第2話 嘘をついた人の色

「久しぶりだな、ジン。元気か?」

「元気だよ、親父は相変わらずキメてるね」

 母親と2人で暮らしている俺は、半年に1度離婚した親父とご飯を食べに出かけている。どっかの会社の重役を任されいるらしいこの人は、いつもきれいなスーツを着着こなしている。俺の中では良い人のイメージしかないのに、昔はかなりヤンチャだったと母親は言う。今の姿からは考えられない。

「今日は何食う?何でもいいぞ」

「え~じゃあ中華」

 基本的にはショッピングモールのレストラン街でお店を決めている。毎回俺の食べたい店を選ばせてくれるので、中華か焼き肉の2択になる。

「大学は慣れたのか?」

「それなりだよ。でも新しいことばっかで楽しいし、何より自由が増えたことがうれしい」

 高校のころは部活ばかりで、大学生になってようやく始めたバイト。お金の自由も時間の自由も増えて、大学生活を楽しんでいる。

「彼女はできたのか?お前の容姿ならモテモテだろ」

「親父の遺伝のおかげでありがたくモテモテになりましたけど、彼女は居ないよ」

「そうなのか?」

 心底驚いている様子。モテたとて好きじゃない相手とは付き合えないよ。

「でも気になってる子はいるよ。まだ喋ったことないけど。めっちゃ可愛いんだけどみんなの高嶺の花過ぎて中々話しかけらんないような子」

「お前でも無理なのか…それは手ごわいな」

「親父は俺のことを何者だと思ってんのさ」

 次に会う時に、何かしら進展していればいいんだけどな。




 いつも通り、俺はみんなと昼ご飯を食べていた。ユウカの恋愛相談を聞きながら。恋愛相談というより、もはや紹介してくれと言うお願いを聞いているようなものだな。

「知り合いにイケメンのフリーな人いないの?」

「残念ながら俺の友達は彼女持ちが多い」

「なんでよ~…カノンちゃんは?…あ、いや待って、カノンちゃんの知り合いのイケメンでフリーな人が居ようもんなら多分カノンちゃんに惚れてるから望み薄そう。うん諦める」

「えっ、なんで⁉」

 藍染さんの返事を聞くまでもなくユウカは現実に向き合って諦めていた。

「イケメンでフリーな人ならうちの学年にもいるじゃん?ジン君」

「あぁ、確かに。あれは本物のイケメンだもんな。俺連絡先知ってるけど、教えていいか聞いておこうか?」

「いいや!あれはハードルが高すぎる!無理!…しばらく出会い諦める」

 ジン君。と言うのは同じ1回生の中で真のイケメンとして有名な奴。顔も性格も良く、あらゆるところでモテているジンとは、実は高校が同じだった。めちゃくちゃ仲が良かったわけではなかったが、1年の時に同じクラスで、そこそこ話す仲だった。

「そんなに有名な人がいるの?」

「カノンちゃん知らない?金井ジン君。ほらめっちゃイケメンじゃない?」

 どうして写真があるのかは分からないが、ナホがスマホの画面を藍染さんに向けた。キメている訳でもないのに無駄にイケメンの雰囲気が駄々洩れている。羨ましい限りだ。

「…確かにかっこいいね。でも私は黒岩君と白井君の雰囲気の方が好きだけどなぁ。なんかこう、あったかい感じがするもん」

 そういって何事もなかったかのようにうどんを食べ始めた彼女。この発言に、俺もハルトも目が点になった。

「…ハルトとダイ。耳赤くするな、ずるいよだるいよ」

「うるせぇ…こんな美女に褒められたら誰でもなるわ!」

「…だな」

 ユウカに指摘されたが、いや誰でもドキッとするよ?と言いたくなる。いつも女子2人だって藍染さんにメロメロになってるじゃん?これは恋心とか関係ない話だ。

「まぁでも、ジン君は現実的じゃないもんね。話すことが出来たらラッキーくらいの感覚だもん…あれ、誰か携帯鳴ってない?」

「…あ、私だっ。ちょっとごめんね」

鳴っていたのは藍染さんの携帯だった。電話だったらしく、少し離れた所で話し込んでいた。

 今日もバイトの日だったので、3限が終わったタイミングで藍染さんと合流する予定だったが、講義が終わったタイミングで今度は俺の携帯に彼女から電話がかかってきた。

「もしもし?どうしたの?」

「ごめんね急に。今から急ぎの用事が入っちゃったから、このままそこに向かわないといけなくなったの。だから先に会社に向かってて欲しいんだけど…宇瑠間は会社に待機させてるから、申し訳ないんだけど今日だけ電車でお願いしてもいい?私も終わり次第すぐ行くから!」

「そうなんだ、うん分かった了解。全然大丈夫だよ!」

「ありがとう、じゃあまたあとでね」

 働き始めて5カ月が経つが、こんなことは初めてだった。今日の昼間の電話がその要件だったのだろうか…。ずっと宇瑠間さんの車で行っていたので、俺は初日ぶりに電車で会社へと向かった。


「おはようございます、」

「…あ、おはようございます白井君。すみません急に電車でお願いしてしまって、」

「全然大丈夫ですよ」

 藍染さんの居ないこの部屋はすごく違和感がある。そして何より、宇瑠間さんの周りに漂う空気が少しピリついているように思うのは、気のせいなのだろうか。特に苛立って物に当たったり語尾がキツくなったりとかは無い。むしろ逆で、怖いほどに何事にも丁寧すぎるようにも感じる。2時間くらい普段通りの書類整理をしていると、突然宇瑠間さんが慌ただしく出て行った。何かあったのか?

 そこから20分程帰ってこなくて、変に心配になってきた俺はそっと廊下に出てみた。エントランスの方へ少し歩くと、元来た方から宇瑠間さんに声を掛けられた。

「すみません白井君、もしかして仕事終わりましたか…?」

「あ、はい終わったのは終わったんですけど、宇瑠間さん慌てて出て行ったきり戻ってこなかったので心配になって」

「そうでしたか…すみません。カノン様が戻られたので、迎えに行っておりました」

 あぁ、そういう事だったのね。でも肝心の藍染さんが居ないんだけど…?

「カノン様は今日はこちらへは来ないようです。もう1つ仕事を預かってきていますので、それが終わり次第上がって貰って良いとのことでした」

「そうなんですか…?分かりました」

 藍染さんに会わずまま仕事を終えることなんかなかった。何か、すごい違和感を感じてしまう…。宇瑠間さんは相変わらず難しい顔をしていたので、深く追及するのはやめておいた。




「白井君!昨日はごめんね…」

 翌日、藍染さんとは4限の講義しか被っておらず、講義室で俺を見つけると駆け寄って来た。

「大丈夫だよ?藍染さんこそ忙しいみたいだけど、大丈夫?」

「うん平気っ。ありがとね」

 明日のシフトからはいつも通りだから安心してね!と念を押され、彼女はいつも座っている席へと向かった。今日はバイトのない日だから、ハルトと学校帰りに寄り道でもしていこうかという話になっている。前に誘われていた駅前の百貨店が目当てだ。

「ハルト行こうぜ」

「オッケー。あそこ行くだろ?駅前のところ」

「そうそうめっちゃ行きたかったけどさ、1人じゃ入りづらいから」

 ずっと俺はそこに服を買いに行きたかったのだ。ちょっと気になっているブランドがあって、行ってみたかったんだけど、入ったら買わないといけない雰囲気にのまれてしまいそうだったからハルトを誘っていた。大学の裏門の方が近いので、いつもとは反対方向に歩き出す。

「…あれ、」

「どうした?」

 少し離れた所に、藍染さんらしき人が見慣れない車に乗っていくのが見えた。宇瑠間さんの車ではないし、ここは待ち合わせ場所とは反対方向。

 …じゃあ誰の車に?

