四ノ十七 反撃
――思っていたよりも手こずりそうだ。
動揺の波にのまれている軍のただなかで、卜部季武は、源頼光を振り返った。
頼光はじっと身じろぎもせずに
まるで木彫りの像かなにかのようである。
――この親父はいつもこれだ。
綱や季武が戦場であわてていても、じっと落ち着いて、状況を見極め、耳をすませて情勢を探り、肌で戦場の空気を察している。
とことん切羽詰まるまで、綱たちにアドバイスをすることはない。
それが、源頼光という男の、人間育成法なのであろう。
「
季武が小さく呼ぶと、
「ここに」
という返事とともに、彼の後ろに人影が差している。
「飄よ、お主は敵陣に潜入し、朱天を暗殺せよ」
その短いやり取りだけで、この主従には充分であった。
言い終わった時には、飄は姿を消している。
――暗殺など、綱には嫌われるだろうが、しかたない。これ以上被害を増やすわけにはいかんのだ。
あとは、これも綱には内緒で、碓井貞光の部隊を
彼らが山山を迂回する間道を通って、村の宮津へと続く道へと到達すれば、その時点で戦は終幕を迎えるであろう。
「おい」
季武は伝令を呼んだ。
「渡辺綱に伝えよ。熊は、森のこっち側に餌を置いて外におびきよせ、出てきたところを矢をあびせて倒せ」
伝令は威勢よく応じて、綱のもとへと走っていく。
問題は後方を攪乱している、少数の敵部隊だ。
この、攻撃してはすぐに引くゲリラ戦術を続けられたら、軍は後方から疲弊して使い物にならなくなる。
敵に隙を見せないように、警戒を厳重にすれば、それだけ疲弊の度合いも高まってしまう。
――だが、それも今はしかたあるまい。
季武は別の伝令を呼ぶと、
「後方の哨戒を厳重にさせよ。敵の影を見つけしだい、呼び子を吹いて周囲にしらせるようにせよ」
伝令は後方の隊長に向かって走って行った。
綱は、兵たちに、五十人分の今夜の食事を持って来させ、森の外に山積みにさせた。
弓を構えた兵たちを、その食料から二十メートルばかりの距離をあけて、囲ませて配置した。
そうして、しばらくじっと待つと、巨大な影が藪をかきわけて現れた。
体長百八十センチはある、ツキノワグマであった。
熊は、山盛りに積まれた食い物を見つけ、そろそろと近づき、がぶりと食らいついた。
「今だ!」
綱が号令すると、矢が豪雨のように降りそそいだ。
熊は暴れ、もがいた。
だが、弓はまだ降りそそぐ。
そうして、巨大なハリネズミのように全身くまなく矢がつき立ったころ、
「グオオオオッ!」
地鳴りような断末魔の叫びとともに、熊は倒れ伏した。
「よし。戦が終わったら、熊鍋にして皆で食うぞ」と馬上で綱が、冗談とも本気ともつかぬ調子で言った。「これで脅威は排除した。皆、西の森を抜け、敵陣に攻めこめ!」
突然、警戒が厳重になった、と虎丸はすぐにわかった。
これまではまるで警戒がおろそかだった後衛だったのに、三人から五人くらいの塊になった盾を持った兵が数組、間断なくいったりきたり、するようになった。
試しに、奇襲組に命じ、森から飛び出させ攻撃をさせる。
と、兵は盾を構えて投石を防御し、けたたましく笛を鳴らす。
笛の音を聞きつけて、待ちかまえていた兵があらわれ、矢を射かけてくる。
虎丸は村人達を、すぐさま森の奥に撤収させた。
――やりにくくなったな。
唇を噛んだ。
本隊と合流しようにも、森を大きく迂回するか、敵陣を突っきらねばどうしようもない。
「いったん、森の奥までさがろう」
「このまま尻尾を巻いて逃げるのか?」意気の盛んな若者が食ってかかってきた。
「いや、時を待つ。逃げるどころか、時がくれば、決死の覚悟をお前たちにしてもらう」
反論すらゆるさぬその冷酷な声の調子に、皆は息を飲んで、指示にしたがった。
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