第2章「再起へ至る谷底/ヴォイドフレーム・フェイタルイーター」

第10話「穴の底にて/コールドエッジ」

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 ——かくして、一つの戦いが終わった。

 勝者は残り、敗者は消える。

 この戦いの結末は、単純なものだ。


 ——ふざけるなと、君は叫ぶ。

 叫び続けて、そして君は——

 ——果たして、明確な答えは出せたのか?


 ——出せたとして。

 出した上で、君はどうする。

 向き合った上で、君はどう立ち上がる。


 どうあれ君は、今は谷の底にいる。

 己が選択の先にあるものと直面して君は。

 ——君はどう、再起する?




第2章『再起へ至る谷底/ヴォイドフレーム・フェイタルイーター』




 ◇


 深夜。芸都の市街地を走る一台のパトカー。通常の警邏コースではあるが、今は別の一件——謎の連続失踪事件——の捜査も兼ねている。

 いや、


 たった今、無線を通してその捜査が打ち切られた。——


 突如無線で告げられたその内容は、どこまでも唐突で不可解で奇妙なものであったが、誰も口を出せなかった。何か、何者かの意向がとしか言いようがないものであった。


 ——異様な転調により、芸都には平穏が戻る。

 それが偽りのものだと断言することができるのは、札闘士フダディエイターのみであった。


 ◇


 ——週が明けた。雨。雨雨雨、雨。

 時刻は、おそらく午前5時ごろ。どんよりとした雲の上は、今は見えない。ここ数日は、太陽をろくに拝んでいない気がする。


「…………」


 いや実際その通りだった。布団に顔を埋めながら、数日前の出来事アリカの死を数分ぶりに思い出し——、思い出し——


「——はぁっはぁっ、は……ぁぁ……っ……」


 呼吸が乱れて、声にならない嗚咽を漏らして、布団から顔を出すと、そこには——


 ——無表情のアリカが私を見下ろしている幻覚だとわかっていてもような気がしてそれでも私は怖くて、また私は布団の中に潜り込んだ。


「……ごめん……ごめんなさい……ごめんアリカ……私、私……」


 私以外部屋にいないのに、それでも声は詰まって、でも言わなくちゃいけなくて——


「……死にたくなくて、あなたを殺した」


 今日もまた、ろくに眠ることもできず、私はここ数日と同じく、ベッドの中でうずくまるしかなかった。


 窓の外——ベランダにはカラス。窓ガラスの反射や外の色と混じって、少しだけ青く見えた。

 咥えているのは虫だろうか。たぶん昆虫なんだろうけど、それが一瞬、黒い花に見えて——


「許して……許して……アリカ……ぅ、ぁぁ……」


 私は今日も、枯れた涙を流していた。



 週明けの学校。神崎カナタは、普段どおり登校していた。何事も変わりなく、非日常ですら俺としてはそこまでの異常ではなく、異常なのは俺だけであり、こうして途切れることなく思考を続けている今でさえ、やはりどうしてか月峰カザネの顔が浮かぶのだった。


 ——どうしたことだ? よくわからない。俺の感情など、そもそも自分でも判然としない程度には常に包み隠されているのだが、先週からどうにもこのような心理状態にあった。クラスメイトのダイゴは博識なので、案外訊ねたら良い答えが返ってくるかもしれない。


 ——しかしである。月峰とは2年生の時去年も同じクラスであった。それから今に至るまで、俺の心にこのような動きはなかった。謎である。では俺は一体、月峰の何に感情を動かされているのであろう。


 そのようなことを思案しながら教室に入ると、


「おい神崎お前……っ!

 良い加減月峰さんの様子を見に行ってやれよ……!!」


 俺の机がすでに、クラスメイトの男子たちに占拠されているのを目撃した。


「聞いてんのかよ神崎……!

 お前っ……月峰さんたぶん泣いてんぞっ!

