第2話
◇
ブラウンベリー子爵の屋敷にある執務室、デスクの前に年老いた執事が手紙を持ってやってきた。家令が居ない子爵家では頂点の使用人が彼だ。時代遅れの燕尾服とネクタイの柄、主人である子爵を立てる意味から使用人はそうする。
「子爵さま、お手紙が届いてございます」
でっぷりとした腹をゆすって、手紙を見る。もし王家や公爵家からのものならば、うやうやしく手にするつもりで。
「うん? この紋章は……誰だ?」
見覚えが無い貴族の紋章、ということはどこかの田舎者だろうと考えてしまった。貴族のたしなみとして、主要な家紋の識別くらいは出来るから。先日の夜会の客人だと悪いので、一応の確認をする。
「はい。グランダルジャン王国のブルボナ伯爵家よりの手紙でございます」
受け取る際に差出人を確認しているので、問われれば直ぐに応じる。もし子爵が知識として持っていたならば、それを褒めて出過ぎない。執事はこうやって永年ブラウンベリー家を取り仕切って来ていた。
「王国のだと? ブルボナ伯爵家など聞いたことが無いな」
実はこの伯爵家、聞いたことが無いのも当然だった。何せ二年前新設されたばかりの、無領地貴族の類。地名とも連動していないので、心当たりが無ければ解るはずがない。
「どうにも商売で多大な利益を王国にあげさせたため、新たに叙爵された家のようです」
「はっ、エセ貴族か。それが一体我が家になんの用事やら」
トレイに載せられている手紙を無遠慮に手にすると、ペーパーナイフで口を切って中を見る。家門が浮かび上がる上質紙に綺麗な文字で書き綴られていた。
「……ふむ、夜会で見た私の娘への求婚だな。エセ貴族家に本物の貴族の血を入れたいらしい。だがよりによって妹の方を求めるとはけしからん!」
妹とは、リーナ・ブラウンベリー、後妻との間に設けた子。夜会に参加していたので、手紙にはなんら不審な点はない。子爵としては、だが。
「いずれでありましても返書は必要でありましょう」
承諾しようと拒否しようと、手紙を受け取った以上は返事を出すのが礼儀。ましてや国は違っても、いや他国の貴族だからこそ、そういった礼儀が必須とされる。子爵の行いは、サルディニア帝国貴族の礼儀としても見られるから。
「リーナとリリアナを呼べ」
執事を下がらせて二人を執務室に呼び出した。ややすると連れだってやって来るが、執務室に入ることは滅多にないので少しばかり緊張しているようだ。
「子爵さま、お呼びとのことで」
「リリアナ、先日の夜会に来ていたブルボナ伯爵からリーナに求婚すると書状が届いた」
「まあ。ですけどブルボナ伯爵ですか?」
心当たりがないので、子爵夫人が娘に視線を向けた。会場に来た時ではなく、どこか別のところで知り合ってここまで話が進んでいたのかも知れないと一応。
「お父さま、私嫌よあんな色黒田舎貴族は。どこの民族衣装か知らないけど、よくもまあ恥ずかしくもなくあんな恰好をしてきたものね!」
「ああ、あの男だったか。変な奴が紛れ込んでいるなと思っていたが、あれはラーグ侯爵の紹介でやって来たんだ。お前が嫌というなら断っておこう」
婚約をお断りするのは普通にあることなので、特に気にもせずにそうしようと口にした。だが子爵夫人が「お待ちになって」思案顔で言葉を挟んだ。
「なんだリリアナ、リーナが嫌がっているんだから無理矢理することはないぞ」
「そうよお母様、私は嫌よ」
「私がリーナの幸せを邪魔するはずがないでしょ、そうじゃないの。子爵さま、そのブルボナ伯爵ですけど何と仰って?」
開封された手紙をそのまま子爵夫人に手渡した。読んでも良いかを確認して、許可が出たので目を通す。
「ブラウンベリー子爵家の娘を求めているのでしたら、リーナの代わりに姉のラファを送りつけたら良いんですわ。妹はまだ幼く家から出すには早いので無理だけれども、伯爵の要求を断るのも無礼にあたりますので姉との婚約を承知しますと」
「おおそういう手があったか! 商家出の伯爵のようだから、婚礼祝い金をたくさんふんだくれるぞ!」
「それはイイわね! あんなゴミみたいなので大金が入って来るなら直ぐに追い出しましょ!」
執事は目線を逸らして黙って聞いていた、意見を求められることなど無いと解っていても、面倒は背負いたくないので。心無い会話がいくらか続くと子爵が自ら書をしたためて、蝋封をして手紙を執事へ渡した。
「伯爵に返書を届けるように手配せよ」
「畏まりました」
ラファには一言も教えずに婚約が決まった瞬間だ。ブルボナ伯爵は、姉では嫌だと文句を言える立場にないから。何せ子爵は断りたいのを半分譲って承諾を示した、伯爵もそれに歩み寄るべきだというのが貴族同士の政略結婚である。どうせそこに愛など無い、家同士の繋がりを作るためだけの行為だ。
返書がやって来たと知らされたブルボナ伯爵が、緊張して封を切り手紙を読んで憤慨したのは当然だった。彼は誕生祭主役で夜会に出ていた『姉』に何の興味もないと信じていたから。
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