時間外労働じゃん
『じゃあ早速いいかな?俺ちょっと確かめたい事があってさ』
いそいそとシイナは言う。
え?ちょっと待って。やるって言ったけど、そんな、今すぐ?
私は拒否ろうと口を開いた。その瞬間、パタンと意識を失った。
〜〜〜
「あー、なるほど、確かにこれはおかしいな」
『でしょ。やっぱり手癖っていうのは体についちゃってるんだよね』
私のぼんやりした頭の上で、二人の話し声が聞こえる。
あれ?私に今何が起こった?
『あ、有野さん起きたみたい』
「おう、お前もちょっとこっち来いよ」
待って待って。私状況まだ飲み込めてないんだけど。
えっと、もしかしてさっきシイナに取り憑かれた?だから意識失ってた?
うそー、やだー、汗かいてるから今日は絶対取り憑かれたくなかったのにー。後日改めて、って言うつもりだったのに。
私は雑にかけられていたバスタオルを乱暴に放り投げながら起き上がった。
「もう!こっちにも心の準備ってもんがあるんだよ!」
プンプンしながらも、私はお兄さんとシイナの方へ近づいた。
二人は真剣に何やらスケッチブックを見ていた。
「それ?今シイナが私に取り憑いて描いたやつ?」
私もつい、スケッチブックを覗き込んだ。
なるほど、うまいもんだな、というのが一番はじめの感想だった。
おそらくサラサラっとスケッチブックに鉛筆で描いたものだろう。ぐわっと目を見開いた男と、艶っぽい女が、力強く描かれていた。
「何かおかしいの?」
私は、何だか不満げな二人を見ながら尋ねる。
するとお兄さんは、黙ってバインダーを差しだした。
「これ、将真が今まで描いたねぷた絵なんだけどよ。比べてみろよ。全然違うんだ」
そう言われて、私は、たった今私に取り憑いたシイナの描いたらしい絵と、お兄さんの差し出したバインダーに挟まれている写真を見比べてみた。
「……正直よくわかんない。同じじゃない?」
「全然違えよ。目節穴かよ」
暴言を吐かれて私は不貞腐れる。そんな私を無視して、今度は別の冊子を持ってきた。
「鉛筆書きのデッサンと色付けもされてる清書を比べちまったからわかんねえのかもしれねえな。この、一昨年の下絵と比べて見れば分かるべ?」
そう言われて再読見てみる。
うーん、確かに?
「確かに、なんか、こっちの方が現代絵っぽい?かな」
一昨年の絵はいかにも浮世絵っぽいTheねぷた!って感じなのに、今シイナの描いた絵は、何となくねぷたを真似して描きました、って感じ。
それに……。
「ねえ、私詳しくないんだけどさ、何でこの絵、裸なの」
「そう、そこが一番問題だ。ねぷたの色鮮やかな着物とか鎧が映えるのに。何で裸なんだ」
『わかんない……何か、裸が描きたくなって……何でだろう』
わけがわからない様子のシイナとは対照に、お兄さんがこちらをジロリと睨んでいる。
え、別に私のせいじゃないよね?私に取り憑いたからつい裸描きたくなったとかじゃないよね?
「別に、裸の絵が悪いわけじゃねえんだよ。むしろ、昔は特に、血みどろ生首だったり半裸の女が描かれてたのも結構あったらしいし」
マジか。そんな絵デカデカと飾って練り歩くとか、ねぶた祭って正気の沙汰じゃないな。
「でも、将真の得意なのはそれじゃねえじゃん。何だよ、やっぱ有野さんのクセが入るのか?」
『有野さん、そんな裸描くクセあるの?そんなクセあるわけないでしょ』
私がエロ漫画家だとまだ知らないシイナが、呆れたように言う。
『まあでも、前にちょっと入った時に感じたんだよね。やっぱり他人の体に取り憑くわけだし、何かその人の手癖みたいな、身体のクセみたいなのが入っちゃうなーって。だから、やっぱちゃんと満足する絵を描くには、有野さんにもちょっとねぷた絵描く練習してもらわないとだめかなって』
「え、めんどくさ……」
思わず私は言う。
取り憑く許可与えただけでもよしとしない?
そんな私の気持ちをよそに、お兄さんは肩をすくめながら言った。
「しゃあねえな。有野さん、ねぷた絵俺教えてやるから練習も頼むわ」
「めんどくさーい」
今度ははっきりと言う。
「っていうか、練習の間の時給は?」
「時給は、将真が取り憑いてる間だけだ」
「時間外労働じゃん!」
労基案件!
私が再度プンプンしていると、シイナが振動機能を器用に駆使して近寄ってきた。
『ごめんね、でも有野さんが協力してくれて嬉しいな』
急に真面目に言われる。
『久々に描いて楽しかった。この部屋の兄貴の匂いも久々だった。ねぷた絵見たら何か泣きそうになっちゃった。何かじんわりきちゃったよ。よーし、やるぞーって生きる気力が湧いたって感じ?ま、死んでるけどね』
笑いにくい死者ジョークをかますシイナに、私は何も言えなくなってしまった。本当に、本当に描きたかったんだなって思いしらされる。
「……まあ、練習は仕事の合間だからね」
そう言うしかないじゃん。
「何言ってんだよ。俺が教えるんだからガッツリスパルタだぞ」
空気を読まないお兄さんはちょっとウザかった。
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