 俺らですら白咲さんが行方不明なの辛いってのに……お前っ……!」


「俺が言うのもなんだが、ここで会長の名を出すのも良くない気がする」


「——! ……それもそうだな、すまん」


「いや、俺に対しては別に気にしなくて良いんだが」


 ——察するに。男子たちは俺と寸劇を繰り広げることで、教室の雰囲気を少しでも明るくしようと努めたのだと思う。

 今先頭に立って俺に(演技込みで)突っかかってきているノブヒコがそういう人間であることは俺にもわかっていた。


 ただ実際、校内で——それもクラスメイトが行方不明事件に巻き込まれたとなると、普通ならこのように重苦しい空気になるであろうし、それを少しでもなんとかしようと奮闘したノブヒコがからまわる程度には動揺していることもまた、何らおかしくなかった。


 ——おかしいのはきっと、俺の方なのだろう。


 こんな状況になって尚、札伐闘技フダディエイトの今後を考えている俺こそが、おそらくは逸脱した存在なのだろう。


 だがきっと、札伐闘技を勝ち抜くことでしか、俺の空虚は埋まらない。俺という人間が、真に何を求めているのか。何のために日々を過ごしているのか。この18年で何一つわからなかった今、この儀に勝利することで、それを見つけ出さねばならないと——そうでもしないといつまでも空虚のままだと。そう俺は思わざるを得なかった。


 などと思案している内に、先ほどの会話から一つの疑問が浮かんだ。


「ところで、なんで俺が月峰に会いに行かないのか訊かれたんだ? 俺だと何か起こるのか?」


 純粋な疑問だった。非常にプリミティブな、心からの疑問であった。のだが。


 なぜかノブヒコたちの顔は困惑のそれだった。なぜだ。


「神崎お前……逆にすげぇよ。でも通らねぇよそれは。お前先週あんだけ月峰さんと一緒に行動しててそれはねぇよ。あれで付き合ってなきゃ嘘だろ」


「じゃあ嘘になるな。付き合ってないからな」


「……ってんだよ……。

 どうなってんだよ……お前の距離感……っ!」


 ノブヒコは泣きながら俺の両肩を掴みながら、


「でも俺らじゃきっと月峰さんの心を癒やせねぇ! 悔しいが神崎! お前が持ってってやれ……配布物とか提出物とかをよ……!!!」


「いやそれ女子じゃダメなのか? 月峰の友だち、同性にもいるだろう」


 別に会長だけが友人というわけではないことぐらいは知っている。そのためその方が良いと思ったのだが——


「それがさー。ウチら数人で行ったんだけど、やっぱちょっと難しそうでぇ。カザちゃんだいぶ参ってるみたいでさぁ。パパさんなんて喫茶店休んでまで気にかけてるみたいなんだけど、それでもほとんど部屋から出てこないみたいで——って、やば、あんまこういうこと言わない方が良いよね……ごめん」


 穂村さんたち数人の女子友だちでもダメだったらしい。なるほど、じゃあ尚更じゃないだろうか。


「それはもう俺の管轄外なんじゃないだろうか。本当に俺が行ってなんとかなる話なのか?」


 俺からすれば当然の問いを投げるのだが、それをすかさずキャッチしたのがダイゴであった。抜け目がない。この男が札闘士フダディエイターでないことを祈るばかりだ。


「それなんだけど、そんなつもりではなかったにしろ、僕はこの目で見たんだ。18日木曜の晩、君が月峰さんをバイクの後部座席に乗せて家まで送っているのを。もちろん偶然だよ。僕はほどほどに月峰さんのご近所さんだからね」


 見られていたのか。なんらかの引き寄せ能力でもあるのかと言いたくなる。本当に札闘士でないことを祈るしかないな。この引きで逆転のカードを引かれたらたまったものではない。

 ——とはいえ、俺が返す言葉はすでに決まっていた。ただの一言、こう返すだけだ。


「それがどうした」


 見られたからと言って別段気にすることもない。ただ一言で突っぱねるだけだ。なにしろ決定的な説得力には至っていない。俺が月峰の自宅へ行くことの強みがわからない以上、議論の無駄に感じたのだ。

