いつもショパンが一緒にいるから🎵 第一話
― side 七瀬
「今日も全然ダメだったなー」
ピアノ教室のあるビルを出たとたん、私は大きくため息をついた。
小学校中学年からはじめたピアノも中二になったのに全然うまくならない。さっきも隣の小学生の演奏に愕然としたところ。
こういうのって練習の前にまず才能なんだよな。今日もそれを思い知らされた。
でもしょうがないよね!
三秒で気を取り直した私は、電車に乗って待ち合わせ場所へと向かう。
そう、今日は誠司おにいちゃんと買い物デートなのだ。いつまでも落ち込んでなんていられない。デートというのは私が勝手にそう思ってるだけだけど、待ち合わせてるんだから実質デートだよ。
この誠司おにいちゃんは、実際には兄ではなく隣に住んでいる高校生なんだけど、とっても絵がうまくてかっこいい。
その描く絵には乱れがなく繊細でしかもダイナミック。鉛筆デッサンからですら色合いが感じられるぐらいの腕前なのだ。
私は小さい頃からこの人を絵の天才なんだと思っていたのだけれど、でも本人に言わせるとぜんぜんらしい。
どうやら絵の世界も厳しいみたいだとは中学生の私も最近分かってきた。
それでも誠司おにいちゃんは小学校の頃からずっと県レベルのコンテストは総舐めにして、今ではまだ二年生なのに芸大の入試に向けて絵の勉強に取り組んでいる。
街のピアノ教室で音を上げそうな私とはそもそも大違いなんだけどね。
ほんと、自分が実はショパンの生まれ変わりでピアノの天才だったとかならどれだけよかったことか。現実は無情だ。
ピロン、ポロン ♬♪
電車を降りて歩いていると、ホームの階段の下からピアノの音がかすかに聞こえてくる。
曲名はすぐ分かった。ノクターン 変ホ長調 Op.9-2。
私の好きなショパンの曲だ。
そう、この駅には期間限定でストリートピアノが設置されているのだ。
そして待ち合わせ場所はちょうどその手前。
もちろん私はそんな大それたものに挑戦するような腕前じゃないけどね。
ポン!
鞄の中でスマホの着信音がした。もうおにいちゃん着いたのかな?
流れてくるピアノの音に気を取られつつ、スマホを取ろうと鞄を覗き込んだその瞬間、私は階段の上から足を踏み外した。
― side ? ―
気が付いた時、そこは白い光に溢れた部屋の中だった。
「ここは天国なのか?」
最後の意識で覚えているのは看病に疲れた姉の顔だったはず。
いま目の前にあるのは、その姉とは似ても似つかぬ姿の美しい女性の姿だ。
「ちょっと違うというかその手前です。不幸にしてあなたは病気で死んでしまいましたが、生前の行いから生まれ変われるチャンスを差し上げましょう」
なんだこれは。もしかして天使なのか。
「それであればぜひお願いしたい。もう一度ポーランドの地に生まれ変わらせてくれ。私にはまだやり残したことが……」
「えーっと場所と年代はランダムです。それに性別も。あとそうそう……」
その存在は、神々しい微笑みを美しい顔に浮かべた。
「残念ながらチートは売り切れです。でもあなたには必要ないですよね」
― side 七瀬澄音 ―
気が付いたら私は階段の踊り場に転がっていた。
「痛っー、落ちたー!」
どんな落ち方をしたのか、周りの人が唖然として見ている。
無茶苦茶恥ずかしくなってきた。
「大丈夫です! 大丈夫ですって!」
ちょっと頭を打ったみたいだけど、とりあえず大丈夫みたい。
ピロン、ポロン ♬♪
丈夫に生んでくれた両親に感謝しているところで、さっきより大きな音でショパンの旋律が聞こえてきた。
そうだ思い出したよ、待ち合わせだったんだよね。
それにしてもなぜかは知らないけれど、ピアノの音のほうへと歩く私の腕がさっきからピクピク動くのがちょっと気になってる。
私がストリートピアノの場所にたどり着いたとき、ちょうどその演奏が終わったところだった。立ち止まって聞いていた人々がまた動き始める。
そしてピアノを弾いていた女性が立ち上がると、友人と思われる数人の大学生ぐらいの人たちが集まってきた。
見た感じ、近所の音大生っぽい。
「うわー緊張したー」
「よかったよー」「うん」「大丈夫だって」
どうやら度胸試しだったみたいだ。
さっき彼女が弾いていたのはショパンの練習曲でも易しい曲なんだけど、こんな人前で弾くとなると緊張するだろう。
