四ノ十六 開戦

 朝霧がまだそこかしこでたゆたうなか、白いとばりをかきわけるように男がひとり、中ノ原で隊伍を組む朱天達のもとへとあらわれた。


 斥候にやっていた男であった。


「頼光軍が、下ノ原まで出てきて布陣したぞ!」


 そう報告した。


 朱天は村人隊の中ほどに、台に乗っていて、そこから手をふった。


 南西の柵の前にいた何人かが手をふりかえした。


 檻に入れられていた熊を、柵の向こうへと放した。


 熊は、こちらを敵意のこもった目でにらんだが、何人かの村人が柵を叩いて脅すと、しぶしぶといった態で、森のなかへと消えていった。


 村人達は、緊張の糸がはちきれそうなほど緊張し、じっと敵があらわれるのを待った。


 最前列は、木の板を持った盾役が二十人ほど。


 その後ろに、弓を扱えるものが三十人ほど。


 弓兵の隙間には、弓をあつかえない投石兵が控えている。


 さらに、その後ろに第二陣がひかえる。


 村人達は息を殺し、固唾を飲み、吐き気をこらえて待つ。


 と。


 黒い影が、川と森に挟まれた道をやってくる。


 その影が森の道から野原へ踏み出した瞬間。


「放てぇい!」


 朱天の号令がとどろいた。


 一斉に弓矢が射放される。


「ぎゃあっ!」


 鋭い悲鳴とともに、敵が数人崩れ落ちた。


「なんだ、どうした?」


 突如倒れた前衛数人を、かがんで確かめた後続の数人を、さらに矢が襲う。


「敵だ、とまれ!進軍停止!」


 そんな声が頼光軍の中で飛び交ったが、その後ろから、兵がどんどんと前進してくる。


 それにおされて、兵が野原へと飛び出し、さらに矢の餌食になる。


「ひきかえせ!ひきかえせ!」


 後続に呼びかける侍のひとりの首元に、矢が突き刺さる。


 敵の部隊はたちまち混乱をきたした。


 あわてて川に飛び込む者、森に逃げ入る者。


「敵に当てようと思うな、とにかく放て!」


 朱天の命令で、弓矢と投石の追撃を浴びせるのだった。




「どうした、何が起きた!?」


 下ノ原の、北へ向かう道の入り口で、綱が叫んだ。


「敵ですっ、敵が森の出口で待ちかまえて、矢を放ってきます!」


「何、矢だとっ?そんなものを用意していたとは……。ひるむな、第二陣は、西の森を抜けていけ!」


 綱の後方に布陣していた部隊数十人が、森の中へと踏み込んでいく。


 だが。


「ぎゃーっ、助けてくれ!」


「熊だ、熊がいる!」


「弓だ、弓で射よ!」


「ダメだ、木が邪魔でまったく当たらん!」


 兵たちが、ほうほうのていで森から走り戻ってきた。


「熊、熊だと?なぜ熊がここにいるんだっ?」


 と、綱は下唇を噛んで、兵たちの無様な有様を見つめるのだった。


 さらに。


 軍の最後方が、ざわざわとざわついている。


「いかがしたかっ?」


 兵のひとりが駆け寄ってきて、


「後方に敵があらわれ、石を投げて来ます!」


「ええい、そんな部隊をひそませていたのか?うろたえるなと伝えよ。おちついて対処しろ」


「それが、攻撃するだけすると、すぐにどこかに消えて姿が見えなくなりました」


「ぬ、ぬうう、おのれ、朱天め!」


 綱は手にした乗馬鞭を、いらだちまぎれにぶんぶん振り回す。


「ええい、東の森を抜けよ!」


「こっちは崖があって進軍は無理です!」


「崖のひとつやふたつ、乗り越えよ!」


「無茶言わんでください!」




 中ノ原の出口では。


 木の盾を持った兵十人ほどが、横一列に並んで、矢をふせぎながら、朱天たちへと向けて進軍していた。


 その後ろには、大勢の兵が、盾の影に隠れて、腰をかがめて前進してくる。


「落ち着け!盾の向こう側へ向けて矢を放て!」


 弓兵が矢を斜め上に向けて射はじめた。


 その矢は、盾を越えて、隠れていた兵たちを射抜いていく。


「だめだ、引き返せ!」


 敵軍からそんな声がして、盾兵が後退して行った。


「よし、太刀隊、追撃せよ!」


 太刀を持った三十人ばかりの村人が飛び出して、逃げていく敵に追い打ちをかけた。


 斬られた兵が十数人、ばたばたと倒れ伏していく。


「いいか、深追いはするなよ、無理に追わなくていい!」


 朱天の声に、村人達はぴたりと前進をとめた。


 そして、道の奥へと引っ込んでいく敵に、村人達の威嚇の声があびせあられたのだった。

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