第3話

 朝早くからラファの仕事である掃除をしていると、暫くしてから子爵が姿を現した。ということは午前八時ころなのだろうと時計を見た。


「ラファ、お前に告げることがある」


「はい、なんでしょうか?」


 また何か仕事を言いつけられるんだろうなという感覚しかなかった。妹は家事などしたことが無い、子爵夫人が絶対にそんなことはさせないし、本人もやるつもりが一切ないから。


「昼に馬車がやって来る、お前はブルボナ伯爵のところに送り婚約させることにした、準備しておけ」


「え? え! 私がですか!」


 さすがのラファも突然午後から嫁げと言われて焦ってしまう。そもそもブルボナ伯爵など聞いたこともない。聞いたことがあったとしても、いくらなんでもあんまりな所業。


「二度も言わせるなよ。そうだな、恐らくは十日もあればつくだろう」


 そう言い放つと子爵は食堂へと行ってしまう。手にしたほうきを握りしめて「婚約って……」表情を雲らせる。部屋に戻って――といっても屋根裏の薄暗い汚い場所だが――鞄に着替えを詰め込んだ。どれもこれもボロボロで継ぎはぎがあって、ヨレヨレの服ばかり。


「どうして私なのかしら。伯爵家ならリーナが喜んで嫁ぐと思うけど?」


 家格が上の伯爵家に、それも伯爵との婚約など望むべくもない。変だなと思っているうちに、あっという間に午後になってしまう。年老いた侍女が「馬車が来たよ、さっさと来な」主人であるはずの子爵令嬢に対して、何一つ敬意を含まない物言いをする。


 屋敷を出るとそこには、幌すらない荷馬車が停まっている。御者台は一人乗りで中年の男が座っていた。唖然としていると子爵がやって来た。


「ラファ、ブルボナ伯爵に確りと尽くせよ。お前が良くしてもらえば、我が家に利益がある。貴族の娘であることをよく考えるんだ」


「あの、はい子爵さま」


 余計な質問は激怒されるだけで何も良いことはない、長年の付き合いでラファは良くわかっていた。子爵夫人も妹も、屋敷に居るはずなのに見送りすらしない。


「ブルボナ伯爵の屋敷は、コーラル市に構えられている。路銀くらいはくれてやる、さっさと行け」


 ジャラっと握りこぶし位の小さな巾着を投げ捨てて来た。それを黙って拾うと一礼して馬車に乗り込む。といっても荷台に乗っかっただけで、乗り心地も何もない。


「いいか、んじゃ出るぞ」


 荷馬車の御者は挨拶をするでもなく、さっさと動き始めた。なぜならば、子爵に労役を課せられただけで何の利益も無いのでこうもなった。そんなことを知る由もなく「よろしくお願いします」ラファは頭を下げる。それも無視して馬車は子爵領を直ぐに抜けてしまう。


 陽が落ちるあたりで小さな集落につくとそこで馬車が停まった。宿屋の前でも、食堂の脇でもなく、郊外の平地で。どうしたのかなと御者を見詰める。


「俺が言われてたのはここまでだ、さっさと降りな」


「ここは?」


「ルマチ村だ。ここから東にずっと行けば、三日で帝国を出ることが出来る。その先は知らん」


 言われるがまま荷台から降りると、馬車は来た道を戻っていくではないか。歩きで向かえ、つまりはそういうことらしい。


「コーラル市を目指せば良いんですよね。場所を聞いてみないと」


 恨み言一つ出さずに、自分がやるべきことをやろうとする。村人を探して尋ねてみても、誰もコーラル市を知らなかった、近くにはないらしいことだけが解る。


「東に行けば帝国を出ることが出来るって言ってましたね。外国に行けってことかしら?」


 なるほど国外の街なら知らなくてもおかしくはない。この先本当に十日で到着するかはまったくわからない。初めてここで路銀を確かめてみる、巾着を開けてみるとなんとそこには銅貨しか入っていなかった。これでは数日の食費にすらなるかどうか。


 夜中に動くことは出来ないので、家々があるあたりまで来ると、木の下に転がった。着替えが入った鞄を枕代わりにして野宿することを何の迷いも無しに選ぶ。彼女が子爵令嬢なのは事実だが、ラファはそんなことはとうの昔に心の奥底にしまいこんでしまっていた。


 御者が言っていた通りに三日でサルディニア帝国を出ることが出来た。出る分には通行税がかからず一安心する。街道があったのでそれをアテもなく歩き続ける。道の脇に生えている草や木の実を収穫して腹の足しにしながら。というのも、旅人の腹を幾ばくかでも満たせるように、街道にはそういった植物が植えられているのだ。なお、不味くて少しでも余裕があるならば、誰も口にしない。


 どこかの村にやって来て、ここでも「コーラル市をご存知ですか?」出会う人に次々と尋ねていく、するとついに知っている者が現れた。


「ああ、そこならこの街道沿いにそうだな、五日も行けばつくよ」


「ありがとうございます」


 丁寧に礼をすると、ラファは空を見上げる。雨が降ると移動できなくなるから、出来ればずっと晴れのままで居て欲しいなどと思いながら歩く。誰がどう見ても貧民、それでも女性なので価値はある。そう考えた不埒者がいてもおかしくはない。


 二人の男がラファの行く手を遮った。村人なのだろうが目つきがどうにも不審で、周りを警戒しているようにも見えた。


「おいお前、俺達の相手をすれば飯位食わしてやるぞ」


 汚れてはいるが若い女、ちょっと遊ぶには丁度良い。好色な目つきに恐怖を感じると、視線を伏せて脇を抜けて行こうとする。だが男が邪魔をした。


「無視するこたぁねぇだろ、一晩ぐらい構わねぇだろ」


 身を固くして後ずさる、屋敷では虐げられはしていてもこういった危険は皆無だった。その時だ、一人の外套を羽織った若い男が近づいてきた。腰には剣を下げている。


「そこで何をしているか」


「ちっ、なんでもねぇよ!」


 村人はやって来た男を一瞥すると、舌打ちをして逃げるように行ってしまった。実際逃げたのだろうが。茶色地に赤い装飾、外套はくすんだ橙色、猛禽類の徽章を肩につけている。


「グランダルジャン王国の大地に広がる鉱山を表す装飾に、太陽が差し込む橙色の装い、勇気を示す鷹の徽章はナール騎士団ですね! 助けて頂きありがとうございます」


 思っていた反応と違い、マイナーな騎士団の詳細まで告げられ感謝された。男は気を引き締めて胸に拳を当てる。


「レディ、ご無事でなによりです。治安維持も我等の役目ですので礼には及びません」


「だとしてもサーの行動に助けられました」


 笑顔で事実を強調する。ナール騎士も悪い気はしなかったようで「ご自宅までお送り致しましょうか?」快い申し出をした。


「ありがとうございます。ですが私は行かなければならないところがありますので、お気持ちだけいただきます」


 ラファはもう一度感謝を示すとその場を立ち去り、街道を歩いて行った。一つ息を吐いてナール騎士が振り返ると、同僚の騎士がやって来る。


「それにしても、ご令嬢の一行はいつになったら来るんだ?」


「出迎えに行けとのご命令だが、いつともわからず仕舞い。とはいえ必ずここを通るだろうから待つしかないな」


 二人のナール騎士が屋敷からの伝令に驚くのは、これからまだ少し先の話であった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る