少なくとも私には絶対できないよな……
「澄音、待ったか」
その声に振り向いた私を見ていたのは、そこにいたのはいつもと同じ優しい目。
「大丈夫、いま来たところです。誠司おにいちゃん」
優しいのはいいんだけど妹でも見てるような顔なんだよな。そこが私にはいつも不満だったりする。でも中学生と高校生じゃしょうがない。この年頃の三歳の差は大きいのだ。
だけれども、私が大学生になるころには……
ピクン、 ピクン
なんだかさっきから腕が動くんだよな。なんでだろう。
「なんだ、澄音も弾きたいのか?」
「そんなの絶対無理です!」
まずスキルが絶対的に備わってないし、そもそもこんな人前で演奏する度胸など私にはない。
私がそんな会話をおにいちゃんとしているところで、立ち去ろうとした音大生が鞄を落とした。
譜面がコンコースの床に散らばり、その一枚、とあるピアノの譜面が、私の足元まで風に乗って流れてきた。
あ、これは……
動画で一度だけ聞いたことのあるこの曲は、たった二分の長さだけれどショパンの練習曲の中でも最高難度を誇る、
エチュード 第十番 Op.10-1 ハ長調
もちろん間違っても中学生の私が弾けるような曲ではない、
のだけれど……あれ、足が勝手に……
いつの間にか私は、コンコースに置かれたストリートピアノの前に座っていた。
「あの子、弾くみたいよ」
「中学生ぐらいかな。度胸あるね、ちょっと見て行こうよ」
さっきの音大生たちが立ち止まって私を見ていた。
そして誠司おにいちゃんも興味深げな顔をしている。
私はこの場から逃げ出したくてしょうがないのに、身体が言うことを聞かない。左右の腕が勝手に持ち上がると、目の前のピアノの鍵盤の上に置かれる。
そして…………、最初の音がコンコースに響いた。
右手が流れるように動き、左手が力強く和音を奏でる。
私はなにもしていないのに。
なんなの、これ……
私の目の前のピアノからコンコースに流れていく超高速のアルペッジョ。
何もしていないのに自分の両手は勝手に動き、力強くそして流れるような旋律を奏でていく。
生み出されるその音色は、遠い異国の街並みを思い起こさせてくる。
そしてその旋律は、なぜだか懐かしく心に染みわたってきた。
なんでだろう。
この曲って、練習曲なのに。
そんなことを考えている間も、私の両手はありえない速度で鍵盤上を跳ねまわっていく……
たった二分の演奏が終わった時、私の周りには人垣ができていた。
さっきの音大生たちも、ただ呆然と私を見つめて立っている。
人通りの多い駅のコンコースなのに、周りの人たちはみんな黙って立ったまま声も立てていない。
「誠司おにいちゃん、あの、えーと」
おにいちゃんもまた、宇宙人を見るような目で私を見つめていた。
どうしよう…… えーっと……
「あのー私、何かやっちゃいましたか?」
― 第2話に続く ―
――――― 解説 ―――――
これはですねチートなし転生なんだけど、過去の実在の偉人が現代日本に転生して実質チートという方向性で作れないかと考えてみたものです。
ざっくり言うとヒカルの碁とか、パリピ公明みたいなやつです。
そこで誰を転生させるかですが、現代日本なので戦闘系スキルは使えないし小説のストーリーを考えると短期間で勝利する必要があるから絵画芸術系はつらい。かといって書道や料理は表現しにくいし、となるとやっぱり音楽系かなと思ったわけですよ。
音楽ならメジャーさと遍在性でピアノだろうしならショパンかリストあたりかって感じですがまあショパンですよね普通。マニアはいろいろ言うと思いますが素人が分からないの駄目だし。
ということで、ショパンの乗り移った中学生の女の子をヒロインに、絵がうまいんだけけれども天才というわけでもない高校生の男の子と合わせてダブル主人公にして、アーティスト同士の嫉妬と葛藤と恋愛を絡める感じで考えてみました。ヒロインはですます調です。いいよね!
ちなみに音楽についてはこの話はwikipediaとyoutubeだけで書いたので突っ込まないでください。よろしくお願いします。
では次回、第4回に続く予定。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます