心労

「じゃ、とりあえず宿題見せてみろ。ひたすら模写してくれたんだろうな」

 お兄さんが偉そうにそう言って、手を差し出すので、私は力作を何枚も渡してやった。

「ふふん、結構うまく描けたと思うけど」

 はじめは写し絵みたく、慣れてきたら横に置いて模して言った。シイナの下手くそな指導どおり、勢いをつけて描いた。

 和紙に描かれた絵を何枚か真剣に見ると、ふん、とお兄さんはつまらなそうに言った。

「何だ、結構できてんじゃん。もっとできてなくて、下手くそって言ってやろうかと思ったのに」

「ふふん。まあ絵画の基礎は習得してますからね。素人とはわけが違いますよ」

 私は鼻高々に答えた。ま、私を構成する基礎はエロ絵ですけどね。

「あと、紗奈さんに無理やり……じゃなかった、紗奈さんのご厚意で、ねぷたの画集見せてもらったり、ねぷたの出来るまでのドキュメント番組見せてもらったりして、いっぱいインプットもしたからね」

 そう、あの日、紗奈さんに事情がバレた日から、頻繁にお誘いを受け、紗奈さん秘蔵のコレクションをたくさん見せてもらい、色々教えられたのだ。

 はじめは正直ウザかったけど、やっぱりモノ触れる機会が多くなるにつれ、何となく書き方も変わっていくのがわかった。

「なるほど、紗奈さんのおかげか」

「いえいえ、私は何も」

 紗奈さんは恐縮して真っ赤になっている。

『俺もアドバイスとかしたからね』

 シイナが自慢気に口を挟んできた。

「いや、あんまりシイナのアドバイスは抽象的過ぎてちょっとわかんなかったよ」

 私が言うと、シイナは『そんな事ないっ』と解せない様子を見せていた。


「よし!ま、下書きはオッケーとすっか。今日は筆で書いてみようぜ」

 そう言って、お兄さんはドン、と大きな筆が何種類も入ったバケツを取り出した。

「とりあえず、……まあこの絵が一番よく描けてるから……この絵に筆を入れていこう」

 そう言って、お兄さんはビニールの敷物を床に敷き、その上に新聞紙、更にその上に私の描いたねぶた絵のうちの一枚を乗せた。

 そして、バケツに黒い墨汁のようなものを入れる。

 学校の書写の時の匂いがして、何だか懐かしい気持ちになる。

『ね、ね、一回俺にやらせてくんない?』

 シイナがワクワクしながら言った。

「今は有野さんへの指導が優先だろ」

 お兄さんがそう咎めるように言うと、シイナはわがままをいうように言った。

『だって、墨のオーラを感じちゃったら、もう落ち着かないんだよ。お願い!ちょっとだけ。一筆だけ!』

「しゃーねえなあ」

「お兄さん!堕ちるのが早すぎです!」

 このブラコンが!

 私が不貞腐れていると、紗奈さんがまあまあ、と取りなすように背中を撫でてきた。

「筆見ちゃったら描きたくなるのは仕方ないと思う。でもあたし、ちゃんと見張っててあげるよ。取り憑かれてる間、女子としてそんな事されたくないってことされたら必ず止めてあげるから」

「紗奈さん……」

 なるほど、持つべきものは同性の味方!

「ありがとう、じゃあ変な事してたら絶対止めてね」

「うん」

「シイナやお兄さんが、何かを『お願い、この事は有野さんに秘密でやらせて』って言われてもちゃんと止めてくれるよね?」

「………………うん」

「絶対止めないじゃん!!」

 くそ、女の友情なんて当てにはねえとはこういうことか!

『何度も言ってるけど変な事しないってばぁ』

 シイナは口をとがらせるように言う。

『一筆描くだけ!』

「勿論、取り憑いた時間はきっちり測って時給に換算するぞ」

 お兄さんも言う。

「……んもー、じゃあちょっとだけだよ」

 まあ私も私でなんだか流されやすくなっている気がする。でも、仕方ないじゃん、お金の事を言われちゃあ。

 ほらどうぞー、とわたしが手を広げて取り憑かれ待ちをする。

 すると、シイナが遠慮無しに取り憑いてきたのか、私はすぐに意識をうしなった。


 ――

 ―――

「……ばい……見られ……」

「くそ。逃げ……」

「……じゃ……」

 何やら頭元でお兄さんと紗奈さんが話している声が聞こえる。よく分からないけど切羽詰まったような雰囲気を感じる。

「あーのー……おわりました?」

 私は前と同じようにタオルを適当にかけられて横になっていた。とりあえずノロノロと起き上がると、目の前に黒い墨で力強く描かれた男の絵が飛び込んできた。

「おあー、シイナがこれ描いたんだねー。前と違って無駄に裸体じゃないし、前よりねぷたっぽくなってるね。私の努力のおかげじゃん?」

 私は自画画像しながらその絵を見た。しかし、お兄さんと紗奈さんはそれどころでは無さそうだった。

「え?どうしたの」

「見られた」

「は?」

「あの、クソみたいな連中に、見られた」

「クソ?」

 よくわからなくて紗奈さんに助けを求めるように顔を向けた。

「その、将真さんが取り憑いて描いてるところ、そこの窓から覗いてる人がいたみたいなの。それが、その、さっきお兄さんが追い出した、将真さんが死んでから悪霊がどうのこうのって言ってる人達だったみたいで」

「はあ」

 私は問題が把握できずに首を傾げた。

「別に見られても問題無くない?シイナは結局見えないんだし、ただ私がねぷた絵を描いてるように見えるだけでしょ」

「そう、なんだけど」

 紗奈さんが困った顔でお兄さんを見る。お兄さんは怖い顔をしていた。

「有野さんが取り憑かれて時、将真のクセが丸わかりだった。将真は、顔を紙にすごく近づけて、腕を大きく振って描くんだ。それがそのままでていた。別にそれを見られたからって、動画かなんかで撮られてたって問題ねえんだけど、それを親父に見られたら……あまり親父の心情的によくない。有野さんにいい気持も持たねえだろうな」

「あ……」

 何となくわかった。他人には分からないけど知る人ぞ知る人には分かるクセ。それを赤の他人がやっているとなれば、感情かクチャクチャになるだろう。

「お、追いかけなかったの?」

「追いかけようとした!でも逃げ足はええんだよ!」

 お兄さんに怒鳴られて、私はかたをくすめる。

「ああ、悪い……怒鳴るつもりじゃ……」

「いや、大丈夫」

 私は慌てて言った。

「えっと、そんな心配しなくても、あくまでも月菜ちゃんは将真さんの真似をしてるって事でいいんじゃないですか?憧れすぎてスタイルから真似したって事で。ね?」

 ちょっとピリついた空気を変えるように、紗奈さんが明るく提案した。

「まあ、そう、だよな。考えすぎだよな」

 お兄さんは少しだけ怖い顔を崩した。でも、無理やり自分に言い聞かせている雰囲気があった。

 ――お父さんの事、結構心労があるんだろうか。

 私は少し不安な気持ちになりながら、シイナの描いたねぷた絵を見つめた。






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