裏切ってないし

「月菜ちゃん、どうしたの?」

 紗奈さんが不審そうな顔でこちらをのぞいてくるので、私は慌ててカバンから素早くスマホを取り出してチャックを閉める。

「何でもないよ。あ、連絡先だよね。ラインでいいよね?」

「うん。……ねえ月菜ちゃん、カバンにもう一個スマホ入ってたりする?凄いブーブー言ってない?」

「いや、大丈夫大丈夫」

 私は大したことないと言う風に言う。でも紗奈さんはずっとカバンに注目している。シイナがずっとカバンの中で振動しているせいだ。

「いや、あたしの事は気にしないで確認したほうがいいよ」

「いやぁ、じゃあごめん、ちょっとあっちの方で電話してこよっかなー」

 私はいそいそとカバンを持ってその場を離れた。


「ちょっと!何で?いつの間に!?」

 私は、りんご畑の隅の方で、カバンをのぞきながらシイナに文句を言う。

『いや、だって有野さん今日どっか行くみたいだったから。また俺の下絵見に行ってくれるのかなって思って』

「自意識過剰だな。私はシイナの絵のことなんかこれっぽっちも考えてなかったし」

 私は口を尖らせた。

 しかし、シイナは軽く振動機能を使いながら笑った。

『またまたぁ。さっき、あの子に俺のこと聞いてたじゃん。やだあな。俺に直接聞けば何でも教えてあげるのにー。ま、俺が死んでからのことは全然わかんないけどね』

 シイナは完全に調子に乗っている口調だ。なんか腹立つな。

『俺あの子、佐々木紗奈さん知ってるよ。ねぷた絵師の中でも有名なねぷたファン。なんか色々ファンサイト?みたいなのやってるみたいで』

「ふうん。じゃ、紗奈さんの前で話してあげたら喜ぶんじゃない?っていうか紗奈さんにお願いすれば取り憑かせてもらえるんじゃない」

 私がそっけなく言うと、シイナは器用に電子音でため息をついた。

『乙女に取り憑くのは変態とか言ってたのに、他の女の子に取り憑くのはいいわけ?薄情~』

「う」

 正論だ。

『ていうか、前も言ったけど、誰にでも取り憑けるわけじゃないって前も言ったじゃん』

「まあねえ」

 そういいながら、私はスマホをいじりだした。

『ねえ、有野さん今何してる?何か嫌な予感するんだけど』

「え、シイナのお兄さんに連絡してるけど。弟さんまたうちのぬいぐるみに取り憑いたから引き取りに来てって」

『え、やだやだ』

「何でよ。シイナの望みはお兄さんに相談するのがどう考えても一番いいでしょ」

『だって、兄貴、有野さんのこと認めないって言ってたし。でも俺は今のところ有野さんに取り憑く気満々だし。どう考えても話し合いが平行線になっちゃうもん』

「私のご意見聞く余白はないようですね」

 私は大きなため息をつく。シイナ、確か享年21歳だったはずだけど、ずいぶんと子供っぽいようだ。ぬいぐるみなのにふてくされている様子が目に浮かぶ。

 そうしているうちに、休憩の終わり時間になってしまった。

 私はシイナを再度カバンに詰め込むと、仕事が終わるまでおとなしくしているよう強く言い聞かせてまた持ち場に戻っていった。


 仕事が終わり、体がくたくたになった私は、紗奈さんと一緒に帰りのバスを待っていた。

 その時、私たちの目の前に、軽トラが止まった。なんだ?道聞かれてもわかんないぞ、と思っていると、トラックの運転席の窓が開いた。

「ひいっ」

 私の隣で、紗奈さんが悲鳴を上げた。

「し、し、椎名春希さんだ!」

「おい」

 何だか興奮している紗奈さんをよそに、お兄さんが私に向かって怒鳴るように言った。

「迎えきたぞ。よこせ」

「ああ、はいはい」

 私はカバンからシイナ入りのコーちゃんを取り出して、お兄さんに手渡した。シイナは一瞬『え』と呟いて、抵抗するように激しく振動した。

「おい、暴れんなって」

「あんまり乱暴に扱わないでくださいよ。中身を確保したらちゃんとコーちゃんは返してくださいよ」

「コーちゃんって誰だよ」

「このぬいぐるみです」

『待って待って。ひどい。有野さんの裏切り者!』

 別に何も裏切ってないし。私がシイナを無視していると、お兄さんは再度私に話しかけた。

「おい、お前たちバス待ちか?ついでだから乗って行けよ、荷台二人くらいなら乗れるべ」

「荷台?いや、違反でしょ」

「大丈夫だって。心配ならブルーシートかけてやる」

 いや荷物じゃなんだから。私が抵抗しまくっているうちに、お兄さんはトラックの助手席にシイナを放り投げ、荷台にブルーシートを広げた。

「お前も一緒じゃねえと多分あいつまた逃げてお前のとこ行くぞ。それじゃきりねえから一緒に説得するぞ」

 めんどくさーい。でもお兄さんの言うことには一理ある。

「あ、あ、あの」

 急に後ろから声がした。そうだ、紗奈さんのことすっかり忘れてた。

「春希さん!今年のねぷた絵もよかったです。あの、南こどもねぷた会の送り絵の女性、いつもに増して美しかったです!」

「お、わかる?俺も今年の送り絵すげえいい出来だとおもったんだよな」

 お兄さんは、紗奈さんの言葉に嬉しそうにうなずいた。

「本当は弟が受けてた依頼主だったからな」

「あ」

 紗奈さんは焦ったように言った。

「ごめんなさい。その、将真さんのことは、本当に……」

「いや、悪い。俺も空気悪いこと言ったわ。ほれ、乗れ乗れ」

 もはや断りづらい状況に、私は仕方なく荷台に乗り、紗奈さんも後に続いた。

 警察見たら隠れろよ、と言われてブルーシートを差し出され、そのままトラックは風を切って走り出した。

「月菜ちゃん」

 風を受けて髪がバサバサになりながら、紗奈さんが真剣な顔で私に話しかけてきた。

 紗奈さんには聞きたいことがたくさんあるはずだ。なんで椎名春希と知り合いなのか、とか、あのぬいぐるみは何か、とか、ぬいぐるみがしゃべってなかったか、とか。どの質問が始めにくるだろうかと私は身構えた。

「感想、伝えちゃった……」

「……え?」

「春希さんに直接感想伝えちゃった。どうしよう。そのうえトラックに乗せてもらってる」

 げへへへ、とだらしない顔で笑う紗奈さん。

 なるほど、紗奈さんにとっては、さっきの事柄はたいして重要ではなかったようだ。

「あー、どうしようーもう今年の運使い切ったー。あ、でももっと詳しく感想言いたかったー。あんなもんじゃないのに!あたしの想いはあんなもんじゃないのに。ねえ、まだ言ったらウザがられるかな」

 興奮する紗奈さんの話を、私はうんうんと聞き流しながらトラックに揺られていた。

 それにしても、今頃運転席と助手席ではどんな会話が繰り広げられているのだろうか。









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