遠目だったし、服の形が似ていただけの理由で藍染さんと決めつけるのは違うな。

「いや、なんでもねぇ。行こ」

 歩く途中で1度振り返ったが、もう既に車はいなくなっていて、そこまで不思議なことでもないと気にも留めなかった。

 そして次の日、藍染さんは珍しく1限目を寝坊していた。




「珍しいね、寝坊とか」

「んへっ、宇瑠間が起こしてはくれたんだけどね~…。睡魔に負けちゃった」

 大学終わりの宇瑠間さんの車の中で、藍染さんと久しぶりにちゃんと話した気がする。寝坊したことを聞くと、少し恥ずかしがっていた。寝坊の話が出た途端、昨日と同じく宇瑠間さんの周りがピリついたので、これ以上は聞かないでおいた。ただ、こういうところを見ると同じ人間なんだと安心するし、彼女でも欲に負けることがあるのだと知れて親近感が湧いた。

「今日はね、白井君にちょっとした会議を見学してもらおうと思ってるの。会議っていうか、色んな人の意見を聞く場って感じなんだけど」

「えっ、そんなところに俺いていいの?」

「大丈夫!」

 そういわれていたけれど。連れてこられた会議室は次第に大人たち6人ほどが集まり、皆さんホッチキスで止められた資料を持っている。

「では始めましょうか」

 藍染さんの隣にいる女の人が色々と話を進めていて、ホワイトボードに何やら紙を張り出している。

「…すげぇ」

 張り出されていたのは、10枚のウェディングドレスのデザイン画だった。何でも、これら全部藍染さんが書いたものらしい。色も付けられているようだが、俺の目はしなやかなデザインの〝線〟に釘付けになっていた。流れるような多くの〝線〟が俺の興味を掻き立てていく。

 …そういえば、俺が服を好きになった理由が、〝線〟だったなぁ。と昔の記憶を掘り起こした。

 会議の内容としては、パンフレットに掲載するデザインの絞り込み。最終的には6着にまで絞られて、今日の会議は終了となった。俺はと言うと、藍染さんの後ろで決定事項や変更点などをまとめてパソコンに打ち込む、という作業をしていた。

「お疲れ様っ」

「お疲れ様…凄いね、あれ全部藍染さん描いたんでしょ?」

「まぁね。でもまだ完成形じゃないから、色々修正するところいっぱいなの」

「これでも十分綺麗なのに…」

「…白井君の目が色んな色してる。本当に服が好きなんだね」

「えっ?」

 時々彼女に言われる色の話。未だ分からないことだらけだが、どう見えているのだろう。

「宇瑠間に、私の色の見え方についてそろそろ白井君に話してもいいんじゃないかって言われたんだけど、このウェディングドレス達が完成した時にでもって思ってたから、もうちょっとだけ待ってね?来月ぐらいかなぁ」

「分かった…どういうものなのかだけでも聞いていい?いろんな人たちから楽しみにしててね!とか、ふわっととか聞いてるけど、全く予想がつかないんだよね。ただ気になってしょうがなくて」

 そういうと、彼女はそうだねぇ…と考え込んだ。

「あんまり信じてもらえないかも知れないけど、私に見えている色が白井君に見えるかもしれないんだよね。色盲の人とまだであったことがなかったから、何とも言えないんだけど…」

「色が、見えるようになる?」

「詳しく言うとね、」

 藍染さんが椅子に座るように促してくれて、さぁ本格的に話を聞くぞ。となった時、会議室の扉がノックされた。毎度毎度、俺を焦らすかのようなタイミングで話を中断されている…。

「失礼します。カノン様、パンフレットの件で先方からお電話が入っております」

「…あ、分かりました。すぐ折り返すと伝えておいてください。…ごめん白井君、話はまた今度詳しくするね。いつもの部屋の隣に宇瑠間が居ると思うから、今日の仕事内容聞いて進めといてくれる?」

「了解」

 今日の資料をガサッとまとめ、藍染さんは走って部屋を出て行った。後ろを振り返ると、まだデザイン画がすべてホワイトボードに貼られていたので、俺は少し眺めていた。

「色が、見える。ねぇ…」

 深くはまだ聞いていないけれど、藍染さんの色が見えるというのは、常識の範囲外の力なのではないかと思い始めていた。ドレス達が出来上がるのが楽しみだ。





「カノン」

「なに?」

「ちょっと根詰めすぎだぞ。焦るのもわかるけど少しは気を抜くことも考えないと」

「そうなんだけど…」

 ウェディングドレスの製作にかかってからのカノンは、必死になりすぎているように見えた。早く白井君に色を見せたいという思いが強いのだと思うのだけど…ただでさえ完璧主義というか、妥協を許せない性格だから、常に頑張りすぎてしまう癖がある。本人は理解しているつもりのようだが、放っておくわけにはいかない。これまで何度様子をうかがっている間に体調を崩したか分からない。協調性があるにもかかわらず、頑固なのだ。

「はい1回手を止める。仕事だけじゃなくて学校もあるんだぞ?そこまで焦る必要ないだろ?それに、大学で俺は一緒に行動できないんだから、何かあってもすぐに助けられない。俺が心配する理由わかるよな?」

「うん、わかってる。今日はここまでにする」

「よろしい。…で、これさっき白銀さんが持ってきてくれたよ」

「えっ!やったぁ!見せてっ」

 俺が見せた紙袋に手を伸ばしてくるが、簡単に渡すわけにはいかない。

「あんまり無茶をしない事。この前みたいに朝起きられなくなるくらい警察で目を使うなら俺は許可しないからな。それを約束できるならこれを渡す」

「…はい。気を付けます」

「ん、はいこれ」

 紙袋の中から出した品物を見たカノンの目が一気に輝いた。今回もレアなものだったらしく、あれが凄いこれが凄いと1人で喋っている。いつもの事なので特に驚いたりはしないが、知らない人がこの場面を見たら心配するだろうなぁ…と思うくらい彼女のテンションが上がっている。あまり賛同はしたくないが、喜んでいる姿を見ると何も言えなくなる。

「今回は5種類も入ってる!ねぇ見て!この微妙なラメの大きさの違い。青も入ってるんだけど、」

「…なんか違う?」

 俺には何が違うのか全く分からないけど、嬉しそうで何よりだ。




「なんか今日、ダイ雰囲気違うね」

「髪型もにおいもいつもと違うよな」

「においとか言うな、香りって言え!香水変えたからな。この服いつも着ないような雰囲気だから、髪型も変えてみた」

 今日着て来た服は、この前ハルトと駅前の百貨店に行ったときに選んでもらった物だ。普段の俺は基本的にモノトーンの物しか選ばない。俺でも確実な色の判断のつくものなので、間違いがないからだ。でも、その日はコーディネートをハルトに任せて選んでもらったので、色の入った服装になった。親父もセンスがいいと言っていたので、間違いないだろうと安心している。

「ダイって、めっちゃお洒落だよね…なんか今更になって思い直したわ」

「確かに…近くにいすぎてあんまり気づかなかったのかもしれないけど、量産型とはまた違ったタイプでのお洒落だね」

「…なんかめっちゃ褒められてるんだけど。ありがとう」

 服を新調したら、全部の雰囲気を変えたくなって、髪型とか香水も一新してみたが、中々好評なようでよかった。

「ギャップでモテモテになるかもよ?…あ、カノンちゃん!おはよっ」

「おはよう!」

「おはよ」

 講義室に入って来た藍染さんに挨拶をすると、俺の方を見て少し固まる。…色の達人である彼女が見たとたんに止まられると少し心配になるんだが…

「ねぇカノンちゃんもびっくりでしょ!ダイ服と髪型でここまで変わるんだよっ」

「…あっ、白井君か!雰囲気違いすぎてだれか分からなかった…凄い良いね!似合ってるっ」

「ありがと」

 それなりに近くまで来ていたのに気づかれなかった…?俺そんなに変身したのかな。この時、これまでに気にしないようにしていた疑問がなぜか次々と思い出されて来た。目は悪くないはずの藍染さんが呼ばれた相手にすぐ反応できなかったり、顔と名前が中々一致しなかったり。苦手なことと言われればそれまでだが、一度気になり始めたら頭から簡単には離れてくれなかった。ただ、それを問いただす勇気はなくて、いつものように気にしない振りをするしかなかった。

「白井君、行こ?」

 本日もバイトの日。宇瑠間さんの車に乗り込むと、彼も俺の姿に驚いていた。

「白井君イメチェンですね、すごい似合っています」

「ありがとうございます」

 今日は色んな人に褒めてもらえて1日中むず痒い気分だ。悪い気はしないけど。会社につくと、今日も会議室へ直行した。すでにほかの人達は集まっていて、俺たちが到着するなり話し合いが始まった。

