 最後くらい一緒に見ようよ!」


 解恵は姉を連れて、リビングへと飛び込んだ。


 そこには既に先客が何人かいて、それぞれおやつやジュースを口にしながら壁に投映されたライブ配信を見て雑談している。そのうちのひとり、派手に染めた髪をツインテールにした少女が、ソファの背もたれ越しに視線を投げてきた。


「お、きはりんだ。今日初めて見た。おっはー」

「……なんでこんな大勢いるの?」

「そりゃ、みんなデュエリストだからに決まってんじゃん。むしろなんできはりんは見ないのさ? 世紀の一大決戦だったのに、持ったいなー」


 やっとの思いで解恵の手を振り払った鍵玻璃きはりは、リビングに佇んだままライブ配信に目を向ける。


 閉会式直前のインタビュー中。凛とした美しい女性が、冷たい表情で質問に応対していた。


「ミス・シェーンハイト! 最後に使ったあのカードは、今日初めて使われたものですよね。もしかして、新カードですか?」

「いや、それなりに前からデッキにはあった。使うほどの相手がいなかったというだけのこと。あの男は、これまでに挑戦してきた誰よりも気骨があったと言えるな」

「オールドボーイは既に次のラグナロクでリベンジすると決意表明をしていますけど、女王から何かコメントは?」

「夢を追うのは構わない……と、言いたいところだが、そろそろ落ち着いた余生を過ごすのもいいだろう。ジャズでもゆっくり聞いていればいい」

「永劫のロックスターになんてことを!?」


 インタビュアーが大げさに驚き、笑いを取った。リビングの少女たちも笑っているが、シェーンハイトはくすりともしない。


 鍵玻璃きはりは棒立ちのまま、その言葉を妹や、ここに集まる面々に言ってやってほしいと思った。


 大会十連覇。輝かしい記録だ。だが、それは消費期限が迫っているという意味でもあるだろう。くだらない。


 自室に戻ろうと背を向ける。鍵玻璃の分のジュースを持ってきた解恵かなえが呼び止めかける。が、画面が切り替わったのを見て、二秒ほど迷ったのちに引き留めるのを諦め仲間の輪に飛び込んだ。


 映し出されたのはプロモーションビデオ。WDDのロゴマークを、大きな白い羽根が包み、語り部が重い口調で言葉を紡ぐ。


“絶えず……世界は嵐に襲われてきた”

“積み上がっていく無数の死。天災、人災。ミクロからマクロに至るまで続く、果てしなき戦いの連鎖。今こそ……断ち切れ!”


 微かに聞こえる仰々しいキャッチコピーを聞き流しながら、鍵玻璃きはりは薄暗く、少し寒い廊下を通って自室へ戻る。


 大会の中継で熱狂していたはずの解恵かなえたちは、息を呑んでPVを見守っていた。身を寄せ合い、豪華な映像のひとつも見逃すまいと目を丸くする。


 旗を掲げる女騎士。カンテラで夜を照らす冒険家。身を起こす骸骨たち。

 それらの光景を機械の天使が……シェーンハイトの切り札、“極光のエタニティオン”が抱き寄せる。


“たとえ儚き夢であろうと、我らは進む。泰平の楽園へ! 血に濡れていない地平を目指して! 迷わず……進め!”

“マスターピースカードゲーム、ワールド・デュエル・ディザスターズ。新オールマイティパック。幻世げんせ極進きょくしん


“我らの道は、途切れることなし”


 バタン。鍵玻璃が扉を閉じると、それ以上の音声は聞こえなくなった。代わりに、感嘆する解恵たちの声が微かに届く。


 段ボールを詰んだ殺風景な部屋を見つめて、溜め息を吐いた。


 ワールド・デュエル・ディザスターズ。通称WDD。

 その名に違わず、世界中で大流行しているデジタルカードゲームである。


 己の世界を以って戦え、というキャッチフレーズの通り、プレイヤーは誰一人として同じデッキを持っていない。

 自分だけのカード。自分にあった戦略。ARやVRを駆使して自分だけの舞台を作り出し、激しいバトルを繰り広げる。ユビキタス化した現代、個性的で絶妙なゲームシステムを持つこのゲームは、たちまち大人気となった。


 競技としても、遊戯としても、自己表現の手段としても。WDDは至高のゲームと呼び声が高い。プロと、プロを養成する専門学校ができるぐらいに。


 だが……鍵玻璃きはりはベッドに身を投げ出して、ゴーグル型のデバイスを枕元に置く。液晶には、WDDのアプリと一枚のカードが映り込んでいた。


救世きゅうせい女傑スターメリー・シャイン”。きらきら輝く、星のようなドラゴン娘。鍵玻璃が幼いころ、ジュニア大会に出場したときの思い出。


 エキシビションマッチをしてくれた、アイドルデュエリストからもらったカード。


「……くだらない」


 デュエル、アイドル。かつて夢見た、何もかも。


 鍵玻璃はデバイスの電源を落として枕に突っ伏す。

 アイドルデュエリスト養成学校に入ってから二週間、ずっとそうしてきたように。


 彼女は、夢を捨てたのだ。

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