第15話 遥香の過去
市民公園の野球場の観客席は閑散としているが、グラウンドからは「締まっていこ―」「バッチコーイ」と大きな声が響いてきている。
遥香が投げたボールは相手バッターの手前で沈むように落ち、バットの下を通った後奈菜の構えたミットの中に吸い込まれていった。
隣にいる三井と一緒に手をパチパチと叩たいていると、マウンドからベンチへ戻る途中気づいた遥香が手を振ってくれた。
ソフトボールの一年生大会に遥香と奈菜が出場するということで、三井とともに応援に来ていた。
スコアボードには両チームともにゼロが並び、6回の表の攻撃が始まっていた。
2番バッターが四球で出塁すると、3番バッターが送りバントで2塁にランナーを進め、一死二塁になったところで4番バッターの奈菜がバッターボックスに向かう。
「奈菜ちゃん、頑張って!」
三井の声が届いたのか、奈菜が一瞬こちらを見向いた。
「三井、そんな大声だしたら男ってバレちゃうよ」
「いいじゃん、どうせ制服でバレてるんだから」
試合が終わった後、合流することになっている遥香たちは制服で球場まで行くそうなので、それに合わせて制服で応援に来ていた。
「そうだよね」
セーラー服で男とバレているなら、隠す必要もない。奈菜が低めのボール球を見送ったところで立ち上がって声援をおくった。
「ナイス、セン!高め狙っていこう!」
野球場に声が響きわたる。奈菜は、再びこちらに一瞬だけだが視線をくれた。
席に腰かけたところで、三井が尋ねてきた。
「ナイスセンってどういう意味?」
「ナイスな選球眼って意味。ボール球を見送ったときに使うんだよ」
「ふ~ん。そうなんだ」
2球続けボール球を見送った後の3球目。高めに浮いたストレートを奈菜のバットが叩いた。
カキーンという心地よい金属バットの反発音が球場に響き渡る。
打球はレフトの頭上を越えていった。
◇ ◇ ◇
半分ぐらい客席が埋まっている昼下がりのファミレスは、ゆったりとした時間が流れていた。
窓際の席に座り暖かいカフェオレを飲みながら、試合が終わった後チームでミーティングするという遥香たちがくるの待っている。
目の前に座る三井は、小腹がすいたからと注文したパフェを美味しそうに口に運びながら、奈菜のホームランの動画を繰り返し観ている。
「奈菜ちゃん、カッコよかったな。笑顔の奈菜ちゃんもいいけど、真剣な表情の奈菜ちゃんも素敵」
たしかに三井の言うとおり、学校で見るのとは違う真剣な表情の二人の姿は新鮮だった。
「あっ、遥香たちだ」
お店の前を歩く遥香と奈菜の姿が見え手を振ると、ガラス越しながら気づいた遥香が手を振り返してくれた。
奈菜が席に座りながら、満面の笑顔で応援に来てくれたお礼を言った。
「お待たせ。応援ありがとうね」
「奈菜ちゃん、ホームランすごいね!カッコよかったよ」
「遥香も、完封勝利おめでとう!」
「最終回、ちょっと危なかったけどね」
遥香が遠慮がちな笑顔を浮かべながら、席に座った。最終回、相手の反撃に連打を浴びた遥香は2死ながら2塁、3塁の一打サヨナラのピンチに陥っていた。
「焦ったけど、奈菜に励まされて落ち着いたよ」
ピンチで焦る遥香に奈菜はマウンドに駆け寄って声をかけると、遥香は落ち着きを取り戻しバッターを三振に仕留め試合を終えた。
「あの時、何って声かけてたの?」
「たいしたこと言ってないよ。『いつも通りやれば、大丈夫だから』って声かけただけ」
「それが嬉しかった。あんな場面でコントロールがとか、変化球の切れがとか、言われたら余計焦るけど、いつも通りって言われたらなんか大丈夫な気がしてきて落ち着けた」
奈菜はにっこり微笑み、ミルクティーの入ったカップに口を付けた。
多くを語らなくても通じ合える遥香と奈菜の信頼関係。ちょっぴり羨ましかった。
◇ ◇ ◇
そのままドリンクバーを飲みながら試合のことを振り返り、気が付くと2時間立っていた。
日も落ちかけて、暗くなり始めている。
三井が追加注文したパンケーキを食べ終えたところで、帰ることにした。
「じゃ、私と奈菜ちゃんはバスだから、ここで。奈菜ちゃん行こう」
三井が自然な流れで奈菜の手を掴もうとするが、寸前で奈菜はくるっと回転して歩き始めた。
がっくりと肩を落とし寂し気な三井を見送って、遥香と日が落ちかけて薄暗くなり始めた街中を歩きながら駅へと向かった。
「今日の遥香、カッコよかったよ。また来週も試合だよね、応援に行っていい?」
「来週はダメ!強いところとあたるから、ボコボコにされるところ見られたくない」
そんな他愛もない話をしていると、向こうから歩いてきた男女の二人組とすれ違った。
二人の距離が近く仲良さそうに話しているところを見ると、恋人同士のようだ。女の子の着ているピンクの姫系ワンピが気になり、つい視線で追ってしまう。
それに気づいた遥香が、悪戯っぽく話しかけた。
「やっぱり男子はあんな服が好きなの?それとも、自分が着てみたいの?」
「男子でアレが嫌いな人はいないよ。だから一度は着てみたいと思うけど、服が可愛すぎて勝てない。あんな服着れるぐらいかわいい子が羨ましい」
「亜紀もすっかり女の子だね」
クスッと微笑む遥香に、勇気を出して聞いてみた。
「遥香はどうなの?あんな服着てみたいと思わないの?遥香は可愛いから似合うと思うけど」
尋ねた瞬間、遥香から笑みが消えしばらく黙り込んだ後、覚悟を決めたかのよう口を開いた。
「そうね。亜紀には話しておいた方がいいよね」
「えっ、何のこと!?」
いつもパンツスタイルの遥香がスカート履いたところを見てみたいという軽い気持ちだったが、思わぬ展開になり戸惑いを覚えた。
話長くなりそうだからと、通りがかった小さな公園のベンチに並んで座った。
「あのね、私の苗字変わったから、親が離婚したのは気づいているよね」
「うん。うちもそう。父親の浮気が原因。今どき、珍しくもないと思うけど」
「離婚の原因がね、私にあるんだ」
遥香はポツリポツリと話し始めた。
◇ ◇ ◇
自宅の最寄り駅に着くとすっかり日も暮れ、外は真っ暗になっていた。
空の色と同じぐらい、遥香の過去を知ってしまい暗く重い気持ちを抱えたまま家路についた。
遥香が急に引っ越していなくなった原因。それは、父親に悪戯されたからだった。
小学5,6年ごろの遥香はイジメっ子を撃退するぐらいヤンチャではあったが、他の女子と同じようにスカートやワンピースを着ていた。
今も十分に可愛い遥香は、その当時からクラスの女子たちから群を抜いてかわいかった。そんな可愛い遥香と仲が良いということで、他の男子からひんしゅくを買って余計にイジメられることにもなるのだが、それぐらい遥香は可愛かった。
それは父親とて、同じことだったようだ。ただ、遥香と手をつなぎたいと思うまだ子供な僕たちと、大人とではやりたいことが違ったようだった。
胸が大きくなり始めた4年生の終わりのころから始まり、徐々にエスカレートしていき、耐えきれず母親に相談したのが6年生の夏休みで、早急に離婚が決まり引っ越していった。
父親から離れたとはいえ、それが原因で男性が怖くなりスカートも履けなくなったようだ。
知ってしまった、遥香の悲しい過去。それは、男性不振の遥香と付き合える可能性が消滅したことも意味しており、余計に暗い気持ちにさせた。
家の玄関を開けようとしたとき、ラインの着信音がピロリーンと鳴った。
遥香からだった。
「変なこと教えてごめん。知らない方が良いことってあるよね」
どう答えていいのか、わからない僕は、「気にしなくていいよ。教えてくれて、ありがとう」と、正解かどうかはわからないまま返信した。
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