「お疲れ様ですカノン様」

「お疲れ様です!すみませんお待たせしました。始めましょうか」

 前回に引き続き、議題はカタログに載せるウェディングドレスについてだ。10着から6着にまで絞られたドレス達は以前より少しだけ様子が変わっていて、更に輝かしくなっていた。

「…で、こっちの生地なんですけど、」

「あぁ、そうですねその部分だけは変えた方が着心地もよさそうですね」

 よくわからない生地の名前や業界用語なのかも分からない言葉が飛び交い、会議内容をパソコンに打ち込んでいる俺は、画面に打ち込まれた合っているのかも分からないカタカナを眺めた。…そもそも漢字で書くものだったのかもしれない。大学の勉強をするよりも脳を使っている気がするし、自分の興味が向いている感じもする。親父にこの会社を紹介してもらえて正解だったかもしれない。よくわからないけれど、毎日どこかで何かがキラキラしているような、不思議な感覚を味わっている。

 今までの人生が決してつまらなかったわけじゃなかった。小さい頃は友達と公園で遊んだり、中学では部活に熱中し。高校では勉強に恋愛に青春、色んなことを楽しんで噛みしめて来た。全部楽しい思い出として残っている。それでも、ここ最近の俺は特に生き生きしているのが自分でもわかる。今まで見て来たモノクロの世界が1段階明るく見えるような気がするし、撮影があったバイトの日なんかは帰り道に鼻歌を歌いそうになって慌てて止めたくらいだ。

 確実に、藍染カノンという存在が俺の人生を変えてくれている。

「…白井君?おーい?」

「んぇ⁉ご、ごめん呼んでた…?」

「何回か呼んだんだけど、なんか難しい顔してたよ?」

「あぁ…業界用語多すぎて、この字で合ってるのか真剣に悩んでた」

「あははっ、そっか!大体で大丈夫だよ?で、呼んでたのはこれを触って欲しかったからなの」

 彼女が見せてくれたのは、本のように束になっているたくさんの生地だった。ドラマなどで見たことはあったが本物を見るのは初めてで、すげぇ…と思わず声に出してしまっていた。

「もし何かの出来事で衣装を着るってなった時、自分の着る衣装の内側がどんな生地だったら嬉しい?」

「え⁉どれだったらいいと聞かれても…」

「特に正解はないよ!自分が着てて心地いだろうなぁって思うものを選んでみてくれればいいの」

 渡された記事の束をパラパラとめくり自分なりに考えてみる。ここには藍染さんの他にも色んなスタッフの人が居るため、静かにこちらを見られるとかなり緊張してしまう。

「…内腿と脇の下って結構擦れるから、こういうなるべく滑る生地の方が良いのかな。あと首の後ろの…この背骨?の出っ張ってるところはどの服着てても気になる場所だから柔らかくて擦れているかどうかすら分からないやつがいい…と思うんだけど」

 説明し終わった後、周りの反応をうかがうようにゆっくり目線を上げると、皆さんがニヤニヤしていてどうしたらいいか分からず、藍染さんに助けを求めた。

「ふふっ、みんな中々いい線行ってるって思っている顔だよ!」

「…そうなの?でも素人目戦だよ」

「私の会社で働いてくれているんだから、アルバイトも社員もプロと同じだよ。実際うちで作った衣装の中に、その生地を内腿に使っている物もあるんだよ?」

 彼女はグッドサインを両手で見せてくれた。会議自体はすでに終わっていたようで、俺達のやり取りを見届けたスタッフさん達は、ぽつぽつと部屋を出て行った。…突然注目を浴びたからなのか、妙に疲れた。

「お疲れ様っ。緊張してたでしょ?」

「そりゃするよ!藍染さん達の前で自分の意見話すとか、心臓縮こまるって」

「ふふっ、けどいいセンスだったよ。服飾の仕事って、色がすべてじゃないの。もちろん使う場所は多いし無いと困るときもある。白井君の服は基本的にモノトーンだけど動きが綺麗だからとっても面白いの!白井君の強みは服の形だね。大学で会うたびに2色の色でこんなにもたくさんの色が出るんだっていつも驚かされてるの」

「…いつもの俺の服に色があるの?」

 カラフルな色の服を着るのは今日が初めてだ。白と黒の色からたくさんの色が出るというのは、いったいどういう事なんだろう…。

「それも含めて、来週話すね!ようやくドレスが全部出来上がるから、来週の土曜日楽しみにしててね!」





「カノン様、ドレスがすべて到着しました。今会議室の方に全て並べてあります。」

「あ、ありがとうございます!えぇ楽しみだなぁ。今日はオレンジのウェディングドレスを持って、白井君をあそこに連れて行こうと思っているんです。絶対あの場所にぴったりなものだと思うんですよね」

「確かに、お花と相性いいものですね。白井君に色が見えるといいんですけど…」

「大丈夫、彼の心は綺麗だから心配ないですよ」

「そうですね」

 土曜日の朝早くに荷物が届き、6着すべてのウェディングドレスが届いた。男の俺が見ても惚れ惚れする美しさと可愛さを兼ね備えていて、これを自分の主が作ったと思うととても誇らしい。日当たりのいい会議室に並べると、ラメとともにドレスが内側から光って見える。

「私は今日、お屋敷の大掃除がありますので、何かありましたら携帯の方にご連絡ください」

「分かりました。終わったらそのまま休んでいてもらって大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」



「…待ってすげぇ、」

 朝一に藍染さんから連絡があって、会社に着いたらそのまま会議室に来て欲しいと言われたので来てみたら、椅子や机などが取り払われて、見覚えのあるウェディングドレスが並べられていた。窓も閉まって風なんか吹いている訳ないのに、ふわふわと舞い上がっている様にさえ見える。

「あ、おはよう!」

「…おはよう」

 いつもより少しテンションの高い藍染さんが会議室に入って来た。

「どう?完成形のドレスを見るのは」

「いや凄いよマジすげぇ!どこから見てもキラキラしてるし、ドレスの線が踊ってて、生きてるみたい…」

本当に命が宿っているかのような躍動感だ。それでいてすごく落ち着いた、風のない森の木のようにずっしりとした貫禄もある。

「ありがとう!これが届いたから、やっと詳しく話せるっ」

 そうだった。ドレスが届いた今日は今までほとんど説明のなかった彼女の色について、ようやく聞くことが出来るのだ。

「出発する前にまず1つ私のことを少し説明しておくね。私は共感覚っていうものを持っていて、日常生活で感じる色んな感覚が色になって見えるの。文字とか音とか味とか、あとは前に話してたオーラとか」

「共感覚…」

 共感覚と言う言葉は聞いたことがある。詳しくはないが、ほかの人には感じない独自の感覚のようなものと言う認識程度だが…ほかの人たちに凄い色覚の持ち主と言われていた彼女だからある程度は納得はしたが…

「これに関しては見てもらった方が早いと思うから、早速行こっか!」

「…どこに?」

「ん~…凄い綺麗なところ?この紙、持っててね。行くよ」

「うん、えっ何⁉」

 藍染さんはドレスのデザイン画を俺に渡し、自分の右手で近くにあったドレスに触れた。そして急に、俺の左手を引っ張った。

 俺が次目を開けたときには、すべてが変わっていた。




「白井君、目開けてみて?」

 彼女の声を合図に、知らない間に閉じていた目をゆっくりと明けた。強い光で初めは何も見えなかったが、徐々に見たことのない光景が目に飛び込んできた。

「……っ」

「…どう?少しは色、見えてたりする?」

 固まって動かない俺を、彼女は心配そうにのぞき込んでくる。体を動かすことは簡単にできるが、頭が命令を出してくれなかった。他の情報量が多すぎたせいだ。

「…ぇ、えっ、どうしたの⁉大丈夫…?」

「いや…大丈夫じゃないかも」

 俺の服の上に落ちた涙を見て、彼女はあたふたと狼狽えていた。音も声もなく目から涙が流れ続けていた。

「ねぇ、これどういう事?色…見えてるんだけど、なんで?と言うか、ここは何処?」

「ここはね、私の目の中の世界なの。まぁ、私が勝手にそう呼んでいるだけだけどね。でもそっかぁ、色見えてるんだね!」

 俺の左手を持ったままぴょんぴょんと飛び跳ねる彼女。初めてみた藍染さんの色。真っ白な肌に明るいブラウンの髪。シンプルな色だと思っていたオーバーサイズのパンツスーツは、とても明るい色だった。モノクロの世界でも美しかった彼女に色がついて、存在そのものが美となっていた。

