第14話 【スピンオフ】先生

 スマホからアラーム音が鳴り響いている。

 時刻は6時半。窓の外はまだ薄暗い。永田祐樹は半ば寝ぼけたまま、ベッドから起きて洗面台へと向かった。


 洗顔のため手に取った水が冷たい。10月も半ばが過ぎ、冬が近づいてきている。

 冷たい水で洗顔をすると、眠気も一緒に洗い流されていった。


 洗顔後に化粧水のボトルを手に取ると、数滴手のひらに取り顔になじませるように塗っていく。

 手に感じる肌のザラつき。やっぱり睡眠不足は、肌の天敵だ。

 昨晩、持ち帰った中間テストの採点をやっていたから、ベッドに入ったのは1時過ぎだった。

 今日は早く寝ようと心に誓い、乳液のボトルを手に取った。


 トーストと牛乳で簡単に朝食を済ませると、クローゼットを開け着替えを始めた。

 スカートはこの前買ったばかりのグレーのプリーツスカートに決まっているが、トップスとの組み合わせに悩む。


 黒のニットや白のブラウスだと無難だが地味すぎる。ピンクのブラウスにしようと手を伸ばした時、ワインレッドのカーディガンが視界に入った。

 重ね着してみるのもいいかも?

 天気予報では、夕方になると北風が強まって冷え込むって言ってたし。

 

 早速、黒のニットの上に、ワインレッドのカーディガンを合わせ、鏡の前に立ってみる。

 思った通り、秋らしくいい感じにまとまっている。

 毎日のコーデ、面倒に感じるときもあるが、季節やその日の予定や気分に合わせて着るものを選べる自由は、毎日スーツにネクタイと変化のない男性サラリーマンにはない楽しみだ。


 コーデが決まると、それだけで楽しい1日が送れそうな気がしてくる。

 気分よく勤務先である青陵高校の職員室に入ると、職員室を見渡して本田先生がすでに出勤しているのを確認した。

 自席にカバンを置くなり、本田先生のもとへ直行する。


「本田先生、おはようございます」

「永田先生、おはよう」


 本田先生は作業の手を止め、こちらを振り向きいつもと変わらぬ優しい笑顔で挨拶を返してくれた。


「授業の教え方なんですけど、ここのところどうやったらいいかって悩んでいて」

「ああ、そこね。確かに1回で理解してもらうのは、難しいところよね。私はこうやって……」


 同じ数学の教師陣の中でも、出身大学が同じで年齢も3歳上と近い気軽さから、教え方で悩んだときや、生徒の扱いで困ったときなど、ことあるごとに相談していた。

 そのたびに本田先生は嫌がることなく真摯に相談に乗り、アドバイスをくれた。


「ありがとうございました」

「いいのよ、また何でも聞いて。ところで、そのスカート素敵だし、今日のコーデも秋らしくて決まってるね!」


 一礼をして立ち去ろうとしたところを、スカートを褒められ立ち止り話をつづけた。


「そうなんですよ。先週、秋物買いに行ったら一目ぼれしちゃって、ちょっと高かったですけど、先生に褒められるなら思い切って買ってよかったです。先生のレースのタイトスカートも素敵ですよ。紫って、大人っぽくていいですね」

「ありがとう。永田先生もすっかり女の子になったね。去年、あんなに恥ずかそうにスカート履いていたのに」


 本田先生が口角を上げニンマリしながら、悪戯っぽく微笑んだ。


 男子生徒がセーラー服を着て女子として3年間を過ごす青陵高校では、男性教員も採用されてから3年間は女装することになっている。


 新卒採用された一年前はスカート履くことが恥ずかしくて、イヤでしょうがなかった。

 メイクするのも面倒くさいし、ストッキングはすぐに伝線するし、女性の苦労を身をもって知った。

 教師生活1年目で覚えるべき仕事もいっぱいあった。


 戸惑っている姿を見かねた本田先生は、メイクのやり方やコーデの基本、それに女性らしい仕草などいろいろ丁寧に教えてくれた。


 9時ちょうど1時間目の授業が始まるチャイムと同時に2年3組の教室に入ると、廊下まで聞こえていた生徒たちのはしゃぐ声が一瞬にして静まり返り、生徒たちは蜘蛛の巣を散らしたかのように自分の席へと戻っていく。