 だが、ダイゴはそれでも盤面を捲り始めた。


「君がどう思っているのか、そして月峰さんがどう思っているのか。それはもちろんわからないさ。

 だけど、ちょっとした推理をすることぐらいならできる。

 考えてみなよ。状況がどうであれ、君のバイクでタンデムすることを良しとした時点で、おそらく彼女は君にそれなりの信頼を寄せている。尚且つ家までの送迎を任せたわけさ。そして、翌日から彼女は登校してきていない。

 そして、生徒会長の行方不明が僕たちに伝えられたのは金曜の朝。

 加えて言えば、月峰さんは会長の親友、これでピースは揃ったね」


 やや大袈裟に両腕を広げながら、ダイゴは続ける。


「月峰さんと君は、あの時点で既に会長が家に帰ってきていないことを知っていたんじゃないかな? ああもちろん犯人だとは言わないよ。もう犯人は死んだそうだからね。

 けれど月峰さんは会長の幼馴染でもある。なら会長の家族から失踪について何か知っていることを電話か何かで訊ねられた可能性もあるわけだね。

 そして月峰さんは事件との関係に気づき、ショックを受け、そばにいた君が彼女を支えて家まで送った——という、ちょっとした推理なんだけど、どうかな?」


 こいつできるな、素直に思った。


「概ね正解だな。煽りでもなんでもなく、探偵にでもなったらどうだ?」

「そう言われると光栄だね。でもまあ内容が内容だから、あまりふざけずに言うけど——

 ——要はさ、神崎くん。君は、そんな状況の月峰さんが心を許した相手である可能性が高いんだ。

 ここまで言えば、君に白羽の矢が立ったことにも納得してもらえるかな?」


 ——むしろこれ以上の反論は、傍目に見れば俺がごねている様にしか見えない。そう思ったため、俺は提案に承諾して、放課後に月峰家へ向かうこととなった。


 ◇


「いや、助かるよ。私としても、月峰さんが気兼ねなく会える子の方が良いとは思っていたからね」


 放課後、月峰に渡す諸々を受け取りに、俺は担任の吉良ヒラカズ先生の仕事机まで来ていた。


 吉良先生は齢40と聞いているが、白髪もほとんどない黒髪で、年齢よりも若く見える。本人は「もうオジサンだよ」と度々口にしているが、俺でさえ(冗談で言ってるのだろう)と思うほどだ。


 担当科目は社会科——特に世界史・日本史——で、淡々とした口調ながらも、不思議と頭に入ってくる声色であった。


「一式持っていけば良いですか?」

「そうだね。可能であれば、月峰さんと会話もしてきてほしい。別に登校を催促する必要はないけど、クラスメイトとの会話は、おそらく彼女のメンタルにとっては良い影響を与えてくれると思う」


 ——生徒をよく見ている。そう思った。生徒にも様々なタイプがいるだろうが、実際、月峰はどちらかといえば社交的で、隙あらばクラスのドカ沸きに乗っかるタイプだ。

 今の彼女にとってはそれが苦痛になる可能性がないでもない、だが、事情を知る俺ならば或いはなんらかの励みにはなるかもしれない。


 吉良先生がどこまで想定しているかはわからないが、いずれにせよ状況と生徒に合った采配であるとは思えた。


「わかりました。善処はしてみます」

「ああ、よろしく頼むよ」


 俺自身よくわかっていなかったが、不思議とやる気のようなものが噴き上がっているのを実感していた。やはり俺のこの感情は月峰由来のものらしい。


 であれば、願わくば——


 ——願わくば、月峰との会話で、俺のこの感情の正体も明らかになってほしい。

 紛れもない本心で、俺はそう感じていた。


------------

次回、『谷底にて/黒き森の旅人』

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