「…余計なお世話だったかな?ここなら白井君にも色を感じてもらえるんじゃないかなって思ってたんだけど、」

「余計なお世話だなんて…!俺今めっちゃ感動してるし、信じられない…色って、こんなにきれいなものだったんだね、」

 彼女に連れてきてもらった目の中の世界。それは呼吸を忘れるほどきれいな場所だった。終わりの見えない広々とした野原が広がっていて、沢山の花や小さな小屋、風景に似合わないはずの車や観覧車が色の力ですごく様になっている。そしてそのすべてが沢山の色に染められていた。

「ここ、会社のどこか?こんな場所あるの知らなかったんだけど」

 目を瞑っていたのは一瞬だったはずだが、どうやって連れてこられたのか…

「…これこそ信じてもらえないと思うんだけど。私の左手で誰かと握手すると、その相手を色の世界に引き込むことが出来るんだよね。それが今の状況。だから、ここが現実なのかどこなのか私にもわかっていないの」

「…なんで俺に色が見えてるの?」

「ん~…目で見ていないからじゃないかな?多分ここは心で見ている世界だと思うの。目を通していないから、見えないものが見えるようになって、心に届いてるんだと思うよ。どれもこれも、憶測でしかないんだけど」

 彼女の作り出している目の中の世界は、異能である。直接心に流れ込んでくる色は、信じられないほど綺麗で、瞬きをするのが惜しい程だ。

「それでね、この世界に引き込むとき、手に触れていたものも一緒に引き込むことが出来るの。だからここにあるお花も車も観覧車も、後から私が持ってきたものなんだよね。初めてここに来たときは何の意図のない偶然だったんだけど、ただただ広い綺麗な草原しかなかったの」

「へぇ…」

「あははっ、信じられないよね?今白井君の右手にあるものと、これを見てみて?」

「ぁ、」

 息をのむほど綺麗なもの。会議室で彼女が触っていたドレスが目の前にあった。明るい色をしたふわふわのドレス。そして、俺の右手にあるのは、デザイン画だった。

「どんなふうに見える?」

「…綺麗、意外になんて言ったらいいのか分からないんだけど」

「ふふっ、それで十分だよ!始末はこのドレス、白井君のオーラの色をもとに作ったの!見てみて?」

 藍染さんはポケットから手鏡と『天気のいい日に干したぬいぐるみのにおいの色』の色鉛筆をを出し、俺の方に向けた。

 …初めて見る自分の色。それなりに顔色はいいと思うし、髪の毛の色は思ったよりも黒かった。そして、俺の周りに漂う明るい色…まさに彼女の隣にあるドレスと色鉛筆と同じ色だった。これが、オーラの色?そして、

「これって、」

「そう、その名札のストラップの色と同じなの。この世界の中では私の目に映るものが同じように見えているみたいだね。よかった…」

 その後も彼女は色について沢山説明してくれた。これは何色だとか、何と何を混ぜるとこんな色になるとか。目の中の世界にある色鉛筆や絵の具を使って楽しそうに話してくれる彼女を見ていると、こちらまで沢山笑顔になれた。

この世界に、いったいどのくらいの時間いたのだろうか。一瞬のような、長時間いたような、不思議な時間だった。ただ分かったのは、幸せな時間だったという事だ。心に色塗りをされたような、心地のいい感覚を味わった。

「そろそろ帰ろっか」

 そういった彼女は、ここに来る時と同様に俺の左手を引っ張った。次に目を開けたときにはいつも通りの会議室が目の前に広がっていた。まぶしい程鮮やかだった俺の視界はモノクロの世界へと戻っていて…少し、少しだけ名残惜しかった。

「おかえりなさい」

「あ、ただいまです…えっ、時間変わってないよね⁉」

 この会議室に到着したのが10時だったはず。目を開けて1番に見た時計の針は、秒針が少し動いただけだった。体感的には、30分以上あの世界にいたような気がしたんだけど⁉

「ん~、私も仕組みはよくわかっていないんだけど、小説とかでよくある異世界みたいな感じで、時間軸が違う…とか?あっちでどれだけ過ごしても現実世界の時間はほとんど進まないみたい。本当に、目の中の世界に関してはびっくりするほど私自身何もわかってないの」

「そうなんだ…あの、藍染さん」

「なに?」

「ありがとう。凄い良い時間だった!あんなにも綺麗なものを見れて、めちゃくちゃ感動した…だから、もし藍染さんが良ければなんだけど…また、あの目の中の世界に連れて行ってくれたり、する?」

「ふふっ、もちろんいいよ!私の好きな場所を気に入って貰えてよかった」

 この日の刺激は、一生忘れられない。俺は彼女のはにかんだ笑顔を見て、これまでの些細な疑問をすべて清算した気になっていた。

「じゃあ、このドレス達と一緒に仕事始めようか!」




「ねぇ。この世にテストと言うものを作ったのは誰?」

「マジでな。何の意味を持って作りだしたんだよ…」

 大学はテストの真っ最中。ハルトとナホは次の試験までの時間に項垂れていた。

「でもこれ終わったら解放されるじゃん」

「そーだけど…あれ、カノンちゃんは?」

「あ、いたいた。でも珍しく寝てるね?テスト前とか絶対勉強してるのに」

 5つほど前の席で突っ伏して寝てしまっている藍染さん。確かに珍しい…と言うか寝ているところを見たこともなかった。

「ねぇダイ、カノンちゃんってテスト期間中でもバイトしてるの?」

「いや、俺休んでるから分かんねぇんだよな」

 俺はテスト期間でも出勤するといったんだけど、

「学生の勉強の時間は奪えないから!」

 と言う藍染さんのご厚意によって、1週間の休暇となっていた。とは言っても、彼女にテスト休暇と言うものは存在しないだろう。俺が休む前も中々忙しく働いていた。

「またテスト開けて落ち着いたら、5人で遊びに行こうぜ」

「…え、ダイからのお誘いなんてめちゃめちゃ稀じゃない⁉行こ!」

「確かに…でもこれでラストスパート頑張れるねっ」




 テスト終了から2日後の金曜日の放課後、久しぶりに宇瑠間さんの車に乗って会社に来た。1週間と少ししか空いていないのに、すごく懐かしさを感じた。

「うん、白井君がそこに座ってるとなんかしっくりくるね!」

「ふはっ、そうなの?」

 俺が居なかった間、ずっと違和感を感じていたのだそう。そう思ってもらえるようになれてよかった。

「再来週…いや来週か、土曜日にあのウェディングドレスの撮影があるの。それに向けての資料作りとかいろいろあるから、しばらく忙しいかもっ」

「了解。休ませてもらった分しっかり働くね」

 テスト期間が終了してもあまり藍染さんと話す機会がなくて、今日久しぶりに彼女の顔を見たけれど、少し痩せたように思うし、目の下のクマが目立っていた。常に忙しかったようで、疲労がにじみ出てしまっている。俺が作業をしている間も部屋を出て行ったり電話をしたりと忙しない。

「…藍染さん、言われてたところまで終わったんだけど」

「え、もう終わったの?早いねっ。じゃあ今日は終わりにしよう!」

 気が付けば10時を回っていて、忙しいと時間が過ぎるのが早いなぁと思った。まだ彼女は仕事が残っているようで、お疲れ様~と俺に手を振った後すぐにパソコンに向かい合っていた。部屋を出てエントランスの方へ歩いていると、宇瑠間さんに出くわした。

