四ノ十九 あやめ
村人達は、しだいに後退をしている。
味方に数倍する敵軍の軍勢。
武器の扱いにもたけ、戦場での呼吸も熟知している。
頼光軍は戦闘のプロフェッショナルであった。
奇策で一時は動揺させることができても、接近戦で真っ向からぶつかりあえば、まったく村人側に利はなかった。
もはや、朱天の立っていた台も壊れ、朱天はおしあいへしあいする村人達の波に飲まれてしまっている。
戦闘の最前列がどこにあるのかすら、すでにわからぬ。
それでも声をからして、
「おせ、おせーっ!」
そう励声し続けた。
と、村人達の間を縫って、黒い影がするすると朱天に近づいた。
影は朱天の後ろから音もなく近づくと、帯に挟んでいた短刀を引き抜いた。
なんのためらいもなく、短刀の刃が朱天へと伸びる。
その切っ先が朱天の背に届くかに見えた、刹那。
横合いから白い影がふたりの間に割り込んだ。
短刀は、白い影、あやめの左の二の腕を斬り裂いた。
黒い影、飄が、あっと思った瞬間には、あやめも右手で短刀を引き抜いた。
引き抜かれた転瞬、すでに短刀は飄の胸に突き立っていた。
飄の
あやめは、村人達の波を泳ぐように、後方へとさがって行った。
村人の群衆の中から飛び出すと、あやめは左腕の傷を見た。
――これはいかぬ。
たいした傷ではない。
だが、嫌な感覚が傷口にする。
――毒が塗ってあったな。
ここが京であったなら、解毒剤などすぐに用意できようが、ここでは無理だ。
痛む腕を曲げ、首をひねって傷口から血を吸って吐き出した。
何度かやってはみたが、たいした効果はないだろう。
戦場の喧騒を後ろに感じながら、あやめは高台の上まで歩いた。
すでに、めまいがするし、こころなし体がしびれ始めたようだ。
あやめは、杉の木に持たれ、戦場を眺めた。
かすむ景色の中で、奮闘する朱天の姿がはっきりと見えた。
――思えば、最後の最後までつれなかったのう、婿殿。
あやめは、うすく笑った。
愛した男のために傷つき、その男に気づかれもせず、こうやって静かに死んでいく自分を笑ったのだった。
盗賊の一族として生まれ、その技術を幼いころから教育され、盗賊に囲まれ、盗賊だけを見て育った。
そんな人とは違うふうに育った自分はどういう死に方をするのだろう、といつも思っていた。
いつか検非違使に捕まって、鴨川の河原で首を斬られるのだろうか。
押し入った家の者の抵抗にあって、刀で斬られるのだろうか。
仲間に裏切られてくびり殺されるだろうか。
なんにせよ、夜具の上で静かに息をひきとるような穏やかな死に方はできはしないだろう。
――それが、愛する男のために死んでいける。
盗賊として生まれた女の死に様としては、まずまず、悪くはないのではないだろうか。
――まんぞく、まんぞく。さらばじゃ、朱天。
杉の木の根元に、あやめは崩れ落ちていった。
朱天は、ふとあやめに呼ばれた気がして、後ろを振り返った。
だが、あやめの姿はどこにも見えない。
さっき叱ったから、拗ねて帰って行ったのだろう。
そんな朱天の思いは、直後には消えていた。
「朱天、逃げてくれ!」
どこかから声がした。
茨木の声である。
ということは、西の防衛部隊は、すでに戦場の中ほどまで押し込まれてしまっているということだった。
「馬鹿を言え、大将がまっさきに逃げられるか!」
「後ろを見ろ、後方はすでに崩れている!」
見れば、後方からすでに人が北の集落へ向けて逃げ出している。
「壊滅してからじゃ遅いんだ、あんたははやく逃げろ!」
「みんなを見捨てて逃げられるか!」
「おい、誰か朱天を連れていけ!」
声とともに、朱天は後ろから羽交い絞めにされた。
もがこうが何をしようが、朱天は引きずられてしまう。
「よせ、放せ、俺は皆と死ぬまで戦うぞ!」
その叫びも、戦場の怒号と叫声にかき消されてしまうのだった。
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