 教壇の前の席に座っている生徒が、感嘆の声をあげた。


「先生、今日のスカートかわいい!」


 その声を合図かのように、他の生徒たちからも「コーデ決まってる」「アイシャドウ、新色ですか?」などと次々に声が上がる。

 女子生徒のチェックは厳しい。去年メイクを始めたばかりをの頃は、「左右の眉毛の形が違う」と言われ、生徒たちにメイクの仕方を教えてもらうこともあった。


 女性として成長していく過程を見てきた生徒たちは、母親や姉の様な視線でこちらを見つめている。


「ほら、授業始めるよ。中間テストの採点終わったから、返すよ。このクラス、赤点取った人が何人もいるから、覚悟しておいてね」


 今度は「いやだ」「見たくない」と悲鳴に似た声が生徒たちから上がる。先生の威厳を取り戻したところで、授業を始めた。


◇ ◇ ◇


 とっくに日没の時間は過ぎて外は真っ暗になった午後7時過ぎ、まだ残っている分は来週に回して学校を後にすると、家には戻らず繁華街へ向かうバスに乗り込んだ。


 バスに揺られて15分、市内中心部のバス停で降りた。

 栞が予約してくれた洋風ダイニングのお店は、繁華街の大通り沿いの雑居ビル2階に入っていた。

 店内に入ると、窓際の席に座っていた栞が小さく手を振った。


「お待たせ。仕事早めに終わらせるつもりが、生徒の質問に付き合っていたら遅くなっちゃった」

「いいのよ。気にしなくて。そのスカート新しく買ったの?いいね!」

「ありがとう。先週買い物行ったとき見つけて、一目ぼれしちゃって買っちゃった。高かったけど、高い分生地がしっかりしててラインが綺麗で気に入ってるの。栞のピアスもかわいいよ」


 褒められた褒め返す。「そんなことないですよ」と謙遜してばかりだと話が続かないので、褒め返すことで相手もそれについて「どこで買った」とか「どこが気に入っている」とか話し出すので会話が広がっていく。

 女性との会話は、いかに相手に楽しく話してもらうかが大事だ。

 

「ありがとう。ドリンク注文しようか?何飲む?」


 栞が渡してくれたメニューを見ながら、カシスオレンジを選んだ。


「乾杯!」


 栞が頼んだファジーネーブルとグラスを軽く合わせ乾杯した。

 一口飲んだところで、注文していた地中海風サラダと海老とアスパラのアヒージョが運ばれてきた。


「美味しそう!」


 早速取り皿に二人分の料理を取り分けると、まずはサラダから口に運んだ。

 トマトと胡瓜といういつもの野菜が、オリーブオイルとフェタチーズで一段階上の料理へと生まれ変わっている。

 アヒージョもニンニクの香りが食欲をそそり、オイルに浸して食べるパンがたまらなく美味しい。


 美味しい料理に舌鼓を打っていると、すでに一杯目のグラスを空にした栞が遠い目でこちらを見つめていた。


「栞、どうしたの?」

「いや、祐樹も就職して変わったなと思って。学生の頃だったら、サラダに目もくれずに唐揚げとかコロッケとか食べてたでしょ」


 栞はサラダを食べながら、付き合い始めた大学時代のことを振り返った。


「まあね、いつまでも学生じゃないしね」

「学生じゃないというより、男じゃなくなったしね」


 2杯目のモスコミュールを手にした栞は悪戯っぽく微笑んだ。


「やっぱり、彼氏が女装しているの嫌?」

「いや、むしろ好き。優しくなったし、前は髪型変えても何も言ってくれなかったのに、今はちょっとした変化にも気づいてくれるようになったし、大学の頃より好きかも。祐樹はどうなの?女装するの嫌?」

「最初は恥ずかしくて嫌だったけど、最近楽しくなってきた。服を選ぶのも楽しいし、女子が多いうちの学校だと、こっちの方が生徒と交流しやすい」

「そう、良かったね。女装するの最初の3年間って言ってたけど、ずっとそれでもいいんじゃない?」

「うん、学校にもそんな先生いるよ。すごく綺麗な先生で、仕草も気品あふれるって言うか上品」


 頭には本田先生のことが浮かんでいた。いつもお手本にしている本田先生も、青陵高校で教師になってから女装を始めたらしい。


「祐樹もそうしたら?」

「えっ、いいの?」

「私もそっちの方が良いな」


 栞がニッコリと微笑んだ。





 





 



 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る