「お先に失礼します」

「お疲れ様です。…カノン様、まだ作業されておられましたか?」

「え?あ、はい。パソコンカタカタしてましたけど、」

「…あのお嬢様は…、あ、すみません。気を付けてお帰りください」

 そういうと少し駆け足で部屋へ向かっていった。…あれは、仕事をしすぎと怒られるパターンの困り顔なのだろう。今日も藍染さんは休み時間に寝ていたので、きっとそういう事だと思う。宇瑠間さんも大変だなぁ…と他人事のように思ってしまうが、この間、

「…もし、カノン様が無茶をしているように感じたら、止めていただけませんか?仕事の時は私もある程度は気づけるかとは思います。仕事外の時間にこんなことを頼むのは大変申し訳ないのですが…」

 こんな事を彼に頼まれていた。

「そんな気にする事じゃありませんよ。大学にいるときは、友達として助けられるようにしますね」

 過保護の執事さんに頼まれるまでもなく、友達としての助け合いは当たり前だ。





「ぅぅ…」

 1限目の講義を終えた私は、めまいと戦っていた。ハンカチに染み込ませておいた明るい色の香りを吸って、何とか気分を落ち着かせようとしてる。

「大丈夫?」

「…え、」

 突然見覚えのない、不思議なオーラを纏った男の子に声を掛けられた。

「あ、ごめんね急に。ちょっと顔色悪そうだったから心配になって…。藍染さんだよね?俺同じ学年の金井ジン。たまに同じ講義受けてるんだけど…知らないよね?」

「…ごめんなさい」

 知っていたのかもしれないが、何も頭が働かない今の状況では思い出せなかったかもしれない。彼のオーラが見えるたびに、目と頭の奥がズンっと響く。この感覚、昔にも似た事があったような…

「気にしないで、当然のことだから。あと、良かったらこれ飲んで?まだ開けてないから」

 買ったばかりであろうスポーツドリンクを差し出してくれた。凄い親切な人だなぁ…

「すみませんありがとうございます…えっと、金井君?」

「ジンでいいよ。次の講義も受けるの?」

「そのつもりです」

「じゃあ隣良い?心配だから」

 彼は荷物を置いて私の隣に座り、何事もなかったかのように準備を始めた。元々授業は、白井君やユウカちゃん達と一緒に受けていなかったから特に問題はないのだけれど、突然の出来事と薄い意識の中で状況を理解できずにいた。その後は特に話しかけられることもなく、本当にただ隣に座っているだけだった。今の私にはそれがとても有り難く、貰ったスポーツドリンクを飲みながらめまいの波に耐えていた。



 再び彼に話しかけられたのは、講義が終わったのと同時だった。ゆっくり振り向くとやはり目と頭の奥が響いて、悪化したのかもと思わされる。

「藍染さん、今日はもう終わり?」

「いや、一応あと1コマ…」

「そっか…でも休んだ方が良いよ、大分顔色悪いし…医務室でちょっと横になったら?荷物貰うから、一緒に行こ?」

 普段の私なら申し訳なくて断っていただろうけど、そんな体力すら残っていなかった。肩を支えてもらいながら1つ下の階にある医務室まで連れてきてくれた。周りから聞こえる黄色い声が、少し不快な色をしている。

「すみませんありがとうございました…」

「ううん!…じゃあ、俺はこれで。お大事にねっ」

 去っていくジン君の背中を見ていると、突然気を失うような感覚に襲われた。




「ダイ飯行くぞ~」

「おーう」

 2限目の講義を終えた俺たちは、食堂へ行くためにいつものメンバーで集まっていた。

「あれ、カノンちゃんは?」

「さっき連絡あって、先生の所に用事があるから今日は一緒に行けないってさ」

 講義が終わった後、俺の携帯に藍染さんから連絡があった。

「そっかぁ。寂しいけどしょうがないね。行こっ」

「まじ腹減った…」

「…ごめん俺もちょっと提出するものあるから先行ってて?すぐ行くから!」

 本当は提出するものなんかなかった。ただ少し引っかかる事があって…

 朝おはようと声を掛けたときの彼女の顔が、色の分からない俺が見てもわかるほどに血色がよくなかった。講義の間も気になって何度か彼女の方を盗み見していたのだけれど、2限目が終わって席を見るとすでにいなくなっていて…。先生の所へ行くことが体調を隠すための嘘なら、医務室に言っているのかも。と様子を見に来たのだ。

「当たりだったな」

 入口にある名簿には、藍染さんの名前だけが記載されていた。おそらく、彼女1人しかいないのだろう。

「藍染さん?白井だけど…入ってもいい?」

「…えっ、白井君?なんで、」

 閉まっていたカーテンを開けると、今起き上がったのであろう藍染さんが居た。かなり体調が悪そうだ。

「ごめんね勝手に来て。朝から体調悪そうだったから、お昼行かないって連絡でもしかしたらここかも。って思って様子を見に来た」

「そっか…凄いね白井君、探偵みたい」

 彼女は表情をほとんど変えずに小さく笑った。普段見ないような、ゆっくりとしたスピードで。

「大丈夫?熱?」

「いや…熱はないんだけど。ただちょっとここ最近忙しくって、その蓄積が爆発したみたい。私、人込み苦手でさ。さっきの授業はちょっと堪えた」

 さっきの授業は外部講師の人が来ていて、出席率が非常に高かった。見ようとしていなくても、藍染さんの目には大量のオーラの色が流れてくるらしく、人より目に入る情報量が多い彼女にとって人混みの中に長時間いるのは酷だろう…そういえば、前に撮影のスタジオで、

「無理…頭がクラクラする…」

「今日はいつもより人多かったからな」

 と言う宇瑠間さんとの会話を聞いたことがあったが、そういう事だったのか?

「宇瑠間さんには連絡したの?もう流石に授業受けないよね?」

「うん、着いたら電話してもらう事にはなってる…ごめんね心配かけちゃって。お昼まだでしょ、もう大丈夫だから行ってきて?」

「いやいや大丈夫には見えないよ。宇瑠間さんの車のところまで送らせて」

「…ありがとう。ごめんちょっと横になるね」

 まだ顔色の優れない藍染さんは、俺に背を向けて寝転んだ。弱った姿を見るのは初めてで、今にも消えてしまいそうなほど儚かった。



3限目を終えた俺は電車でバイトに向かった。昼間に藍染さんを宇瑠間さんに引き渡したとき、バイトには来てもらって大丈夫と伝えられていたので、久しぶりの電車通勤だ。「…おはようございます」

「あ、おはようございます。今日はありがとうございました、助かりました…」

「いえ全然…藍染さん、大丈夫でしたか?」

 いつもの部屋に入ると、やはり彼女の姿は無く、代わりに隣の部屋にいるはずの宇瑠間さんが居た。

「はい何とか。今日はお休みするように言っておりますのでご安心を。白井君の分のお仕事はお預かりしているのですが、終わり次第カノン様に会ってあげてもらえませんか?多分、寂しがっていると思いますので」

「分かりました」

 まるで優しいお兄ちゃんんのような表情だった。藍染さんの話をするとたまに出る、彼の優しい表情を見ると、大切にされているんだなぁと思わされる。渡された仕事はいつもよりも少なくて、あっという間に終わってしまった。最終チェックをして、宇瑠間さんのいる部屋へ向かう。

「失礼します。あの、終わっちゃったんですが」

「…もう終わったのですか⁉相変わらず早いですね…ではカノン様の所に行きましょうか」

 俺は会社の隣にある建物へと連れられてきた。藍染さんや使用人さんたちが住んでいるとされるお屋敷には、会社の方と同様、中もかなり広かった。

「…広いですね」

「えぇ。私も初めのころはよく迷いました。こちらがカノン様の部屋です」

 長い廊下の突き当りにある一際大きな扉。ノックをすると、中から彼女の声が聞こえて来た。

「失礼します」

「…お邪魔します、」

「…えっ、え?白井君?」

 どうやら俺がここに来ることは知らされていなかった様で、珍しくオロオロとしている。

「気分転換に、白井君をお話しされてはと思いまして、渡されていた書類が終わったのでお連れしました」

「…それならそうと先に言っといてくださいよ!私めちゃくちゃすっぴんだし。服もこんなじゃないですか、」

 表情はまだどこか疲れているようではあったが、メイクをしていないという事もあっていつもより大分幼く見える。服装もいつもの綺麗めなお洒落着とは打って変わって、ダボっとしたフードパーカーにショートパンツと言う、完全オフ状態。これはかなり新鮮だ。

「急に来てごめんね、藍染さん化粧してなくても可愛いから大丈夫だよ」

「ぬ…ん、ありがとうね」

「では、私はこれで失礼いたします」

 宇瑠間さんが出て行って、藍染さんの部屋に2人きりになった俺は、少々落ち着かない気持ちになった。女の子の部屋になんて行く機会ほとんどないし、更にこの部屋は…どこぞのタワーマンションだと言わんばかりに広い。だだっ広いワンフロアに、キッチンにテレビ、ソファにベッドなどが備え付けられている。

「部屋が散らかってるときじゃなくてよかった…今紅茶入れてたところなんだけど、飲む?」

「あ、じゃあいただきます」

 紅茶を持ってソファに沈み込んでいる。昼間に比べれば多少回復しているようにも見えるが…

「体調は大丈夫?まだ顔色悪そうだけど」

「…えっ、白井君色見えた?」

「あ、いやっ、なんとなく雰囲気で…」

 色は見えていない。でも実際、彼女に目の中の世界に連れて行ってもらってからというもの、雰囲気と勘でなんとなく色の輪郭的なものが、なんとなくだけど分かる気がしてきた。なんとなく。

「そっかぁ…今日はありがとうね」

「ううん気にしないで」

「風邪をひいてるわけじゃないんだけど、ちょっとね…」

 そこまで言うと、少しその先を言うのを迷っていた。あまり深くは聞かない方が良いと思いながらも、その先の言葉が俺が今まで抱いてきた疑問への答えのような気がして、どうしても聞いてみたくなった。

「…白井君、私に聞きたいこといっぱいあるでしょ」

「へっ?なんで、」

「私はオーラが見える。それはこの前言ったよね?」

「うん、実際色々見せてもらったし」

「オーラって、ずっと一緒じゃないの。人の感情によっても色は変化する。これまでに何回か、白井君は私に疑問を抱いては気にしないように、聞かないようにしてくれてたでしょ。私、それを良いことに何も説明しようとしなかったの…」

 それって…つまりは、藍染さんに隠し事は不可能という事だったのか。彼女は何かを決意したようにソファに座り直し、近くにあったクッションを抱きかかえた。

「覚えている中で白井君が初めて私に違和感を覚えたのは、皆で遊びに行ったときのサービスエリア。覚えてる?」

「…あ、うん覚えてる。編集の人が話しかけて来た時だよね?」

 あの日、彼女はその人の名前が思い出せなかったのだ。いや、実際は覚えていたのだけど…そんなに前から見破られていたとは。

「そうその時。白井君が助けてくれなかったら凄い失礼なことになってたからとっても助かったの。もちろん私は彼女の事はしっかり覚えてたよ。私が分からなかったのは…顔なの」

 今にも泣きだしそうな眼をしている。その眼はこちらを見ているようで、どこを見ているのか分からない。

「顔が分からないって…?本当に目が悪かったとか?」

「目は悪くないよ。顔が見えないんじゃなくて、分からないの…認識が出来ないって言った方が良いのかな。私は頭の中で顔を顔として判断してくれない、〝相貌失認症〟っていう病気なの。だから彼女が誰なのかすぐに判断がつかなかった」

〝相貌失認症〟

 顔の認知障害の1つで、顔の特徴は捉えられるが、それらを1つの顔として認識することが出来ない。そのため、顔を見ても誰が誰なのか判断が出来なかったり覚えられなかったりする症状が出る。

 藍染さんはそういう風に説明をしてくれた。初めて聞く病の名前と、それを淡々と語る彼女に戸惑いが隠せない。

「…顔が分からないって、でも俺ことすぐ分かってくれてるよね?」

「いつも一緒にいる人たちは、声とかにおいとか、持っている物、あとは大体のオーラの色を見て判断しているの。だから、もし白井君と宇瑠間がいつもと全く違う服を着て何も声を発しなかったら、私は知らない人だと思っちゃう。だからそれ、つけて貰ってるの。それは私が白井君を初めて見た時のオーラの色だから、それがあれば基本人を間違えることはないから」

 指をさされたのは、俺の首からぶら下がっている名札のストラップだった。この名札の役割は関係者であることを示すだけでなく、彼女にとっての人物判断材料だったのだ。突然の告白で驚いたが、それによって色々腑に落ちたことが沢山ある。

「だから俺が雰囲気を一気に変えたとき、誰だか分からなかったのか…」

 度にたくさん話過ぎたせいか、少し彼女の顔色が悪くなった気がする。ちょっと横になったら?と声を掛けようとしたとき、部屋の扉がノックされ、宇瑠間さんが現れた。

「失礼します。お茶菓子をお持ちしました…⁉カノン様今すぐお休みになってください!あぁもう顔が真っ白じゃないですか⁉」

 あたふたと慌てている宇瑠間さんは、藍染さんをベッドへ運ぶために彼女を担ごうとすると、

「やめてくださいよ歩くことくらい自分でできます!それに、ちょっとしゃべりすぎただけなので、ここで大丈夫です」

 ソファから動く気はないようで、そのまま毛布を被って横になった。

 宇瑠間さんはと言うと、あまり納得してはいないようだがこれを飲めあれを食べろなど、せかせか身の回りのお世話をし始めた。流石、心配性の執事さんだ。藍染さんはその間に何度か俺に向かって助けを求める目を向けてきたが、まだ今の俺には彼を止める手立てはない…

「すみません白井君…今カノン様、何の話をされていましたか?もしかして、顔の話など…」

「あ、はいそうです…相貌失認症だとか、」

「そうですか。お話しされたんですね」

 無理やり寝させられてしまったのか、目を瞑っているだけかは分からないが、藍染さんは何も答えなかった。

「続きは私の方からお話しします。カノン様がお話になられたのは、顔が見えないと言う事だけでしょうか?」

「そうですね…オーラで大体を見分けているとか」

「なるほど…」

 話す内容を整理していたのか、少しの間黙り込んだ宇瑠間さんは、丁寧に話し始めてくれた。

「カノン様の相貌失認症は、生まれつきのものではありません」





「リョウ君行ってくるね!お土産楽しみにしててねっ」

「ありがと。いってらっしゃい」

 当時4歳だったカノンは、今と変わらず俺に凄い懐いてくれていた。父親は昔からこのお屋敷に仕えていて、自然と俺もほとんどの時間をこの家で過ごすことになっていた。カノンが生まれたときは、自分に妹が出来たかのようにうれしくて、カノンのお父様たちに笑われるほどに可愛がっていた。

 お父様の仕事が落ち着いてきたころ、社長一家は家族旅行へ行くことになった。これまでお父様が忙しく、中々外へ遊びに行くことがなかったカノンは、すごく楽しみにしていて、毎日毎日その話でもちきりになるほどだった。そんな彼女の姿を見ていると、父性本能か、すごく癒された。

「では宇瑠間、数日よろしく頼むぞ」

「お任せください。ごゆっくり、楽しんできてください」

 休みのない社長は、俺と同じくらいわが子を溺愛していた。そんな彼が家族旅行の提案をしたときは、何故かうちの親父が嬉しさからなのか涙目になっていたのを覚えている。

 お屋敷にカノンが居なかったことなんて今までになかったから、広い場所に1人でいてもつまらなくなり、久しぶりに自分の家で数日を過ごしていた。

今日の夜、カノンたちが帰ってくる。そう思うと早く会いたくて、夕方にはお屋敷に行って1人で宿題をしていた。すると突然廊下がバタバタとし始めた。もしかして帰って来たのかも!と、玄関の方へ向かうと、社長一家の3人の姿は無く、その代わりにたくさんの使用人と、よそ行きのコートを羽織った親父が居た。

