第11話「谷底にて/黒き森の旅人」
「——はい。ん、学校の子か。
来てくれて嬉しいが、知ってるとは思うけど、カザネは今な……」
「神崎と言います。無理にとは言いません。俺は最低限、学校からの頼まれ物だけでも渡せればそれで構いません」
雨が降る中、俺は月峰の家まで来ていた。ここに来るまでの間に多少はクールダウンできたようで、先刻までのよくわからない衝動のようなものは落ち着いていた。ゆえに、月峰に会えないとしても、そこまでもどかしい思いをすることもなさそうだ。まず何故俺はそんなもどかしさを感じているのかが不明瞭なのだが。
と思案していたのだが、月峰の父親は考え込む素振りすらなく俺を家の中へ招き入れようとしていた。
「ま、とはいえこの雨だ。お茶ぐらい飲んでってくれ」
自然な流れでリビングに通された俺。断ることもできただろうに、俺は何をやっているのか。
別にそこまでお茶なりお菓子なりを食べたかったわけでもなく、特別、月峰の父親と話したかったというわけでもなく、なら俺は一体何がどうしてこうなっているのか。自分でもわからない。本当に、こんな日々は初めてだった。
「ほうじ茶とカステラ、結構合うと思うんだよ俺。神崎くんはどうだい?」
「そうですね、ほうじ茶のほんのりとした苦味とマッチしているとは思います。わざわざありがとうございます」
「いや良いんだよ。先週も友達が来てくれてたんだけどな、カザネ出てこれなくてさ。……まあアリカちゃんが行方不明ってのはな、堪えるよなとは思う。嫁もタイミング悪く遠方に出張してるしな、状況が状況だから、どうにもカザネを一人にさせらんないしな。今一人にすると……いや、やめようかこの話は」
やけによく喋るな、俺はそう感じていた。元々フレンドリーな性格であろうことは察せられるが、それはそれとして今の会話は矢継ぎ早に捲し立てるかのように続いていた。
——無理もないだろうが、月峰の父親も誰かに話を聞いてほしい心理状態なのだろう。
俺がこのまま話を聴くのも悪くはないだろうが、ただこれは根本的な解決にはならないだろう。やはり、言うだけ言ってみるべきか。
「……すみません、やはり俺としては
「君——」
我ながらいつになく歩み寄るな、と思っている。おそらく眼前の月峰父よりも思っている。自分の行動が自分で信じられないぐらいなのだ。だがいずれにせよ、月峰をこのまま放置するのは得策ではない。この状態で札闘士が月峰の家に来た場合、彼女に戦う意志がなくとも——
——彼女が死ぬ気でいた場合、ただその一心で戦意を奮い立たせて札伐闘技に応じるかもしれない。
そうでなくてもあまり時間をかけすぎると今度は
どうにも俺は、そこに謎のざわめきを感じている。俺の感情の異常は、そのあたりの何かしらに起因することのようだった。
——と。月峰父が「少し待っててくれ」と言った後、2階へ上がって行った。どうやらドア越しの面会——その交渉に向かったようだ。俺にしては珍しいわがままのような提案だったが、彼女の父親はそれに応えてくれたようだった。
ありがたいが、初対面の男である俺のどこをそんなに認めたのだろうか。そこら辺は謎のままだった。
しばらくすると、月峰父が降りてきた。その表情は、どちらかといえば「呆気に取られた」という形容が当てはまるものだった。
「……驚いたことに。カザネは君なら部屋に入って良いらしい。
父親的には複雑だったり色々心配な部分もあるが、背に腹はかえられん。それに、」
小さく笑みを浮かべながら彼は続けた。
「さっきの君の目も、本気でカザネと会いたそうだったからな。俺が偉そうなことを言うもんでもないが、必死ささえ見えた。だから、俺は君を信じることにするよ」
「——そう、ですか。ありがとう、ございます」
「ああ。あーいや、むしろこちらこそ、娘の助けになってくれてありがとうな」
——必死? 本気? 俺が? わからない。
わからないまま、それでも俺は月峰と対面することを決めた。
——1人で部屋に入る。そこには、
電気の消えた部屋、その窓際のベッドの上で布団に身を包んで座り込んでいる——今まで見たことのない月峰カザネがいた。
「…………」
特に話しかけてくるそぶりもない。俺からは言うことがないでもなかったが、それらは札伐闘技絡みの話ばかりで、時間が惜しいとはいえ、今の彼女にいきなり話すことでもないだろう——そう思い口に出すことは控えていた。
数分、数十分、外ももう暗くなった。それでも別段、会話は発生しなかった。彼女は相変わらず布団を被ったままで、俺の変化は精々床に座り込んだぐらいだ。
視線すら合っているのかわからない。たまには合ったかもしれない。俺は俺で所在なく目を泳がせたりもしていたので、もしかするとほとんど互いを見ていることすらなかったかもしれない。
——それでも、不思議と無駄な時間だとは思わなかった。
とはいえ、もう2時間近く経とうとしている。俺は別に構わないが、彼女はもう少し本格的に休んだほうがいいだろうと感じた。
ゆえにそろそろ帰るか——そう思い立ち上がった時、
「——明日も、きて。
明日はたぶん、たっ、たぶん、はな、話せると思、おもう、から」
声を震わせながら、月峰がそう言った。
——正直なところ、札伐闘技のことも気にかかる。あまり期間を空けずに、迅速にことを進めたい。明日は他のクラスメイトに任せよう。俺はそう思い、
「わかった。明日もまた、この時間に来よう」
正反対のことを口にしていた。
それから数分のことを、俺はあまりよく覚えていない。異常だ。俺が動揺するなどと。
◇
帰り道、あまりに不可解な心理状態の俺は、このままバイクに乗ると事故する可能性がかなり高いだろうと考え、バイクを押して帰路についていた。月峰邸で夕食の提案があったような気もするが、たぶん断った。さすがにそこまで世話になるのは迷惑になると考えたのだ。たぶん。
そのような心境で人気の少ない街路を歩いていると、街頭の下に佇む見知った大人の姿が見えた。倫理の授業を担当している沖田教諭だった。彼は俺に気づくと、俺が会釈するより早く近寄ってきて
「——長い逢瀬だったが、空虚は満たされたか?」
ただそれだけ言って、立ち去ろうとした。
「先生。今の一瞬で聞きたいことが山ほど増えた。
——今のは、どこまで知ってのことだ?」
俺の問いに沖田教諭は「フ」と笑い、
「——心配するな。私も教え子たちが気にかかるだけだ。特に月峰にはまだ死なれては困る。おれが大変なことになってしまうからな」
そう言って、沖田シゲミツ——お前は本当に帰路につくのか?
俺はいつになく興奮していた。原因不明、いや、これも月峰絡みか? わからない、だがそうとしか考えられない。このまま沖田教諭を放置すれば、月峰はどうなってしまう? 心配するなと沖田教諭は言ったが、俺は、俺は——
——俺は。それを信じるのがどうしようもなく怖い。
ここままでは月峰を見捨ててしまうような、そんな心境が俺の裡で萌芽して——
「……待て。沖田先生。
——俺と
「——ほう。その空虚は満たされたか?
おれはまだだと言うのに」
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次回『願望騎/星に願いを』
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