「親父?どっか行くの?」

「リョウ…」

 その時の表情は、今まで過ごしてきた中で、1番悲痛な顔だった。

「…社長たちが、交通事故にあったという連絡があった…」

「…は?事故?」

「帰りに乗っていたタクシーが事故に巻き込まれて、それで…炎上した、らしい…私は今から病院へ向かう」

「無事、なの?」

「分からない…今病院に運ばれたのはカノン様だけだと、」

「じゃあ俺も行く…!」

 いつもの親父なら来るなと言っただろうが、その日限ってはしばらく考えて、一言、

「ついてこい」

と言った。親父の運転する車に乗って1時間ほど。大きな救急病院についた。

「あの、こちらに藍染カノンと言う女の子が運ばれたと聞いたのですが、」

「あ、はい!先ほど処置が終わりまして、今は集中治療室にいます。こちらへどうぞ」

 連れてこられたガラス張りの部屋の中で、ガーゼと管でまみれたカノンを見た時は、気を失いそうになった。親父に関しても同じだった…と言うより、俺よりも絶望していた。ここに来る間に、看護師の人から、親2人は死亡が確認された。と静かに伝えられていたのだ。声もなく泣き続ける親父の背中はひどく悲しかった。

 カノンは、4日間意識が戻らなかった。ようやく目を覚ましたカノンは、自分の置かれている状況が分からず、俺たちが集中治療室のそばに来ても瞬きをするだけだった。1週間を過ぎれば、何とか話せるようにまで回復していたが、問題はここからだった。

 土曜日の朝から親父と2人で会いに行くと、深刻そうな顔をした主治医が出て来た。

「少しよろしいでしょうか」

「なんでしょう?」

「カノンちゃんなんですが、今のところ傷や火傷は複数個所見られますが、特に深刻なものはありません。ですが、脳の一部に影響が出ておりまして…顔を認識できていない恐れがあります」

「顔が、認識できていない?」

「事故が原因で起きた、相貌失認症と診断いたしました」

 2人して、声を失った瞬間だった。親父は膝から崩れ落ち、ガラスの向こうで眠っているカノンを見つめ続けた。その時はまだ中学2年生だった俺は、まだ実感がわいていなかったんだろう。カノンが目覚めるのを待って、外から手を振った。いつもみたいにリョウ君!って手を振り返してくれるのを期待して。

「カノン!俺の事分かる?」

「……」

 声はあまり良く届いていないみたい。隣にいる看護師さんと俺を交互に見るだけで、何も返事をしてくれない。

「カノンちゃん、リョウ君って覚えてる?」

「リョウ君は、カノンの大好きなお兄ちゃんだよ」

「そっか大好きなお兄ちゃんかっ。リョウ君、今そこで手振ってるよ?」

「…あの人、リョウ君?」

 もう1度俺を見たカノンは、満面の笑みを浮かべて、点滴のついていない手をぶんぶん振ってくれた。そのいつもより力少ない笑顔を見て、何の感情かも分からない涙が止まらなくなった。病院が遠いこともあり、学校がある俺は土日しか面会に来ることが出来なかった。

 カノンの容体が落ち着いたころ、お医者さん以外の人とも面会が出来るようになり、お屋敷の近くの病院に転院できることになった。ようやく沢山会いに行けるとわかり俺もカノンも喜んでいたのだが…

「本当に、何も覚えてない?」

「…うん。ごめんなさい」

「大丈夫だよ?謝らないで」

 白銀とい刑事さんが事情聴取をしに病室にやってくることが増えた。事故の唯一の生存者であるカノンに聞きたいことは山ほどあるようだが、彼女は顔の認知が出来なくなっただけでなく、事故の前後の記憶もなくなってしまっているようだ。

「ねぇお兄さん、カノンのお父さんとお母さんは?どこの病院にいるの?まだ会えない?」

「…ごめんね、お母さんたち今頑張って元気になろうとしてるから、もうしばらくは会えないかなぁ」

 ここ最近で何回も繰り返している会話だ。誰も4歳の子供に親の死を告げることが出来ず、嘘をつき続けている。耳を塞ぎたくなる会話だ。

「…お兄さんまた嘘ついた。なんで?お医者さんもおじさんもリョウ君もみんな、なんで嘘つくの?お父さんとお母さん死んじゃったんでしょ、なんでみんな嘘つくの…!」

 事故の後、1度も泣かなかったカノンが突然声を上げて泣きじゃくった。なだめようと近寄っても振り払われ、拒絶された。小さい子だからしばらくバレないだろうと嘘をついてしまったことをひどく後悔した時だった…嘘をついている間、カノンは苦しみ続けていたのに…

 その後泣き疲れたのか1時間ほど寝て少し落ち着いた様子のカノン。また拒絶されることが怖くて、そっと声を掛ける。

「…カノン」

「…リョウ君?」

「そうだよ…ごめん。嘘ついて…」

「うん」

「…なんで嘘って分かったの?」

 それだけが疑問だった。頭のいいカノンの事だから、雰囲気でそう思ったのかもしれないけれど、何か確信をもって嘘をついていたことを見抜かれた気がする。

「…色が、変になった」

「色?」

「嘘ついた人、皆体の外に変な色出るの。顔見えなくなってから、色がずっと見えるの。事故の時も、お父さんの周りに変な色出たの、」

 今までもカノンは色の扱いが上手かったが、そんなことを言われたのは初めてで、俺はすぐに主治医のところまでその話をしに行った。事故の時のことを言われたので記憶が戻ったのかと思ったのだが、覚えているのはそれだけだった。

 いろいろな検査の結果、極度の〝共感覚〟という診断が出された。診断を受けた後も、少しおかしなことを言うことがあって、俺はそんなまさか。と思っていたが、人の心が色になって見えるカノンにはばれていた。

「カノン嘘ついてないよ!」

「あ、ごめん疑ってないよ?」

「…リョウ君手かして」

「え?あ、はい」

 おもむろに俺の手をつかむとグイっと引っ張った。





「…それが、カノン様の能力を知るきっかけになった出来事です。長くなってしまいましたが、これが相貌失認症になった経緯です」

「そうだったんですね…」

 それ以外に言葉は出てこなかった。綺麗で色鮮やかな色ばかりが見えているのだとばかり思っていたが、感情が見えてしまうというのは時に残酷なことである。

「あ、だからか…」

「…どうしましたか?」

 宇瑠間さんの話を聞いて、1つ納得したことがある。

「いや…働き初めのころ、撮影でスタジオに行ったときにお2人の会話を聞いてしまって…その、タメ口でお二人が話しているのを見ちゃって。聞いちゃいけなかったかなぁって思ってたんですけど、昔から兄弟みたいな関係だったのなら納得だな…と」

「えっ、見られてたの?」

 やはり会話は聞こえてたらしい藍染さんが飛び起きた。それを見た宇瑠間さんはまたあたふたと彼女を介抱している。

「もう急に動いたら…また倒れてしまいますよ!…すみません白井君、気を使わせてしまっていたみたいですね」

「ごめんね?」

「いやっ全然…」

「仕事中はメリハリつけるために敬語なんだけど、仕事外の時は家族みたいな感じだから。あんまり気にしないでっ。色々隠してたみたいでごめんね。他に聞きたいことある?」

 まだ俺が聞きたいことありますオーラを出していたのが分かってしまったようだ。起き上がろうとしても宇瑠間さんに止められてしまうことが分かったのか、顔だけをこちらに向けて話している。やっぱり、この人は化粧をしていなくても、どの角度から見てもとんでもなく美人だ。

「今日医務室には1人で行ったの?」

 宇瑠間さんと合流するまでの間でさえふらふらしていた彼女。荷物をもって階段を下りて知られていない医務室に1人で行くのは少々大変だ。

「あぁ…凄い親切な男の子がいてね」

「男の子?」

 素晴らしい程の反射神経で、男の子と言う言葉に食いついた過保護の執事さん。藍染さんは少し面倒くさそうにあしらっていた。

「えっと、名前…金井君だったかな?ろくにお礼もできなかったから今度会えたらいいんだけど」

「金井って、金井ジン?」

「あ、そうそう多分そう。知ってる?」

「知ってるも何も、この前ユウカ達と話してたじゃん?大学一のイケメンで、モテモテな人いるよねって」

「…あ、その人なの?確かに綺麗なオーラしてたけど…なんだか私にはちょっと刺激が強いオーラに感じたなぁ」

「カノン様、あまり自分の目に合わない方と長く一緒にいるのは控えてくださいね。ただでさえ今日記憶が戻って意識失ってるんですから」

「…わかってますよ」

「記憶が戻ったって、事故の前の記憶が戻ったって事?」

 さっきの話では、事故前後の記憶がないとの事だったのだが。

「戻ったって言ってもほんの1部分だけなんだけどね。昔も1回だけ記憶が少し戻ったことがあって、その日1日だけ何回も気を失ってたんだよね。その記憶が戻った原因が、多分事故の時に見たお父さんのオーラと同じ色を見たからなんだけど…刺激が強いのか、体に支障が出るんだよね」

「…結局、どこでその色を見たのですか?」

「その男の子。ジン君からたまに見えるの」

 …どうしてジンからそんなオーラが見えたんだ?心配性の宇瑠間さんには、刺激の強いオーラが見え隠れする男の子という印象が付いてしまったのか、今後あまりかかわらないようにしてくださいね?と念を押されていた。

「たまたまかもしれないじゃないですか。体調が悪かったのもありますし…見ず知らずの人を助けてくれる良い人なんですから、お礼位は許してくださいよ。白井君、今度金井君見かけたら教えてくれる?あんまりちゃんと覚えてなくて…」

「ん、分かった」

 宇瑠間さんは難しい顔をしていたが、やはり藍染さんには根本甘いらしく、最終的には折れてしまった。そこからも少しのんびりと会話をし、いつもより少し遅く帰った。




 藍染さんの体調が回復したのは2日後で、いつもの女子2人は朝会うなり飛びついていた。俺とハルトも心配はしていたが、3人のくっつき具合に苦笑いしていた。

「…ぐっ、2人とも苦しいよ、」

「だって!カノンちゃんが生きてるか心配だったんだもん。大丈夫?」

「心配かけてごめんね、もう大丈夫だよ!ありがとうっ」

 ようやく見れた彼女の笑顔は本当に元気そうで安心した。安心したのだが…

 相貌失認症であることを打ち明けられた俺は、その日から大学で彼女のことを観察することが増えた。先生と話している時、俺たち以外の生徒と話している時、食堂のおばちゃんと話している時。今までどれも普通で周りと変わりないと思っていたが、よく見ていると、声を掛けられた後一瞬。少し考える素振りをしていることに気が付いた。

「…ダイってさ、カノンちゃんのこと好きなの?」

「うぉっ⁉びっくりした…」

 食堂の席で皆が戻ってくるのを待っていると、ボソッとユウカに驚かされた。

「どうなの?」

「どうって…?」

「だから、カノンちゃんの事好きなの?最近暇さえあれば目で追ってない?」

 まさか見られていたとは…目で追っていた事には変わりはないのだが。

「…どうやったら藍染さんみたいになれるかなって考えていただけと言うか、特にそんな感情はないよ。友達としても人としても好きだけどね」

 これは本心だった。同い年でありバイト先の社長である彼女の1日を近くで見ていると、尊敬するところが山ほど出てくる。服が好きな俺からしたら、憧れの存在なのだ。

「そうなの?なぁんだ、せっかく応援しようと思ってたのに~」

「ふはっ、なんかごめん」

 恋愛ごとが好きなユウカは俺たちの行く先を応援したかったらしい。残念ながらその予定はなさそうだ。でもまぁ、藍染さんが彼氏でもできようもんなら宇瑠間さんが黙っていないだろうなぁ。何なら自分がその人を見極めるとか言い出しそうだし。この前の夜の話を聞いた後だからか、余計にそう思ってしまう。藍染さんと宇瑠間さんは、親子のようで、兄弟のようで、何とも言えない大切な関係である。そう思った。




「ねぇ藍染さんっ、あそこのシャツに濃い色のベスト来てる奴分かる?」

「えっどこ?」

「あの自販機あるところの左で、今携帯いじってる」

「あぁうん!分かるけど…あ、」

「分かった?金井ジンだよ、前お礼したいって言ってたじゃん?」

その日の夕方、講義が終わって藍染さんと2人宇瑠間さんの車に向かうべく大学の門を目指していると、相変わらず羨ましい程のイケメンを振りまいているジンを見つけた。 

「ちょっとだけ話しかけて来て良い?すぐ戻るから」

「いいよいいよ、まだ宇瑠間さん来てないと思うし、ゆっくり話してきな?俺あそこに座ってるから」

「ありがとうっ」




「あの、金井君ですか?」

「藍染さんじゃん…!」

 講義が終わって友達を待っていたら、とてつもない美女に話しかけられた。一瞬驚いて記憶が飛びかけたけど、すぐに誰だかわかった。学年1と言っていい程の美女。まんまと俺も目を奪われたわけで、先日初めて言葉を交わすこともできた。あんまり覚えられている自信はないけれど。天気が良くてまぶしいのか、少し険しい顔になっているのに、それすらも美しい。

「どうしたの?」

「この間凄い助けてもらったのに、ろくにお礼できてなかったので…本当にありがとうございました」

「あぁ!そんないいのに。元気になった?」

「はい!おかげさまで」

 顔色も良くなって、表情も穏やかになっているから本当に調子はよさそうで一安心。同い年なのに敬語を外してくれないし、なんならジンで良いよって言ったのに金井君って呼ばれてるし、中々に手ごわそうだな…まぁ、しょうがない。

「これ、気持ちでしかないんですけど、良かったら使ってください」

「えっ、良いのに…!気にしないで?」

 渡されたのは、綺麗に包まれたボールペンだった。見たことないメーカーだし、それなりに良いものだ。助けただけなのに、それに…

「心配だったのは本当だけど、俺、下心で藍染さんに話しかけたんだよ?」

「へっ…?」

「あははっ、ずっと話したいなぁって思ってたから、チャンスかもって思っちゃって声かけたんだ…ごめんね?不純な理由だからこんないいものもらえないよ…」

 嘘をつけばよかったのかもしれないけれど、何故かこの子の前では正直でいないといけない気がした。残念がられるかな、そうですかって言われて立ち去られるかもしれない。

「…ふふっ、面白い人ですね。理由はどうであれ、私はあなたが良い人だと分かりました。金井君が貰ってくれないとこのペンの行き場がなくなってしまうので、貰ってくれると嬉しいですっ」

 …思っていた反応と違うんだけど。彼女は俺の手にボールペンを持たせ、一礼をして立ち去ろうとした。

「…ねぇ待って!」

「はい?」

「…連絡先、教えてくれない?」

 今この瞬間、俺の直感を信じたい。一瞬俺の顔を見つめて固まっていた彼女だが、直ぐに破顔して携帯を差し出してくれた。無意識に手を動かし、自分の携帯に〝カノン〟と言う名前が入った。

「ありがとう、」

「こちらこそ。じゃあ、またねっ」

 小走りで去っていく彼女の姿と携帯の画面を交互に見る。

「これは、かなり嬉しいぞ…」

 タイミングを見計らったように現れた友達に声を掛けられて、藍染さんの隣にいた男の姿に気が付かなかった。



「お待たせっ」

「おかえり、行こっか」

 ジンと話し終わった藍染さんは、携帯を手に持って戻って来た。

「もしかして、連絡先聞かれたんじゃない?」

「…え、なんでわかるの?白井君もオーラ見えるの?」

「ふはっまさか!いや、携帯出したまま戻って来たから、教えて戻って来たのかなぁって」

 いつも凄いね…と、俺の推理力に毎度驚いてくれる彼女。

「宇瑠間さんにはばれない事をお勧めするよ」

「えっなんで⁉」

「なんでも」

 ちらちらと2人の方を見ていたのだが、ジンがあんな顔をしながら話す女の子はあまり見たことがない。これは惚れられているな、とジンを少し知っている俺の感が働いたわけだ。もし宇瑠間さんが、メッセージのやり取りでも見ようものなら、血相を変えて問い詰めかねない。

「今日は刺激の強いオーラ見えてなかった?大丈夫?」

「うん、私の脳の気まぐれだったのかもしれない。大丈夫だよっ」

 彼女の表情を見る限り、体調が悪くなっているような感じはしないし本当に大丈夫のようだ。

「何か進展があったら教えてね」

「期待はしないでね~」

 藍染カノンと金井ジン。美男美女の恋愛など、この大学がざわめきそう…


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